第9日(1999年12月25日)

仙台-福島-岩沼-いわき-郡山-新津-長岡-新潟

 一日のスケジュールは、本数の少ない路線や区間をまず優先的に決め、それに応じてその前後を調整する。これが、時刻表でスケジュールを組み立てる際の鉄則である。

 今日もっとも本数が少ないのは、いわきから郡山へといたる磐越東線である。直通列車は1日6往復。途中駅で接続する区間列車は皆無である。このため、ひとまずは「いわき13時10分発」に照準を定めた。ここから時刻表を逆にたどっていくと、仙台7時32分発の東北新幹線に乗れば間に合う。

 しかし、ふと目を覚ますと、まだ朝の6時前。朝起きは三文の得、という言葉通り、早く出ればそれだけ自由な幅も広がる。どのみち磐越東線というネックはあるけれど、幸いそれまでの路線はそこそこの便数があるから、途中下車を何回かすることはできるだろう。そんなことを考えながら、宿を朝の6時15分に出た。

 今日の第一列車は、仙台6時36分発の東北新幹線で、普通車は全席自由席である。

 東海道・山陽・東北・上越の各新幹線は、いずれも「在来線の複々線」として建設されたという経緯があるため、これらの路線はたとえ離れたところを走っていても、乗車券の扱いでは、在来線と同じ路線として扱うことになっている。例えば、京都-(新幹線)→新大阪-(在来線)→京都というルートで乗車する場合も、新幹線と在来線とはルート上同一と見なされるので、「往復乗車券」となる。何キロも離れた区間をショートカットしている路線を「複々線だから同じ」というのはどうにも変だが、とにかくそういうことになっている。並行在来線を廃止してしまった長野新幹線(正確には、北陸新幹線・高崎-長野)は、この点、実にすっきりしている。

 ところが、新幹線の途中駅には、並行在来線にはない駅がある場合もある。東海道新幹線でいえば、新横浜、新富士、岐阜羽島がこれにあたる。こういった区間は、さすがに「それでも同じ」とはいかないので、そういった区間は別途、「在来線と別線の区間」として取り扱うことになっている。

 ここから乗る、東北新幹線の仙台-福島間は、中間に、東北本線にはない駅、白石蔵王があるので、東北本線とは別線ということになり、「最長片道切符」のルートに組み込むことができる。このため、どちらでも乗れる場合は基本的に在来線に乗る私であっても、ここは必ず新幹線に乗らなくてはいけない。

 この新幹線に乗ると、東京には8時56分には着いてしまう。呆れるほどの速さ、というしかないが、「最長片道」には、そんな速さは本来は無用である。ルート確保だけの乗り物に過ぎない。

 新幹線通勤客もそれなりにいるかと思ったが、土曜日ということもあってか、あまり客は乗っていない。

 薄明かりの中、田園地帯をもの凄い勢いで突き進んでいく。風景自体が単調であるうえ、眺めを見るには速すぎるので、車内で時刻表を繰り、時間調整の方法を考える。スケジュールは、組み立てるときもさることながら、旅先でそれを変えるときもまた十分に楽しいと思うのだが、こうなってくると、「相当の重症だ」と評されたことがある。

 福島到着は7時2分。まことにあわただしい。在来線の普通列車ならば1時間20分掛かるところを、30分足らずで走ってしまったことになる。時間は節約できるものの、同一の乗車券で「乗れる時間」を考えると、恐ろしくコストパフォーマンスの悪い乗り物ではある。

 いったん途中下車してから再入場し、在来線ホームに進む。新幹線で仙台から福島へと南下し、今度は在来線でまた仙台方面へ北上するわけで、「最長片道」のようなことを意図的にやらない限り、いくら乗り物好きの私でもこんな乗り方をすることは絶対にないだろうな、と思う。

 7時26分発の普通列車に乗り込む。ボタン式の半自動扉を装備した、719系というステンレス車両の4両編成である。3扉車ながらボックスシートも備えているが、これが変わっている。ドア脇に短いロングシート(通路と平行のシートを「ロングシート」というが、どんなに短くても「ロングシート」なのは不思議)があるのは珍しくもなんともないが、ボックスシートが、前向き、前向き、後ろ向き、後ろ向きという順になっているのである。すなわち、2列シートが2つ、4人がけボックスシートが1つ、これが1ユニットとなっているわけである。4人掛けオンリーだと、人数分キッチリの着席がなかなか実現しないゆえの苦肉の策か。

