第6日(1999年12月22日)

弘前-川部-深浦-東能代-秋田-酒田

 油断大敵、という言葉を、この日ほど痛切に感じたことは、この旅を始めてからなかった。なにせ、目が覚めて時計をのっそりと覗き込むと、なんと9時10分なのである。確かに弘前駅発10時1分発の列車に乗れば間に合うのだが、ユースホステルから弘前駅までは、30分から40分はかかるはずだ。焦る、焦る。

 布団を直すのももどかしく、とにかく急いで表に走り出て、バスに乗る。この時点で、9時34分。朝のラッシュはとうに済んでいるので、バスは市街地を丹念に走っていく。弘前駅に着いたのは48分、ふうっ、と溜息が漏れる。

 五能線の列車はすでに入線しており、昨日の女性と同じボックスに座る。荷物を網棚に置いた上で、まだ10分程度時間があるので、立ち食いそばをかきこむ。なにせこの先、12時12分の深浦まで、食べ物を口にできるチャンスはまず期待できないのである。

 メモ帳だけ持って席に座ると、昨日の昼過ぎ、大館から列車に乗ってきませんでしたか、と彼女がたずねる。そうだ、と答えると、サングラス姿の兄ちゃんがいろいろとメモを取っているのを覚えている、とのこと。確かに、黒いサングラスをかけているので、かなり目立ちやすいとは思っていたが、そこまで見られているとなると、何か妙な行動をすれば、すぐに不審者として通報されそうな感じがする。実際、不審者扱いされてもおかしくないような行動もいろいろ取っているが、現時点では幸いなことに、一度も職務質問などはされていない。地元の人に道を聞かれることもやはりあるし、私という人間がどう見えるのか、ますますもってわからなくなってきた。

 深浦行きの列車は、キハ48の2両からなる列車で、車掌が乗務していた。

 10時1分、定刻に弘前を発車し、すぐに川部に到着。ここから進路を変え、五能線に進入することになる。

 「五能線」とは、「五」所川原と「能」代とを結ぶ、ということなのだろうが、地図上では川部(実質的には弘前)と東能代とを結んでいる。鰺ヶ沢あたりから先は、ずっと海沿いを走るので、日本海を思う存分堪能できる路線として、鉄道ファンの評価がなかなかに高い路線である。私が以前訪れたときは、「ノスタルジックビュートレイン」というオープン展望スペースを用意した客車に乗り、夏の日本海から吹いてくる潮風を身体いっぱいに受けたものである。しかし、山陰本線などに乗ると、日本海は冬にこそその素顔を見せるものだ、と思う。冬の五能線にも、ぜひとも乗りたい。そんな思いが、いよいよ実現するかと思うと、非常に嬉しくなる。もちろん、冬の潮風などは受けたくはないので、窓から見るだけでじゅうぶんである。

 窓の外には、ひたすらリンゴ畑が続く。秋になれば、たわわにみのる果実が出迎えてくれるのだろうが(実際には袋で覆われている)、今は裸の枝に寂しく雪の絨毯があるのみ。もともと各ボックスに2人ずつぐらいの乗車率だったが、途中駅で乗る人がどんどん増えてくる。

 それも、五所川原で相当数が下車してしまう。お気をつけて、と、件の女性に声を掛けた後は、いよいよ大関級のローカル線が本領を発揮し出す。はじめは晴れていたのだが、いつの間にやら雪が降りだし、窓ガラスの外がグシャグシャになる。この分では、津軽鉄道は地吹雪かな、と思う。

 陸奥森田で、意外にも多くの下車がある。朴訥な雰囲気の漂う老朽木造駅舎が現役であった。「祝・……」という看板がいくつかあったが、余所者には何のことかよくわからない。再び空が晴れ、日が差す。

 鰺ヶ沢の手前から海が見える。濃緑色をした海の色は、おだやかな空を反映しているかのように緩やかな顔と感じさせるものであるが、また瞬時にその顔を新たにすることも考えられる。なにぶん、日本海ほど気まぐれな海は、日本をとりまく四海には他にないのだから。

