2003年11月の雑記帳


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過去の「雑記帳」

11月25日(火)

 関東近県のあちこちをめぐり、そのたびにいろいろな駅に訪れておりますが、やはり駅そのものだけを見た場合、ステレオタイプ的な印象しか持ち得ない駅が非常に多いな、と感じます。それでも新しい駅になると、なんとかその町の“顔”にできないものかと、いろいろな工夫をこらしています。しかし、何だかよくわからないデザインになっていて、乗降客の歩行距離をいたずらに伸ばしているだけ、といった駅さえもあります。

 また、関東地方の大半の大手民鉄には、フリーきっぷなどがほとんどないため、こまめに下車すると運賃がかさんでしまうのも痛いところです。関西の大手民鉄は、期間限定が多いもののさまざまなフリーきっぷを出すようになったのですが、関東ではパスネットを出し入れするたびに残額が減っていくのが実情。このため、少しでも運賃を抑えようと、駅と駅との間をまめに歩くようにしています。セコいのかもしれませんけれど。

11月24日(月)

 「最長片道切符の旅」も、残すところあと1週間を切りました。何とか今年中の脱稿を目指してがんばっていきます。しかし、この紀行文を書いていると、沿線の駅で「あそこに行きたいなあ」と思うところがいっぱい出てきます。この旅では、いわゆる「中抜け」がその性格上できなかったために、駅間徒歩連絡などはほとんどしなかったのですが(一回だけ例外あり。まだ書いている部分ではありませんが)、現在ならあちこち歩き回っていたことでしょう。

 いっぽう「駅の写真館」のほうも、現在首都圏各私鉄の駅を集中的に回っているため、ネタばかり増えてサイト更新がなかなか追いつきませんが、少しずつ更新していくつもりです。

11月23日(日)

 広島のJR西日本・可部線のうち可部−三段峡間は今月末かぎりでの廃止が決定していますが、このほかにも、北海道ちほく高原鉄道やくりはら田園鉄道などもバス転換への流れが避けられない状況になり、日立電鉄や南海貴志川線でも同様の動きが出ています。補助金の打ち切りや施設更新に伴う出費が直接の原因になっているケースが多いのですが、地方都市の近郊では、鉄道にかぎらず公共交通機関のウェイトが大きく低下していることが否めません。しかし、交通渋滞の慢性化などの問題もまた同様に発生しているわけで、そういった問題を解決するために鉄道を活用するという取り組みは、今にいたるまであまりなされていないのが現状のように感じられます。

 こういうことは、都市部に長いこと住んでいるとなかなかピンとこないものですけれど、地方の優等列車非停車駅を発着する列車の本数を考えると、完全にルーティン化したスケジュール(出社や登下校など)に適合した便以外で列車を使おうという気になれないのはごく自然です。その“限界”を見据えたうえで、自動車で得られない便益を維持していくことが必要ですし、そのために行政サイドも、インフラ更新のみに留めるのではなく、公共財として活用する手法をより検討してほしいものです。まあ、せんないことですが。

11月21日(金)

 前回に引き続き、甲信越および東海の各リストで、写真未掲載の駅を明示しました。全駅の写真をパーフェクトに網羅することなど考えてはおりませんし、それよりも少しずつ多くの駅を拠点として、いろんなところに足を運びたいというのが第一なのですが、やはり「写真館」という看板を出している以上、できるかぎり充実させていきたいと考えております。

 もっとも、この冬は緊縮財政を余儀なくされるのが実情でして、おそらく関東近郊の日帰りを2〜3回程度、ということになりそうです。そのぶん、サイトの充実に注力できるともいえるのですが。

11月19日(水)

 急に冷え込んだせいか風邪を引いてしまい、一日寝るはめになってしまいました。季節の変わり目に注意が必要というのはわかりきっていることなのになんとも情けないかぎりです。

 「駅の写真館」というタイトルにもかかわらず、「(写真なし)」で済ませてしまっているページが非常に多いので、写真未掲載の駅は、リストの中でイタリック(斜体)表示をすることにしました。北海道・東北・関東の各リストをまず修正しました。

11月17日(月)

 ぽかぽか陽気の小春日和に誘われるように、川越にいってきました。もっとも、テレビや雑誌などで宣伝されでもしたのでしょうか、菓子屋横町や「時の鐘」のあたりは芋を洗うがごとき観光客大渋滞だったので、こちらはさっさと抜けだし川越城跡や喜多院(川越大師)あたりを中心にのんびり回ってきました。喜多院では菊祭りが開かれていたほか、七五三詣での家族連れが多かったのですが、こちらは観光客とはちがってかえって心がなごむのが不思議なものです。

