第11日(1999年12月27日)

高田-直江津-糸魚川-松本-篠ノ井-長野-高崎-越後湯沢-新前橋-小山-安積永盛

 6時18分起床。積雪のわりに暖かいな、という印象だが、外に出て歩いてみると、実のところ、地元の人は寒そうである。考えてみれば、自宅からこんな時間帯に出歩いているのであれば、「寒い」と感じても不思議ではないはずで、やはり北海道や東北から下ってきたために感覚がかなりズレたままになっているようだ。

 高田発7時5分の電車は、長野カラー115系3連という編成で、各ボックスに2~3人程度の乗車であった。7時過ぎの「始発」列車というのはずいぶんと遅いものだが、編成は短く、また混んでもいない。高田から直江津方面への通勤客等は、これよりも早くても意味がなく、また長岡方面に行くには中途半端な時間帯になるせいだろうか。高田と直江津という二大中核地点以外の集客力がかなり限定されているのであろう。

 高速道路を越えると、春日山。対向式ホームの駅である。ここまで人家は断続的に続く。

 この列車は「直江津行き」となっているが、実際には、長岡行きに化ける。この列車に続いて、特急「みのり1号」が、直江津到着の時点で7分差で追いかけてくるのだが、果たしてどの程度乗っているものやら。朝は少しでも遅くまで寝ていたい、とはいっても、まさか高田と直江津の間だけ特急に乗る人もいないだろう。今乗っているこの電車でさえ、決して混んではいないのだ。

 直江津到着7時13分。駅は工事中であった。

 接続が10分と短いので、直江津では下車せずに、そのまま乗り換えホームへと移る。ここからは北陸本線に乗り換える。

 直江津7時23分発の電車は、なんと、特急に使われる車両、485系7連であった。グリーン車は「指定席」表示となっているが、逆にいえば指定券を買えばグリーン車に乗れるわけである。当方の乗車時間は40分弱なので、いちいち指定券を買ったりはせず、そのまま自由席車に乗り込むが、それでも、座席は堂々たるフリーストップ式リクライニングシートである。頭部カバーこそないものの、立派な「特急車」。間合い運用なのだろうが、特急用車両を通勤通学時間帯に使うとは、大都市圏では想像もできない話である。もっとも、収容力が大きい割にガラガラで、1両に10人も乗っておらず、「回送にするよりは乗せた方が良いか」という感じではある。

 外は雨が降っている。積もっている雪は凍らず、シャーベット状になっているのが見える。

 無人の谷浜駅の駅名標は、メイン部分が白で下側がブルーになっており、これまでのタイプとは異なっている。そう、北陸本線の直江津から西側は、JR西日本の管内なのである。まだ「西日本」などという印象など微塵もないが、すでにJR各社のうち3つを通ったことになる。日本地図のイメージから考えるとJR東海を先に通りそうなものだが、実際にはJR西日本エリアにまず入ることになる。ちなみに、関東地方にはいまだに足を踏み入れていない。

 右に見える海は暗く、明らかに太平洋のそれと異なるのは相変わらずだ。有間川の米原方面行きホームは、地面を掘り抜いた感じの構造になっている。積雪もそれなりにあるが、立派な瓦屋根を持つ家の方が多いことから、雪質は長岡あたりよりはだいぶんマシなのだろう。

 トンネルを出ると、名立。高校生が乗ってくる。またトンネル。海に面したところを多く通り、難工事を経て開通した区間であるが、その代償として、外の景色がなかなか見られないのが残念だ。

 高校生たちは朝も早くから元気なものだが、2人1列のシートは、じゃれ合うには都合良くなさそうだ。前から後ろをのぞく形を取ったりしているが、割と苦しそうである。ハンドクリームでお肌の手入れをする男子高校生もいる。

 筒石は、まさに「トンネルの中の駅」。照明も暗く、ちょっと怖い。興味はあるが、果たして降りる機会があるかどうか。

 能生で、かなりまとまった乗車がある。相も変わらずトンネルまたトンネルだが、狭間にのぞく日本海は、一見静かそう。

 浦本は、日本海沿岸の漁港らしい、静かで落ち着いた集落の山側にあった。ここまで家がひしめきあっているのは、都市部以外では珍しい気がする。また、集落としてもかなり大きい。というより、横に細長く、家が全く途切れない。