 その鰺ヶ沢で、またまた乗客が大幅に入れ替わり、車内は例によって、高校生とじいさんばあさんだけになる。ただ、その高校生といっても、一昨日の函館本線の如き連中ではなく、賑やかながらも健全な元気さを見せているのが良い。もっとも、彼らの交わす言葉たるや、名詞レベルでは良いにしても、私には動詞や助動詞がまったく把握できず、意味不明である。若年層の言語は、全国的に平板化する一方ではあるが、それでもなお「津軽弁」は頑としてみやこびとをはねつける。

 ここから急な登り坂を進み、海岸沿いを走る。各駅に停車しては、ぞろぞろと客を降ろす。列車の本数はずいぶん少ないのに、なかなか器用に乗りこなすものだ、と感心する。

 岩が海へとつきだしている「千畳敷」が目にはいる。同様の地名は他にもあるが、ここはそのまま駅名になっているところがすごい。満潮近いのか、波がかなり高いところまで打ち寄せる。もっとも、千畳敷での下車客は皆無であり、観光客がここを起点にするとも考えにくいような小駅ではあった。

 この先、風合瀬(かそせ)、驫木(とどろき)といった超難読駅が続く。どちらも、知らなければまず読めないであろう。「とどろき」といえば、他にも東急田園都市線に「等々力」駅がある。また、和歌山を走っていた野上電気鉄道という小私鉄にも「動木」駅があり、「とどろき難読三人組」といった雰囲気があったが、現在は、野上電鉄線は廃止されてしまったため、「とどろき」は全国で2つのはずである。そんな駅はどんな駅かというと、別段書くほどのこともない、寒々とした小駅に過ぎず、周囲には何も見当たらない。ただ、女子高生が1人降りていったので、集落があるのは確かのようである。

 岩の間に踊る白い波は、くるくる、ばしばし、ざんざん、いろいろなスタイルを披露してくれる。入り江ごとに違った海があるかのようで、「日本海」の幅広さを感じる。

 12時12分、深浦に到着。すでに列車は相当に空いていた。

 時刻表上では、12時12分深浦着の列車が、次の13時59分発東能代行きに接続しているように見える。しかし実際には、深浦に到着した車両が、そのまま東能代行きになるということであった。要するに、直通列車も同然なのである。

 時間はたっぷりあるので、この深浦という街を歩いてみることにする。深浦はこの地域有数の良港であり、北前船の中継基地として栄えたという歴史がある、という程度の知識はあるものの、具体的にどんな街なのかというイメージはあまり浮かばない。今回は良い機会である。

 ところが、駅のホームに降りると、空の雲行きがどうも怪しい。大丈夫か、と不安になりながらも、とにかく駅前を走る国道101号線を左に曲がり、そのまま進んでいく。すると案の定、雪ががしゃがしゃと降ってきた。いや、雪というより、あられといった方がいいかもしれない。何せ、こちらの着ている服に、音を立てて当たるのである。

 リュックサックは列車の中に置いてきているから身体が重いということはないけれど、とにかく風が強く、フードをしていても顔にびしゃびしゃと雪が当たる。海岸沿いとはいえ、さほど雪がベタついていないのが幸いではあるが、雪を払い、払いしながら進む。この間、小学生や地元の人と少しはすれ違うが、やはり行動の基本はクルマのようで、雪の国道をえっちらおっちら歩いている私は目立つことこの上ない。

 ようよう深浦漁港に着く。海が荒れていることもあってか、人の気配がない。もちろん、昼時の漁港など、活気があるはずもないのだけれど、こんなところに長いこといてもさほど楽しくはないので、ひとまず郵便局へ足を運ぶ。中に入ると、そこに雪が降ってこないというだけで、実にほっとできる。駅からはせいぜい徒歩10分程度なのだが、かなり長く歩いたような気になる。がっしがっしと雪道を突き進んでいるので、汗も書いた。ふーっ、と息をつく。

 旅行貯金、風景印押印とも済ませ、駅に戻る途中にあった「深浦町歴史民俗資料館」へ入る。大学生100円という表示を見て財布を取り出すと、今日は無料で結構です、という。展示の入れ替え作業などで見るものが少ないからなのか、あるいは明らかに「わざわざ遠くから見に来た」というのがわかったためなのかはわからないけれど、ありがたくお言葉に甘える。