 ついでに西武線各駅乗降もやってきましたが、やはり秋の日はつるべ落としということばのとおり、すぐに日が暮れてしまい、新宿線が4駅残ってしまいました。このくらいならいつでも訪れることはできるので、次の機会にまわします。

11月15日(土)

 「最長片道切符の旅」を、実に半年以上ぶりに更新しました。当時の記録がかなり散逸していたのをなんとか整理づけただけでなく、記憶をたどるのにけっこう苦労しました。しかも、かなり単調な路線が多かった日を綴るのは、けっこう骨でした。もっとも、読まれる方も、あたかも福塩線に乗っているかのごとく、うとうとしてしまうかもしれませんけれど。

 また「駅の写真館」でも、特に印象深い駅については、積極的に複数の写真をアップしていきたいと考えております。今のところ、新旧の駅舎を並べるというものをのぞけば、大半が1駅1写真ですが、1つの角度だけで見えないいろんな表情をご紹介していければいいな、と思います。

11月13日(木)

 「駅の写真館」最後の空白区となっている四国エリアのコメントを少しずつまとめているのですが、「特に印象に残っていない」としか書きようのない駅が多いのに愕然としております。所用で乗り降りしてそのまま、という駅がえてしてこうなりやすいのですが、とにもかくにも旅行で訪れた先の駅があまり記憶に残っていないのはいったいどうしたことか。

 最初に四国を訪問し、JRの向井原−伊予大洲間および土佐くろしお鉄道中村線、香川県内のケーブルカー、および伊予鉄道のごく一部を除いて全部乗ってしまったのですが、この際に、高知駅で見つけた駅スタンプラリーが諸悪の根元だったように思えます。すでに大学生にもなってそんなキャンペーンに乗せられた私も私なのですが、このために時刻表とにらめっこしつつ、とにかく要領よく数多くの駅でスタンプを集めるにはどうすればよいか、そればかり考えていた気がします。このときにかなり多くの駅で下車したものの、それらの駅がどんな駅だったのか、あとから思い返してもどうにもハッキリしないのです。また駅を撮った写真の数そのものも、かなり限られています。

 もちろん、四国に行ったのはそれ一回きりというわけではなく、それ以降もこまごまと訪れてはいるのですが、最初にそういう態度を取ったのがどうもよくなかったようです。

 別に駅にかぎったことではありますが、旅先で何らかのキャンペーンに出会った場合、それらを“使う”のではなく“使われる”という羽目になることは、大いにありうることです。しかし、軽佻浮薄を地でいくような姿勢をもって、旅の恥とするべきではないでしょう。旅というものを、偶発的な可能性を得る契機としていきたい。そのように思います。

11月9日(日)

 仕事が繁忙期に入り、始発で帰って定時に出勤といった日が続いていたため、サイト更新はおろかメールや掲示板のチェックさえできませんでした。昨日はいちおうまともな時間帯に帰宅できたので、なんとか更新にこぎつけました。

 さて、仕事の帰りに、川島令三/岡田直『鉄道のすべてがわかる事典』(PHP文庫、2000)を買って帰りの電車の中で目を通したのですが、なんともすさまじい本です。タイトルに「事典」と銘打っておきながら索引がないとか、各見出し語に対する正式表記がない(例えば「JR東日本」という項目があっても「東日本旅客鉄道」とはどこにも書いていない)とか、6つのジャンルに分けているのにその内部では五十音順に項目を配列しているためにレファレンスとして役に立ちにくいとか、各見出し内の説明相互間でバランスがまったく取られていない(「JR北海道」「JR四国」「JR九州」では「株式非公開」と書きながら「JR貨物」では無視、など)いった問題点がありますが、それ以前に、説明文中の記述があまりにも不用意です。具体的には、次のようになっています(本文は縦書きなので漢数字を用いている個所は、引用部中では算用数字にしてあります)。

運輸省【うんゆしょう】

 前身は鉄道省である。1945(昭和20)年、運輸通信省から通信部門が切り離されて運輸省となり、その4年後に鉄道の運営が日本国有鉄道に移管されて、現在の運輸省が発足した。(以下略)

