第7日(1999年12月23日)

酒田-坂町-米沢-新庄-大曲-盛岡-宮古

 昨日の失敗を反省して、今日は早起きをすることに決めていたので、早暁4時50分にベッドから抜け出し、5時30分には宿を出た。こういった、通常の行動とはあまりにもかけ離れた時間帯に行動することもできるというのが、ビジネスホテルのよいところでる。相部屋のユースホステルなどでは、他の宿泊者に対して気兼ねなどもあるし、とうていできる芸当ではない。

 朝の酒田駅は、すでに目覚めていた。窓口には「営業時間 5:00~23:30」という張り紙が見える。早朝深夜はさっさと店じまいしてしまう駅が多くなっているなか、なんとなくうれしい。やはり駅員がいると、それだけで「駅」の印象が違ってくる。

 今日の一番列車である、特急「いなほ2号」は、すでに入線していた。国鉄時代からまったくかわらない、クリーム色を基調としたカラーリングをした、485系という形式の電車である。愛称名は、日本海の強風であおられそうな感じもあるので、貫禄という面ではずいぶんと物足りないけれど、日本屈指の水田地帯である庄内平野を駆け抜ける列車としてはぴったりではないか。ふと、すでに姿を消したブルートレイン「みずほ」を思い出す。

 発車は5時46分。さすがにこんな早い時間帯ともなると、かなり混むことの多い列車といえどもガラガラで、禁煙自由席車には7人しか乗っていない。これに乗れば、新潟には7時52分に、そして新幹線に乗り継げば東京には9時55分には到着してしまう。ずいぶんと忙しいものだ、という気になるが、こういった都市間高速移動列車こそが、JRの生命線ともいえるわけである。

 車内販売は鶴岡までです、という放送が入る。鶴岡は、酒田から2つ目の駅で、鶴岡市の玄関駅である。本間家に代表される商人の街・酒田と城下町・鶴岡という違いこそあれ、この両者が、庄内平野の2大都市となっている。しかし、その鶴岡駅発車は、なんと6時6分。そうなると、実質的に車内を巡回するのはわずかである上、一定数が見込まれる鶴岡からの乗客は眼中にない、ということなのか。人口の規模は両市ともほとんど変わらない(10万人強)だけに、ここはちょっとわからない。係員のローテーションの問題なのだろうが、もともと早朝であり人件費がかなりつくと思うのだが。

 定刻に発車。当然のことだが、外は真っ暗で、何も見えない。見えたところで、雪に覆われた庄内平野など、別に面白いこともないだろうけれど。

 陸羽西線が分岐する余目で、割とまとまった数の乗客がある。陸羽西線は、最上川に沿って東西に走る路線で、「肋骨線」の1つ、といわれる。この「肋骨」というのは、東北地方の中央部を奥羽本線が縦貫し、西側の海岸沿いを羽越本線が、東側の平野部を東北本線が走っていることから、奥羽本線を背骨にたとえ、羽越-奥羽-東北を結ぶ路線を「肋骨」というものである。路線図を開くと、西側の「肋骨」には、この陸羽西線と米坂線が相当し、東側の「肋骨」にあたるのが、田沢湖線・北上線・陸羽東線・仙山線、ということになろうか。これに花輪線を加えれば、地味ながらもなかなか味のあるローカル線群としてくくることができそうである(仙山線は「幹線」だが、乗っていて楽しい路線であることは確かだろう)。もっとも、米坂線が「地味」というのは、ちょっと違うかもしれない。そんな陸羽西線だが、こんな朝早くには、まだ列車が走っていないので、乗り換え客はいない。

 ほどなく、鶴岡に到着。酒田よりも知名度は落ちるものの、酒井氏の城下町であり、やはり庄内平野2大都市の片方だけあって、かなりの人数が乗ってくる。もともとがガラガラだし、かなり乗ってきたところでガラガラであることに変わりはないけれど。

 西の空低く、月がかげって見える。しかし、地上に存在しているであろう林のせいで、その姿もちらりちらりといった程度にしか見えない。

 特急列車は、たいした勾配のない羽越本線を、モーターのうなり声も高らかに快走する。まるで、潮風を受けて走るのが楽しくて仕方がない、という感じだ。

 あつみ温泉の手前あたりから、雪が窓にしばしば当たるようになる。こちらはただただ列車に乗っているだけだから、列車の運行に支障がないかぎり、いくら降ろうが関係ないので気楽なものだが、外はけっこう厳しいのだろう。

 6時半ごろになって、やっと外がうっすらと明るくなる。すぐ脇が海、という府屋の駅前はまだ暗く、自販機のライトが煌々と照っている。ホームに出て列車を出迎える駅員の姿は、ずいぶんと寒そうだ。

 白い波が岸へと打ち付ける。悪い眺めではないけれど、昨日まるまる五能線に乗り通したこともあって、日本海はもういいや、という感じになっている。このあたりは、何度乗ってもそれなりに楽しいのだが、さすがに五能線の迫力にはかないっこない。風はかなり強く、昨日よりも海はさらに荒れているようだ。

 早起きのせいか、少しとろとろとして、気が付くと7時前、村上到着前である。ここで車内灯が一時消える。交流電化区間から直流電化区間へ入る際、いったん通電が止まるのである。

 7時5分発となる村上駅からは、さすがに多くの人が乗ってくる。都市の規模としては酒田や鶴岡よりもはるかに小さいのだが、朝もこれくらいの時間になれば、一番で新潟入りする人が増えるのは当然だろう。なによりも、ここはもう山形県ではなく、新潟県なのである。酒田あたりよりも雪は多いように見える。

 相変わらず、外はどよんと濁った黒い雲が覆っている。もう時間もそこそこになっているというのに、山の稜線もろくに見えない。景色がよくないと、汽車旅の面白みはその分減じてしまう。

 定刻の7時14分、坂町に到着。ここから乗り換える米坂線は、どんな顔を見せてくれるのだろうか。

 坂町と米沢とを結ぶ米坂線は、日本有数の豪雪地帯を走り、なおかつ、その雪景色を存分に楽しめる路線である。ドカ雪路線としては、おそらく、越後川口と豊野とを結ぶ飯山線――この路線も最長片道切符の経路に入っている――と肩を並べるはずだ。この路線には2回乗ったことがあるが、そのうちの1回は初春、米沢側から乗り、雪見酒としゃれ込みながら、実に満足したという経験がある。今回は、まだ「ドカ雪」の季節には早いけれど、東北地方では五能線と並ぶハイライトになると期待している。

