雑記帳


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12月28日(水)
原ノ町駅(南相馬市)ほかを更新

前回の本欄で書いた「きたぐに」ですが、22日は北陸・羽越系統の夜行列車が全滅だったものの、私が寝台券を確保した23日には全便運行。風雪もけっこうあったのですが、結局終着の新潟には定時に到着しました。途中、長岡で遅延が発生したものの、これは上越線の遅れによる接続待ちによるものでした。ひと晩だけでしたが、大窓によりかかりつつ、流れる夜景を肴に独り酒という、このうえない贅沢なひとときを過ごすことができました。

「きたぐに」で新潟に出てからは、山形、仙台を経て、この12月21日に運転を再開したばかりの常磐線原ノ町-相馬間に乗り、あわせてこの区間の各駅に乗り降りしてきました。なお、相馬-亘理間では列車代行バスが運転されているため、仙台から亘理まで列車を使い、ここから代行バスに乗り継いだのですが、あの大津波から9か月以上を経た今もなお、自動車がごろんと横になっていたり、建物の柱が残るも壁が穴だらけになっていたり、ガードレールの柵が溶けた飴のようにうねっていたりという光景が、代行バスの中からでさえ見られました。内陸への線路移設という方向で計画が進みつつあるこの区間も、今後どうなるものか。

12月21日(水)
「日本海」および「きたぐに」が不定期列車に

去来 3月のJR北陸線 夜行の日本海 きたぐに廃止(中日新聞・北陸、2011年12月17日):厳密には不定期列車(多客期のみの臨時列車化)ですが、夜行列車の“聖域”のような地域だった北陸も、特急「北陸」の廃止と急行「能登」の臨時化という動きもあり、こうなる日も予想はしていました。そのいっぽう、まったく個人的な感慨ですが、最初に夜行列車に乗ったのが583系の寝台特急「彗星」だったこともあり、583系の定期夜行列車が消滅することは、寂しいと思うとともに、時代の経過をあらためて感じます。

583系のB寝台は3段式。天井が低いながらも横幅が広くなっており、下段なら窓が大きいのが魅力。機関車が牽引するブルートレインとは異なり、発車時の「ガッタン」がないのが電車寝台の特徴です。気がついたら583系の夜行列車がほとんどなくなり、事実上最後の列車になっている「きたぐに」も、多客期のみとなると、いつしか消え去るのは容易に想像できます。そんなこともあって、この三連休を使って、急遽「きたぐに」に乗ってくることにしました。幸いB寝台下段は取れたのですが、問題は天気。なにやら荒れそうで、あっさり運休などとなったら泣くに泣けません。まずは列車が走れる程度の気象状況になることを祈ります。

12月12日(月)
松本の新村駅と森口駅

上高地線 駅施設・設備の改修等工事のお知らせ(アルピコ交通プレスリリース、2011年12月1日):地方私鉄の古い木造駅舎の中で、駅舎に取り付けられている社章のマークが有名な新村駅、および森口駅が改築されるという情報。これを見て、何も考えずに中央道の高速バスを予約、週末は松本で過ごすことになってしまいました。なぜ鉄道を使わなかったかというと、単純にそちらが混んでいるから、というだけの理由です。上高地線の駅の数はそう多いものではなく、本数も40分間隔と比較的乗りやすいため、勢いに任せて全駅に乗り降りしてきました。

このため、まずこの2駅のアップを先行しました。私が訪れたときには新村駅には鉄道ファンがそこそこいて、駅舎や車両の写真を次々撮っていましたが、私以外はみな自動車での訪問で(レンタカーも2組)、電車でこの駅に足を踏み入れた人は地元の人でした。沿線の道路もよく整備されており、いたしかたないのでしょうか。

明日から再び、十和田観光電鉄の各駅をアップしていきます。すこし更新間隔が空いてしまいましたが、また再起動(?)します。



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