第4日(1999年12月20日)

小樽-長万部-森-渡島砂原-大沼-五稜郭

 昨日は、まる1日小樽見物を決め込んだので、今日はどんどん乗っていく予定である。乗っていく、といっても、ルートは決まっているし、列車の本数もそう多いわけではない。また、1日の行程を大きく左右する宿泊地についても、さほど選択肢が多いわけではない。こなすべき旅程をクリアすればよいだけなので、気楽な気持ちで旅を再開する。

 親戚宅から小樽駅前まで車で送ってもらう。融通の利かない列車に比べて、まったく憎たらしいほど便利なシロモノだが、だからといってこれを使って旅に出ようという気がまったく起こらない自分が、つくづく不思議ではある。

 実際に列車が出発するまで、まだ30分ほどあるので、駅からほど近い郵便局2個所を訪れておく。いずれにも風景印があった。

 「函館本線」は、函館から小樽、札幌を経由し、旭川へと至る路線である。北海道で人口が15万を超える都市は、この4つ以外では帯広、釧路だけだから、さぞかし立派な大幹線に見える。

 ところが、このうち長万部-小樽については、積丹半島の付け根から胆振山地にかけての高地を進み、急勾配や急カーブが連続しているため、列車はなかなかスピードを出せない。さらに沿線人口も稀薄であり、この間にある人口1万人を超える町といえば倶知安と余市だけで、沿線はひたすら原生林が連続するありさまである。

 このため、函館と札幌とを結ぶ路線としては、長万部-札幌は室蘭本線と千歳線がその役を担うことになり、貨物列車や特急列車の大半は函館本線の長万部-小樽(「山線」と通称される)を避けるようになった。さらに、本州と札幌を結ぶメインルートが航空機に移り、千歳空港の役割が増大すると、「山線」の凋落は決定的となり、1986年11月、国鉄最後のダイヤ改正をもって、この区間を走る特急・急行は全廃されてしまった。

 この「山線」が脚光を浴びることはほとんどないが、室蘭本線が通行止めとなったとき、貨物列車がこの区間を迂回して走る、という役割もあるので、まだ三分の存在理由はあるのだろう。しかし、積極的に重要性を主張できる区間ではなく、看板倒れに近い路線というのが、この「函館本線」の素顔なのだ。

 今日乗るのは、そんな「山線」である。

 小樽駅は、実に立派な姿形をしている。上野駅と似ている、とよく言われるが、むしろ近いのは両国駅ではなかろうか。直線を組み合わせて長方形を形作り、それを積み重ねたような重々しさがある。やや暗い印象があるのが難と言えなくもないが、「古き良き時代」を感じさせる駅舎として、今後も長く使われてほしい、そう思わせる駅舎である。

 そんな小樽駅で待っていたのは、デッキのないワンマンのディーゼルカー2両編成であった。キハ150系という、比較的新しいディーゼルカーである。札幌方向には頻繁に電車が走っているのだが、倶知安方面となると、単線非電化となって設備が大幅に落ちるのみならず、列車の本数が格段に減ってしまい、なかなか乗りにくい。特に倶知安以南となると、上りは6本のみである。日の短いこの時期となると、車窓を見られる便は、小樽8時7分発(長万部11時13分着)か、12時27分発(同15時15分着)の2本に絞られる。

 8時7分発でもよいが、自分1人で出発する場合なら問題ないとして、人様の家にお世話になっているときに、あまり早く出るのもはばかられる。しかし、正午過ぎまで小樽でのたくっていても仕方がない。ここは、少しずつ前進するのが吉であろう。幸い、倶知安までの区間列車は、1時間に1本程度の割合で走っているから、尺取り虫のように進むことにする。

 1両あたり20人前後と、多いのか少ないのかよくわからない数の客を乗せて、9時36分、定刻どおりに発車する。いきなり坂が続くが、ここまで多かった古いディーゼルカーとは異なり、スイスイと登っていくように感じる。右窓には、丘の上にまでびっしりと貼り付くように立ち並ぶ人家が、こちらを睥睨(へいげい)している。短いトンネルを抜けると、今度は工場である。なかなか変化が激しい。