 米坂線列車の発車時刻は7時24分と、なかなか接続がよい。列車は、特急「いなほ」と同じホームの反対側に停まっていた、2両編成のディーゼルカーに乗り込む。この路線はワンマン化されていないようで、ホームにはバックミラーなどの設備は見当たらなかった。駅には、「クロッカスの花-荒川町」という看板が立っている。

 10分という時間があるので、いったん駅の改札を出てもよいのだが、手元にある特急券を残しておきたいな、という気もあって、そのまま列車に乗り込む。扉は、手で開閉するタイプの半自動である。「半自動」とは妙な用語だが、要するに駅に着いたときにドアを自分で開閉する、そして発車の際には車掌がドアを一律に自動ドアとして閉める、というものである。新しい車両であれば、ドア脇に開閉ボタンがあり、これを押すことで乗降するようになっているのだが、この列車は、キハ47+キハ52という、まさに典型的ともいうべき国鉄型の車両である。手で、うんっ、と開けるが、なかなか重い。しかも、列車に乗ったら、開けっ放しはエチケット違反ということで、大概は自分で閉めるものなのだが、両開きのドアはなかなか閉じず、勢いをつけて閉めると、向かい側の扉にあたってはね返り、逆に開いてしまったりする。なかなか難しい。

 閑散としたまま、ディーゼルカーは坂町駅を発車し、羽越本線と分かれる。右側の山々は堂々と雪を頂いているが、そのてっぺんは雲に隠れ、どの程度の高さなのか見当がつかない。線路は一直線に敷かれており、水田の中を進む。平野が終わると、左へとカーブしつつ登り勾配を上がり始める。左手には、ここに沖積平野を作り上げた荒川が流れている。川の対岸にある林の木々は樹氷でびっしりと固められたようになっており、まるでシャーベットのようだ。

 坂町の次の駅である越後大島の時点で、すでに周囲は雪ばかりと相成る。「次」とはいっても、駅間距離は7.2kmも離れている。北海道でもないのに平野部でこれだけ駅がないというのは不思議な気がするが、もともと短距離利用客をあまり想定していなかったのかも知れない。水田のあぜ道がかろうじて判別できるものの、すべてが雪に覆われている。いよいよきたな、と思う。

 有人駅の越後下関を過ぎると、ぐいぐいと登っていく。両脇が雪の切り通しという所を通る。立山黒部アルペンルートを春のルート開業直後に通ると、こういった「雪の壁」の中をバスで走ることができるが、こちらは日常的に雪に囲まれた世界が毎日毎日展開されているのだから、いわば「乗り物遊園地」的な観さえあるアルペンルートなどと比較するのは失礼であろう。

 次の越後片貝駅は、「九ヶ谷地区 ふるさと会館」なるレンガ色のビルの中に組み込まれていた。もこもこと綿のように雪がまとわりつくのを見ると、雪質が北海道とはまるで違うのがわかる。雪はどんどん深くなっていき、踏切の警報機が鳴っていて初めてそこに道路が横切っているのがわかる、という光景まである。

 左に流れる荒川の水面はすっかり凍っており、切り立つ山の斜面は、まるで砂糖をまぶしたかのように白い模様を浮かべている。そこから、流れるように白い糸が時折流れている。厳しさに思わず襟を正させるような、そんな情景が窓の外に続く。

 交換可能駅の越後金丸で反対方向のレールを見ると、車輪が通る部分だけが20センチ程度へこんでいるのが見える。ホームの高さから察するに、ここでの積雪は1.2メートルぐらいか。枝の分かれ目に溜まった雪は、ユーカリにつかまるコアラのように見える。

 トンネルを越えると、雪はさらに深くなるものの、なぜか川の水面は氷結しなくなる。気温が上がっているとは考えられないから、水の流れが速くなったのだろう。

 線路脇には「赤芝峡」という標柱があり、ちょっとした渓谷が展開する。このあたりから川は蛇行を繰り返すが、こちらはいちいちつき合っていられないので、トンネルでショートカットすることになる。

 それまでの谷間から、少し開けた場所に出ると、小国。ここで反対方向列車と行き違うことになるが、停車時間はわずか3分。これでは身動きが取れないので、列車の写真を撮っておくにとどめる。ここから山形県にはいる。北側の空は少し明るくなるが、南側は相変わらず暗い。雲の流れるのがずいぶんと速く、その動きが景色を変えていくのを目で追うことができる。

 県境を越えても分水嶺を越えたわけではなく、なおも登り坂が続く。列車は、川と並びながら、比較的横幅のある谷を縫うようにして走っていく。線路や道路の脇に山と溜まった雪はしょぼしょぼしているけれど、田圃を覆う雪は、まことに美しい曲線を作りだしている。雪とは不思議なものだ。

 山小屋風の待合室が楽しい伊佐領で一人乗ってくる。ここまでの駅を見てみると、駅名標など、ほとんどの駅で国鉄時代の名残をそのまま残しているようである。さすがにタブレット交換などはしていないけれど、どことなく「古き良き時代のローカル線」を彷彿とさせるような雰囲気が根強く染みついている。

 雪はさらに深くなり、目に見える光景は、まさに水墨画と同様のモノトーン世界である。川の流れはずいぶんと細くなり、木々もべったりと雪をまとい、「白の合間に黒がある」という状態になる。さらにトンネルを越えると、窓の正面は雪に覆われ、もはや形をつくるものが明確に見えることはほとんどなくなり、はっきりわかるのは眼下の渓流のみとなる。風神というものがあるけれど、もしこれに対応するような「雪神」がいるのであれば、それが持っている袋の中に列車ごと呑み込まれていくのではないか、などと、あらぬことを考えてしまう。

 雪そのものも激しくなってきて、視界はどんどん悪くなる。羽前沼沢で、すでに積雪が2メートル近い。音もなく落ちていく雪は、何も語らずにひたすらその量を増やしていく。時折出現する人家は、一階がすっぱり埋もれてしまうのはもはや当たり前であって、北側などは二階の窓にまで雪が積もり、屋根の雪とつながっているものまであった。雪下ろしをしようにも、下ろす場所もない状態なのだ。これでよく木造家屋が保つものだ、などと思ってしまう。

