2010年2月の雑記帳


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2月18日(木)
消える宇高航路

宇高航路来月で廃止/フェリー2社撤退(四国新聞・香川、2010年2月13日)、宇高航路、100年の歴史に幕 フェリー2社、3月26日廃止(日本経済新聞・四国、2010年2月13日):岡山県の宇野と高松を結ぶ宇高航路を運営する2社が、そろって同航路から撤退する話題。瀬戸大橋開通後に瀬戸大橋を行き来するフェリーの利用者が大きく減少したのが1988年。当時はすでに貨物輸送で鉄道の出番はあまりなく、基本的にトラック輸送が中心になっており、瀬戸大橋の通行料を回避したトラック運送会社がフェリーを支えてきたという面があります。しかし、景気の悪化による輸送需要そのものの減少に加え、通行料金そのものの値下げもあって輸送客が落ち込み、これに「週末1,000円」がとどめを指した形となり、かつて本州と四国を結ぶ幹線であった主要航路も消滅の憂き目にあったことになります。

寂しさは拭えませんが、そもそもフェリーを使ったほうが運送料が安く上がるという料金設定そのものが異常でもあるわけでした。その点でいえば、通行料金設定の正常化による市場からの退場は、当然の帰結ともいえます(現在の通行料金設定が“正常”であるかどうかは別ですが)。

その一方で、特に宇野周辺に住んでいる人が、高松方面への通勤通学に利用してきたという現実もあります。鉄道の廃止と異なり、現実的な代替輸送が難しいので、岡山県側にとってはなかなかに問題でしょう。四国新聞の記事にもあるとおり、現在の制度では離島航路については国による公的補助が可能ですが、離島以外の幹線ルートでも生活路線としての色彩が濃い路線については、公的補助の制度そのものが存在していません。和歌山と徳島を結ぶ南海フェリーのように両側の県がバックアップする例もありますが、今回の例では、特に香川県側では岡山方面へ移動する県民が多いとも思えず、動きがそう活発になるようにも思えません。なにせ、宇高航路に限らず、大阪や神戸といった大都市へアクセスする路線でさえ利用者の減少がみられ、この路線のみに集中して保全するというのがそもそも無理です。こういったことから、国土内往来のルートを担保する方法を検討してもよいのでは、と思います。

なお、日経の見出し「100年の歴史」というのは、現在運行している国道フェリーが約50年(宇高国道フェリーを含む)、四国フェリーが約45年ということを考えると、いささか無理のある表現と考えます。もちろん、この2社以外にも宇高航路を運営してきた会社はありますし、「宇高航路」というと地元の人以外であればまっさきに国鉄の鉄道連絡船を思い起こすでしょう。したがって、「宇高航路、100年の歴史に幕」というだけなら間違ってはいません。しかし、そのあとに「フェリー2社」と続くと、この2社が運行してきた航路が100年続いてきたように読めます。ここは、後半部分で「往年の本四大動脈」とでもしておくべきでした。

2月11日(木)
壊すこと、つくること

改修か、建て替えか…激論 伊賀市の庁舎問題(中日新聞・三重、2010年2月10日):モダニズム建築として名高い建造物に関する問題。モダニズム建築とは何ぞや、という定義から入ると哲学論争に陥りそうなのでそれは置いておくとして、1960年代に建てられた公共建造物の多くが、耐震性やバリアフリーの観点以前に、設備の老朽化が著しくそのままでは使用に耐えなくなっており、その取扱いが注目されるケースが、日本のあちこちで見られます。もちろん、耐震化工事を施すなどの改修措置によって延命をはかることが可能であることが前提ですが、「解体か活用か」の二者択一で語られることがままあります。もちろん「二者択一では語れない」とし、一部のみを改造したり、あるいは景観を変えないような形で外観のみを保存したりといった例もありますが、その場合であっても、基本的には従来の「現役の建築物」に対する評価から離れた尺度で「保存」「活用」が語られてきたといってよいでしょう。

弊サイトでは「駅の写真館」というコンテンツを設け、駅の記録を残すなかで駅舎についてふれることもありますが、駅の場合は「乗客や駅員がいる場所」ということが大前提で、利用目的のコアが明確なため、その使われかたについてなされる議論の幅は小さいでしょう。しかし一般的に、建築物の利用方法は、機能面で見た場合にはかなりのレンジがあるもので、それらの幅を見たうえで価値を判断するという作業が、あまりなされていないような気がしてなりません。

もちろん、一介の素人が見ての判断ですし、建築設計の現場などでは考慮する余地のある話ではないのかもしれません。それでも、これまでの「使われかた」について顧慮されておらず、またそこにおける利点の確認、欠点の反省がないまま、過去をリセットするがごとく新築に走るというのは、あまりに先しか見ていない営為ではないでしょうか。

過去なくして未来はありません。そして、現在と過去を結びつけるのは、過去の物語りのみです。その語り部を歴史家にのみゆだねては、未来はつまらないものになると思うのですが。

2月4日(木)
赤城山麓のローカル列車

新京成の駅の紹介がひととおり済んだので、こんどは群馬県を走る上毛電気鉄道の各駅コンテンツを整理しています。大都市近郊から農村地帯になったわけで、大半が無人駅で営業状況も予断を許さない状況が続いていますが、実際の駅の雰囲気を少しでも知っていただければと思います。

ただ、恥ずかしいというか情けないというか、この上野地域の歴史や地理について、本人がまったくわかっていないため、本来であれば目を留めてしかるべきところをスルーしていたりする可能性もあります。その場合は、笑いながら見逃していたっだければ幸いです。



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