 次の塩谷で、2人が下車。運転士はそれぞれの客に対し、1人ずつ「ありがとうございます」と丁寧に声を掛けている。こう呼ばれて悪い気になる人はいないだろうが、大変だろうとも思う。

 ここから、林の中を突き抜ける。右手に視界が開けると、港へとうち寄せる青波の一群が目に突き刺さる。なかなか楽しい。

 9時58分、小樽から最初の有人駅、余市に到着。ここで途中下車することにする。

 余市は、もともとニシン漁で栄えた町で、またリンゴ栽培も盛んである。しかし近年、この余市町の名を知らしめたのは、古平町との間を結んでいた「豊平トンネル」の崩落事故であろう。「余市側」「古平側」という呼称が何度もテレビやラジオの電波に流れていた。そしてこの1999年になると、山陽新幹線を筆頭に、各地の鉄道トンネルで崩落が相次いでいる。現時点では犠牲者こそ出ていないものの、予断を許さない事態であるとはいえよう。全く、困ったものである。

 そんなことがふっと頭に浮かぶが、次の瞬間に頭を占領したのは、この町にあるニッカウヰスキーの工場である。ここでは工場見学が可能なのだ。工場には、創業以来の赤いレンガ造りの建物が数多く残っており、工場そのものが動く産業遺産と呼んでよいものだが、それよりも、見学の最後に待っているウイスキーの試飲が魅力だ。時間・量とも無制限という太っ腹ぶりなので、肝臓の限界に挑戦することもできる。

 もっとも、以前にここを訪問したときには、本当に限界に挑戦してしまい、気が付くと、余市とはまったく関係のない別の駅の待合室で横になっていた、という怖ろしい経験をした。あの時も冬だったのだが、よく遭難しなかったものだと、今考えても冷や汗が出てくる。遭難しないまでも、雪道で足を滑らせたところに車が突っ込んできたりする可能性もある。アルコールが入った状態での反射神経にはまったく自信がないだけに、今回は慎重にいきたい。

 結局、タダノミ自体は、遠慮なくさせていただいたのだが、それだけでなく、併設のおみやげ屋にあった菓子類の試食をつまみにできたのが幸いとなり、泥酔することもなく、最後までハッキリした状態で余市駅に戻ることとなった。小規模の団体と一緒になったため、「みっともない」といった感情を封印させることができたのだが、これが幸いといえるものだったのかどうか、いまひとつ確信はもてない。

 いい気分で余市駅ホームに立つ。雲一つないいい天気であり、ぎらぎらと照りつける太陽が暑いぐらいだ。いい天気になりましたね、と、同じくホームにいた女性が話しかけてくる。これだけいい天気が続くことはそうないのですけれど、と、実に嬉しそうだ。

 11時31分に入ってきた列車は、単行のワンマンカー。各ボックスに2人程度の乗客である。畑や小工場、そして住宅が並ぶ中を抜けていくが、さほど山の中に分け入っていくという印象はなく、むしろ平地の中を進んでいるように感じる。こういった感覚は相対的なもので、列車の周りに木立が並ぶだけで「山の中」という気になることもあるから、あまり当てにはならないのだけれど。

 次の仁木は、片面ホームだけの無人駅だが、それなりに立派な駅舎を構えている。かつては相応の規模の駅だったのであろう。ここで6人が降りる。余市の郊外といった雰囲気だ。

 しばらく進むと、渡る川には護岸工事など一切されていない、そんなところを走るようになる。このまま進むと正面の山にぶつかりそうだ、と思うと、レールはおとなしく左へと向きを変える。

 山小屋風の駅舎を持つ然別で列車交換、ここからは林の中を突き進むことになる。右に、そして左にと、自然になるたけ刃向かわないように、といった雰囲気で列車は進む。線路が敷設された当時、いったいどれだけの労力が動員されたのだろうか。