 実質的に最初の見出しはこの「運輸省」ですが、のっけから首をかしげざるをえない記述がでてきます。「前身が鉄道省」なのに、どうしていきなり「運輸通信省」なる役所が出てくるのか、まったく説明されていません。運輸省の前身にあたる組織はいくつもの変化をへているわけで、その中で「鉄道省」のみをあえて取り上げる必要などなかったでしょう。

 また、細かいところですが鉄道の運営が日本国有鉄道に移管とありますが、自動車部門や船舶部門を無視してはいけません。「現業部門が」と表記するのがよいでしょう。

 ここは、正誤というよりは妥当性のレベルです。ところがこの次になると、それだけでは済みません。

運輸政策審議会【うんゆせいさくしんぎかい】

 運輸省の諮問機関。(以下略)

 諮問機関は、省の主任大臣に属するものであり、運輸政策審議会は運輸大臣の諮問機関です。諮問機関とは行政庁の諮問を受けて意見を具申(答申)する機関ですが、この行政庁は運輸省の長たる国務大臣にほかなりません(いわゆる「私的諮問機関」はまったく別です)。運輸「省」の機関という表記はあきらかな誤りです。

 まあ、これは行政組織に関する知識がないままに書いてしまい、編集のチェックも運悪く通ってしまっただけかもしれません。しかし、本来ならば容易にチェックできる重大な誤りが、ていねいな解説文としてまかり通っているところがあります。

鉄道事業法【てつどうじぎょうほう】

(中略)

 「免許」「許可」「届け出」はいずれも同じようなものに見えるが、この順に手続きは易しくなる。だが、一番簡単な「届け出」についても運輸省が受け付けなければ手続きはできないことになるから、これらは運輸省の考え方次第で左右され、いずれもまだまだそのコントロール下にあるといえる。

 届出(行政法上の表記ではこれが正しい)と許認可を並列で説明すること自体にも問題がありますが、それ以前に、この文面では行政庁が届出を拒絶できるようにしか読めません。行政手続法第37条では、書類など手続上の不備がないかぎり、書類が機関に到達した時点で届出は有効になると明記されています。「考え方次第で左右」とあれば、あたかも届出手続の際に行政指導が可能のように思えますが、それはまったくの誤りです。

 こんなことばかり書いていっても「単純に、行政法に関する部分の間違いが多いだけなのでは」と思われるかもしれません(もっとも、これらが書いてある第1章は「法令・企業」なのですが)。しかし、鉄道会社に関する記述にも、不可解なものがあります。

山陽電鉄【さんようでんてつ】

 準大手三社はこの山陽電鉄と神戸電鉄、そして相模鉄道だったが、相模鉄道は大手私鉄に仲間入りし、現在は新京成電鉄が加わる。(以下略)

 「準大手」というカテゴリでは、大阪府都市開発(泉北高速鉄道)と北大阪急行電鉄、および神戸高速鉄道も含まれます。もっとも「準大手三社」というサブカテゴリがあるのなら、新京成・山陽・神鉄というくくりがあるのかもしれません(私は寡聞にして存じませんが)。ただしそれなら、「準大手」という表記そのものに関する説明を加えておくべきでしょう。ちなみに、「大手」および「準大手」という見出しはありません。

JTB【じぇいてぃーびー】

 旅行業界の最大手。日本交通公社(ジャパン・トラベル・ビューロー)の通称だが、2001(平成13)年より「JTB」が正式社名となる。(以下略)

 「通称だが」はともかく(「通称として用いられてきた」が妥当。2000年までは、CIとして「JTB」が用いられてきたに過ぎません)、「JTB」ではなく商号は「ジェイティービー」です。「正式社名」を間違えてはいけません。蛇足ながら、JTBのWebサイトにある「会社の沿革」には「株式会社ジェイティービ」とありますが、これは単純ミスです。

地下鉄【ちかてつ】

 地下鉄という用語は本来、存在しない。行政上は「都市高速鉄道」と呼ぶのが正しい。(中略)

 なお、現在、日本で地下鉄が走る都市は札幌、仙台、東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡で、東京の営団・都営を除いて、すべて市営である。

 「本来、存在しない」用語が、なぜ誰でもわかるコトバとしてまかり通っているのでしょうか。単に、法的または行政手続上「地下鉄」を定義することができない、というだけのはずです。それとも、「地下鉄」という呼び方は日本語として認められてはいない俗語に過ぎない、とでもいうのでしょうか。