 雪にも負けじ、というわけではないだろうが、ディーゼルカーはアイドリング音も高らかに進む。もはや、主要道路以外には、道があってもそうと認識できる材料がどこにもなくなってくる。

 長いトンネルを抜けると、ここから下り坂にはいる。分水嶺を越えたわけである。列車は急にスピードを落とし、慎重に進んでいく。

 久々にまとまった集落が見えてくると、手ノ子駅。トンガリ屋根の待合室があり、鉄枠を備えたラッチ(出札口)がある。ここで1人が下車し、3人が乗車してくる。相当の積雪は変わらないが、周囲の風景がずいぶんと穏やかになってくる。

 駅を出てしばらく進むと、平地が広がる。雪が「広く」展開すると、これに対しては「銀世界」という言葉が使えるようになってくる。厚い雲の向こうに、太陽が薄ぼんやりと浮かんでくる。

 交換可能駅である羽前椿で、9分停車する。ごく当然のような無人駅であるが、駅舎は、JA(農協)と共用の真新しい建物であった。いや、駅舎がJAに間借りしているという方がより適切であろうか。駅前の道路にはスプリンクラーが設置されており、ぴゅぴゅっ、と水を撒き散らしていた。雪国では、融雪装置としてこういった機器を多く見掛けるが、歩く方としては、水でびしゃびしゃになる上、雪が半端に融けてぐちゃぐちゃになり、かえって歩きにくいように思えるのだけれど。乗降などほとんどあるはずもない。一通り周囲を見回して車内に戻ると、検札があった。

 羽前椿を出ると、どの家も、それぞれ北側に防雪目的と思われる木々を揃えている。出雲の築地松のようなものではなく、完全に雪をブロックするためのものであるため、個々の木々が頑張って雪に抵抗しているのがよく見える。多くは常緑樹であるため、列車から見ると、緑色の塊が、ぽっ、ぽっ、と点在する。

 萩生でもまだまだ積雪は多く、駅名標は、ひらがなの「はぎゅう」の部分しか見えず、その下はすっぽりと雪に埋もれている。ここから高校生がかなり乗ってきた。今日は祝日だから、おそらく部活なのであろう。それにしても、女子高生のスカートの丈が短いことといったらない。霜焼けでもしそうである。

 11時11分、山形鉄道フラワー長井線(旧・JR長井線。特定地方交通線の指定を受け、第3セクターとして再出発した鉄道)との乗換駅、今泉に到着。もう米沢盆地の中に入りきっているので、そうそう豪雪に会うこともなく、あとは平地を走るのみとなる。これまでかなりの雪だったが、定時に走るとは、やはり列車は雪に強いな、と思っていると、

「フラワー長井線は、本日、大雪のため、全線運休しております」

との案内放送がある。フラワー長井線は、米坂線とは違って、さほど山奥を走るわけではないと思うのだが、これはいったいどういうことか。米坂線は「ドカ雪対策」を早めに講じておく必要があるので除雪などが十分に行われたものの、フラワー長井線は不意打ちのような大雪で往生している、ということか。あるいは、JRから切り離され、除雪車の融通が利きにくくなっているのか、という邪推もするが、JRから分離してもうだいぶん経つし、そうそうJRが意地悪をするとも思えない。わがディーゼルカーと同じホームの反対側には、雪で白を帯びたラッセル車が止まっている。

 ともかく、米坂線はダイヤ通り運行しているのだし、この今泉で10分間停車するから、いったん駅の外に出る。駅前には人気がない。「みどりの窓口」で、米沢から乗る山形新幹線の運行状況をたずねると、ちゃんと走っている、とのことなので、ここで自由席特急券を購入する。

 やっと太陽が出てくる。今泉を出ると、やっと水田のあぜ道がはっきりとわかる程度の積雪量となった。窓の外には、ひたすら、水田、水田、水田である。

 2つ目の羽前小松駅は、交換可能で立派な駅舎もあったが、無人駅。このあたりでは、かなり細い道でも、さほど問題なく通ることができそうである。次の中郡になると、梅の木に溜まったコアラ雪のみならず、鉄道用地を示す木柵の上に雪が丸く載っている。なんだか、欄干の柱頭などに置かれる擬宝珠のように見える。

 次第次第に、田園地帯の中に簡素な無人駅、という、ローカル線に典型的なパターンが繰り返されることになる。あの、息をのむような大雪の中を掻き分けて進むような、そんな緊張感はまるでなく、陽光を浴びながら、ディーゼルカーは気楽そうに進んでいく。西米沢で、高校生が10人ばかり下車するが、高校生らが車掌に運賃を支払うのに手間取ったため、2分ほど停車することになる。もともと、かなりダイヤには余裕があるようなので、別段気に留める必要はなさそうだが、なんとものんびりしたものだ。

 このあたりで、なぜか「曲がり屋」を見つけた。岩手県の南部地方特有の建築様式と同じ建物といったところで、偶然そういうのがある、というだけなのだろうが、目を疑う。しかし、錯覚ではなく、確かにあった。あれはいったい何なのか、と思う。

 赤い実をつけた木々がちらほらと見える。ナンテンのようだが、このあたりにまで生えているのかどうか、ちょっと自信はない。右手の山が粉をふいた面構えでこちらを向く。また暗い雲がそのてっぺんに、だんなりとかかってくる。しかし、かなり人家が多く、また集落がなかなか途切れていないにも関わらず、駅間距離はかなり長い。米沢から今泉までの23kmの間の駅数は6、すなわち、各駅ごとの間隔は3.3kmもあることになる。特に西米沢から米沢寄りは、完全に米沢市の郊外に入っているだけに、もっと駅を設置しても良さそうなものだと思う。米沢で山形新幹線に接続していることでもあるし、JR東日本にとっても悪い方策ではないと思えるのだが。

 なぜか米沢駅手前で50秒ばかり停止してから、ゆっくりと駅に進入。それでも、到着したのは、定刻通りの10時ちょうどであった。米沢駅端っこの切り欠き式ホームに入る。

 次の接続列車までは10分ちょっとあるので、いったん改札外に出て、新聞を買う。「山形新聞」の一面には、

け散らせ冬 米坂線 ロータリー除雪車出動

という見出しの記事が一面を飾り、ご丁寧なことに、「異例の12月中の出動となったロータリー除雪車」(同紙)のカラー写真が添えられている。余所者の目から見てすごい、というだけではなく、地元でも相当な水準だったことを感じる。フラワー長井線の運休というのも、これで納得できた。

