第10日(1999年12月26日)

新潟-柏崎-宮内-越後川口-豊野-高田

 東京都に生まれ、兵庫県で育ち、神奈川県に住んでいる人間にとって、雪国という言葉からは、どうしても定型的なイメージしか浮かばない。その延長として、新潟というと豪雪、というイメージが定着しているのだが、新潟市内に限って言えば、海が近いせいであろうか、雪はほとんど積もっていない。

 このため、それまで雪対策として穿いてきた登山靴から、穿き慣れたスニーカーに替える。まるで足に羽が生えたように軽く、踏み出すステップが実に軽快である。

 7時18分にホテルを出るが、ここ数日はずいぶん早起きしていたことも相まって、やはり朝に「寒い」という感じがない。途中、コンビニで弁当を買い、車内で食べることにする。日曜日ということもあって、朝の新潟駅はずいぶんと静かだった。

 新潟7時41分発の越後線の列車は、115系というごく見慣れた3両編成の電車であった。車内、各ボックスに1~2人程度の入りである。

 なぜか左側に、おそらく複線用地と思われるスペースが並行する。万代川を渡ると、新潟市の中心部へ。左へ左へと車体をひねるように曲げながら進み、曲がりきると白山。やはりここでの乗客は多い。ここで列車交換するが、これ以降も、かなり多くの駅で行き違いを行う。単線ではあるが、ほとんどの駅で列車交換が可能になっているのである。もっとも、例えば相模線のように、ほとんどの駅で「必ず交換する」ほど本数が多いわけではないのだが。

 民家の軒先を縫うように走る。左、そして右と細いカーブを曲がり、関屋。以前、信濃川沿いに走っていた新潟交通の東関屋駅へ乗り換えのために下車したこともあるが、今後この駅で乗り降りすることは果たしてあるのだろうか、と思う。次の青山では、なぜか何も描かれていない看板が寂しい。

 小針で列車交換。日曜日ということもあって、上りはかなり空いている。ここから、小高いところを走る。左手一面に、越後平野に広がる家々の屋根が連なり、ここに鉄道が走っていることを不思議に思う。

 寺尾でも列車交換が行われる。ここで交換したのはE701系の6連。秋田を中心にさんざん乗ってきた、地方都市仕様のロングシート車である。都市部でこういった車両が投入されるのは致し方ないが、直流区間においてまでこのタイプの車両には乗りたくない。

 どの家も、玄関は一重である。積雪は皆無に等しく、日当たりの悪いところに残り雪が見られる程度だ。新潟大学前のホームからは、越後平野が一望できる。

 内野では、なぜか右側ホームへと進む。特急列車などが通過する場合にポイントでの減速を抑えるため、進行方向のうち一方をほぼ直線で通す(「一線スルー」という)方式を採る路線でしばしば見受けるが、この越後線では、特急はおろか快速すら走っていないのに、なぜだろうか。

 内野を発車後しばらくすると、一気に左右が水田ばかりとなり、道路も一直線となる。カーブから解放された電車は、ぐっと速くなる。どうやら、新潟の通勤圏内に入っているのは、このあたりまでのようだ。低く垂れ込める雲がドス黒い。

 越後赤塚で、地元の人や高校生が、若干乗り込んでくる。駅のまわりには古くからの家があるが新しい家も建ちつつあり、また線路をオーバークロスする道路も建設中であった。

 比較的新しい家が増えてくると、二面三線の構内を持つ、巻に到着する。沿線の住宅は連なっている様子。ここで、山登りグループや高校生らがまとまって下車し、車内は一気に閑散となる。原子力発電所建設に関する住民投票が日本で初めて行われた土地として有名である。

 田圃の真ん中の線路脇で、何やら工事をしているのが見えるが、何を整備しているのかはわからない。まさか、こんな何もないところに駅を作るとも考えにくいのではあるが。

 次の集落が見えてきて、しばらく走ると岩室。一面一線というのはおそらくここが初めてだろう。ちょっと駅間距離が長くなってくる。右に弥彦山が見えるが、背後の雲はずいぶんと黒い。これは雨か雪になるな、と思う。

 吉田到着、8時30分。弥彦線との乗換駅ということもあって、ずいぶんと構内は広いが、最初にこの駅に来たときは、なんだか無駄にだだっ広いという印象と思ったものである。それは今回もまったく同じであった。

 吉田でいったん下車する。駅前にはタクシーが大量にとまっていた。キヨスクで例のごとく地方紙を購入。

 吉田8時44分発の列車は、115系電車2連編成と、これまた平凡であるが、ロングシート車に比べればずっと良い。雹(ひょう)か霰(あられ)か判然としないが、とにかく氷の粒が窓にパチパチと当たり、屋根にぱんぱんと音を立てて跳ね返る。各ボックスに一人程度と、ずいぶん寂しい乗りだが、日曜日にこの天候では、むしろ当然というべきか。