 かなり急な上り坂がえんえんと続く。今乗っているディーゼルカーはキハ40という形式で、特に老朽化しているわけではないのだが、図体がでかい割にはエンジン出力が貧弱であるようで、ぜいぜいとあえいでいるように感じる。それでも、上りがいつまでも続くわけでもないので、やっと峠を越えると、いかにも肩の荷が下りました、といわんばかりに、エンジン音が軽くなる。しかし、またも上り坂が出てくる。これの繰り返しである。

 えいや、こらさ、を重ねた挙げ句、ディーゼルカーは、12時28分、倶知安に到着。この列車はここ止まりである。余市の次の有人駅である。

 倶知安も、以前に一度降りたことがある。その時は、駅付近の郵便局2個所に立ち寄ったのだが、うち1個所は、風景印があることを知らずに捺さずじまいだったので、まずはそこへと向かう。道端の雪が強い日差しを受け、ぐちゃぐちゃに融けている。当方の登山靴では何も悩む心配もないけれど、スニーカーなどでは歩けたものではない。

 押印を済ませるが、次の列車まではまだ1時間あるので、国道の方へと足を向ける。駅前はどうにも活気がなくさびれた印象があったが、国道5号線の方は、それなりの賑わいを見せている。スーパーなどもあり、国道から車で行くと便利になっている。ここも、車社会が定着しているのであろう。1万7,000人の人口を持つ倶知安のこと、それなりの都市間移動の需要もあろうかと思われるが、それらは基本的にクルマが担っているのだ。この倶知安と、噴火湾沿いの伊達紋別とを結んでいた国鉄胆振線も1986年10月31日かぎりで廃止になっており、この情勢を見れば、誰も好きこのんで列車には乗らないだろう、というのもわかる。もっとも、ローカル線では「乗客は高校生と老人だけ」というパターンが多いのだが、この函館本線の「山線」区間では、比較的若い大人の乗客が多いので、時間帯さえ合えばそこそこの需要はあるはずだと思うのだが、「損をしない」運行の仕方とすれば、現状のような運行が合理的なのだろうか。なにせ、かなりの勾配を上り下りするので、ランニングコストが半端でないことは容易に想像がつく。多少の潜在需要があったとしても、コストのかかる増発に対して慎重になるというのも、わからないでもない。

 途中、スーパーに立ち寄り、冷たいドリンクを購入。先ほどのアルコールのせいもあるだろうが、雪の中を歩いて汗をかいたうえ、がんがん照りつける太陽のため、暑い。下手に薄着になったりすると大変なことになるが、ひとまず水分は補給しておきたかった。

 倶知安13時44分発のディーゼルカーは、キハ150系2両編成、例によってワンマンカーである。

 倶知安からはしばらく緩い下り坂が続く。雪煙がもうもうとあがる。ニセコアンヌプリを始め、いくつもの山が峰を連ねている。どの山の頂にも雲が被っているが、下はよく晴れていることには変わりない。

 雪の中から、ササがあちこち顔を出している。トンネルを越え、右手に川が流れるが、やはり護岸工事など行われた形跡は見られない。人の手が入っているのは鉄道の線路のみ、という感じである。

 次第に下っていくのだが、雪はかえって深くなっていくような気がする。川の水面も大半が凍り、流れる水などまったく目に入ってこない。

 ニセコでかなりの下車があり、空のボックスも出てくる。交換可能駅で、しっかりとした駅舎もある。この駅舎は宿泊施設として使われているようで、駅としては無人駅になっている。集落そのものはさほど大きくはないが、観光客の利用はそれなりに期待できそうだ。頭上を堂々たる橋が越えていく。