 福島到着と同時に、どっと多量の乗客を吐き出す。やはり朝の県庁所在駅ということであろう。発車するときはガラガラになり、1両に3人程度となってしまう。

 工場や民家の中を走る。上り線を貨物列車がごとんごとんと走っていく。次の東福島など、貨物駅の脇に、まるでおまけのように設置されているようにさえ見える。さすがは貨物大幹線、というべきか。

 ほどなく、伊達駅に到着。ここで時間調整のために途中下車する。

 伊達駅の正面には新幹線の高架がデンと横たわっているが、駅舎はなかなかに風格があり、実にいい雰囲気である。石組みの上に立てられた重厚な木造駅舎は、武家屋敷を連想させるデザインである。周囲は工場が多く、また福島市郊外の住宅地という様子もあり、駅舎自体はやや浮いている感じではあるが、小駅だからこそ生き残ったという見方もできよう。もっとも、駅にいた利用客の大半は高校生であり、物珍しそうに駅舎をあちこち見て回っている私こそが、一番浮いていたのは間違いのないところではある。

 上り線を、ブルートレイン「北斗星」が通過していった。ブルートレインの衰退ぶりは目を覆うばかりであり、特に東京-九州系統の列車はいつ乗ってもガラガラである。ブルートレインという言葉に「国鉄時代の栄光」という言葉がついて離れなくなっている。「国鉄」を知らない寝台特急、「北斗星」はまだまだ頑張っている方だと思うが、それでも、ノスタルジーの対象から外すことはできまい。一見豪華な編成ではあるが、どことなく哀れさをも感じてしまう。

 20分ほど滞在し、次の列車に乗り込む。先ほど乗ってきた列車と同じ車両だが、今度は6両編成となっている。

 伊達駅の時点では右に走っていた東北新幹線が、いつの間にか左へと回り込んで併走する。右手には新興住宅群が並んでいる。田圃がうっすらと白くなっているが、雪が積もっているわけではなく、霜が降りているに過ぎない。盆地ゆえに朝晩の冷え込みはかなりのものなのだろうが、やはり太平洋側なのだな、とも思う。

 ここ止まりとなっている列車も設定されている藤田は、本屋側ホームを使わず、島式の二面のみを使用していた。駅舎はごくありふれたものだが、木の軒がいい味を出している。福島から反対方向へと進んでいるせいか、1両に2人程度しか乗っていない。朝の下り列車であり、福島・宮城の県境付近であるとはいえ、ずいぶんと寂しいものである。

 切り通しを登り、東北自動車道と併走する。右手に、盆地の中で広がっている集落を見ながら、勢い良く駆け上がっていく。灌木や雑木林の中をひた走る。

 平地にはいると、家が増えてくる。左に、白い雲を被った蔵王連峰が見える。

 長いホームに長い屋根を持つ白石駅は、今となっては過剰設備を備えているといえよう。ここで、そこそこの乗客がある。蔵王観光の拠点であり、温麺(うーめん)の産地としても有名である。なかなか下車する機会がなく、今回もここで降りるのは無理だったのだが、一度歩いてみたい町ではある。

 左に阿武隈川が流れ、列車は集落の対岸を走り、寂しい無人駅、東白石に着く。川には白鳥が群れていた。

 北白川、駅を出た左のところに郵便局が見えた。駅名標には、「←」の下に、「ひがししろいし」と「しろいし」とが仲良く並んで書かれていたが、どういう意味があるのだろうか。ここに走っているのは東北本線の列車だけだし、快速列車等の設定が特にあるわけでもなく、ショートカットする短絡線があるわけでもないのだが。

 田畑のほか、工場も多くなる。大河原で相当数の乗客があり、半分以上の席が埋まる。川沿いには桜が植わっているのが見える。春になったら美しい景色になるのだろう。列車の車窓から桜、というと、乗り慣れている中央線の電車をつい思い出してしまうが、ずいぶんスケールが違うように感じる。

 次の船岡でもかなり乗る。このあたりは、仙台の近郊とも呼べる地域であり、和風の新しい駅舎が堂々と建っていた。

 左へとカーブし、今まで平行してきた川、次いで東北道を渡り、くぐる。

 妙に大仰な跨線橋のある槻木で、さらに客が乗り込み、ここで立ち客も出る。駅前風景は、明らかに新興住宅地のそれである。陽が射さなくなったな、と思うと、ちょうど太陽のところにだけ、日傘のように雲がかかっていた。