 8時少し前ごろになって、集落がやっと途切れ、左手には見事に雪をかぶった山が見えるようになる。

 網屋敷は、ホームに張り出した屋根を持つがっしりした駅舎の駅で、構内も広い。

 車内灯が、ふっと一時消える。直流区間と交流区間とのデッドセクションに差し掛かったのだが、外がまだ明るくないため、急に暗くなったように感じる。

 糸魚川8時2分着。姫川の河口にあたる都市である。

 ここから乗り換える大糸線は、姫川の改修工事が終わってから初めての乗車となる。大糸線の南小谷-小滝は、かなりの長期間に渡って災害で運休していたのである。なにぶん、「糸魚川・静岡構造線」の名で知られるとおり、地形的にも非常に複雑なところなのである。

 8時18分発の列車は、糸魚川駅端の方、切り欠き式ホームに停まっていた。予想どおり、相変わらずの単行ワンマンであったが、キハ52という、かなり古いディーゼルカーが使われている。急勾配と耐寒性との双方を満足する車両として使われているのだが、窓枠スペース部分がいまだに木だったり、網棚は本当に「網」を使って張られたクラシックなものであったりと、なかなかに「味」を残している。

 すでに進行方向左側窓寄りは、逆向き席のみしか残っていなかった。半自動扉は動かしやすく、また窓脇の物のせスペースも広くて良い。席を確保してから、改札外へ出る。

 改札では、「ほー…凄いね…」という程度の反応であった。

 車内に戻る。左側の煉瓦積み機関庫には、DD51と思われるベンガラ色のディーゼル機関車が待機していた。

 新潟方面行き特急「北越1号」からの接続客が思ったより多く、各ボックス3人以上という乗りになる。大荷物を持った乗客ばかりで網棚不足が深刻だが、これは地元民が少ないことを示すものだろうか。除雪車が何台か待機していた。

 発車するとすぐに左へカーブし、北陸本線とあっさり別れる。積雪はさほどないが、畑の間に貯まった水が凍っているところもある。どんよりした雲が低く、すでに結構な時間だというのに外は明るくない。車内は、ビジネスマンや高校生くらいの女の子、おばさんなどにぎやかで、意外と乗客の平均年齢は低い。

 トンネルを越えた姫川で一気に13人が下車。ワンマンカーでこれだけの客が一斉に下車すると、停車時間はかなり長くなり、運転士も大忙しである。一つ空きボックスが出来たのでそちらへ移動する。一面一線の無人駅だが、周囲の人家は多い。

 上り坂を登る。右手の山が美しい。水田のあぜ道も雪で埋まっている。

 頚城大野は、一面一線ながらもしっかりした駅舎のある無人駅であった。ここでも2人が下車する。

 人家が途切れ、水田は合間合間にある。針葉樹林が続き、トンネルへを抜けると、すぐ右手に姫川が流れる。このあたりから、トンネルくぐりが続くことになる。いくつかトンネルを越えると、チンコンチンコン…の音とともに、なんと、川を渡る橋の上で最徐行。のろのろと進んで川を渡ってから加速すると集落に入り、すぐに根知。ここで上下列車の行き違いを行い、1人が下車する。ここもワンマン扱いしており、無人駅ということなのだろう。すぐに発車する。

 左前方の進行標識に、雪だるまをかたどったものがある。何だろうか。

 左右に切り立つ崖が迫り、スノーシェルターに守られた道路が見える。トンネルの右手には姫川が見える。渡る川にはすでに土の顔はなく、すべり落ちてくるような山が煙をたてるように白色を見せつける。冷たく流れる緑色の水がコントラストを彩る。川を渡り、トンネルをくぐり、を、何度も何度も重ねる。列車が曲芸を演じているようにさえ感じるが、それだけこの地形が急峻であるがゆえの結果と見るべきであろう。

 堰が見えてくると、小滝。以前は、ここから南小谷までが長期不通を余儀なくされていたが、現在は河川の大がかりな改修工事等も終了しているので、このまま乗っていくことができる。ここで一人下車。交換可能だが、すぐに発車する。

 がっしりと両脇を固められた姫川は、以前とは別物のようである。すぐに川を渡る。時期が時期だけに水量は非常に少なく、川底がはっきりと見える。また、周囲の崖もかなり固められている。相当な大工事だったのであろう。

 また渡ってからトンネル。抜けると、木々が一世に樹氷を纏い、流れるような枝々が実に美しい。モノトーンの桜のよう、とでも言えようか。

 ディーゼルカーは、老体をきしませつつ、ゆっくりゆっくり進む。山中に雪の花が咲く様は実に素晴らしく、落葉広葉樹の方が雪とは合う。姫川にはところどころ堰が設けられているが、これも急流対策を兼ねているのであろうか。