 一面一線、無人の南吉田は、なぜか駅前が公園になっている。ほどなくして霰はやむが、空はなお真っ暗である。ひたすら水田が続き、集落が現れると駅、そんな感じである。

 分水では、駅舎改築工事を行っているとのこと。杉崎行恭氏著『日本の駅舎』(JTB)によると、水門をかたどった駅舎だそうだが、おそらく影も形もなくなってしまうのだろう。古い駅舎を維持するコストに見合っただけの価値があると判断される基準は様々だけれど、モータリゼーションが発達したこのあたりでは、駅舎にメモリアルとしての意味を認めるような世論はまず生まれ得まい。

 大河津分水路を渡る。河川法上は、この流路が信濃川本流とされ、従来の流路は旧信濃川として扱われているが、実際には「分水」で通じる。水害防止の役割を担ってはいるが、実際には流出した土砂が河口に堆積し、砂浜部がじわじわと前進しているという。逆にいえば、それまでは越後平野に行き渡っていた沃土が海に捨てられているわけで、遠からぬ将来、越後平野の土は疲弊するのではないか、などと心配する。もっとも、素人があれこれ心配しても仕方のないことなのだろうし、予測されていることには相応の対応がなされているとは思うが、自然を改造することに対して、それなりのリスクやデメリットがあることは、絶対に忘れてはいけないだろう。

 次の寺泊は、もともと越後交通との分岐駅だったこともあってか、非常に広い構内を持つ。左手には貨物ホームの跡も見える。ここで交換。実際の寺泊集落は浜沿いにあり、ここからはかなりの距離がある。

 左手が水田から畑に変わると、待合室とホームだけの無人駅、桐原。駅前広場らしきものもなく、集落の裏手に隠れているような駅。

 再び、雨が雹になる。ここで検札。しかし、例によって経路はほとんどチェックされない。屋根の上では、まるでパチンコ玉が鉄板の上で踊るような音が響く。小島谷に停車している間、ふと窓枠を見ると、パチパチと雹の粒が跳ねているのが、肉眼でハッキリと見えた。道路はグレーの模様を描いている。氷の粒がそのまま積もるとこうなるのだろうか。水田の表面は氷結している。上を見ると、黒雲が相当な速さで流れている。

 少し高くなったところで、良寛の生地として名高い、出雲崎に到着する。対向式ホームだが、駅本屋側しか使われていない様子。レール等の施設はそのまま。集落は丘陵地の脇にあり、微高地の谷口集落といったところか。

 出雲崎を出てしばらく走ると、田のあぜ道が区画整理されておらず、曲がったままの状態になってくる。ここまで、水田の境界線は直線上、というのが目に染みついてしまったので、どことなく新鮮に感じる。このあたりから、次第に丘陵地帯へと入る。標高は大したこともないのだが、雑木林が増えてくる。

 石地には、ずいぶんと風格のある古い建物が目立つ。ここで地元客が数人乗り込む。対向ホームが残っているが、すでに設備は撤去されている。

 ログハウス調の駅舎がある西山で、再び若干の乗車がある。ドア脇で、携帯電話を使って何やら話をしている男性がいる。聞こえてくる話の中に、今ドアが開いた、でも半自動なので全部は開かない、などなど、何やら「ローカル線実況中継」をしている。越後線という路線は、特に何度も乗りたくなるような魅力を持った路線でもないけれど、やはり大都市近郊ばかりに慣れていると、これでも充分に「ローカル線」らしさを感じられるだろう。

 暖房効率がよいせいか、尻が熱いので、ボックスの通路側に移動する。暖房というものは「頭寒足熱」をもって旨とすべきであるが、新しい車両は上体だけが暑くなり、古い車両だと足下や尻だけが焦げるように暑くなることが多いようだ。

 このあたりでは、海との間に丘陵が挟まっているせいであろう、北側、南側のいずれでも積雪がある。もっとも、たかだか10センチかそこいらのものではあるが。

 東柏崎でも右側に進入。やはり左側はあまり使われていないようだ。左右双方に駅舎と屋根があるが、なぜか跨線橋も踏切もない。設備そのものは生きている様子なのだが、こんな駅はめったにない。大手私鉄の小駅などでは、下り線と上り線とで改札口が異なるというケースはあるけれど。