 樹氷の列と、その根本に敷き詰められた広大な白いカーペット。見事としかいいようのないモノトーンの世界が続いていくと、なぜだか時間の経過を感じにくくなっていく。

 次第に、雪を載せている落葉樹が増えてくる。比較的まとまった集落が見えてくると、昆布に到着する。ずいぶんと安直な地名だ、と思う。

 昆布を出ると、風景が少しずつ動き出す。線路から見える川に目をやると、水が流れている。川の幅も広がってきた。山も、寒さも、峠を越えたのであろう。

 無骨な駅舎のある蘭越でまとまった人数が降り、車内はずいぶんと静かになる。このあたりから、ひたすら下り坂を転がるように降りていくこととなり、雪煙も心なしか高くなってくる。太陽が霧の向こうにかすむようになり、ちょっとした谷に出たり入ったりを繰り返す。

 道路がオーバークロスし、人家がまとまって見えるようになると、「山線」3番目の有人駅、黒松内に到着。長万部と寿都(すっつ)を結ぶ地峡にある町である。ホームにも表記があるとおり、ブナ自生北限地としての知名度が高いが、その人口は4,000人弱という、ごく小さな町である。以前は、この駅から寿都へと小鉄道が出ていたというが、今となってはその痕跡がないのはもちろんのこと、この駅が鉄道の分岐点であったこと自体、信じられない。この駅が今なお有人であるということそのものも不思議な気がする。

 黒松内を発車すると、再び原生林の中を突き進むが、もはや単調な風景の中に感性はすっかり融けてしまう。雪はすべてを食いつぶす魔物である、といった人がいたが、その言葉の受け止め方が微妙に自分の中で違ってくるのを感じる。

 蕨岱(わらびたい)、二股と、貨車待合室の寂しい無人駅を通り、最後の上りを終えると、平地が見えてくる。倶知安のように「開けた土地」というのではなく、正真正銘、目の前が海である。すっと、室蘭本線が寄り添ってくる。本当は当方が「函館本線」であるが、実質的に幹線であるのは、この室蘭本線のほうなのだ。

 定刻15時15分、長万部着。この駅で降りるのは初めてだったが、取りあえず下車、駅舎の写真撮影と切符購入だけを済ませておく。

 倶知安からは、特急「北斗14号」である。2分ほど遅れて発車。私が乗り込んだ禁煙自由席車の6号車はガラガラで、指定席の方がよく乗っていた。乗客にはビジネスマンが多い。

 これまでの「山線」普通列車とは比較できないほど、スムーズに快走する。外には、平坦な耕地が広がる。雪の量もずいぶんと少なく、同じ北海道とは思えない。

 貨物列車と頻繁に行き違う。本来の「函館本線」の姿、といってよかろう。

 そのうち、左窓に海が見えてくる。車販嬢が行き来し、森駅の有名駅弁「かにめし」を売っている。食べたいが、これほどの長旅になると、食費を第一に抑制せねばならないので、ここは我慢。

 並行道路を走るクルマを、どんどん追い越していく。特急だから速いのが当たり前なのだが、それでもやはり気分がいい。

 八雲を発車すると、窓の外の人家が増えてくる。道路沿いに建っている家が多く、コンビニエンスストアもちらほら見える。平坦で海があると、それだけで家が建つのだろう。「山線」を見てきた目には、人の気配があるというだけで、暖かみを感じる。

 窓のすぐ下にまで波が寄ってくるところを通ったりする。波は穏やかだが、黙して睨みをきかせているような感じもする。

 そうこうしているうちに、16時5分、森に到着。このまま函館まで行ってもいいけれど、ここで函館まで走る普通列車と接続するので、できるならば普通で行きたい。特急料金の節約という面もさることながら、函館で暇な時間を長いこと過ごすのは詰まらないし、何よりも普通列車の方が楽しいだろう、という目論見があったからである。ところが、快適な特急列車で直行すればよかった、と、後悔することになる。

 森からは、大沼公園を経由する山沿いの路線と、渡島砂原を経由する海沿いの路線とが分かれる。しかも、大沼公園経由は16時17分発、渡島砂原経由は16時10分発と、非常に接続がよいうえ、この両列車は大沼で連結されて1本の列車になるので、どちらに乗ってもいいことになる。なかなかおもしろい。

