2008年9月の雑記帳


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過去の「雑記帳」

9月14日(日)
風説?

ある方から「亀崎駅の駅舎が現役最古というのは本当でしょうか」という問い合わせをいただき、それに対して「最古と判断するに十分な材料がそろっているわけではないので、可能性があるという程度でしょう」というお返事をいたしました。さて、弊サイトでの亀崎駅の説明はというと、訂正が必要なところはないものの記述が明らかに少なかったので、これを機会にざっと加筆しておきました。あわせて、もろもろのWebサイトを見てまわったものの「開業当初からの駅(と思われる)」という明らかに間違っている記述が多数あり、これはどうもよろしくないと考え、これに対する指摘に重点を置いた記述にいたしました。

前回の門司港駅に関する説明でも記しましたが、証拠の明白な事実と異なる“ジジツ”が一人歩きする傾向に対して、果たしてどう対処すればよいものやら。弊サイトの「駅の写真館」も、駅に関するデータベースとして充実を図っているものの、すべてひとりだけで記述しているため、どうしても誤りなどは出てくるでしょう。しかし、幸か不幸か、誤りについてのご指摘はほとんどありません(記述当時からの変化に伴うご指摘はありますが、これは誤記とは異なります)。悪意のない説明がひとり歩きするのは本当に怖いことですので、弊サイトをごらんのみなさまには、どうぞ遠慮なくあら探しをしていただければ、本当に助かります。

ちなみに、本日更新した亀崎駅の記述で参照した臼井茂信氏は明確でなかったならば、むしろ不明にしておくべきであったと思う。(中略)亀崎の駅舎だけではなく、事実と異なると思われる年次を示した鉄道建造物は他にもある。これらの究明は鉄道史や鉄道趣味にとって今後になすべき課題ではないだろうか(『鉄道ピクトリアル』No.524(1990年3月号)105ページ)と指摘されていますが、まったく同感です。しかし、これが記されてから10余年、ネットによる情報収集が手法のうち(少なくともひとつとして)必須となった現在、満足な史料批判もないままの記述はかえって増えているようにも思えます。鉄道や建築にかぎった話ではなく、無用な混乱を惹起する不満足な情報を流すことのないよう、心したいと思います。

9月8日(月)
一見も百聞に霞む

先日の「雑記帳」で、「門司港駅=九州最古の木造駅舎」というのが誤りだということを記しましたが、九州の古い駅舎として直方駅についていろいろ調べてみたところ「ネオ・バロック様式の駅舎」という記述を発見。直方駅の外観は、左右非対称、大きな寄棟屋根を持つ木造平屋建て。ここまでは間違いありません。また、玄関部分車寄せの支柱をいろいろな彫刻が飾っていたという記憶はありますが、むしろ鳥栖や上熊本などと同様の、九州主要駅スタイルとでもいうべき形状の駅とばかり思っていました。ネオ・バロック様式といえば、東京国立博物館表慶館や旧赤坂離宮など、近代国家の威厳を保つ姿勢を顕示しつつ、威圧感だけでなく壮麗さを体現するという認識が(少なくとも日本の近代建築史の枠組みにおいては)一般的だと思うのですが、外観はともあれ、内装になかなか壮麗なものが残っているのかもしれない、と思い直したしだい。かれこれ16年以上まったく降りていないため、駅内外ともに大きく変わっている可能性もさることながら、記憶も非常に曖昧になっていますし、何より当時は駅舎の造作にそれほど気を配っていなかったこともあって、今なら目をとめるものもスルーしていたのかもしれません。

直方駅は改築が予定されており、北九州地区では折尾駅が風前の灯火になっていますし、早い段階で北九州・筑豊地区を再訪したいと検討しています。

9月1日(月)
未確認の「最古」と事実誤認

昨日の「雑記帳」にて記したとおり、眼の病気のため更新のペースがかなりゆったりとなります。この週末は自宅でのんびりしていたため、無理のない範囲でほんの少しだけ更新ということで。

さて、いくつかのWebサイト(Blogを含む)を見て回っていたのですが、「九州最古の木造駅舎」に関する記述をちらほら見かけました。Googleで検索したところ、最初のいくつかのページでは大隅横川(JR九州肥薩線)と嘉例川(同)の各駅舎を、後につづく大多数のページでは門司港(JR九州鹿児島本線)の駅舎をあげていたのですが、私が確認しているかぎり、「九州内で現存している最古の駅舎」について、かなりの程度客観的に判断できるにたる資料はそろっていないと思われるのですが。

まず「九州最古の木造駅舎=門司港駅駅舎」については、明確に誤りです。門司港駅駅舎の供用が開始されたのは1914年3月ですから、完成は同年初頭でしょう。しかし、JR九州鹿児島本線の鳥栖駅は、これよりもはやく1911年には使用開始されています(同駅の詳細については、磯田桂史「九州旅客鉄道(株)鳥栖駅舎の建築年代について(日本近代:官衛・鉄道、建築歴史・意匠)」『学術講演便概集 F-2、建築歴史・意匠』vol.2006、409-410ページ、日本建築学会を参照のこと)。したがって、門司港を引き合いに出すのは無理があります。鉄道史上、建築史上ともに最重要評価を受けるべき駅舎ではありますが、少なくとも「九州最古」でないことは確実です。

それでは、開業以来改修されていないといわれる大隅横川、嘉例川両駅が九州最古なのかというと、その可能性はあると思われますが、確認が必要です。両駅のスタイルからして、現在の肥薩線が開通した当初に設置されて以来大きな改修はないようで、そうだとすれば1903年1月以前の建造となります。しかし、油須原(平成筑豊鉄道田川線:1895年8月15日開業以来改築記録なし)、上有田(JR九州佐世保線:1898年10月1日開業以来改築記録なし)など、開業以来改築の記録がない駅はほかにも九州内に存在しています。これらの駅にはまだ降りたことがなく現物未見なのでなんともいえませんが、中小駅ゆえ改築の記録がなくともかなり手が加えられている可能性もあります。大隅横川、嘉例川両駅はおそらく開業当初のものであろうと推定できますが(これについても客観的に判断可能な史料は未確認ですが、建築様式からみて大正期に入る前のものなのは間違いないでしょう)、こうなると「推測」の域を出なくなります。

検索でヒットしたページを見るかぎり、これら各駅の様式などを踏まえたうえで「最古」と判断(あるいは推定)しているものは見あたりません。

結局のところ、どこかのWebサイトに「九州最古」という記述があり、それがそのまま事実として伝わっているということでしょう。それにしても、「門司港駅=九州最古駅舎」ページの多さを見ると、事実誤認のひとりあるきがはびこっているわけで、なんとも困ったものです。



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