 柏崎駅では、切り欠き式の行き止まりホームに到着する。なんとも変化に乏しい路線ではあった。

 柏崎では、いったん外に出て、駅舎の写真を撮る。この駅で下車したことは以前にもあったはずだが、全然印象に残っていない。

 ここから、信越本線の上り方面に乗る。今日は、飯山線の列車に合わせてスケジュールを決定する必要があるのだが、そのためには、何も急いで乗る必要は毛頭なく、一本遅らせても大丈夫なのである。しかし、「天然ガスと原発の街」をわざわざ歩いてみる気にもなれないので、「時間つぶし」では、途中の未乗降駅に狙いを絞ることにする。ひとまず、塚山か来迎寺あたりになろうか。

 今度の列車は、またまた115系電車の3両編成。例によってセミクロスシート(ボックスシート主体で、ドア脇のみ短いロングシート)車であるが、シートの全体がモスグリーンの布地で覆われ、枠部分がなくなっているので、見た目が非常にすっきりしている。さすがにこのあたりは雪が多く、水田のあぜ道がなんとか茶色い線となって残る程度に積もっている。また、豪雪に弱い瓦葺き屋根も、あまり見られない。

 茨目で、北陸自動車道の下をくぐる。左手の雲はまだ明るいが、右手の雲は真っ黒である。

 安田は有人駅で、ラッセル車が待機していた。何か妙な唄を歌うオッサンがいて、ドア脇で何やら唸っている。

 次の北条も有人駅。木造の純和風駅舎は、雪の中では暖かそうに見える。駅に出ている表示では「北條」。ここから、徐々に丘陵地へと入り込んでいく。

 越後広田で、例のおっさんが降りていった。次第に積雪が深くなり、道も曲がりくねり、人家も減っていく。進むごとに、この先、山にでも突っ込んでいくような感じになる。比較的長いトンネルをくぐると、切り立った崖の下を川が流れるのが見える。

 塚山到着、10時27分。この列車の次に走る快速列車がこの駅に停車するので、ここで一本待つことにする。

 塚山駅は、意外にも――といったら失礼であろうか――有人駅であった。途中下車印を捺してもらうが、インキが薄い上にすっかり印が固くなっているようで、

「これうつらないねー」

と。結局、改札用のスタンプで代用してもらうことにする。

「どちらに?」

と聞いてきたので、経由別紙の方に頼む。こちらの方は、まだまだ余裕があるが、果たしてどの程度まで埋まるのだろうか、などと思う。ごく普通の一枚券であれば、あまり下車印をびっしりにするのは望ましくないのだろうけれど、これなら遠慮なく捺してもらえる。

 駅の前は、車がビュンビュン走る道路となっていた。住宅は、その一段上にあるようだが、駅からはちょっと見えない。轟と音がするので振り向くと、上り柏崎方面、特急「みのり2号」が通過していった。

 駅前を、県の除雪ショベルカーが行き来している。これだけ除雪がしっかりされていれば、車での通行もまず問題なかろう。

 木と石で造られた駅舎の玄関は、なかなかに渋くて良い。駅前は雪がぐちゃぐちゃで、この時ばかりは登山靴の方が良かったな、と思う。駅玄関には門松が置かれており、年の瀬も押し迫ったことを感じる。保線の基地になっているのか、保線要員の人がさかんに出入りしている。

 柏崎方面の上り電車がホームに入線する直前になって、駅員氏、

「柏崎方面の方いらっしゃいますかー」

という。当然、みな、わらわらあたふたと跨線橋を駆け登る。半自動式扉なので、停車中の電車にも開いている扉は少ない。それでも、開いているドアに皆が皆走るのは不思議なものだ。手近な扉を手で開ける方がずっと速いのだが。

 そのうち、雲がさらに厚くなってきたか、と思うと、急に空がピカッと光り、ゴロゴロゴロ、と雷の音が響きわたる。真冬に雷というのは、生まれて初めての経験である。弘前のユースホステルで同宿した人が、新潟では冬でも雷がゴロゴロいいますよ、と言っていたことを思い出した。

 塚山を11時ちょうどに発車する。外はどんよりと暗く、積雪もかなりある。115系4両編成の臨時快速電車で、各ボックスに1人程度の乗り。時々、外がピカッと光っては、数秒後に響きが聞こえる。

 左へとカーブしながら坂を登る。すでに積雪は1メートル近くに達している。左に見える山々は雲に霞んでいる。

 来迎寺はかなり構内が広く、保線基地と思われる。ラッセル車などがあり。旧魚沼線(1984年3月31日かぎり廃止)の線路跡は、踏切や建物等が若干斜めになっていたことから見当がついた。

 快速電車の車内は、地元の人が、長岡あるいは東京、新潟へ出ようといった雰囲気である。ちょっとよそ行きの恰好をして、大きめのバッグを持っている人が多い。大都市近郊であれば、別にどうということもない風体であるが、地方の普通列車でこういう恰好をしていると、「街に出ていく」ということを服装がさらっと語ってしまう。