 岩沼到着、8時46分。ここで常磐線に乗り換える。

 岩沼は、古くは国府が置かれ、その後は奥州街道の宿場町として栄えたが、現在では仙台の衛星都市という印象が強い。岩沼駅では、11分ほどの時間があるので、いったん改札を出る。切符を見て、すごいですねぇ、と、すでに珍しくもない反応が返ってくるが、金属でパチンとはさむタイプの途中下車印のインクが薄く、なかなかまともに捺すことができない。

 到着した列車は、6両編成で、各ボックスに1人ずつくらいの乗車であった。手動式の半自動扉が重たい。8時58分に発車する。

 東北線から分かれる。向こうは複線だが、こちらは単線であるし、路盤も心なしか向こうの方がしっかりしているように見える。東北新幹線開通以前、常磐線は東北線のバイパス線という位置づけだったし、その意味では常磐線も立派な幹線だし、隣の芝生を見ているようなものかもしれないけれど。

 阿武隈川を渡り、ここから阿武隈高地の東側、海岸沿いを進む。昨日まわってきた北上高地と同様、隆起準平原であるが、こちらは標高がさほど高くない上、海岸線は非常に緩やかな曲線となっているので、海岸沿いを進む路線とはいっても、昨日の山田線とはまったく表情が違う。

 亘理で、行き違いのために4分停車する。ところが下り列車が遅れているということで、実際の発車時刻は4分ほど遅れる。単線ゆえの遅れとはいえ、常磐線で列車の遅延というのは珍しい気がする。これが羽越本線あたりだと、乗るたびに大なり小なりの遅れがどこかで出ているような気さえするのだが。

 「浜吉田」という駅があるが、実際には松の木が立ち並ぶのが目にはいるだけで、浜などまったく見えない。地図を開いても、常磐線の路線図が、海岸べりよりも少し陸側に入っているのがわかる。海水浴場などが沿線に多いのだが、実際には車窓から海が見えるところはさほど多くない。これは当然といえば当然であり、平野部が広いのであれば、水害の可能性が高い海辺にわざわざレールを敷く必要はない。

 列車は、終点の山下に、9時23分に到着。この時点での遅れは、2分程度にまで回復していた。

 山下駅は、ごく簡素な駅舎をもつ有人駅であった。小さい駅なので途中下車印はない、ということなので、替わりに入鋏印を捺してもらう。確かに、長距離切符を持つ人が途中下車したくなるような駅というわけではない。私自身、たまたま乗った列車の終点が「山下」という、人の姓のような駅名だったこともあり、時間調整のために下車したに過ぎない。そんな山下駅の駅前はというと、地元のナントカいう人の銅像があり、コンビニ的なパン屋兼酒屋があるのみである。ここは簡易郵便局を併設していたが、生憎なことに今日は土曜日である。人はそれなりに行き交っており、駅前にはタクシーも停まっているが、やや寂しい雰囲気であることには変わりがない。今日はまだここまで何も食べ物を口にしていなかったので、ここでパンを購入、ひとまず腹を押さえておく。

 ホームに再度はいると、駅名標の柱に古レールが使われているのに気付く。古い駅などでは、ホーム屋根の支柱に曲げたレールを用いている場合があり、特に大阪環状線の桜ノ宮ホームの支柱など、ずらりと並んだ曲線に、あの硬いレールをここまで見事に曲げるとは、と感心したことしきりであった。あのホーム支柱健在なりや、と考える。

 駅に入ってきた10時3分発の列車は6両編成で、デッキ付き車両であった。当然のように、4人掛けシートがずらりと並んでいるが、車端部のみがロングシート化されている。各ボックスに1~2人という乗りであり、なぜ6両もつないでいるのかよくわからない。

 真っ平らな田園地帯をひたすら走る。松がやたらと目にはいる。本当に温暖そのものという香りが土の中から伝わってきそうだ。ここは本当に「東北地方」なのだろうか、と思う。地域区分など、単に行政区画に合わせて適当になされているに過ぎないのだから、別に気にする必要はないのだが、やはり「東北」という言葉で区切られる「地域」の幅広さは大したものだと感じる。JR東日本のコピーに「東北大陸へ」というのがあったけれど、「大陸」という言葉の中には「地域ごとの多様性」というものも入っているように感じられるから、なかなかいい文句のような気がしてくる。

 野馬追で名高い相馬で、かなり乗客が入れ替わる。車窓からは馬の姿などどこにも見当たらないが、北海道の日高あたりに比べると、まったく雰囲気が異なる。「馬」の気質もだいぶん違うのだろう、などと思う。