 また「行政上は…正しい」といっても、一般的な用法と行政上の“正誤”とを対比させる意味などまったくないでしょう。「行政実務上、一般的に“地下鉄”と呼ばれているものは「都市高速鉄道」と表記される」と書くのが妥当です。運輸行政では、都市高速鉄道を建設する際には地下を通すのが一般的だ、という理由で「結果的に“地下鉄”になった」とされていること自体は正しく、この見解に沿えば、地下鉄とは郊外鉄道や都市間鉄道を含まない、主に都市の地下を走る「都市高速鉄道専門の企業体」(和久田康雄『日本の地下鉄』岩波新書、1987)が運営する鉄道、と定義できます。

 しかし、地下鉄の定義そのものを明記せず、単純に行政実務上の取り扱いに近い形を取りながら、上記の定義ではピッタリあてはまる神戸高速鉄道をあっさり無視しているのはなぜでしょうか(埼玉高速鉄道は開業前なので書かれていません)。ちなみに前述の和久田氏の著作では、神戸高速鉄道もしっかり取り上げられています。

 ここにあげたのは第1章のみです(第2章以降など、読み続ける気になりませんでした)。こういった状態で、記述の不正確さや無神経さには頭が痛くなってきます。「はじめに」では正確で、かつ、わかりやすい用語を使ってもらいたいものであるとありますが、この一節が薄っぺらいものに感じられてなりません。

11月4日(火)

 帯広から無事に乗り込んだ普通列車の車両はキハ40系ワンマンカーで、これからえんえんと正味3日間にわたり、この形式の車両につきあっていくことになります。この日は夜に釧路に着ければそれでいいので、どうしようかな、と時刻表を繰りつつ、いくつかの興味深そうな駅に降りようと考えました。根室本線の帯広−釧路間では、普通列車さえも多くが通過してしまう駅として、稲士別と古瀬の2つがあります。しかし古瀬は、白糠まで行き、そこから折り返せば降りることはできるものの、すでにその段階で17時42分。これでは周囲は真っ暗でしょう。さらにこれが終列車であり、もう上りも下りも列車などないうえ、両方の隣駅からはけっこうな距離があるため、夜にえっちらおっちら歩く気にはなれません。そういうしだいで、稲士別を目指すことにしました。

 乗り込んだ列車も稲士別に停まるうえ、その次の列車も30分後にやって来るので、このまま乗って行ってもいいのですが、1つ手前の札内との間は3.6キロ、さらに5万分の1の地形図で見ると、道路が並行しているうえに傾斜もほとんどないようなので、この間を徒歩で歩くことにしました。札内を降りるのが15時56分、所要時間はおおむね45分程度で、次の列車が稲士別に到着するのが16時53分ですから、札内と稲士別の両駅を一気に乗降できるわけです。もとより、こういった趣味のない人間からすれば、列車があるのに好きこのんで歩くなど、得体の知れない行動にしか見えないのでしょうが。

 駅員のいる札内で列車を降り、いったん地形図で道路と方角を確認してから、ひたすら西へと線路に並行して歩きます。道路はきちんと整備されているのですが、通り過ぎていくのは車ばかり。道路沿いには整備工場などがあり、フォークリフトなどがアームをえっちらおっちら動かしています。工場が途切れると人気のない公園が突然出てきたりしますが、こういったものの整備費はどこから出てくるんだろう、などと野暮なことを考えます。

 北海道の道路はきれいに整備されているところでも、直線区間が長いせいもあってか、歩いても歩いても先に進まないような気になります。視覚による距離感と、足の運びによる実測距離とのギャップが大きいのでしょう。要するに、歩いているうちに退屈になってきます。ときおり、特急列車や貨物列車が、ゴーと地をふるわせながら脇を通り過ぎていきますが、そのたびに、肩にずっしりと食い込むカメラバッグの重みを確認することになります。もともと高緯度なので日暮れが早いうえ、秋の日はつるべ落とし、だんだん暗くなってきます。

 足の疲れよりも退屈のほうが限界にきて、ちょっと休もうかなと思ったころ、粗末な板張りが線路沿いに組まれているのが目に入りました。どうやら、この板張りが、稲士別駅のホームのようです。ホームの下側には、おそろしくボロボロの小屋がありましたが、これが待合室でしょう。なかは埃っぽくてとても長居したい雰囲気ではありませんが、それでも雪の季節には必需品なのでしょうか。しかしこのホームに立つとぎしぎしとイヤな音がするうえ、板きれと板きれとの継ぎ目がけっこう広く空いており、下をのぞいて見られるため、何キロぐらいまでなら大丈夫なのだろう、などと考えてしまいました。