 米沢駅は、銀色に輝く新しい駅舎である。おそらく、東京駅をモチーフにしたと思われるデザインだが、何だか無機質の駅という印象が強く、個人的にはあまり好きでない。一番好きになれない駅舎のデザインは、近鉄・橿原神宮前のような威圧的なものなのだけれど、こういったノッペラボーという言葉を当てはめたくなる駅舎には、どうにも温もりを感じにくい。

 ここから乗り継ぐのは、10時11分発の山形新幹線・つばさ101号、山形行きである。シルバーメタリックの新幹線車両が颯爽と走る様はなかなか絵になるのだが、もともとこの山形新幹線というものは、「ミニ新幹線」と呼ばれるものであって、東海道・山陽新幹線などの「本物の新幹線」とは異なる。

 新幹線のレール幅(軌間)は、スピードアップのために、在来線のそれよりも広くなっている。従って、その上を走る車両の車輪幅は、当然のように違うものが別個に用意され、直通運転はできない。現在、この車輪幅を車両の側で変更できるような列車(フリーゲージトレイン)の実用化に向けた議論が行われているが、少なくともその実現は21世紀を待たなくてはいけない。

 しかし、新幹線がもたらす経済効果は非常に大きいので、これとの直通を図ろうとすれば、在来線側の軌間を新幹線並みに広げてしまえば良い、という発想が出てきた。これが「ミニ新幹線」である。もともと「新在直通列車」(新幹線と在来線との直通列車)という名称が、いつの間にか「新幹線」の派生パターンとして受け入れられるようになっていったわけである。そして、福島-山形はその嚆矢として、開業して相当の好成績を上げることになり、のちの「秋田新幹線」開業、そして「山形新幹線」の新庄延長、と、JR東日本の「ミニ新幹線」化積極策が続くこととなる。皮肉な話だが、整備新幹線とは無縁であった山形や秋田が、「東北新幹線」の本来の終点であるはずの青森よりもはるかに早く、新幹線列車を引き込むことに成功するという結果になったわけである。

 そんな「山形新幹線」だが、先頭の禁煙自由席車に乗り込むと、だいたい半分くらいの乗車率であった。まずまずの入りである。なかなか発進がスマートで、なおかつ速い。また、路線そのものは「新幹線車両対応の在来線」に過ぎないとはいえ、やはり米坂線とはまったく次元が違う路線だ、ということを痛感する。

 巡回してきた車内販売から、「峠の力餅」を買う。峠駅で売られている餅なのだが、実はまだこれまで口にしたことはなかった。そもそも、福島-米沢を普通列車で乗ったことはこれまで一度もない。またの機会に乗らないと、とは思うが、こういう快適かつ便利な列車ができてしまうと、生来の軟弱者は「山形新幹線」へと流れてしまう。「青春18きっぷ」を使えばこうはならないはずだが、東京方面から特急列車を使わずに山形入りしようとすると、仙台から仙山線経由で入ったほうがはるかに列車本数が多いので、やはりこの区間は避ける結果になってしまうのである。そんなこともあって、これまで高名ながらも無縁に過ごしてきた「力餅」。かなりこってりとした味で、甘みがずいぶんと濃い感じである。しかも、これが8個もある。頑張って食べるが、最後の餅をたいらげたころには、なんだか胸が悪くなってきた。

 小さい駅で行き違いのために停車したり、踏切を渡ったりと、本物の「新幹線」では絶対にあり得ない光景があり、それなりに飽きないとはいえ、やはり米坂線のようなローカル線とは違い、流れる風景がスクリーンに描かれているような感じを受けてしまい、現実感に欠ける気がする。シルバー系の渋いインテリアのせいか、とも思うが、例えばJR九州の特急「つばめ」では、こういった印象は受けない。やはりこれは「新幹線」なのか、と考える。

 終着の山形には、10時46分に到着した。

 「山形新幹線」が新庄まで開業したのは、1999年12月4日。最長片道切符の旅を実行して7日目のきょうからさかのぼること、3週間もたっていない。そのせいであろう、お祭りムード的な雰囲気が、山形駅にはまだ濃厚に残っていた。もっとも、「山形新幹線」になろうが、旅客営業上の区分である路線としてはなんら変化があるわけではないので、「国内の鉄道全線完乗」タイトル維持を守りたい私にとっては関係ない。しかしどうせなら、新たにデビューした「山形新幹線」としての区間を、「山形新幹線」車両で乗ってみたい、という気になるのは、しごく当然であろう。

 私の手元にある自由席特急券は、「米沢→新庄」となっている。しかし、「山形新幹線」内の特急券を持っている場合は、山形駅で、それ以降の便の「山形新幹線」に乗り換えることが可能となっている(ただし、乗り継ぎは当日中に行い、なおかつ、途中下車はできない)。これに限らず、「山形新幹線」がらみのルールは複雑怪奇を極めており、「旅客営業規則」を何度見てもなかなか頭に入らないのでたいへんではある。

 そんな次第で、「つばさ101号」は山形止まりだけれど、次の11時9分発「つばさ115号」新庄行きに、そのまま乗り換えることができる。本来なら、米沢で1本遅らせればよいものだが、この「つばさ115号」は、福島-山形がノンストップなので、仕方がない。

 「つばさ115号」が発車するホームには、すでに行列ができていたが、この行列は、東京方面行きの上り列車を待つ列である。「115号」はその次に当たるので、その行列の先頭までいったん移動し、その横に待機する。先ほどの「峠の力餅」のおかげで胸のむかつきが取れないため、荷物をいったん下ろし、キヨスクに行って牛乳を買い、飲む。

 上り列車が入線すると、できていた行列はその中に吸い込まれて消えていく。行列の無くなったドア口で待っていると、ホームに立っていた駅員氏が、ここで待て、と、別の列の後ろに移るように指示する。そこには、「つばさ115号」という案内板があったが、どう見ても「行列の先頭はココ」というのではない。何せ、天井から下がる次発列車案内がないのだから。おまけに、ホームのペインティングには、列車1両分しか描かれていないのだから、どこに行列を作るのか、というのが不明瞭この上ない。まだそれほど混雑が激しくはない時期だからいいけれど、混雑がピークになったら、揉めるもとではないだろうか。

