雑記帳


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1月29日(日)
怒られちゃったから…

 東横イン、二重図面で偽装工事 条例違反の状態(朝日新聞、1月27日):格安料金で急成長しているビジネスホテルチェーン、東横インの偽装工事が発覚した事件。低料金であるうえ駅に近い位置に多いこともあって、私も何度か利用したことがありますが、駐車場はともかくとして、障害者用の対策が検査後に撤去されているとは思いもよりませんでした。エレベータなどが小さく「車いすだと使いづらいだろうな」と漠然と思ったことはありますが、古いビジネスホテルなどではさして珍しくもないため、あまり気にしていなかったものです。

 それ以上に気にかかるのが、経営者の法令違反に対する認識です。法令違反の状態が露呈した場合のことを考慮していなかっただけというよりは、遵法精神の欠如がまず先にあるように思われます。ホテルという、多くの人の身柄を一手に預かることを業となしつつ、コンプライアンスなどとはほど遠い認識。おまけに、怒られちゃったからもうやらない(日本経済新聞、1月27日)といった言動は、経営者以前に、社会人として疑問を抱かせるものです。このような態度を見ると、法令違反状態になっているのは今回表面化したことだけで済んでいるのだろうか、という気にさえなります。

 私のように、年に数回という頻度で宿を使うような趣味を持ち合わせていると、交通費以上に宿泊費の負担が大きくなります。20代前半までなら、五日連続夜行座席車(列車およびバス)とか、一日おきに野宿とか、そんなこともやりましたが、30を過ぎた今では、帰宅後に仕事に影響しない範囲で行動するとなると、ゆっくり休めるところを選ぶことが大前提となります。体を休めることができ、なおかつ経済的な料金となると、東横インのようなホテルはありがたい存在でした。しかし、こういう姿勢をみせられては、利用する気が失せます。ホテルなり旅館なりというものは、気に入ったところに何度も泊まる傾向があるということは、経営者ならわかっていると思うのですが、もはやリピーティングは期待できなくなりそうです。

※東急インなどを経営する東急ホテルズ、および東急グループは、東横インとは無関係ですので念のため。

1月20日(金)
フィルムは遠くなりにけり

 コニカミノルタ:カメラ事業から完全撤退へ(毎日新聞、1月19日):日本のフィルムメーカーの老舗であり、カメラメーカーの老舗でもあったコニカミノルタの話題。α-7000、そしてジャスピンコニカを知っている世代にとっては、寂しいことこのうえありません。京セラ(旧ヤシカ)に続いて“おもしろいカメラ”を作れるメーカーがまた消えてしまったという気がいたします。

 それ以上に、フィルム製造からの撤退は、銀塩フィルムがもはやニッチ市場レベルのものになってしまったことを示しているのかもしれません。すでに、ベルギーのアグファフォトが破産しており、大手と呼べるメーカーは、富士写真フイルムとコダックの2社のみになりますが、この両社はプロやハイアマチュア市場を維持しているからこそもっていると面があります。かつて収益率が高かったであろうネガカラー市場は、いわゆる“使い捨てカメラ”以外では期待できなくなっています。

 写真の大衆化の原動力となったのは、カメラ以上にフィルムだと私は思っておりますが、化学が電子によって脇役へ追いやられることを象徴的に示すできごとが、今回の発表だといえましょう。世間一般ではニコンの銀塩カメラからの撤退のほうが大きく取り上げられていたようですが(私もニコンの銀塩カメラを複数台持っているので人ごとではありませんが)、それ以上に大きな出来事のように思われたしだいです。

1月15日(日)
7駅廃止

 もはや旧聞に属する話題ですが、JR北海道の発表[PDF]によると、張碓、中徳富、智東、南下沼、新栄野、東幌糠、旭浜の7駅につきましては、平成18年3月17日(金)をもって営業を終了しますとのこと。リストアップされている7駅のうち、実際に乗り降りしたことがあるのは中徳富のみなので、中徳富の「駅の写真館」掲載ページに写真を追加して加筆修正を行いました。

 張碓については、定期列車の停車がなくなり、さらに季節営業もなくなってから久しく、すでに閑散駅の廃止が進められてきたJR北海道の駅にあって、なぜ正式に廃止されないままだったのか不思議だったのですが。先月も、強風により列車の運行抑止があった際に「張碓−朝里間」という案内があり、まだこういうところでは生きているのだな、と思ったものですが、これが同駅の最後の活躍(?)になるのでしょうか。余談ながら、この張碓を含めて、智東以外はすべて「ATOK15」できちんと変換できたことに、ちょっと驚き。

 閑話休題。さらに吉岡海底駅は、北海道新幹線青函トンネル工事への準備に伴い、定期列車の停車を取りやめ、イベントに合わせた臨時列車のみの停車とします、すなわちトンネル見学による駅への立ち入りは通常のルートでは行えなくなったということです。もっとも、吉岡海底および竜飛海底の両駅については、トンネル見学対象者にかぎりチケットを別途購入することで立ち寄ることができ、その際も係員の誘導にしたがって行動する必要があり、毎日開催のイベント限定駅だったともいえます。ただし、これからは「停車する便も一部あり」ということになるわけですね。