 信濃川を渡り、左へとカーブする。一面に水田が雪に沈む。相変わらず窓を雪が叩く。

 家が右手に見えてくると、宮内。ここで、上越線と合流する。「最長片道」ルートを忠実にたどるのであれば、ここで上越線の列車に乗り換える必要があるが、接続が悪く、この規模の小駅で待ってもいたずらに暇を託つのみとなるのは目に見えているので、次の長岡まで、ひとまず乗ってしまうことにする。

 長岡11時17分着。昨日も来た駅ではあるが、今度は外の景色がきちんと見える。城下町であり、一時期ブームになった河井継之助が活躍した舞台としても名高い。

 長岡駅では待ち時間が長い。この駅にくると、いつも立ち寄るのが、改札の内外いずれからでも利用できるそば処、「やなぎ庵」。ここで昼食とする。黒くて細く、それでいてコシのあるそばは健在で、「特盛」(2人前)をペロリと平らげる。いわゆる「立ち食い」とは別だが、このくらいのそばを割と安く食べられるのはありがたい。

 改札外に出てもいいのだが、この雪ではなかなか行動を取ることもできないので、改札内で時を過ごす。雪が、ぴたぴたと音を立てて降る。かなり水を多く含んでいるようだ。暇なので各ホームをあちこち見て歩くが、なぜか水飲みが健在だったりする。また、JR東日本共通仕様とは異なる、国鉄時代の様式をそのまま守った駅名標があったり、どことなく「古さ」を残している駅ではある。

 さんざん待って、やっと入ってきた12時22分発の電車は、柏崎や塚山から乗ってきたものと同じ車両であった。発車当時、1ボックスに2人程度と、そこそこ乗ってはいる。

 左手を見ると、古い貨車、郵便車、除雪車と、実に多くの車両が停まっており、また転車台も見られる。また、現役の電車も待機していて、新旧様々な車両・設備が、多彩な顔ぶれを並べる。

 幹線の分岐駅として知名度のみは高い宮内駅だが、駅そのものは、ごく平凡な橋上駅舎であった。割と多くの人が、ホーム上で列車を待っているが、わが先頭車には乗ってこない。ここで信越本線を右に分け、水田の中をひた走る。集落が雪の中に溶け込んでいくという光景が続く。

 越後滝谷では、固定された導水管とでも言えばよいのか、ホースの中に水を通して、そこから水を放出し、ホーム上に積もっている雪を溶かしていた。登山客やカメラマンがけっこう乗り込んでくる。

 ここから勾配を上り、右に集落や田畑が流れる。なかなかの俊足である。上り線と下り線が離れ、その間に、寺のお堂と思われる建物がはさまれるように建っている。

 木造のどっしりした家が増えてくると、小千谷。小千谷ちぢみで有名な街であるが、ついつい「おじや」を連想してしまうのは、私だけだろうか。特に右手に、古い民家が多い。駅構内は広いが、駅舎は平凡な横長の平屋であった。高校生がかなり乗ってくる。

 小千谷を発車すると、更に勾配を登る。スーパーが見えると、一気に民家が消滅する。外はひたすら雪一色の世界となる。なにせ、横殴りの雪で、視界がきかないのだ。

 何も見えない、何も分からない、そんな状態で走りながら、越後川口着12時46分。ここから、今日のハイライトである、飯山線に乗り換えることとなる。

 米坂線のところでも簡単に触れたが、飯山線は越後川口から十日町、戸狩野沢温泉を経て豊野にいたる、豪雪地帯を走る路線である。都道府県別では新潟県の積雪量が日本一であり、したがって同県で山間部を走る路線はいずれも豪雪路線となっている。米坂線、只見線、飯山線、大糸北線がこれに該当するが、今回の最長片道切符の経路には、只見線以外はいずれも通ることになる。この中でも飯山線は、峠を越えて2つの経済圏を結ぶといったものではなく、また孤立した集落を都市や幹線と結ぶような路線でもなく、近世以前の物流ルートに沿って形成された町を結んでいる、オーソドックスなローカル線なので、人の気配が車窓に濃く浮かぶという点が、ほかの3線と異なる。雪と闘い、あるいは共存していく人のすがたを車窓から見るには最適な路線といえる。暖房の効いた列車の中から雪景色を見るというのは格別だし、今回の旅の中でもかなり期待できる区間である。

 ホームを渡り、越後川口12時50分発、ワンマン2両編成、長野行きのディーゼルカーに乗り換える。この2両目の車両は、「ふるさと」という愛称の着いた眺望車両である。別に座席指定制でもなければ特別料金がいるわけでもないので、こちらに乗り込む。この眺望車に乗り込んだのは3人であった。4人掛けシートが窓と並行に、5つ並んでいる。このシート部は通常の床面よりも低くなっており、また折り畳み式のテーブルも装備されている。反対側は通常のロングシートとなっている。横殴りの雪の中、4分接続とはなはだ忙しいながらも、取りあえず列車の写真だけ撮る。足下がずぶずぶと雪に掴まれる。