 館内には北前船の実物大復元模型などがあり、それなりに楽しむことはできたが、他の部分での展示は、単に所蔵物を並べてひととおりの説明を付けただけという感じであった。さらに、説明自体が非常に少なく、ケースの中に土器の破片がいっぱい並んでいても説明はなし、農具が壁に下がっていて名前が付いていても使い方は書いていない、といったありさまであり、まだまだだな、という印象が強かった。結局、「古き深浦」の像を結ぶことはできそうになかったのが残念である。

 深浦駅を定刻13時59分に発車した2両編成のディーゼルカーは、深浦漁港を右に巻くような形でカーブし、トンネルをいくつか抜け、松林の脇をかすめると、右手に再び日本海を開く。次の横磯駅から一気に登りにさしかかり、高所から眺める海の景色はなかなかのものになるが、途中が松林で遮られることが多く、なかなか海を目にできる時間が長続きしないのが残念なところである。

 艫作(へなし)に到着。地図を見ると、ここでぬっと日本海に陸地が突き出しているのがよくわかる。当然、波も高くなる反面、灯台が設置されるなど海上交通の要衝ともなっていた。しかし、駅自体はごく寂しい無人駅に過ぎなかった。

 発車後、一時的に止んでいたあられが再び窓ガラスをばしばしと叩き出す。陸奥沢辺駅は、以前は列車交換が可能だったようだが、現在はその設備は撤去されている。ホームより低いところにある駅舎の中で、委託を受けた職員が、運転士に対して丁寧に挙手の礼をする。

 深浦から4つめの陸奥岩崎駅で、大半の乗客が下車し、2両目の乗客はわずか2人となった。ここも簡易委託駅のようで、制服など着ていない女性が切符を集めていた。簡易委託で集札までするというのは珍しい。

 次の十二湖で、最後まで残っていた女子高生が降りてしまい、ついにこの車両にはひとりきりとなってしまう。この列車は、ある一定区間以外は、ほとんど乗客がいないのかもしれない。単に、五能線の両端付近と深浦周辺だけに列車を走らせるよりは、通しで走らせた方が、車両の融通などで合理的であるために、長距離を走らせているに過ぎないのだろう。

 雪はさらに強くなり、太陽は雲の陰に完全に隠れてしまう。波はさらに荒々しくなる。その一方、無人の車中は静かで、ほどよく暖房が効いていることもあって、うとうととする。

 秋田県最初の駅である有人駅の岩館で7分間停車するが、雪の激しさはまったく変わらないので、車内で大人しくしているしかない。長時間停車する場合はなるべく駅の外に出るようにするのだけれど、いかんせん身動きが取れないのだ。この間に、前の車両をのぞいてみるが、乗客は4人であった。結局、2両の列車に乗客5人。なんともすごい状況である。五能線は存廃が取りざたされたことはほとんどなかったと思うが、本当に大丈夫なのか、と思う。

 ここから、駅ごとに、1人、また1人と乗客が乗り込んでくる。駅舎も、長く海風に吹かれてきた木造駅舎ではなく、何らかの公共施設と共用と思われる駅舎が増えてくる。次第次第に平地が広がるようになり、それとともに日本海が遠ざかっていく。

 北能代では、例の貨車改造待合室があったが、上側が黄色、下側が茶色という、旧「ノスタルジックビュートレイン」と同じ塗装が施されていた。左右に広がるスギの美林が見事である。

 民家が一気に集まるようになると、能代に到着。横長・鉄筋コンクリート造りの平凡な駅であるが、やはり市の中心駅ということもあって規模が大きい。ここで高校生が大挙して乗車する。あとは、米代川を渡れば、もはや五能線は終了。東能代、15時48分着。ホームに足をおろしたときに、寂しさと安心感との双方を抱いた。

 ここからは、奥羽本線と羽越本線とを乗り継いでいくことになる。何のことはない、東京から稚内まで至ったルートをそのまま逆方向に進むだけである。しかも、今までも何回となく通った区間であるから、大した期待も何もない。