 このホームの真正面には民家が建っているうえ、周囲には工業団地が整備されていてそれなりに人も住んでいるようです。もともと帯広−池田間の旅客流動はけっこうありますし、普通列車の半数以上が停まらないのはなぜか、どうにもわかりません。

 そんな普通列車にも見放されたような駅に、コーッと低い音を立てながら、帯広方面からの列車が入ってきました。さて何人降りるかな、と期待を込めて見ていたのですが、だれも降りることはありませんでした。乗り込んだのはもちろん私だけだったのですが、平日の夕方にこれでは、この駅を日常的に利用する人はほとんどいないのが実情なのでしょうか。

 すでに日はとっぷりと暮れており、“新しい発見”を期待する時間帯ではなくなってしまいました。それでも、時間に余裕がある範囲で、いくつかの小駅で降りたり乗ったりを繰り返し、釧路に到着。

 釧路ではすでに駅周辺の商店はすべて閉まっていたため、駅構内のコンビニで食料などを調達し、折り返しの上り夜行列車「まりも」の客となったのでした。「まりも」では隣の席には結局誰も座らず、体を横たえてぐっすり眠りました。

11月3日(月)

 北海道に「北斗星」で乗り込んでからは、洞爺で特急「スーパー北斗1号」に乗り継ぎました。客車を機関車が牽引するブルートレインよりは、強力なエンジンを搭載した新型ディーゼル特急のほうがはるかに高速なので、このように昼行特急が寝台特急を追い抜くという現象が起こるわけです。私は道内の特急指定席フリーという「ぐるり北海道フリーきっぷ」を持っていたため、ためらうことなく乗り換えました。これが個室寝台ならのんびり南千歳まで寝て過ごしたかもしれませんが、開放寝台となるとそういつまでもゴロゴロする気にはなれません。

 さて、いよいよ純然たる道産子列車だぞ、と思って乗り換えたものの、「スーパー北斗1号」の車内は背広を着たビジネスマンでいっぱい。書類に目を通したり、ノートブックPCをカタカタ叩いたり、あるいは束の間の睡眠を取ったりと、行動はまちまちですが、とにかく仕事で乗っている人がほとんど。当方も一応は社会人の端くれであり、有休を使ってこういうことをやっている以上、どことなく肩身が狭い気がします。ちょっと落ち着かないので、苫小牧でいったん下車することに。

 ここで後続の普通列車に乗り換えましたが、ガラガラのロングシートというのもまたオツなもので、外の景色がパノラマ状にクッキリと見えます。沼ノ端から先の2つの小駅周辺など、原生林の中を分け入って進んでいくようなところもあるのですが、特急列車でサッと通過するのはもったいないと感じられたものです。

 南千歳からは、いよいよ石勝線。例の楓駅を初めとした旧夕張線グループは明日に回すとして、まずはトマムへ直行します。ここではアルファリゾートの職員が出迎えてくれるものの、わずか10数分で折り返す私には無関係。さっさと向かい側のホームに移りますが、とにかくホーム上を吹き抜ける風が冷たい。今回の旅行では最後まで風邪を引かずにすんだのは幸いでしたが、小雪が舞うというありさまで、両腕を抱きかかえるようにしてガタガタ震えていました。どこからかやってきた女性客はダウンジャケットにロングブーツという風体ながら、それでも体を縮こまらせておりました。

 ここから1駅乗って、占冠へ。これだけのためにも指定券を取れるのだから、ありがたいことです。ほかに誰も降りることのない、しかしなかなか立派な占冠駅を出てすぐ右手には、鬼峠さんの「北海道観光大全」の掲示板で話題になっていたレストラン「占山亭」の入っている「物産館」がありました。レストランでは手ごろな値段で、実においしい料理が出てきたことに正直なところびっくり。ソースは絶品で、都内でこれだけのものをこれだけの値段で出せば行列ができること間違いありません。食後に少し店長氏と会話を交わしますが、この11月をもって閉店されるというのが本当に残念です。ここにくるのも最初で最後かと思うと、ちょっとセンチメンタルな気持ちになったものです。