 ほどなく右へとカーブし、川を渡る。横殴りの雪が視界を遮る。関越自動車道の下をくぐるが、走る車はほとんどない。この雪ではさもありなん、と思う。積雪量、そして雪の降り方を見るかぎり、米坂線と同等、あるいはそれ以上かもしれない。なにせ、横殴りで吹き付けてくるので、霞のかった山水画を見ているようだ。米坂線では、谷間と平地とのコントラストが強烈だったが、こちらのほうが一見穏やかそうに見える。

 テーブルにポットを置き、ココアを飲む。あらかじめホテルでお湯を用意し、それでお茶やら何やらを飲む、ということをしばしばやるのだが、こういう「雪の劇場」には、ココアが一番合うように思う。

 越後岩沢付近では、かなり高い防雪林をもつ家があるが、それらは、十日町方向に植わっているケースが多いようだ。水田の表面は、どこも氷結している。雪の降り方は壮絶であるが、積雪そのものは、1メートル前後である。こんな降り方をするのは、さすがにそう年中あるということではないのだろう。針葉樹全体が雪に覆われるというわけでもなさそうだ。

 坂を下りつつ、谷の中へと分け入る。そのたびにトンネルをくぐる。並行道路を車が走っているが、この雪のせいであろう、スピードは遅く、さして速いとも思えないディーゼルカーが、軽々と車を追い抜いていく。このあたりの家は、床が高かったり三階建てにしてあったり、というものが多い。その人家は割と多く、右手には家が絶えない。

 下条は一面一線、V字を逆さまにしたような急傾斜屋根をもつ駅舎が見える。

 上り坂になると思うと今度は下ったりと、ずいぶん起伏が激しい。整然と並んでいる墓石が、雪をかぶってキノコのようになっている。

 集落がまとまってくると、魚沼中条。左手、少し離れたところに、かなりの人家が固まっている。ただ、一面一線の駅とその集落との間にある耕地は、なんの痕跡も残していない。左高右低の傾斜地上を走っているわけだが、このあたりが、魚沼米の産地である。

 次第に家が密集し、左から高架橋が接近して十日町。織物の産地として有名な街である。当然有人駅で、すべてのドアが開く。高架上にあるほくほく線の駅舎は新しいが、JRの駅は、ほくほく線開業以前に下車したときからほとんど変わっていないようだ。ただ、以前は構内踏切だった記憶があるが、現在は跨線橋が設置されている。ここで、後部車には4人が新たに乗車するが、明らかにそうとわかる地元客は少ない。やはり、ごく普通の車両の方が、居心地がよいのかも知れない。雪は相変わらず激しく降り続く。

 また上りとなる。左窓から見ると、「/\」(右側長野方)という傾斜の屋根が多い。

 列車の出す雪煙もあって、吹雪は更に視界をさえぎる。7~80メートル程度だろうか。ただ、あちこちの吹き溜まりから灌木が顔を覗かせているので、米坂線よりは積雪は少ないようだ。

 土市駅は、まさに「風雪に耐えている」という感じの、黒塗りの板壁を持つ駅舎が良い。乗降はなかった。

 駅前にペンション風の造りの家がある越後水沢を出たところで、検札が来る。切符を丁寧に見て、ありがとうございます、というが、ただそれだけ。どうも張り合いがない。再び窓の外に目をやると、風が強く、雪は降っているというより、真横に流れているようにしか見えない。

 越後田沢のホーム上屋根は古レールを骨材にしており、また木造の駅舎は相当の年季もので、気圧されるような風格があった。トンネルを抜けると信濃川を渡る。河原の右カーブに雪が積もり、まるで砂糖をまぶしているかのようだ。ここからずっと川に沿うことになり、いよいよ飯山線らしくなってきた。

 次の駅、越後鹿渡も味があってよいのだが、これまでの駅に比べると、やや軽い感じがする。眼下の道路では、除雪車が動いている。集落全体が、雪という呪文に眠らされているかのようだ。

 次の津南で、後部車7人のうち2人下車、かわって1人乗車。ずいぶん立派な駅舎だが、施設としては、駅舎というより「リバーサイド津南」なる温泉施設というべきであろう。駅舎の中に温泉がある、というと、北上線の「ほっとゆだ」駅がすぐに頭に浮かぶが、ほっとゆだではあくまでも駅が主で温泉が付属施設であるが、こちらは温泉が主となっていうようだ。