 ここまで、すべての駅舎が山側にあったが、日立木(にったき)は、海側に駅舎を構えていた。これ以降も、全体として、海側よりも山側に駅舎を構える駅の方が多いようである。

 工場がいくつか建ち並ぶようになると、原ノ町である。10時39分に到着。

 原ノ町駅は、原町市の中心駅である。駅名は「はらのまち」、都市名は「はらまち」と、音がだいぶ違うので、かなり戸惑う。

 鉄筋コンクリート造りの駅舎の屋根は表に大きく張り出している。今は改築されて消えてしまった東舞鶴駅のようなタイプであるが、柱がもっとスマートで丸いため、威圧感は特にない。戦時中に造られた駅舎で、当時は物資不足であったために、この柱は「竹筋コンクリート」で造られ、後に鉄筋となったという代物である。屋根が高いので、見上げると陽がよく射し込み、心地よい。いったん外に出て、駅正面右側にあるコンビニエンスストアに入り、牛乳を買い込む。

 10時51分発のいわき行き普通列車は、オールロングシートの701系電車2両編成。要するに、秋田を中心とした東北地方各地(福島方面は除く)各地で使われている、あの通勤型電車である。常磐線はワンマン化されていないため、運賃箱にはカバーがかけられ、運賃表示器も設置されていないが、ここまでオールロングシートの波が押し寄せたか、と嘆息しきりである。まだ乗客はこの車両に慣れていないようで、開かない半自動扉の前でじっと立っていたりする。日当たりが良く、ポカポカの車内には、各列に5人程度が乗る。

 しばらく丘陵地帯をとことこと走る。この車両の窓には熱線吸収ガラスが使用されているが、カーテンはない。燦々とそそぎ込む陽光。温室効果の結果、車内は暖かいを通り越して、若干暑いぐらいである。ダウンジャケットはおろかセーターまで脱ぎたくなってきた。しかし、マフラーや手袋をそのまま着けている人の方がはるかに多い。やはり、もともと温暖なところに住んでいれば、この程度の気温でも、別に暖かいということはないのだろうな、と感じる。それと同時に、自分が北海道などの寒冷地をまわってきたせいか、寒暖の感覚がややズレていることにも気づき、苦笑する。

 双葉は、真新しい駅舎がアーチ状の円弧を描いている。何らかの公共施設との共同使用であろう。ローカル線では、もはやごく普通のスタイルであるが、常磐線もこのあたりまでくるとそれと似たようなものなのかもしれない。原子力発電所が多い地帯であるから、自治体も比較的財政的に余裕があるのだろうが、ジェーシーオーの臨界事故以来、地方行政の姿勢も相当に変化しているのであろう。この目では見えないながらも、首都圏で電気を消費している都市部の人間としては、電源供給の方法について忘れていけない問題であろう、と思う。

 富岡で、松林のかなたに海がちらりと見える。ここでかなりの下車客がある。

 雑木林、耕地、民家、この三つが、入れ替わり立ち替わり車窓に広がる。眠たくなるような眺めだ。駅間距離が長く、またしばしば無人駅もあるのだが、車掌の巡回はみあたらない。

 木戸駅では、なぜか天守閣のミニチュアがホームに出迎えてくれる。近くに城跡でもあるのだろうか。隣に座っている娘が鏡を出し、メイクを始める。化粧というものは人に会う際の礼儀として行う面もあるのだから、家の外、それも人目に付くところで行うのは、人前で服を着替えるに等しい行為だと思うのだけれど、どこへ行っても広がっている光景になってしまった。携帯電話の広がりなどとは次元が違うだけに、何とも面白くない。

 広野を過ぎると、しばし海に沿う。温かそうな海面は、見る者をのんびりとさせてくれる。波はほとんどない。松と浪との織りなす画像が流れる。

 四ツ倉でかなりの乗客があり、ここからは立ち客も出る。バケットシートに人数分がきっちり着席しているのだが、それでも無理に席をつめて他の人を座らせたりしている。私が日常的に乗っている都内の電車では、まずお目にかかれない光景だ。もっとも、ロングシートが果たしてふさわしいのかどうか、というのは、やはり感じる。JR東日本も、ディーゼルカーは基本的にボックス部を設置しているだけに、なぜ電車はロングシートにこだわるのか、不可解である。