 20分以上前から待っていながら、先頭から数人分下がったところに位置していたので、果たして進行方向右寄り窓側の席が取れるかどうか心許なかったが、前のグループがもたついてくれたおかげで何とか確保。

 定刻に発車すると、なぜか複線の右側の線路を走る。いったいどうして、と思ったが、どうやら左側が在来線規格の路線のようだ。路線図を見ると、山形よりも1つ先の北山形で左沢(あてらざわ)線が、2つ先の羽前千歳で仙山線が分かれている。これらの路線を走る列車は、当然のように純然たる在来線規格であるから、新幹線規格に合わせられるはずもない。貨物列車が走る区間では、3本のレールを並べて両対応とする場合もあるけれど、左沢線や仙山線の場合は、初めから路線を分離してしまう方が合理的である。「右側通行」の理由は、ここにあるようだ。

 工場と耕地とが入り混じる中を淡々と走る。耕地には、ビニルハウスや果樹畑が続く。真新しい住宅が並び出すと、すぐに天童である。将棋の駒の製造で有名な街で、ここでかなりの下車客がいた。山形新幹線効果というよりは、東京方面からの客が山形で乗り換えずに済むようになった、と見るべきであろうか。ちなみに、東京から山形までと天童までとでは、特急料金差は310円である。

 このあたりは平坦地のはずなのだが、意外にモーター音が大きいのが気になる。「ヴーン」という高い音が頭に響いて仕方がない。このあたりはさほど雪深くはなく、あちらこちらに土が顔を出している。

 民家の屋根の上で遊ぶ子供がいる。雪の中でじゃれあっているが、こちらに気がつくと、一生懸命に手を振っている。こっちも思わず手を振り返したが、向こうから私の姿が捉えられることはまずないだろう。

 次の駅は、さくらんぼ東根。「こんな駅の名前、みっともなくて東京の人には最寄り駅として言う気になりませんな」といった会話も聞こえる。確かに「さくらんぼ」はインパクトがあるだろうが、「東根」という地名の定着につながるのかどうか。さくらんぼといえば、全国区では寒河江市の方が知名度があるだろうから、「さくらんぼといえば東根」というイメージ戦略なのか。妙に幾何学模様を多用した観のある大仰な駅舎であったが、乗降客はほとんどいなかったようで、すぐに発車する。

 しばらく走ると、村山、そして大石田。忙しいことこの上ない。ここまでの駅間所用時間は、それぞれ9分、6分、5分、9分である。なかなかに忙しい「新幹線」である。乗客の間では、「ほとんど(の便)は各駅停車だから、東京新庄間3時間5分といっても、本当は違うよなぁ」という声もある。大石田付近では再び積雪が増える。平坦地としては日本有数の豪雪地帯としても有名な尾花沢市へは、ここからバスで8分である。もっとも、駅前には倉庫が並んでいたりして、「新幹線」の停車駅としてはずいぶん寂しい。

 丹生川を渡り、一気に登り勾配を進む。一面の水田の中に散らばる家々を取り囲むように、防雪林が数多く見られるようになってきた。雪対策であろうが、家々の屋根なども、山形市内に比べるとずいぶんシンプルになってきた。この時点で、2人掛けシートに1人ずつという程度の乗車率。つまり定員の半分近く乗っているということになるが、終点の新庄市は4万人強と、特に大きい都市というわけではない。この乗車率をどうみるべきか。「克雪と利雪に取り組む都市」のことだから、何かシンポジウムのようなものがあってもおかしくはないけれど、それにしては客層がばらばらである。よくわからないうちに、新庄駅に、11時52分に到着した。

 新庄駅からは、純然たる在来線の奥羽本線に乗り換える。今度の列車は12時1分発、9分接続である。山形新幹線電車を降り、ホームをまっすぐ北方向へと進むと、その先に大曲行きの普通列車2両編成が停まっていた。毎度おなじみ、というべきか、例の「東北型」ワンマン対応ロングシート車である。山形駅では設置されていた中間改札は新庄駅にはなかったので、結果的に、自由席特急券はそのまま手元に残ることになった。以前に訪れたときは、ごくごく平凡な駅舎であった新庄駅も、今となっては大変貌していたようだが、時間もないし、再度の途中下車は諦める。

 向かい側には、陸羽西線のディーゼルカーが止まっていたが、あちらは単行で、しかもぎっしり満員である。これで、先ほどの山形新幹線高乗車率の理由がわかった。鶴岡・酒田方面へ向かう乗客であろう。実際には、鶴岡・酒田からであれば、新潟経由の方が東京に行くには速いのだろうけれど、庄内平野は山形県であるし、両市と県庁所在地との間の列車での移動がこれを機に増えてもおかしくはない。もちろん開業間もないから「ご祝儀乗車」もかなりあるだろう。

 満員盛況のあちらにひきかえ、こちらはせいぜい1両に25人程度と、ずいぶん寂しい状態で発車する。ワンマンでも間に合いそうだが、車掌が乗務していた。右手に古い機関庫がそのまま残っていた。

 積雪は思ったほど多くはなく、60~70cm程度であろうか。米坂線を通ってきたせいか、「この程度か」という気になってしまうから不思議である。ざざっ、と、防雪林の枝々から雪が落ちてくるのが見える。雪の降りは次第に激しくなり、視界は極端に悪くなる。水に牛乳を混ぜ、それを噴霧器で空気中にばらまいているような感じである。車では怖くてとてもではないが運転できそうにない。

 車内で、地元のおばちゃんたちが、何やら元気に会話を交わしているが、何を話しているのか、さっぱり聞き取れない。羽前豊里の手前でやっと雪が止み、晴れてくる。

 真室川駅には、ずいぶんと多くの幟が立っている。駅舎はあるが、出札や窓口の業務を行っているのかどうかは不明である。

 坂の上下が次第に激しくなり、列車はなかなかに忙しそうだ。ここで検札。すごいですねぇ、お気をつけてどうぞ、という反応であった。非常に広い構内を持つ釜淵で、元気なおばちゃんたちは降りていった。

 右側に見える神室山は、ずいぶんとごつごつとした形で、げんこつを握りしめているように見える。

 架線に積もった雪が、ときどき、どさっ、と、列車に落ちてくる。屋根に落ちるだけならどうということもないけれど、列車の真正面に落ちることが結構あり、その瞬間、前方は何も見えなくなる。もちろん、運転士の真正面にはワイパーがついているから問題ないけれど、一瞬ヒヤッとする。