 さらに登る。比較的長いトンネルを抜けると、目の前に広がる信濃川は、その中州に石をゴロゴロと抱え込んでいる。遠目には、雪玉を並べたように見える。越後田中では、なぜか、蔵が駅に面していた。駅自体は、ごく新しい待合室があるだけの寂しいものであった。このあたりから、信濃川はゆったりと蛇行する。こちらはそれを見下ろす形で、しばしばトンネルをくぐりながら進む。この蛇行も、場所によってはオメガ形(Ω)だったりするので、ふいと目を離すと眺望がすぐに変わったりする。

 森宮野原で交換、相手は全体にモスグリーンをかけたディーゼルカー。ここも乗降はワンマン扱いである。制服を着た係員が見えるが、保安担当者かも知れない。子供たちが3人下車するが、みな頬を真っ赤にしている。雪化粧した顔の七変化、なんて考える。

 横倉あたりにくると、積雪もかなりのものとなり、もはや多少の段差では地面の起伏はまったくわからず、雪で埋められてしまう。またも墓があるが、さらし首のように、墓石のてっぺんだけが見える。この駅の向かいは公園だが、立ち入る術はなさそうだ。

 平滝の駅名標を見て、ああ長野県だな、と再確認する。並行道路は完全に除雪され、車はスイスイと走る。川幅が狭いのか、このあたりからは川面が見えない。信濃白鳥あたりで風がだいぶん収まり、やっと雪の動きが「降っている」と表現できる状態になる。ここは、ホームに木造の駅舎が完全に密着していた。

 ふと周囲を見渡すと、車内、他の乗客は、みな寝てしまっている。何もかも、雪というものが吸い込み、時を止めているかのような感じになる。あらゆるものを飲み込むかのように、雪がしんしんと降り積む。

 しばらくすると、雪は再び横殴りに叩きつけてくる。信濃川には川原はなく、緑色の水の流れがそこに絶え間なく続く不可思議さに、言葉を失う。この川の前には、雪でさえも力を失うのか、と思う。

 桑名川は島式ホームを持つ交換可能駅で、構内踏切を渡って向かう古い駅舎は、周囲の民家と完全に馴染んでいた。さらに勾配を上り、疲れました、という感じで停車すると、上桑名川。集落より少し高いところにある一面一線駅で、ごく簡素な待合室があるだけ。

 信濃川の川面が一部氷結している。それも、端の方でなく、中程で、である。水流のいたずらによるものであろうか。上境では、「TRAING」の垂れ幕が駅舎に貼られていた。少し場違いのように見える。

 ここからしばし川に密着する。川原は広いが、緑の冷たく静かな色は荘厳さを感じさせる。左に曲がり、集落にはいると、数少ない有人駅である戸狩野沢温泉。ずいぶんと長たらしい名前であるが、以前は単に「戸狩」という駅名であった。ここで、途中乗車のばあさんたちが降りていった。

 戸狩野沢温泉駅ホームは、ごくシンプルな島式ホーム。この駅止まりとなる反対列車を待ち合わせるため、停車する。行き違いだけならばさほどの停車時間でもなかろうし、雪は凄いし、ホームには屋根のない部分も結構長いし、ということを考え、写真を撮るだけでいったん車内に戻る。ところが、なかなか発車しない。いぶかしく思い、もう一度外に出ると、この駅止まりとなった列車2両をこの駅で併結するようで、かなり長い時間停車するようだ。要するに、前後を普通車に囲まれるような形になるわけである。これだけの時間があるのなら、と、改札を出る。ここはちゃんとした途中下車印があった。さらに、待合室に備え付けのスタンプを捺し、自販機でビールを買う。ここで8人ほどが乗った状態で発車する。

 窓の外には水田が広がる。すでに、豪雪地帯のピークは越えたようで、積雪はかなり少なくなってくる。谷と言うよりは、平地、あるいは緩やかな傾斜地という雰囲気になってくる。

 信濃平は、貨車改造の待合室を備えていた。ホームの樹には木の囲いが組まれているが、雪除けであるのなら、今の状態ではあまり意味はなさそう。

 左にカーブし、集落に突っ込むような形で、北飯山。集落の隙間にある駅という感じで、集落には人の気配があるのに対し、駅そのものの存在感は見事にない。スプレーでのペインティング風落書きがあった。横浜から桜木町にかけての、根岸線高架の落書きを思い出す。

 飯山市内の積雪量は、もはや長岡以下にまで減ってくる。さほど本格的な除雪を行ってはいない道路であっても、端の方に白いものが残るという程度になっている。雪がまだ降ってはいるから、地面は濡れてはいるが。