 またトンネル。出ると川を渡り、やっと平岩に到着。一見寂れているようだが、駅前にある旅館は営業中の様子である。

 平岩は有人駅で、「白鳥岳 平岩登山口」の看板が出ている。8分間停車するため、ここでいったん外に出る。平岩駅から見ると川は左側に流れている。

 平岩駅の改札を出ようとすると、

「うわーすごいねー、鉄道生活長いけど、こんなの初めてだわー、これ書くほうも大変だったんじゃない」

とか、

「降りちゃうの?」

とか、いちいち反応が楽しい。もちろん、本数の少ない大糸線のこの区間で降りたりしては、今後の日程がかなり苦しくなってくるので、駅前の自販機で飲み物を仕入れるだけで、すぐに車内に戻る。この駅では、3人が下車した。

 ここからの乗客も割合いて、各ボックス2~3人程度の乗りとなる。今までは空が曇っていたが、ここからやっと日が出てくる。対岸には、水力発電所が見える。川とレールとの間に小公園があり、碑が建っているが、何かは判然としないし、そもそも雪に埋もれた公園に人が入った形跡はまったくない。

 再び川を渡るとすぐにトンネルへ。このトンネルがわりと長い。それにしても、地元の人はみな手袋をしている。こちらの感覚では充分に温かいのだが。

 スノーシェルターの隙間から、右手に開ける谷がずいぶん広く感じる。それにしても、このあたりの姫川はずいぶん穏やかに見える。ポコポコと岩ごとに着雪したヤツが雪玉のようだ。ちらちらと集落が見えると、一気に坂を、喘ぎ喘ぎ登る。

 地元のおばさんは、みな申し合わせたように帽子をかぶっているが、なぜなのだろうか。日差しが特に強いわけでもないし、北海道では必要そうな防寒目的の帽子というわけでもなさそうなのだが。山の木全体が、雪という衣服を纏っているようだ。

 一面一線の北小谷で5人乗車。駅をまたぐように、新しい道路橋が建設中であった。シンプルな駅舎からは、つららが針のように下がっている。下車なし。ここにも水力発電所が見える。

 右手の谷は、崖の部分にかなり横幅があるものの、その両サイドは峻険そのもの。今までかなり崩れた丘陵を見てきただけに、今にも雪塊が転がってきそうな気がする。またトンネル。

 小さな集落が見えてきて、トンネルをくぐり、中土に到着。左側に、ディーゼル機関車・DE10を先頭としたスキー専用列車「シュプール白馬・栂池」が停車していた。通常、機関車は客車の一方につけるものだが、進行方向が変わっても大丈夫なように、両端に機関車を連結する「プッシュプル方式」となっていた。このあたりは水面に比べて集落もあまり高くない。駅を出るとすぐに川を渡り、やはりトンネルをくぐる。

 川を渡ると、登り勾配をグリグリと登る。川の対岸には民家や工場が見え、それを樹氷が彩る。山の斜面は恐ろしく急で、スキーも出来るかどうか、というほどである。斜面には木が植わっているが、下手に伐採しようものなら大変なことになりそうである。

 水田が見えてくる。もちろん白一色だが、「人工の土地」ともいうべき空間がやっと出てきたわけで、なんだか安心する。

 南小谷到着9時23分。昨日の飯山線を通ってきただけに、ローカル線としての印象が一ランク下がってしまうのは否定できないものの、「川の力」をまざまざと見せつけるような路線であった。

 南小谷は、大糸線のジャンクションと呼んで差し支えない。

 南小谷以北のJR西日本区間は非電化のままであり、姫川の渓谷に挑戦するかのように絶壁を走る細道である。一両キリのディーゼルカーが行き来し、特急列車などの設定は、臨時の「シュプール号」などをのぞけばまったくない。

 一方、南小谷以南のJR東日本区間は電化され、「あずさ」などの電車特急が乗り入れ、スキーヤーや登山客を満載した電車が頻繁に走る。山麓を走る高原鉄道といった雰囲気である。

 その南小谷で、いったん改札の外に出て、「みどりの窓口」にて松本→長野→高崎の自由席特急券を購入する。この区間に特急を使うと、今日はかなり遠くまで行くことが可能になるはずである。