 12時6分、いわきに到着。大量の乗客が、いっせいに橋上駅舎へと流れていく。

 いわきは、いわき市の中心駅である。

 いわき市は、全国最大の面積の都市であり、人口でも福島県最大、東北地方全体でも仙台に次ぐ。1966年、平、磐城、勿来、常磐、内郷の各市、および周辺の町村が大合併してできたジャンボ市である。このため、もともと旧・平市の中心に位置していた駅は「平」であったが、これも近年、「いわき」と改称されたという経緯がある。いったん外に出るが、駅前をぶらつく程度で、特にすることもない。

 ひなたぼっこをしながら磐越東線ホームでボーっとしていると、ほどなく2両編成のディーゼルカーが入線してきた。今日初めてのワンマン列車で、車内は2列+1列シートである。水郡線や小海線でも見掛ける車両だが、昨日乗った車両に比べると、窓脇のスペースが狭く(飲み物の缶を乗せる程度は可能)、メモ帳をポンと置くことはできない。

 この「磐越東線」は、「磐」城と「越」後とを結ぶ路線の東部、ということからついたネーミングだが、路線名から地理を想起するのは容易ではない。福島県では最大の都市・いわきと二番目の都市・郡山とを結ぶにも関わらず、本数はずいぶんと少なく、通しの本数は、一日にわずか6本である。同区間を走るバスは、ほぼ1時間間隔で走っているのだが。

 発車の時点で全席が埋まり、数人が立つ程度の乗車率である。ただし、荷物を席に置き、寝こけている人もいるので、実際には定員未満の乗車というところであろう。ぽかぽかの陽気だと思うのだが、マフラーや手袋がそのままというのは、常磐線と同じ光景である。高校生やおばさんのほか、比較的若い地元の住民とおぼしき人も割といる。

 しばらく常磐線と併走して切り通しを走り、視界が開けたところで右へと曲がり、常磐線と分かれる。右へと急カーブ。少しずつ登るが、車窓には平凡な田園が広がる。

 次の赤井は、工場だか事務所だかのビルが建つ裏手に位置していた。一面一線の無人駅であるが、ここで一気に十数人が下車する。駅舎はごくありふれた木造のものだが、白く塗られた板壁は、どことなく懐かしさを感じる。構内は植木や菜園で占領されていた。

 赤井を出ると人家が途切れ、川沿いに竹藪が沿うようになる。視界が開けると、今度はまた登り坂となり、小川郷に到着。ローカル線の中間駅とは思えない堂々たる島式ホームを持ち、ここで車内の乗客中、おそらく8割以上が降りてしまう。地下道を通じて外に出る方式で、独特の形状をした駅舎が下車客を呑み込んでいった。時刻表を見ると、この駅といわきとの間の区間列車が2往復設定されている。いわき市内への通勤圏に入っているということなのであろう。

 ここから先は、どんどん阿武隈高地へと分け入っていく。さして高い山があるわけではないが、それでも山の斜面が両脇に迫る。夏井川に沿って、ちらりほらりと人家が現れ、それらが集落を作ると、そこに停まる。それを繰り返す。

 脇を走る夏井川の流れは、かなりのものである。夏井川といえば、その渓谷美が有名であるが、磐越東線の車中からも、ある程度うかがうことはできる。水量が思ったより少ない気がするが、時期的にはそれが当然であろうか。もっとも、水が濁ってきたな、と思うと、水力発電所が目についたりする。

 杉の樹が立ち並ぶ中を進む。トンネルを何度もくぐりながら、谷の中を走る。ディーゼルカーはエンジン音も高らかに、意外なスピードで突き進んでいく。

 いい加減「何もない風景」に飽きてきたころ、夏井駅に到着。峠を越え、やっと集落に辿り着いた、とい感じである。乗降ともかなりあり、特に高校生の下車が目につく。幼稚園が隣接していた。

 次の小野新町で列車交換をする。相手は3両編成のディーゼルカーであった。乗降客はずいぶんと多いが、すぐに発車する。

 この先、神俣、菅谷と、鍾乳洞観光への玄関口といえる集落を貫くが、わが磐越東線の列車は、そういった需要には我関せずといった風情である。洒落た風情の駅舎が、意外にも味を出している。車窓は決して単調というわけではないにせよ、さほど刺激を受けるような光景がないこともあり、うとうとと船を漕ぎ出す。起床時刻に関わらず、汽車旅の途中では心地よく惰眠をむさぼるのが常となってしまっているようだ。

 三春駅周辺には、マンションが建っていた。三春駒の産地として知られる小さな城下町だが、郡山からわずか20分、現在は郡山市の郊外に入っているのであろう。もはや山地の雰囲気はなく、盆地に水田が広がり、郊外型ショッピングセンターが点在する。