 森-大沼を通る乗車券は、どちら経由で乗る場合でも、距離の短い大沼公園経由で距離計算されるうえ、切符を手にしたあとでも特段の変更をすることなく、どちら経由で乗ってもかまわないことになっている。しかし、どうせ「最長」を究めるのであれば、少しでも長いルートに乗るのがスジだ、という見方もできるだろう。そこで、私は渡島砂原経由のディーゼルカーに乗ることにした。乗り間違えてはおもしろくないので、念のため運転士に確認をし、2両連結の後部車に乗り込む。

 車内は高校生ばかりと、ローカル普通列車ではよくある光景だが、どことなく雰囲気が妙である。スナック菓子をパクついたり、携帯電話でメールをやり取りしたりしているだけなら、首都圏でもいくらでも見かける。しかし、その行動がいちいち傍若無人なのだ。男子女子を問わず、平気で煙草を取り出しては火を点けている。それが一人や二人ではないから、紫煙が車内にたなびく。しかも、その行動のひとつひとつが、各個人単位ではごく日常的なものとして定着しているのがわかるだけに、なおのこと不気味である。

 ワンマン列車の後部車であるから、もちろん車掌などはいない。地元の人は勝手を知っているせいか、後部車両には乗ってこない。今から席を移そうにも、もともと前の車両はかなり混んでいるうえ、大荷物を抱えてあちらこちらへと移動するのも考えものだし、何よりも連中が乗っている時間はさほど長くないだろうという考えもあって、取りあえず我慢する。煙草の臭いが籠もる「禁煙車」に乗っているのは全員が――例外は誰ひとりもなく――高校生、という異常な光景は、この旅行の中でもっとも異様なものであったと断言できる。

 相手が1人や2人であり、なおかつ周囲に人が相当数いれば、こちらもそれなりの行動をした可能性が高いけれど、各ボックスに2~3人の連中が車両1両分を占拠しているという状況では、むしろ身の危険さえ感じる。こちらが何もしなければ向こうも無関係で終わるだろうけれど、ローカル列車というのに、まことに物騒である。

 車内の空気にむせこんでいるうちに、東森に到着。当然無人駅だが、赤いトンガリ屋根の駅舎がかわいい。外には、意外にも工場が多く並んでいる。窓にちらほらと点り始める灯に、「生活」が存在していることを実感する。「山線」に長くつき合ってきたせいか、光景(ビジュアル)の中に「生活」を感じるのに敏感になっている。そういえば、駅間距離も、札幌近郊以外での北海道の路線にしては、割合と短く感じる。

 この路線は、大沼公園経由の急勾配を緩和する目的で敷設されたと記憶しているのだが、意外にも起伏が大きい。上り坂を、ディーゼルカーは無法地帯をその内部に含みつつ、ぎりぎりと登っていく。

 渡島砂原で、かかる連中の半分近くが下車するが、ワンマン扱いのために運転席後ろのドアからしか降りられるない上、だらだらとした動きのため、いっこうに発車できない。駅舎は、ホームより一段低いところにあり、ホーム側へと歯を剥き出すような形を取っている。すでに、北国の短い陽は傾きつつある。

 発車すると、またも登り坂となる。灌木の隙間隙間に海がちらりちらりと見えるが、遠目に海の存在が認識可能、という程度であり、ビジュアルを楽しめるほどの明るさはもうない。さほどの雪はなく、はっきりと見えるのは灌木のみとなり、退屈である。

 車内はといえば、こんどはゲームの電子音が鳴り響く。ゲーム、それも音が出るものは自宅なりゲームセンターなりでやるものであって、持ち歩くものではないと思う。もっとも、私も小学生時代に携帯ゲーム機をプレイしていた過去があるし、あまり偉そうなことを言える義理ではないが、分別のつく年齢になってまでこだわるのはみっともなかろう。最近では、揺れる列車の中でせいぜい目を悪くしなはれ、くらいに受け流せるようになってきたが、枯れてきたのだろうか。ゲーム音と携帯電話の着信メロディとが車内を走る。