 南小谷9時34分発の電車は、「クモハE127系」と呼ばれる新しい車両であった。ワンマン押しボタン式の2両編成で、進行方向右側がボックス(クロス)シート、左側がロングシートという千鳥式配置を取っている。当然のように、山の並ぶ右手進行方向のボックスに席を確保する。ボックスに2~3人程度の乗り。始発駅でこれだけの乗客というのは、かなり多いのではないか。

 古いディーゼルカーとは比較にならない加速で発車する。電車の窓から見えるのは、姫川と、斜状に屹立する樹林のみ。

 次の千国で、「シュプール白馬・栂池」が停まっていた。こちらは、なんと特急形ディーゼルカー・キハ181系。豪快なアイドリング音を立てている。リニューアルされて塗色がマルーン系の色に変更されてはいたが、JR西日本で元気に走っている老兵に、なんだか元気付けられるような気もした。

 このあたりでは、針葉樹の枝一本一本にも着雪している。雪という空間の中を銀河鉄道が進んでいるかのようだ。とろとろと流れる姫川の流れには、勢いがさして感じられない。すでに標高がかなり高いためであろうが、平岩付近とは異なり、すでに左右には充分に開かれた空間がある。

 白馬大池はしっかりした駅舎のある駅。ここで、脚を引きずったスキーヤーが一名乗車。右手の山は、茶巾を広げたような形をしている。雪の中から、にょろにょろと木が生えているようだ。

 右にカーブすると、右前方に全山真っ白な山々。まるでケーキのように見える。おそらく白馬連峰であろう。とにかく、稜線が白と陰影のみで表現されているのである。

 白馬森上でかなりの乗車あり。「岩滝スキー場下車駅」の看板あり。青空とのコントラストが抜群である。

 二面三線の白馬駅で、かなりの乗車がある。長野冬季五輪の会場の一つにもなった場所で、スキー場が密集している。ドアを閉めない人が多いのは、ボタン式開閉ドアにまだ慣れていないという証拠であろう。二階建ての駅舎は大きいが、全国どこにでもある平凡なものであった。

 鋸歯状のツララをしばし見掛ける。中には、一メートルを超えるものも見受けられる。

 次第に右手の山々から、白の割合が減じていく。飯盛からはスキー場が正面に見える。地元の小学生と思われる児童たちが大挙して乗ってくる。

 神代からは、まるで風呂敷を広げたように北側が削られた斜面があるが、とうていスキーなどできる角度ではない。左手には水田が広がる。屋根の大きい家が多い。

 南神代は、ごく小さな一面一線の無人駅。キノコ状に雪を載せたものが見るが、あれは何だろうか。

 いつの間にか、雲一つない青空になる。雪と青空との二つが広がり、空が高くなったような気がする。左へと急カーブ。さっきの白馬岳が、今度は左手に見えたりする。今度は右にカーブ。

 右手には清冽な顔の青木湖が見える。青木湖は、中綱湖・木崎湖とともに「仁科三湖」と呼ばれ、フォッサ・マグナが創り出した断層湖である。

 日がよく照り、どさっ、と雪が落ちたり、びちゃん、と滴がはねたりするのがあちこちで見える。

 ヤナバスキー場前から下りにさしかかる。どうやら、このあたりが分水嶺になっているようだ。下り勾配はかなり急になる。斜面に並ぶ針葉樹はお行儀よくきれいに整列している。

 木崎湖が見えてくると、海ノ口。木造の民家のような、小さいがあったかそうな駅で、ここで数人が乗車する。湖沿いの遊歩道には自転車のわだちがあり、日常的に人が行き交っていることがわかる。

 ひたすら木崎湖に沿って進む。山は少し白いものが木々の根本に見える、という状態となり、だんだん雪の密度が下がってくる。目の前には水田が並ぶ。人家がまとまってくると、ごく簡素な新しい待合室がある信濃木崎で、若干の乗車があった。

 このあたりから、水田のあぜ道も茶色の道となり、積雪量も大したことのない水準となる。大規模に整備された公園があるが、うっすらと雪が積もっており、誰もいない。北大町では一人下車。

 ゆるい下り坂を一気に下り、大糸線沿線で最も大きな駅、信濃大町に到着。立山黒部アルペンルートの玄関口でもある。出札窓口には木を多用しており、観光客への雰囲気作りを狙っているとみえるが、ラッチは相変わらずの金属なのがご愛敬である。ここで小学生のグループほか、かなりの客が下車する。ここまではワンマン運転だったが、この信濃大町から車掌が乗り込む。3分間停車し、南小谷行きの普通列車と交換する。駅構内東側には、E127系電車が何両も留置されていた。右手の立山は真っ白で、なんだか煙か雲でも吹き出すように見える。