 次の列車は、16時25分発の秋田行きであるが、まだ時間があるので、改札外の待合室にて待機する旨のアナウンスが何度となく流される。とにかく風がきつくて寒いので、とうていホームなどにいたくはないのだけれど、特に北国では、一旦客をすべて改札外に出し、列車が入る数分前になってから改札を行う、いわゆる「列車別改札」が一般的である。もちろん、札幌だの仙台だのといった大都市になれば話は別だが、地方の中規模クラスの駅では、たいていこんな感じだ。

 外を歩くという手もあるが、駅の外は吹雪が舞っているし、駅の近くにある東能代郵便局は既訪なので、おとなしく待合室で待機する。

 キヨスクで地方紙を購入して読む。これは私の行動パターンの1つで、地方に行くとたいてい地方紙に目をやっている。もっとも、北海道の北海道新聞、名古屋の中日新聞など、かなり広いエリアで影響力のあるブロック紙に関しては、あまり食指が動かないのだが。高校生や用務客でいっぱいになった駅の中は、ずいぶんと狭苦しい。

 そんなこんなで、秋田行きの列車は、少し遅れて16時27分に発車する。ロングシートの2両編成で、車掌が乗務している。座席はすべて埋まり、各ドア付近にもそれぞれ10人程度が立つ。雪はさらにひどくなり、外はすでに暗くなっていく。

 2つ目の森岳で、高校生の半分近くが下車するが、その後、井川さくらあたりからは、むしろどやどやと乗り込んでくる。このあたりは、もはや秋田の近郊。立ち客も多く、外はなかなか見えない。

 ちょっと気にかかるのは、列車の遅れがいっこうに回復しないことである。秋田で接続する酒田行きの発車時刻は17時25分。しかし、この列車は4分程度遅れて走るので、このままでは秋田到着が26分頃となる。接続待ちをしてくれればいいが、乗り継ぎ客がほとんどいない場合は、待っていてくれる保証はない。

 26分に秋田駅に到着し、ダッシュをかける。酒田行きはちゃんと待っていてくれた。

 「4分遅れ」に対し、忠実につき合ってくれた快速「こよし6号」は、やはり4分遅れの17時29分に秋田駅を発車した。例によって、またまたロングシートの2両編成電車である。もういい加減飽きた、と思いながら、帰宅途上の高校生でいっぱいの車内、吊革に掴まる。時間帯から考えれば当然のように、車内は満員盛況である。首都圏の帰宅ラッシュ並みの混雑ぶりであるから、大荷物の当方はなかなか大変だ。

 2つ目の停車駅、新屋で、すでに数人が下車。これ以降、駅ごとに高校生を降ろしていき、特に羽後本荘では、車内の高校生の大半が下車、一気に車内が空き、空席も出るようになった。ここからは、第3セクター鉄道の由利高原鉄道が出ており、羽越本線との接続も良い。稚内へ向かうときにここで途中下車し、終点の矢島まで単純に1往復してきたのだが、やっとここまで戻ってきたのか、と思う。

 すでに外は真っ暗であり、車内の状況を見ながら、耳にしていたMDから流れる音楽を聴くぐらいしかすることもない。

 西目駅を出たところで、車内改札(検札)となる。考えてみれば、全席指定列車をのぞけば、これが最初の検札である。検札の頻度が極端に少ないと、無札乗車を助長する可能性もあると思うのは、私だけなのだろうか。例の切符に対してどんな反応を示すかと思っていたが、さほど大仰なものではなく、すぐに返してくれた。

 19時7分、終点の酒田に到着する。

 この先に進んでしまってもいいけれど、今日はここで泊まることにする。PHSは使えないようなので、駅の公衆電話から駅に近いビジネスホテルに電話して空室を確認した上で、そこへ足を運ぶ。

 明日は、坂町という駅から米坂線に入ることになっている。この米坂線、雪の季節には実にいい味を出してくれる路線なので、非常に楽しみだ。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
26th弘前1001→東能代1548321D→2833D
27th東能代1627→秋田1726656M
28th秋田1729→酒田19073550M(快速・こよし6号)
乗降駅一覧
(弘前、)深浦[NEW]、東能代、酒田
[NEW]を付しているのは、この日にはじめて乗り降りした駅です。
訪問郵便局一覧
深浦郵便局

2000年2月2日

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