 再び窓の外に目をやると、相も変わらず灌木しか目に入らないが、空にはぼうっと霞みながら月が浮かんでいた。列車が走ると、後ろへと流れる風景の中、月だけが忠実についてくるので、どことなく疲れた心が、幾ばくか慰められる。月というものは、かぐや姫を引き合いに出すまでもなく、人を惑わせそこからさらっていくような、そんな寒々とした怖さを感じさせる反面、心が荒れているときには、しっとりとした落ち着きをもたらしてくれるものでもあるようだ、と感じる。

 鹿部で、この厄介な連中の大半が下車し、残った高校生は2人だけとなる。さすがに2人になると、挙動もごく普通になる。この様子から察するに、あの無法者たちも、ひとりひとりがばらばらになっていれば、ごくおとなしいのだろうか。いずれにせよ、車内はがらがらとなり、後に残ったのは散乱するゴミと淀んだ空気のみなので、二重窓を開け、外気を入れる。冬の北海道でこんな豪快に列車の窓を開けることになるとは考えたこともなかったが――釧網本線というパターンもあったけれど――、思ったほど寒くはなく、むしろ、入り込んでくる新鮮な空気が心地よい。横長の駅舎が列車を見送ってくれる。

 しばらくは、空気が少しずつでも入れ替わるのが気持ちよかったが、そのうちに風向きが変わったのか、直接体に風が当たり、冷たい。少し体を通路側に移す。

 すでに外は真っ暗である。ナイター設備を備えたスキー場などが見える。

 16時58分、大沼に到着。驚いたことに、ここでもワンマン扱いである。すなわち、大沼駅では客扱いをしていないということになる。確かに、ひとつ隣の大沼公園が特急停車駅であり、大沼は観光拠点の座から降ろされた格好になっているが、この大沼駅にも「みどりの窓口」があり、また、以前にも下車したことがあるので、早朝や深夜ならともかく、まさか夕方早い時間帯に駅員が窓口にいないなどとは思いもしなかった。

 ここで、先述のとおり、大沼公園からの列車を併結する事になる。発車は17時23分なので、時間はあり余っているのだが、外に出ても何もないのはわかっているので、車内に待機することにする。係員が乗ってきて、車内を歩き、開けた窓を閉めていく。煙草の臭いはまだ残っているのだが、特に気にする様子もない。JR北海道は、この「高校生専用喫煙車」の実態をどう考えているのだろうか、と思う。

 大沼公園経由の1両を連結し、しめて3両編成になるが、それでもワンマンであるというのには驚き。もちろん、3両以上の列車であっても、各停車駅がすべて有人駅であるというケースは知っているけれど、運賃収受を運転士が行う列車で3両編成というのは、いったいどういうことか。防犯上も問題がありそうである。係員が乗ってきたのはこのためだろうけれど、それならば車掌として乗務すれば停車時間を短縮できるし、検札をするなりすればよさそうなものなのに、ワンマン扱いのままである。このあたり、どうにも対応がうまくいっていないように思える。

 もはや何も目に映るほどのものもないまま、心外なる出来事をたくさん載せた3両のディーゼルカーに身を委ねる。久々に現れた正真正銘の有人駅、七飯で、オレンジカード対応の券売機を見ると、ここがすでに函館の郊外なのだな、と感じる。

 私が持っている乗車券では、五稜郭から江差線に入ることになっている。このため、五稜郭で降りてみようか、とも思ったが、市街地の灯りは思ったほど明るくなく、函館の中心地まで歩くのは結構大変そうである。五稜郭駅自体、まだ降りたことがないので、一度は腰を浮かせるが、結局、そのまま乗り続ける。

 函館到着、18時1分。「最長片道切符の旅」随一の不快感を覚えた列車から、ようやく解放されたことになる。ひんやりとしたホームで、うーん、と伸びをしてから、すっかり見慣れた跨線橋をのぼる。五稜郭からの飛び出し区間の運賃、200円を改札口で支払い、街へと出た。