 すでに地面にも雪はあまりなく、日当たりの悪いところに見られるのみ。しかし山はなお続く。南大町過ぎで川を渡る。

 信濃常盤には、砂利でも運ぶような作業用車が止まる。「餓鬼岳登山口」の案内板が見える。すでにだいぶ広くなってきた盆地を、やや東寄りへと走る。

 信濃松川は島式ホームを持つ有人駅。鈍い色の瓦屋根の家が目立つ。ひたすら田畑、そしてすぐに駅。駅間距離がずいぶんと短くなってくる。もともと私鉄として建設された後に国有化されたため、駅が非常に多いのだ。

 有明で、下り「スーパーあずさ」(あちらは通過)と交換で3分停車。私は毎日のように新宿駅を利用しているため、「あずさ」という列車名を聞いた途端、急に東京に引き戻されたような気がする。地元の人同士の会話がはずんでいる。かなり幅広の川を渡る。

 穂高駅は、どっしりとした木造駅舎であった。島式ホームからはかなりの乗客があり、電車は満員の状態になる。ここも交換可能駅。柏谷町でもかなり乗ってくる。

 豊科では、全扉が自動で開閉となる。特急「しなの」381系白馬行きと交換する。ここでかなり降りるが、その分乗って来るので、結局は同じことだ。窓が開かないのに日が射し込むので、暑い。

 この駅を発車後、検札が回ってくる。例の切符を手に取ると、経路も丁寧に見ている。もちろんこれが当然なのだが、「わかりません」といった反応が多いだけに、多くの客を相手にしながらきちんと見ている点には好感を抱く。確認後、「ありがとうございます」という返事。

 中谷の木造駅舎は、なんだかそば屋を思わせる。車内の混み具合に、地元の人同士の会話でも「混んでる」という声がちらほら聞かれる。年末の休みに加え、「青春18きっぷ」の期間中、という面もあるのだろう。

 有人・交換可能駅の一日市場でも、扉は自動開閉であった。ここでもかなり乗り込む。ドア口ばかりが混むのは、特に地方部では共通に見られる現象である。乗車時間がさほど長くないので、奥まで入らない、ということなのであろう。

 梓橋も乗るのみで下車なし。左手には工場が並ぶ。発車するとすぐに梓川を渡る。

 北松本到着前に、すでに松本乗り換え案内。ずいぶんと気が早いものだが、松本駅での乗り換えパターンはかなり多い上、駅間距離が非常に短く、北松本を出てからでは間に合わないのだろう。

 松本駅に到着。やっと混雑した電車から解放され、うーん、と背筋を伸ばす。冷たい空気がすがすがしい。

 次の列車までは30分ほど時間があるので、いったん下車し、松本駅前郵便局に足を運ぶ。結局これが、本日唯一の郵便局訪問となった。

 松本からは、篠ノ井線を通って長野に向かう。この区間では、特急列車を使うことにする。長野と名古屋を結ぶ幹線ルートのため特急の便が多く、また長野から先では新幹線に乗ることが確定しているゆえ特急料金が割引になるという判断もある。

 長野行き特急「しなの11号」は、4分ほど遅れて、12時4分に松本駅を発車した。383系電車の10両編成で、2列シートにそれぞれ1~2人ずつ座る程度の乗車率である。例によって、禁煙自由席車に乗り込む。

 川の東側を走る。白い山並みはやはり美しい。昼間という時間帯のせいであろう、背広姿のビジネス客が多い。二本の川が合流し、広大な川原が見渡せる。並行道路の車を次々と追い越す。左手の山々が意外と離れない。

 明科で40秒ほど運転停車をするが、行き違いすることもなく発車する。列車は若干遅れているはずなので、なぜ止まったのかはよくわからない。ここから線路は一気に右へ、山々と別れてトンネルに突入。急勾配も左へカーブしながら下る。

 黒塗りの木壁をもつ西条でも運転停車する。ここで、欧風にアレンジされたイベント用客車と行き違う。

 ふと気がつくと、雪などどこにも見えず、ひたすら水田が広がるというのどかな空間に囲まれる。検札が来て、席番と区間をマメにチェックしている。特急の検札かくあるべしと思うが、今回の旅を始めて以来、特急での検札はこれが最初だったりする。