 飯山駅は、スレート葺きながら、なかなかに趣のある駅舎。街の中心としての位置は守っているようで、かなりの乗客がある。だが、あまりパッとした風景ではなく、どことなくくすんだ印象がある。駅前に広がる峰々が美しい。頂上付近はそろそろ白くなっているが、麓の方はまだまだである。

 のんびりとした走り。目の前に広がる細長い盆地を色で表現するなら、その色には茶系統を使うべきであり、もはや「白」は、ごく限られたアクセント以上のものではない。すっかり雰囲気は変わってしまい、もはやドカ雪路線としての表情は完全に過去のものとなってしまった。

 集落よりも高いところを、うねうねと急カーブしながら走る。蓮は、一面一線の寂しい無人駅。ちらちらと雪が舞うが、大したことはない。駅のとなりが墓地。どうも気のせいか、飯山線にはいると、墓がやたらと目につくような気がする。

 再び信濃川の蛇行に付き合う。もはやそこにあるのはおだやかな風景であり、水の色もエメラルドグリーンに近い、優しい色をしている。左へ右へとカーブが続く。棚田や段々畑が目にはいる。川は、川原に残す石を綺麗に露出させており、覆い被さる邪魔者は何も存在させていない。折しも、雲の切れ目から太陽、そして以前のように勢いのある雪。晩秋の風景に雪という異端物が混入しているようだ。さらに、対岸の工場からは、煙がもくもくとあがり、ミスマッチこの上ない。蛇行と棚田とは絵になっているのだが。

 集落のある位置よりかなり高いところを、ぐるりと水田が、少しずつこちらへとせり上がってくる。

 完全に平野の中に埋没してから、替佐。島式ホームで、反対列車と行き違うが、あちらは単行の越後川口行きであった。立ち客もいるぐらいの乗りだが、たった一両で越後川口までロングランするのか、とも思う。同時に発車。シンプルながらも有人駅のようだ。

 巨大な川原は、やはり「日本一の川」の貫禄か。問うことを許さぬ如き存在を感じる。上今井は、駐車場の中にあるような駅。ここから、上り坂が続く。相変わらず眼前には信濃川。左へカーブすると、対岸にかなり人家が多いのが見える。中野あたりの街並みだろうか。このあたりでは、右岸の方が活気がありそうだ。

 立ヶ花も、片面のみの無人駅。各駅ごとに乗客が増えてくるものの、目の前にかかる橋の向こう側のほうが、建物の密集度が高いのだ。空を覆う雲の量は相変わらずだが、その大部分は細切れの積雪のようで、空はずいぶん明るくなってきた。太陽の部分には相変わらず雲があるが。

 信濃浅野はしっかりした駅舎のある駅。かなりの客が乗るが、無人駅の模様。ドアボタン「閉」を最後の客が押さなかったため冷気が入るが、暖気ばかりの環境にいた身にはかえって心地よい。

 そろそろ、乗換駅の豊野だろうな、と判断し、前の駅から荷物の用意をする。何せ、乗車時間が3時間弱にも及んでいたため、いろいろ雑物を出していたのである。片づけをし、荷物などを網棚から下ろし、準備が整ったころに、到着のアナウンス。15時45分、豊野到着。

 豊野駅では、すでに積雪は皆無で、雪もまったく降っていない。ここは本当に長野県なのか、などと思う。もっとも、ただでさえ薄い日は西へと傾いており、少し冷えてくる。下車印はカタカナで「トヨノ」と表記されていた。

 駅前の道をまっすぐ進むと、豊野郵便局があり、土日も営業していたので、風景印押印を依頼する。旅行貯金に関しては致し方がない。

 あちこちで見られるフレーズには、「りんごとぶどうの里」とあるが、ぶどうはともかく、長野県内で「りんご」はアピール材料にはならないのではないか、と思う。

 ここから乗るのは、信越本線の下り列車である。しかし、この「信越本線」は、実にわかりにくい。なにせ、信越本線の区間は「高崎-横川」および「篠ノ井-長野-豊野-直江津-柏崎-宮内-長岡-新津-新潟」というルートなのである。なぜ二つに分かれているかというと、横川-篠ノ井が、長野新幹線開通に伴い「並行在来線を廃止する」という理由で廃止されたためだ(このうち軽井沢-篠ノ井については、第三セクターのしなの鉄道が鉄道事業を継承)。さらに、長野以北に限っても、区間ごとにその性質はかなり違っているので、何度も乗っていても結構混同しやすい。これは、時刻表の信越本線記載ページなどを見てもわかることだが、適当な切り方をするのに四苦八苦しているのがよくわかる。上越線やらほくほく線やらも絡んでくるので、なおさら厄介だ。

