2006年7月の雑記帳


前の月へ 次の月へ
過去の「雑記帳」

7月19日(水)
漠たる息苦しさを感じる昨今

 今月後半から、更新頻度が大きく落ち込んでおります。とくだん業務が多忙であるとか、あるいは体調が悪いとかいうのではなく、継続的に時間をさく必要のあることに取りかかり始めたためです。もとより旅行に出られる状況でもないのですが、サイトの更新のほうは折を見て継続いたします。まだまだ未記述のデータも多いですので。

 

 日本には、残しておきたくなる景観、風景、モノ、空気、その他もろもろがありますが、これらが急速に消え失せています。具体的には、高度経済成長期におけるハードウェアの急速な代謝、安定成長期に加速した過疎化に留まらず、ライフスタイルの平板化に伴い――“ご当地”は商業ブランドとして有効になっていますが、これはアウトプットの際に有効となる記号的情報といえます――、地域性と呼びうる差異がどんどん消滅しています。どこに原因があるのか、これは不可避であるのか、そういったことは議論が拡散するだけなのでここでは措きますが、農業でもやっていれば格別、そうでない場合は「この土地で住みたい、生きたい」と思わせるだけの魅力が、大都市外にはなくなりつつあるような気がしてなりません。

 足で歩き、目で見るといった日常を通じて触れる景観は、そこに住む人にとっては宝物のはず。そういった景観も、利便性という名のもと、平板化された合理性によって消散されるのが“民意”であるなら、その社会の未来は暗いでしょう。日本という国、果たして、生きていきたいと思えるままでいられるのでしょうか。

7月5日(水)
鉄橋のゆくえ

 余部鉄橋「全面撤去を」 架け替えで地元集落(日本海新聞、6月28日):地元の地区から最終的にあがったのは、餘部橋梁(通称、余部鉄橋)の全面撤去でした。地元にとっては、赤い橋脚が鮮やかなトレッセル橋は数少ない有効な観光資源でもあり、愛着云々だけでは済まないデメリットもあるやに推察されますが、それでも結果は“ノー”。この種の調査でときおり見受けられる、結論ありきのアンケートであれば話は違ってきますが、そうでないのなら、この意見を最大限尊重するべきでしょう。

 そのいっぽうで、構造物、特に土木構造物の保存はどのように行われるべきかについては、ある程度一般化できる程度の議論は、まだまだのように思われます。建築物の場合はともかく、土木構造物となると老朽化したものを安全に保存し、なおかつ現役当時の状態をうかがわせる形で残すのはかなりの難題です。まして、景観を維持した状態でという条件がつけば、よほどのものでないかぎり無理でしょう。

 国鉄末期に発生した痛ましい事故、それを風化させないために、モニュメントとしての餘部橋梁にはまだまだ意味がありましょう。しかし、残さないという選択がなされるのであれば、その意味を何に転嫁させるべきか。そうそう簡単に答えが出るような考えでもありませんが、答えを出さずに橋だけつくるということのないようにしていただきたいものです。



前の月へ 次の月へ
過去の「雑記帳」

[トップページへ]