 難読駅として名高い及位(のぞき)では、ポイント部分にだけ積雪がなかった。頻繁に動いているからというだけではなさそうで、スプリンクラーなどで融雪しているのだろうか。ポイントの凍結を防ぐために、作業員がカンテラなどをもって巡回するというケースをよく耳にするけれど、この駅では人の気配はまったく感じられなかった。

 かなり長いトンネルをくぐる。ここで、山形県から秋田県へと入る。トンネルを出るとすぐに下り坂となり、雪煙を上げて快走、併走する自家用車を軽々と追い抜く。

 やはり、雪ばかりという風景ではあるが、次第次第に「谷間」が「平地」へと広がっていく。しっかりした駅舎のある有人駅・横堀で高校生やおばちゃんが何人か乗ってくるが、次の三関でどんどん降りていった。「山形新幹線」との連絡便という側面は、秋田県内ではあまり重要ではないようである。

 大手スーパーのジャスコが見えてくると、湯沢。典型的な「マスプロ的横長の駅舎」を見ると、大変貌した山形新幹線沿線駅舎にうんざりしてきた目には、なんだか安心感がある。別にデザイン的によいというわけでもなんでもないのだけれど、手垢のついたものにはそれなりの「人の感触」がしみついているからであろう。

 さて、この列車で終着の大曲まで行ってもいいのだが、その先の接続が良くないので、どのみち大曲で待つ羽目になる。このため、どこかで一回下車し、後続の列車で追いかけても間に合うようだ。どこで降りようかと考え、駅名から感じたフィーリングというはなはだ怪しい基準に従い、十文字で降りることにした。おそらく夏場なら後三年あたりで降りていたと思うけれど。13時11分、十文字に到着。

 有人駅なので、改札口で途中下車印を捺してもらい、外に出る。雪が少し残ってはいるが、何とか歩けないことはない。駅前にあった地図に従って郵便局まで行くが、郵便業務も休みであった。比較的大きい郵便局では、土・日・祝日も営業しているものだけれど、ここはそうではないようだ。

 駅に戻り、駅舎の写真を撮ったり、膨れ上がりつつある荷物の整理をしたりしていると、次の列車が来るのはあっという間で、13時39分発の列車に乗るために跨線橋を走る羽目になった。車掌乗務の2両編成、先行列車から間がないためかガラガラで、先頭車にはわずか3人しか乗っていない。それでも車掌が乗務していたのは不思議。

 横手でそこそこ乗ってはくるが、それでもさしたる規模ではない。交通の要衝であり、貨物ホームにはコンテナがたくさん積まれていた。

 雪の平野を進む、という構図には、さすがにもう飽きてきたこともあり、あまり印象に残ることもないまま、終点の大曲には、14時15分に到着した。

 大曲からは、14時51分発の「秋田新幹線」こまち20号に乗ることになっている。こちらも「ミニ新幹線」である。今日は、二つの異なる「ミニ新幹線」の両方に乗るわけである。在来線の「田沢湖線」にはすでに乗っているが、この「秋田新幹線」にもまだ乗ったことはないので、楽しみだ。

 いったん改札を出ると、やはりというべきか、大仰な駅舎に化けている。採光がよいという点は評価できるけれど、こんな建物の中にいると疲れそうな感じがする。

 今日の宿は、まだ決めていなかった。このように雪が激しい季節にもなると、ダイヤがどの程度維持できるか不透明な点も多いので、早め早めの予約はなるべくしないようになる。しかし、大曲まで来られれば、かなり大きい事故でもない限り、まず大丈夫だろう。秋田新幹線を抜けてしまえば太平洋側だし、大雪の可能性はまずなさそうだ。そういうわけで、三陸・宮古にあるユースホステル兼営の旅館に電話で予約を入れる。

 この駅では、新庄とは違って、在来線・秋田新幹線の間に中間改札があったので、そこで自由席特急券とともに乗車券を見せると、改札の係員は、

「はー…すごいな、これ…」

と絶句し、一つ一つ経路を見ていく。まだ次の便まで少し時間があるせいか、ちょっと待って下さい、といったん奥へ行き、なんと、時刻表を持ってきて、先頭の索引地図を開き、経路を稚内から順にたどり始める。うねうねと曲がる羊腸的ルートのどこにも重複がないことを、驚くことしきり。2人の係員が、それぞれ地元の方言でお互いに何かいろいろと話しているが、こちらには何と言っているのか、さっぱりわからない。

 そんなこんなで、発車10分ほど前にホームに入る。秋田新幹線は、この大曲で進行方向を変えるので、ホームは頭端式(行き止まり式)になっている。私鉄のターミナル、あるいは上野駅地上ホームや天王寺駅阪和線ホームあたりを思い浮かべていただければ良い。ホーム自体は1つで両面を使っているだけのシンプルな構造である。風がなかなかに冷たい。

 入ってきた秋田新幹線の禁煙自由席車は、かなり空いていた。この大曲からかなり乗り込んだにもかかわらず、まだ空いている2列シートが残っているぐらいである。山形新幹線では、ほとんどの席が埋まったのであるが、これは時間帯という要素も考慮すべきであろう。

 発進は、山形新幹線同様非常にスムーズである。1人分の座席に対し、1人分の窓が用意されているというのも嬉しい。通路を歩く人用に、シートには手すりがついているが、これがまるでツノのような形状をしている。日除けは、フリーストップ式のブラインドとなっており、閉めても遠くから見るとそこそこの景色が見える。なかなか落ち着いたインテリアである。JR東日本の車両デザインというのは、一概に語るのがなかなかに難しいのだけれど、この秋田新幹線車両はまずまずのものと思う。もっとも、全国区で見れば、JR九州という横綱の前には歯が立ちそうにないけれど。