 14時43分、郡山駅着。新幹線も停まる駅であり、何だか大都会のように見える。いわきの方が人口こそ多いとはいえ、「平」と郡山として比較した場合、やはり郡山の方が大きいということなのであろう。

 磐越西線のホームへ移動し、列車に乗り込もうとすると、なんと、4日前、弘前のユースホステルで同宿だった人と偶然顔を合わせる。そういえば、あちこち「青春18きっぷ」を使ってうろつく、とは言っていたけれど、ずいぶんおもしろいところで顔を合わせるものだ。向こうは急いでいるようで、二言三言声を交わしただけで別れる。

 ここから乗る列車は、快速「ばんだい3号」会津若松行きである。磐越西線は東半分が電化されており、特に会津若松と郡山との間には、特急・快速を含めると、おおむね1時間間隔で列車が走っている。郡山で新幹線接続をすることを考えると、本数がもっと多くてもおかしくないと思うのではあるが。

 ホームに入っていた電車は6両編成で、急行に使われていたデッキ付きの車両であった。車端部のみがロングシート化されていたが、あとはずらりと4人掛けシートが並んでいる。各ボックスに1~2人程度の乗車である。

 渋滞している平行道路を横目に見ながら快走。左手に住宅、右手に耕地という車窓が広がる。東北道を越えると、ひたすら工場が並ぶ。西日が顔に当たるが、ずいぶんと日の輝きが弱いように感じる。

 ずいずいと走り、登り勾配を進んでいくうちに、北側斜面に雪が残っているのが目につき始める。水田が、一面一面高くなっていき、次第にそれが少しずつ白くなっていくのがわかる。さらに登っていくと、ついに水田は真っ白になるが、それでもまだまだ道路などに雪が残る気配はない。

 立派なホテルが見えてくると、磐梯熱海に到着。なぜか、右側改札正面ホームに入線する。駅周辺には小公園があった。温泉街の玄関駅なのだが乗降は少なく、しかもほとんどが明らかに地元客である。

 すっかり雪を被った風景がずっと続いていくが、なんだか見ていて安心できるのは面白い。坂を登りきると水力発電所があり、やがてスピードが落ちると、トンネルにはいる。

 信号場で、行き違いのために停車する。気が付くと、頭上の雲が黒く、分厚くなってくる。このあたりから、完全な銀世界が広がる。積雪は30~50センチくらいだろうか。

 川桁あたりにくると、積雪はさらに増え、田のあぜ道や切り株も真っ白に覆われ、起伏がその存在を示す程度となる。

 右前方に大きなスキー場が見えてくると、猪苗代。ここで下車する客もけっこういるが、乗ってくるのはわずか数人に過ぎない。下車客も観光客やスキー客ではなさそうである。このあたりはもう会津若松の圏内だと思っていただけに意外だが、郡山や福島方面から帰るとこの時間になるのだろうか。ここで上り列車と交換し、同時に発車する。

 翁島あたりから、電車の窓が曇ってくる。右側に見える磐梯山麓には、まるで太い筆で書かれたような雪の帯が広がっている。スキー場である。

 ここから徐々に下っていくが、雪が減る気配は一向に見えない。樹上で、コアラのような雪の塊が出来はじめる。右に左にとカーブを描きつつ、磐梯町駅に到着。しっかりした屋根が組まれた駅だが、乗降ともさほど多くはない。軒から滴が、ぽつん、ぽつん、と垂れている。

 水田の他、リンゴ畑が多く見られるようになる。東長原を過ぎて左へとカーブすると、一気に盆地が広がる。やや霞んではいるものの、会津盆地に納まっている街が次第に浮かび上がってくる。断層によって陥没してできているため、特に東西の盆地端部における高低差が大きい。したがって、線路はカーブと坂を重ねつつ、うねうねと曲がるように下っていく。民家がどんどん増え、「街」の存在を知らせる。

 ほどなく、会津若松に到着。会津戦争と会津塗で名高い、会津盆地の中心地である。只見線や会津鉄道との乗換駅であり、交通の要衝でもある。人口は11万8,000人(1998年現在)。