 こらから先も、どんどん駅が減っていきそうな気がします。しかし、鉄道としての存続を図るのであれば、利用者がほとんどいない駅については整理するべきなのは当然です。鉄道事業者の掘り起こしでどうにかなるものではありませんし。また、北海道の閑散駅については、その多くについて、地域の取り組みによってどうにかなるものでもありません。鉄道の役割云々以前に、日本という国土の利用そのものが限界に到達しているわけで、時の流れというものを感じますが…。

1月8日(日)
下関駅火災で駅舎全焼

 3日の本欄で「今年は何もない年にならんことを、切に祈りたい」と書いたものの、のっけから鬱々たるニュースが飛び込んできました。JR西日本の下関駅が、放火により全焼したとのこと。

 下関駅の駅舎は1942年竣工の木造2階建で、戦時中であるにもかかわらず国際航路の拠点として拠点駅たる威容を持たせるターミナルとして設計されていました。駅の入口からコンコースへいたる屋根の高い通路は、かつての阪急梅田駅(改修工事により通路は解体)とともに、単なる交通の結節点にとどまらない、いわば“ハレ”の空間としてのコリドールという面を持つ、非常にユニークな存在でした。玄関の三角屋根はかつての長崎や西鹿児島(現、鹿児島中央)を思い出させるものとして人気がありましたが、下関駅の真骨頂は、玄関から改札口までの空間にあったと思っていたしだいです。

 現在では老朽化が進んだうえ、駅前の人工地盤(自由通路というほうが適切だと思いますが)との接続もあり、改築が事実上決定していました。東口前に新たに“開発ビル”を建設、人工地盤と駅構内を結ぶ計画も盛り込まれた。(中略)「下関駅にぎわいプロジェクト」と題した計画概要によると、開発ビルは、現在の駅東口側の三角屋根の木造駅舎を撤去し、建設予定山口新聞2005年12月29日より。データベース著作物の可能性が高いため検索ページをリンク)とのことで、旧駅舎の保存は規模が大きいため困難だと思われていました。それでなくとも、下関市には関門トンネル開通以前からの産業遺産が多く残っていながら、これといった保存が行われていないケースが多く、観光客も対岸の門司へ流れるため行政サイドも及び腰であり、旧下関駅舎まで手が回ることはまず期待できませんでしたから、消滅するのは時間の問題だったともいえますが、放火によって一瞬で消滅とは、なんともやりきれない思いになります。

 規模の大きい駅が不審火等で焼けてしまった例には、JR北海道の岩見沢駅があります。しかし、下関駅は、駅の去就そのものが話題になっていたということもあり、その衝撃はより大きいものがあります。また、1999年9月29日に通り魔殺人事件の舞台となっており、当時のニュースはまだ記憶に残っている人が多いことでしょう。

 事故防止への具体的な手法には、何があるのでしょうか。木造駅舎は危険だからひとまず壊せ、という流れにならないことを、ひとまず祈っておきますが…。

1月4日(水)
地方の駅弁

 「阿波尾鶏とりめし」発売 貞光駅、県内唯一の公式駅弁(徳島新聞、2005年12月26日):やや古い記事ですが、駅弁の話題。徳島県は全国で唯一公式な駅弁が存在しない県という沖縄県を無視した記述はさておき、駅弁を販売する駅として貞光を取り上げたのはおもしろいところ。特急「剣山」が全便停車するとはいえ、観光客と縁がありそうな駅とも思えず、乗り換え客や長時間停車が期待できるわけでもありません。製造業者が貞光町内ということもあり、まずは話題性を確保するために販売し、継続して販売できる目処がたった時点で徳島などへ進出するという目論見と思われます。

 東京近郊に在住する者が国内を旅行する場合、駅弁の購買意欲は、以前にくらべて低下しているのが現状でしょう。かつては一部のデパートが行っていた駅弁販売は、あちこちのスーパーで見られるようになり、企画としてはありきたりのものになっているといってもよいでしょう。かつては変わり種の駅弁がよく話題になったものですが、最近ではこれらもネタ切れになってきたのか、一般のメディアがスポットを当てることも少なくなりました。また、新幹線の主要停車駅などでは、さすがに弁当類はそれなりに売れるものの、コンビニエンスストアなどの拡大により、より安価な弁当を調達することが容易になってきた面もあります。また、普通列車にロングシートが採用されることが多くなると、車内でものを食べるのがなかなかに難しくなり、乗車前に食事を済ませておくことが多くなります。この結果、ローカル線で駅弁を販売しても、なかなか採算ベースにのせるのは難しいものと思われます。

 しかし、地方の駅では、弁当を販売することそのものが話題になるわけで、これに依拠した販売にこそ活路が見いだせる、という見方もできるのかもしれません。長時間停車さえ少ない小駅での駅弁ゆえ、好事家が鉄道以外の手段で買いにくるほうが多くなりそう。“駅弁”というレッテルそのものが価値となっていられる期間は、それほど長いことではないような気がします。

1月3日(火)
謹賀新年

 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしく。昨年は、何かと鉄道事故の多い一年だったという印象が強いのですが、今年は何もない年にならんことを、切に祈りたいと存じます。

 12月の間、すっかり更新が止まってしまいましたが、ほかのことにいろいろ時間をとられたり、仕事のほうで精神的に参ることがあったりしたためです。実際には、更新するための題材はいくらでもありますし、そもそも市町村合併に伴う自治体名変更も進んでいないのが現状。正月休みの間は遠出する予定はありませんので、ちまちま作業を進めていきたいと思っております。



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