 最初の停車駅は、角館である。武家屋敷や古い商家が多く残る「秋田の小京都」であり、改札口前には人力車が置かれていたりする。私も以前歩いたことがあるが、隅々まで回りたくなるほどの魅力を感じたわけでもなかった。ただ、西日本にやたらと多い「小京都」群と違って、朴訥な木の香りを濃厚に残す建物が多い、という印象はある。しかし、観光客が足を運ぶのに適当な時季ではなく、乗降ともほとんどない。ここからは、第3セクター鉄道の秋田内陸縦貫鉄道が分かれる。「秋田内陸線に乗ってみませんか」という看板があったが、乗ってどうするのか、という質問に対しては答えようがなかろう。乗るだけでも十分に楽しい路線です、と、胸を張って言えるわけでもないし、どうにも説得力がない。しかし、裏を返せば、ウリが何もないローカル鉄道の切迫感を示している、とも読み取れよう。

 角館を発車してしばし走ると、またも雪が激しくなってきて、外も次第に暗くなってきた。なんとなくぼーっとしながら、景色をずんずんと後ろへと流していく。

 田沢湖駅で、下り「こまち」と行き違う。意外というか何というか、ここでかなりの下車がある。

 長い仙岩トンネルを越え、半透明のような世界をひたすら渡っていく。しかし、それらがすーっと引くように消えていき、いつしか積雪もずいぶんと減っていく。あれれ、こんなに変わるものなのか、と驚いていると、間もなく盛岡です、というアナウンス。以前、田沢湖線の特急「たざわ」(現在は愛称廃止)に乗ったときは、盛岡から秋田へという逆方向をたどったのだが、ここまでドラスティックな変化はなかった。それだけ、「秋田新幹線」のスピードアップ効果は大きい、ということか。盛岡到着15時6分。

 例によって、いったん途中下車。盛岡駅駅員氏は、「うーん、すごい経路だねー…どういうやつかなー…最長の経路なんかな…」と、実に鋭い。これまで多くの改札を受けてきたが、経路の最長を指摘したのは、この係員氏が初めてである。途中下車印は、「ここまで乗ったことがわかるから、ここでいいね」と、経路別紙の「盛岡」文字上に捺した。このスタイルが一番合理的だと思うのだが、これは「前例」とはならなかったようで、これ以降も、当面、乗車券本体への捺印が主流であった。

 まだまだ昼間のはずなのに、空が暗いため、すでにかなり暗くなっている。今日は、ここから16時23分発の山田線に乗り継ぎ、宮古まで行く予定である。

 この山田線というのは、盛岡と宮古とを結ぶという側面を持ってはいるものの、実に乗りにくい路線であって、全線を通しで走るのは1日に4往復に過ぎない。しかも、その4往復ある列車のうち、全駅に停まるのは、下り1本、上り2本のみという有様である。両端の盛岡と宮古以外、本当に人口密度の低いところを走る以上やむを得ないのかもしれない。

 しかし、盛岡を発車して宮古に行くためには、11時10分発の快速、13時41分発の快速、16時23分発の普通、19時12分発の普通の4本しかない。これでは、沿線の人口密度云々をのぞいても、都市間連絡路線としての機能も満足に果たせるとは言い難い。宮古市の人口は5万人を超えており、県庁所在地である盛岡への移動はかなりあるはずだが、この便では、東北新幹線接続はともかく、盛岡-宮古という需要にこたえられるとは思えない。この両市間を結ぶ岩手県北自動車のバスが1日20往復以上を運行していることを考えれば、鉄道側の不戦敗というのが実情ではなかろうか。

 この路線は急曲線や急勾配が非常に多く、運行に必要な経費が相当にかかるということは想像がつく。しかし、快速列車の所要時間は、特急バスとほとんど同じ2時間程度、運賃はむしろ安いのである。本数を増やせば競争力は十分につくのではないだろうか。

 そんなことを考えながら、盛岡駅1番ホームに行くと、以前山田線に乗ったときと同じ塗色の列車が入っていた。列車脇に差し込まれていたサボ(列車の行き先票。「サイドボード」の略か)を見ると、花輪線のディーゼルカーであった。どうやら車両を共通運用しているようである。なかなかにややこしい。

 いったん花輪線を見送り、改めて入ってきた宮古行きの2両編成に乗り込む。キハ52という形式で、シートなどが改善された車両の2両編成であった。ワンマン非対応車である。ドアは半自動であったが、米坂線のそれのようにやたらと重いということはなく、片手で軽々と開く。車内放送があれやこれやと流れるが、ボリュームが妙に大きい上に、スピーカーの調子が悪いせいか声が激しく割れ、聞きにくく、やかましい。

 ホームでPHSの電源を入れるが、なんと「コウシュウケンガイ」の冷たい文字。新幹線の終着駅でこのザマとなっては、もう旅先でPHSを使うのは無理かもしれない、と思う。それにしても、ホームは風が強くて寒い。ここ数日、寒い日がけっこう多かったが、今日は特にそう感じる。

 各ボックスに1~2人程度の乗りだが、このうち何人が途中で降りるのだろうか、と思う。

 発車後、すぐに右へと分かれ、住宅地の中を進む。もともと盛岡駅自体、町の中心部から外れていることを考えれば、途中駅を設置して区間列車を増発すれば便利になるだろうし需要も見込めそうである。実際、盛岡-上米内という区間列車が一日2往復走っているが、これを1時間間隔程度にしても、かなり乗りはあるのではなかろうか、などと考える。特に上盛岡駅など、なかなかロケーション的に良いと思えるだけに、片面のみの無人駅という現状は、もったいないように思える。

 さらに、ローカル線合理化の切り札ともいうべきワンマン化が行われていないことを考えてみると、JR東日本は、この路線を廃止したいのではないか、という考えに到達しても、あながち突飛な発想ではなかろう。実際、中途の茂市から延びる岩泉線については、JR東日本は廃止の意向を地元に呈示したことがあったと記憶している。その後の進展はきかないので、今世紀中に消えるということはないだろうけれど、併せて山田線の盛岡-宮古も…と考えているのであれば、辻褄があう。どうせ廃止するのならば、設備投資をしないのが自然だ。だんだん、嫌な方向へと考えが膨らんでいく。

 車掌が車内を巡回する。カチカチと指を動かしながら、車内の乗客数を数えている。こういった所作も、「調査」と考えると、どうにも気持ちが良くないが、自分も「一人」としてカウントされていると思えば、少しは山田線のためにもなっているかな、と考える。実際には、山田線の運賃収入として取り扱われる金額は微々たるものだろうけれど。