 ここから、新潟行きのディーゼルカーに乗り換える。磐越西線は、喜多方までは電化されているものの、喜多方以西は非電化区間なのである。

 JR東日本ではもはやおなじみとなった、キハ110系ディーゼルカーであったが、この車両には、窓枠部の突起があった。二両連結で、車掌が乗務している。車内は相当に混雑しており、ほとんどの席が埋まっている。座席に荷物を載せている人がいたので、それをどけさせて座る。頭上の網棚には何もないのだから、上に持ち上げるくらいのことはして欲しいものだが。

 磐越西線は、会津若松で方向を変えるため、郡山方面と同じ向きに発車する。小工場と住宅、農地とが混在する中を進む。集落は、ある程度の戸数がまとまり、それがバラバラと散在しているようだ。また、山形で見たような防風林を備えた民家もちらほらと見掛ける。盆地で雪が多いという共通点を考えると、なかなかに興味深いものがある。

 しばらく登り坂を進む。広い盆地の中、雪に覆われた水田がひたすら展開するという、変わりばえのない風景が続く。途中、いくつかの小駅に停車するが、申し訳程度のホームと屋根がある程度の、ごくごく粗末な駅が目立つ。車内の高校生たちが、問題集を広げ、あれやこれやと指し示している。

 日橋川をゆっくり渡ると、間もなく塩川に到着し、ここで若干の下車がある。蔵を模したような駅舎が目に入ったが、喜多方のように蔵を観光資源にでもしているのだろうか。阿賀野川流域の可航限界であり、米倉が設置されていたという知識はあるのだが、それ以上のことはよくわからない。

 このあたりから、今度は下り坂になる。風景は相変わらず水田ばかり。姥堂は、なかなか面白い駅名であるが、一面一線の無人駅であった。ここまであった無人駅のような寂しいものではなく、それなりに人が使っているという雰囲気を残している。向かい合わせシートに座る若い男性は、スナック菓子の袋を開け、ばりぼりやっている。油っぽい臭いが鼻を刺す。

 喜多方は、人口4万人弱の小さい都市だが、それでも会津盆地北部の中心であり、乗客の3分の2が入れ替わる。ただ、乗ってくる客の方が多く、立客数でいえば、むしろ増えてしまう。

 満員盛況となったディーゼルカーは、ここから阿賀野川に沿い、山間部へと分け入っていく。右手、熱塩へと伸びていた日中線(1984年廃止)の跡が、かすかにうかがえた。空の雲がどんどん厚くなり、外は次第に暗くなってくる。しばらくすると林の中に突っ込み、登り勾配となる。

 登り坂が終わると、ディーゼルカーは急に身が軽くなる。なだらかな傾斜が窓の外に流れる。ぽっ、と、放り出されたかのように高架に出ると、ほどなく山都。ここでかなりの乗客が下車し、立客はほとんどいなくなる。喜多方の通勤通学圏なのであろう。

 山都を発車すると、針葉樹と水田、そしてトンネル、これを繰り返す。すべてが雪と闇との中に溶け込んでいくような風景が続く。めろめろと燃える焚き火が目にはいると、なんだかそこが別次元の亜空間のように感じられる。

 荻野の手前あたりで、すでに外は真っ暗になり、何も見えなくなる。

 尾登は無人駅であるが、やたらと大きい跨線橋が面白い。このあたりから、MDを取り出し、耳に当てる。

 野沢でかなりまとまった人数が下車する。入れ替わりに乗ってきたおっさんたち、ずいぶんと顔を赤くしている。すでに出来上がっているようで、元気というべきか、傍若無人というべきか、田畑で呼びかけるような声であれこれと叫んでいる。窓の外に雨粒が流れるようになる。

 豊実で、騒々しいおっさんたちの多くが下車し、また日出谷で、禁煙もお構いなしに紫煙を漂わせていたおっさんも下車する。一気に車内が静かになり、闇のみが広がる窓外を背景に、時間が止まったような印象になる。ディーゼルカーのエンジン音のみが、そこにおいて「動き」が確実に存在していることを示す、そんな状態になる。

 18時33分の五泉で、かなりの乗降がある。市制施行都市であるから当然といえばそれまでだが、駅は市の中心部から離れていることもあって、駅周辺が賑やかということはない。つい先日、1999年10月3日かぎりで廃止された蒲原鉄道のホームはまだ残っているようだが、なにぶん外はもう暗く、詳しい様子を確認することはできなかった。部活帰りと見られる高校生がまとまって乗ってくる。

 ここからは、越後平野に入り、淡々と走る。新津到着、18時50分。

 すでに夜の帳は降りているので、新潟あたりに行って泊まろうかとも思ったが、ここから先の区間は、新津→長岡→新潟というルートである。すでに何度も何度も乗っているし、明日のスケジュールに余裕を持たせるためにも、今日中に乗っておこう、と思う。