 そんな信越本線の下り電車は、長野地区の電車に使われる、スレートブルーとアイボリーのツートンカラーの車両。115系3両編成で、ドア脇には防寒用であろう、プラスチック板がつけられている。シートに傾斜を設けた上で手すりを柔らかくするなど、いろいろリニューアルされている。ほとんどの席が埋まっているが、どうせ数駅で空くことは分かっているので、そのまま立つ。

 ほどなく飯山線を右に分け、ぐんぐんと傾斜を登る。車内は高校生とスキーヤーなど、層はかなり雑多である。右手の低いところに集落が続く。灌木や雑草の多く繁る間を、ただひたすら登っていく。

 視界が開けると、牟礼。ここで一気に下車し、乗客は全体の半数程度になる。上りの快速「信越リレー妙高12号」と交換するが、当方はまったく待たず。こちら側に駅舎、という構造。「ようこそ 天狗の里へ」というフレーズが商店街の入り口に見えるが、都会の日常とはかけ離れた光景を長い時間目にしてきたせいか、特に天狗が出てきそうな気配も感じられない。すでに5時を過ぎ、外の景色も見にくくはなったが、まだ建物の輪郭ぐらいは判別できる。さらに坂を登る。雪の量もさしたることはない。

 登って開けるとそこに駅、というパターンは、次の古間でも同様。直営か委託かは不明だが、事務室に人がおり、ストーブの灯もついていた。そこそこの下車がある。

 この後しばらくは平地が続き、並行道路沿いの店舗や住宅が列をなす。再び上りに入り、ぐっと登り切ると黒姫、ここで貨物列車と交換する。駅の規模の割に、駅前にはあまり灯が見られない。もともとの地名は「柏原」で、俳人・小林一茶ゆかりの地である。

 トンネルに入り、そこを出ると、さすがに列車直近以外は何も見えなくなる。次のトンネル内で交換することを見ると、ここは複線区間のようだ。

 ふと気が付くと、だいぶん積雪がある。田のあぜ道がすべて埋まるぐらい。雪の下の地形は充分に判別できる程度ではあるが、雪国であることを忘れさせるような豊野周辺とはだいぶん違う。それだけ標高が高いのだろう。

 17時18分、妙高高原に到着。ここで客がかなり入れ替わる。私が座っている席の真正面に改札口がある。ここで16分間停車するので、いったん下車する。明日の行き先のひとつである、松本駅付近の地図がないかとコンビニを探す。コンビニであれば、たいていその都道府県内の地図を売っているからであるが、駅前にはコンビニの類は見つからなかった。車内に戻ると、だいたい1ボックスに1~2人程度の乗車となっている。上り列車の遅れのため、数分遅れて発車する。また雪が降ってくる。

 窓の外には、樹氷が美しい。そういえば、これは飯山線では見られなかった、と思う。向こうは風が強かったからか、あるいは雪が多くとも気温はそこまで下がらないからなのか。

 二本木で、列車行き違いのため10分停車。しかし雪がかなり激しく、すでに真っ暗ということもあり、下車は断念。長野行きが「後ろから」入線してくるので、あれっ、と思う。そうか、ここはスイッチバック駅だったな、と、今さらながらに思い出す。駅は、進行方向左側、突っ込んだ処にあるのだ。

 新井、北新井と、乗降客が比較的多い駅に順次停まって停まり、高田に到着したのは、18時23分。遅れは完全に回復したことになる。

 城下町・高田は、軍都としての性格も持っていた。名高い雁木は現在も健在であり、盛り場などを歩くぶんには傘も不要なのだが、自動車の発達とともに邪魔者扱いされるようになり、駐車場があるとそこだけ欠けるようになってきている。また、高層の建物の前も、やはり途切れていることが多い。

 このあたりは、日本におけるスキーの発祥の地であるぐらいで、雪の量は非常に多い。しかもベタ雪なので、ばしゃっと踏み込むと、容易に靴の中に水が染み込む。このため、ホテルを出るときには、再び登山靴に履き替える。

 テレビでは、高速道路が大雪のため不通、という報道がなされている。当方には何の関係もないことなのだが、鉄道の対雪優位性がまだこのあたりでは健在なのだな、と思う。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
55th新潟741→吉田8301924M
56th吉田844→柏崎951128M
57th柏崎1004→塚山10271333M
58th塚山1100→長岡11178391M(快速)
59th長岡1222→越後川口12461736M
60th越後川口1250→豊野1545138D
61st豊野1651→高田1823349M
乗降駅一覧
(新潟、)吉田、柏崎、塚山[NEW]、戸狩野沢温泉[NEW]、豊野[NEW]、妙高高原[NEW]、高田
[NEW]を付しているのは、この日にはじめて乗り降りした駅です。
訪問郵便局一覧
豊野郵便局(風景印のみ)

2000年3月21日
2007年2月19日、修正

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