 占冠からは、下り特急列車に乗り込むものの、十勝池田に入線したきり動きません。なんでも、上り列車が遅れているため、それにあわせてこちらも待機する、とのこと。帯広で普通列車に接続するダイヤになっているのだが、通常ならホーム乗り換えだろうし向こうも待っているだろうから問題ないだろう、と、のんびり構えます。

 ところが、いざ帯広駅に着いてみると、接続する普通列車は別ホームとのこと。帯広駅は高架化されてからはかなりホーム位置が高いところにあり、コンコースへの上下には相当の距離があるので、焦ります。ところが、この特急列車から降りた客は、ほとんど帯広で降りてしまうのか、エスカレータの両脇をのんびりと占拠してゆったりとしています。いらいらするものの、とにかく下りた時点でダッシュをかけようとするものの、今度は自動改札機が邪魔をしています。この駅はJR九州の宮崎駅と同様、それぞれのホームごとに改札を設けているため、列車の接続によってはいったん改札を出る必要のある構造になっているわけです(実際には観察する余裕はありませんでしたが)。急いできっぷを出して改札機に投入し、さらに普通列車のホームへ通じる改札機に再度投入。今度はエスカレータを怒濤の勢いで――そうはいっても、ノートブックPCにバッテリーチャージャなどの機器4つほどを入れたリュックを背負い、一眼レフカメラ2機と交換レンズ2本をブチ込んだカメラバックを背負っているため、客観的にはゆったりと、でしょうが――駆け上ると、まさに間一髪のタイミングで間に合いました。もしもう少し後ろの車両に座っていたら間に合わなかったでしょう。このあたりの連携がうまく取れていないようなのは残念でした。

11月1日(土)

 ひとまず、乗降した北海道各駅の情報をアップいたしました。これだけちまちま動いても、線区別で全駅乗降を達成しているのは、JR北海道では札沼線と石勝線だけなのですから、まだまだ先は険しいものです。時間とお金をつぎこめば数年で全駅下車(乗車を含まないのかどうかは定かではありません)も可能のようですが、そんなに早く達成しても各駅ごとの印象は残りにくいでしょうし、このくらいのペースがちょうどいいのではないか、と考えております。

 

 今回の旅行は、「ぐるり北海道フリーきっぷ(5日間用)」を使いました。これは、往復に新幹線+東北/海峡線の在来線特急・急行の指定席、または寝台特急「北斗星」のB寝台(ソロも可)を利用できるもので、10月以降はシーズンオフと言うことで夏期に比べて1万円ほど安い3万5,700円になります。さらに、JR北海道内では普通車指定席を無制限に利用できるというメリットがあります。私は「富士」や「瀬戸」、「銀河」に「トワイライトエクスプレス」といったブルートレインに乗ったことはありますが、「北斗星」には乗ったことがないうえ、勤務先から直行して帰りもそのまま職場に行くというスケジュールにならざるをえないため、自動的に「北斗星」で往復することにしておりました。

 そのきっぷを携えて、会社から最寄りの駅まで行って、あらかじめコインロッカーに突っ込んでおいたカメラバッグを出し、上野駅へ移動して「北斗星3号」の開放式B寝台に収まります。「北斗星」には、JR北海道編成とJR東日本編成(と私が勝手に呼んでいる)の2つがあり、3号は後者にあたり個室が少ない編成になっていることから、どうしても個室寝台が取れずに開放寝台となりました。しかし、開放寝台では向かいの人といろいろ話をすることができたほか、ロビーカーに出ている時間も長くなり、ちょっとしたことでその場にいる人と盛り上がれたのも、また楽しい思い出です。個室寝台は非常に快適なのですが、開放寝台も悪くありません。

 しかし、食堂車「グランシャリオ」の案内放送の中で、「下着姿でのご来店はご遠慮ください」というのがあったのですが、そんな格好でぶらつく人っているのでしょうか。浴衣姿ならわかりますけれど。

 翌朝、大沼の紅葉をぼーっと眺めながら前日に仕入れた駅弁を食べていると、昨晩まで仕事をしていたことが別世界のできごとのように感じられてきました。自分がいまいる場所が“北海道”である、という地理感覚を頭で再確認するとともに、ガッタンゴットン揺れる列車の中で朝を迎えている、ということを体で再確認すると、東京というものが、急速にリアリティを失っていくように思えてしまうから不思議なものです。旅に出るたびにこんなことを思うわけではなく、初乗りの「北斗星」ゆえのことなのでしょうが、あるいはこれが北海道の魔力なのかもしれません。



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