 20分ほどの待ち合わせで、長岡行きの普通列車の客となる。東海道線などでいくらでも見掛ける3扉セミクロスシート車であるが、シートはライトグリーンになっている。手動の半自動扉を開けて乗り込む。4両編成であるが、すでにここまでで新潟からの通勤通学客をかなり下ろしたものと見え、先頭車はガラガラであった。

 検札が来る。「はー、すごいですねー」と、すでに慣れてしまった反応の他に、

「(青春)18きっぷとどちらが安いですか」

という問が来た。新幹線も入る以上、「青春18」では乗りようがないのだが、在来線ルートに絞ったにせよ、特急・急行が使えない「青春18」では、40~50日程度はかかるはずで、「最長片道」よりもコストが高くなるのは目に見えている。さらに、冬季の「青春18」通用期間は短いので、相当うまくやりくりしなければ間に合わない。始発から終列車まで乗りづめになったとして、それでも肥前山口までたどり着けるかどうか。

 19時22分、大阪発札幌行きの寝台特急「トワイライトエクスプレス」と行き違う。むこうはラウンジカーなどを装備した豪華な施設であり、「それ自体が目的という、乗るための列車」の代表格である。それにひきかえこちらは、普段着ばかりをあれこれ着回しているわけだが、これだけのバリエーションを一時に見回せる機会は、おそらく一生に二度と来ないだろう、と、旅半ばならずして、すでに開き直りの境地になっている。

 櫛の歯が抜けるように、乗客は列車をあとにしていく。積雪はあまりなく、10センチ以下というところ。弥彦線が分岐する東三条で乗客の大半が入れ替わる。ここから先は、ただ淡々と走り、20時5分、長岡に到着。

 長岡駅の中間改札で特急券を買い、新幹線ホームへはいる。新津からこういった大回りをし、さらにわざわざ特急券を買うという行為の意味がどこにあるのか、といわれても、無意味さの中に意味を見いだせることこそ趣味の真骨頂なのだ、と思えるようになってきた。

 進入してきた「MAXあさひ333号」は、全車二階建てという車両である。この車両に乗るのははじめてなので、ちょっとワクワクする。すでに外の景色など何も見えず、早く宿で横になりたい、という気持ちもすでにあるのだが、目新しいモノを前にすると、そんな気分はどこかに飛んでしまう。

 二階席のシートは狭い上、こんな夜ではあっても、やはり二階席の方が混んでいるようだ。ただ、グリーン車だけは、なぜか一階席の方がよく埋まっていた。

 そんなわけで、一階席に下りる。座ると、確かにシートはゆったりしていて、腰の落ち着きはよい。だが、外が全く見えない上、天井が極端に低いこともあって、今まで慣れてきた「新幹線」とはまったく異なる乗り物のように思える。地下チューブの中を弾丸が走っているような感じである。

 シートピッチが前後に余裕を持たせているのは良い。ただ、前の席から引き出して使うテーブルは、お世辞にも使いやすいとは言えない。引き出す方法に戸惑うのもさることながら、テーブルを戻そうとすると、かなり力を入れて押し込む必要があるため、いちいち前の席の人に気を使う羽目になる。

 新潟到着、20時8分。在来線から新幹線に乗り換えたことは何度かあるが、新幹線から降りたのは、これが初めてである。このため、コンコースをあっち行きこっち行きする。

 駅コンコースに積まれていたパンフレットを見て、近くのビジネスホテルに電話を入れ、そこに身体を休める。市内には積雪はほとんどなかった。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
44th仙台636→福島7022112B
(新幹線・やまびこ112号)
45th福島726→伊達7351123M
46th伊達756→岩沼8461125M
47th岩沼858→山下923230M
48th山下1003→原ノ町1039232M
49th原ノ町1051→いわき1206682M
50thいわき1310→郡山1443737D
51st郡山1458→会津若松16073233M(快速・ばんだい3号)
52nd会津若松1611→新津1850233D
53rd新津1911→長岡2005458M
54th長岡2014→新潟2038333C
(新幹線・MAXあさひ333号)
乗降駅一覧
(仙台、)福島、伊達[NEW]、岩沼、山下[NEW]、原ノ町、いわき、郡山、新津、長岡、新潟
[NEW]を付しているのは、この日にはじめて乗り降りした駅です。

2000年2月29日
2007年2月19日、修正

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