 左にカーブしつつ、ぐいぐいと急勾配を進む。相当な急坂で、ある程度以上のパワーのある車両でないと進めそうにない。逆にいえば、かなり燃費も悪そうである。

 次の山岸は、周囲が完全に住宅地。ホーム1面のみで待合室さえないが、こう暗いと、あんな寒々した無人駅など使いたくないというのが自然であろう。本来ならば拾えるはずの潜在需要をむざむざ逃しているようにしか見えない。この先も、まだまだ新たな住宅開発が進んでいるだけに、中途半端な現状維持だけはやめてほしいものである。極端にいえば、山越え区間が廃止になったとしても、この盛岡近郊区間は残せそうに思えるのだが。

 しばらく進むと、雑木林や荒れ地が続く。ところどころ小集落がのぞく、という形になり、次第にローカル線の趣を呈してくる。しかし、そういった集落につきあうことなく、ディーゼルカーはひたすら登り勾配を突き進む。

 上米内での下車は思った以上に多く、1両目だけで12人が降りていった。高校生や地元のおばさんばかりである。シンプルな駅舎はあるが、思った通り改札業務は行っていない。

 ここからは下りとなり、荒れ地と耕地とが車窓を交互に連ねる。特に、草ぼうぼうの切り通しが多く、なかなか視界が開けない。トンネルをいくつも越え、「何もない」という言葉が適切な世界に入る。

 16時47分、ほとんど止まる列車のない大志田駅を通過。こんなところに何があるのか、という印象のある駅で、まるで北海道の原野のようだ。

 有人駅の区界で、列車交換のために5分停車する。並行道路沿いには人家が並び、駅の真正面にはコンビニエンスストアがある。しかし、駅に乗り降りする客を見込んでいるようには見えない。すでにこのあたりになると、夜のとばりが降りてきて、遠くを見るのは難しくなってくる。

「暖房効率が悪く、2両目でお寒いとお思いのお客様、1両目の方があったこうございます、どうぞお移りください」

というアナウンスがある。実際に移った乗客は1人だけだったが、そんなボロ車両なのか、とも思う。それにしても、この車両の話し口はなかなか楽しいのであるが、やはりスピーカーのタチが悪く、うるさくてかなわない。

 カンテラを掲げた駅の係員は、舞っている雪に対して寒そうな素振りなど微塵も見せないが、気温はかなり低いように見える。入ってきた対向列車も、キハ52の2両編成であった。この急勾配では、使える車両も限定されるのだろう。

 しばらく走り、やはり有人駅の川内(かわうち)に着く。ここでかなりの乗客が降りる。この程度の駅でも駅員が配置されていること自体、合理化への投資が行われていない証左だ。行き先はどうにも暗そうである。

 小駅にいくつか停まって行くが、どの駅も非常にさびしい駅ばかりで、「駅」としての体面などなきに等しいような造りのものばかりである。そんな中、陸中川井駅は、駅前広場に面して駅前商店があり、川の対岸に集落があるなど、それなりに「人気」を感じさせた。

 これの次の駅は、腹帯。「はらたい」と読むのだが、いったい名前の由来は何なのだろうか。腹巻きを連想してしまうが、何となく変なネーミングである。そんな駅だが、無人にも関わらず、待合室などはきれいに整備されており、不気味さはなかった。

 先述の岩泉線が左から寄り添ってくると、茂市に到着。さすがは主要駅、構内は広く跨線橋もあり、なかなか立派である。ここで13分停車。もう真っ暗なのだが、列車内にくすぶっていても仕方がなく、いったん外へ出る。すでに雪は止んでいた。窓口には、列車の到着時間帯前後は運転業務のため窓口業務は行わない、という掲示がある。しかし、これだけ列車本数が少ないというのに、到着間際以外の時間帯、果たして人など来るのだろうか、という疑問がある。ここから分かれる岩泉線は、1日の本数がわずか3往復(区間列車が他に1往復)で、それも岩泉行きの1本をのぞけばすべて朝または夕方・夜に限定されている。さらに、岩泉随一の観光資源である龍泉洞へは、とても駅から歩いていくのは大変である。観光客を相手にすることはできない以上、やはり指命を終えていると見るのが妥当に見える。JRのローカル線中、廃止の話が表に出ているのは、他にもJR西日本の可部線があるけれど、岩泉線はさらに状況が悪そうに思える。需要掘り起こしの可能性が幾分なりとも残っている山田線とは違って、あまり先が長くはなさそうだ。

 ここから徐々に、閉伊(へい)川がつくる平野部へとはいっていく。転々とともる灯が、何となく安心感を与える。

 片面ホームのみの無人駅、花原市は、これまたコンビニエンスストアのすぐ前にある駅。並行道路を走っていく車とは縁もゆかりもない亜空間のようだ。

 終着、宮古に18時53分に到着したときは、嗚呼、街だ、と、心底感じたものである。逆にいえば、「山田線」の実態というものは、そんなもんなのだ、ともいえようか。

 宮古駅を降りると、地面がぐしゃぐしゃである。太平洋岸だというのに、立派に雪が積もっている。以前、2月末に訪れたときには、雪などほとんどなく、もっと奥に入った龍泉洞付近でやっと雪が残る、という状態だっただけに、驚きである。

 駅から3分ほどの「末広館」には、以前も泊まったことがあるが、アットホームで雰囲気のいい日本旅館であった。前回は、ユースホステルとしての利用者は1人だけだったのだが、今回も1人。和室を独占できるのは嬉しい。ふだんはこんなに雪が降ることはないのですが、と、おかみさんが話す。観光客自体も少なく、やはり2000年問題絡みでしょうか、こればっかりはわからない人間には何もわかりませんけれどねぇ、という。

 今日は、朝が早かったので、さっさと寝ることにする。別段、明日の朝が早いというわけでもないのだが。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
29th酒田546→坂町7142002M(特急・いなほ2号)
30th坂町724→米沢10001124D
31st米沢1011→山形1046101M
(山形新幹線・つばさ101号)
32nd山形1109→新庄1152115M
(山形新幹線・つばさ115号)
33rd新庄1201→十文字13112441M
34th十文字1339→大曲1415443M
35th大曲1451→盛岡15463020M
(秋田新幹線・こまち20号)
36th盛岡1623→宮古1853658D
乗降駅一覧
(酒田、)羽前椿[NEW]、今泉、米沢、十文字[NEW]、大曲[NEW]、盛岡、茂市、宮古
[NEW]を付しているのは、この日にはじめて乗り降りした駅です。

2000年2月3日

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