 日はとっぷりと暮れているものの、時計が示す時刻は、まだ宵の口といってよいだろう。実際にはまだ会社で働いていても、ちっともおかしくない時間帯である。

 これから本州方面に行こうと思えば、18時32分発の快速「海峡12号」がある。これに乗れば、青森到着は21時1分。所詮は青函トンネルなので、夜で外が見えなくても、いっこうに問題はない。このまま青森で泊まればいいだけのことである。

 しかし、ここでふと思い出したのが、夜行列車の活用である。函館と本州とを結ぶ夜行列車はないけれど、青森-札幌を走る急行「はまなす」は、函館にも停車する。上りの便の場合、函館2時52分発である。青森には、翌朝5時18分着となる。2時52分まで時間を潰すのは大変だが、急行券を持っていれば、待合室から追い出されることはまずないだろう。さらに、「みどりの窓口」で時刻表を調べてみると、青森から先の特急の接続が良い。早朝なので外はまず見えないけれど、何度も通っている区間だし、気にすることもないだろう。

 そう考えた私は、青森までの急行券と、青森から野辺地までの自由席特急券を買った。青森で北海道の特急や急行と、本州の特急とを乗り継ぐ場合、北海道側の特急・急行料金は半額になるので、520円。さらに、青森からの特急に乗っていっても、その先の接続を考えれば、青森から乗る特急は野辺地までで十分なので、ここまでにすれば、630円。合計1,150円を支払えばよい。この投資で宿代を浮かせるのであれば、安いものである。

 ただ、こうなると、時間があり余ってしまう。夜の函館となると、函館山へ足を運ぶのがセオリーなのだろうが、なにぶん真冬である。ロープウェイが運行しているかどうかもわからない。

 ひとまず改札の外へ足を踏み出すが、道はカチンカチンに凍結しており、滑らずに歩くのはなかなかに大変である。なにせ、信号待ちで立ち止まっても、足場が凍っている場合、つーっ、と、足が勝手に動いてしまうのだ。北海道の凍った路面にはだいぶん慣れたし、滑ってもそう簡単に転んだりはしないけれど、自分の足がスローモーションで氷上を移動し、他の人の足にコツンとぶつかって止まり、どうもすいません、などと言ったりするのは、やはり雪慣れしていない証拠だろう。

 幸い、駅からほど近いところに書店があったので、ひとまずはそこに入る。雑誌やコミックぐらいしかない書店かと思ったが、時間をかけて読めるような本も置いていたので、ここで講談社学術文庫を1冊購入。少し難しいくらいの本の方が良いだろう、という判断に基づく。

 その後、24時まで空いているミスタードーナツでホットミルクをすするなどして、身体を暖めるが、さすがに23時半にもなると眠くなってくる。ここ数日は早寝早起きが続いているから、当然だろう。

 このため、駅の待合室に行き、カメラバッグを枕に横になる。その後、待合室を閉めます、というアナウンスとともに、室内にいた人が次々に追い出されていくが、当方は急行券を持っているから、もちろんそのまま中にいさせてくれた。2時半まで表を閉めますよ、と言われるが、閉めてもらった方が風が入ってこないので助かる。再び眠りに入る。

 函館駅は、ずいぶんと時間をその中に刻んできた駅舎であり、結構は無骨なものであるが、深夜、待合室で1人横になっていると、外の厳しい寒さをシャットアウトしてくれた。北海道パートの最後の駅として、この「駅での仮眠」は、なかなかに印象に残ることとなった。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
16th小樽936→余市9581934D
17th余市1131→倶知安12281936D
18th倶知安1344→長万部15153940D
20th長万部1526→森16055014D(特急・北斗14号)
21st森1610→函館18015884D(渡島砂原経由)
乗降駅一覧
(小樽、)余市、倶知安、長万部[NEW]<、函館>
[NEW]を付しているのは、この日にはじめて乗り降りした駅です。
訪問郵便局一覧
小樽駅前郵便局、小樽産業会館内郵便局、倶知安北郵便局(風景印のみ)

2000年2月1日
2005年6月15日、修正

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