 聖高原を過ぎての左大カーブも、体をくねらせてスイスイ進むのは快適。下り勾配の急な冠着は、雑木林の中の駅であった。

 「日本三大車窓風景」の一つと数えられる姨捨からの眺望はやはり良いが、右側に座る人がカーテンを閉めているので見えない。やむなく、通路に立って眺める。信濃川をはさんで長野盆地が一望できる。天気が良くて良かった、と思う。車内がさほど混んではいないからできる芸当であるが、あまり車内をうろちょろするのは気が引けるので、ほどほどにして席に戻る。

 ここから、下り勾配がえんえんと続く。スイッチバックの健在な駅が多いが、特急は意に介せず進む。リンゴ畑と水田との中を快走する。

 ラッセル車や機関車などが左手に沢山見えてくると、しなの鉄道との乗換駅である篠ノ井。しなの鉄道は、長野新幹線開業に合わせて、JR東日本から分離された在来線を引き受けた第三セクター鉄道であるが、駅やホームが共通であるばかりでなく、車両がJR東日本と同じなので、違う会社同士の接続駅という雰囲気はまるでない。しなの鉄道への乗り換えか、割と多くの人が降りる。上り「しなの」と交換する。上りの長野新幹線が駆け抜けていった。

 右手に高架橋、左手にはリンゴ畑という景色が続く。工場もちらほら。篠ノ井から複線に入り、本領発揮といわんばかりに、特急電車はものすごいスピードで飛ばす。チチブセメントの工場が見える。

 犀川を渡る。ところどころ、左全面の岩肌が削られている。

 12時57分、長野着。

 長野からは、長野新幹線に乗り換える。正確には「北陸新幹線」なのだが、長野までしか通じていない新幹線をつかまえて「北陸」もなにもあったものではないので、この通称が定着してしまったが、上越まで開業したときにはどうなるのだろうか。「上越新幹線」というわけにもいかないだろうし、かといって上越を「北陸」というのも相当に無理があろう。もっとも、先のことを考えたところでせんない話で、現時点ではともかく「長野新幹線」で良かろう。

 いったん改札の外に出る。出るとき、そして再び入るときの双方で驚かれるが、特に新幹線改札口の方では、「ご苦労様です」などなど、かなり仰々しい反応が返ってきた。

 ホームには「乗車列」表示がきちんとなされ、山形で抱いたような不快な思いをすることはなさそうである。

 「あさま518号」は、8両編成で、先頭の禁煙自由席車には12人が乗り込んだ。13時32分の発車と同時に、キヨスクで買った缶ビールを空けると、他にも「プシュッ」という音が、別の席から二、三聞こえてくる。列車の発車と同時に缶を開けて祝杯、といきたくなるのは、ごく自然なことなのかも知れない、などと思う。

 先ほど「しなの」車内から見てきたのとほぼ同じ場所を、今度は高所から逆方向に見る。篠ノ井あたりからぐんぐん加速する。さすがは新幹線、朝に乗ってきた大糸線ののんびりぶりなどを思うと、その迫力に圧倒される。住宅がずっと続く。

 トンネルを越え、左にカーブ。工場が見えてくると、もう上田である。早くも、デッキへと出ていく人がいるが、間もなく席に戻ってきた。携帯電話を使いに行っただけのようだ。上田での乗車は割と多く、先頭車で6人。駅前ガスタンクに、アニメ絵が描かれている。真田の里にして菅平や塩田平への玄関口でもある。

 またもトンネルを抜け、人家がバラバラと点在するようになると、広大な田園風景が広がる。千曲川とはぐいと離れている。

 小海線との連絡駅として新幹線開業時に新設された佐久平からは、4人が乗りこんでくる。佐久平は、小諸とライバル関係とでもいうべき存在である旧宿場町、岩村田地区に設けられた駅で、上田とは異なり旧信越本線とは大きく離れている。信越本線の開通に伴い水をあけられた小諸に対し、こんどは新幹線の駅を置くことで、立場を逆転させた感がある。ここで検札があり、老車掌は「うわーすごい…駅の人も大変だったでしょう」という。この車掌から、上越新幹線の自由席特急券を買っておく。

 さらにトンネルを出ると、「いかにも別荘でござい」という顔ぶれの家々、そして白樺が出て、間もなく軽井沢に到着する。言うまでもなく、日本を代表する別荘地である。先頭車では、下車1名、乗車3名。新幹線開業を契機に造られた無機質極まる駅舎は、軽井沢という街に果たして合っているのかどうか、と思う。上田や佐久平と異なり、追い越し設備や対比施設なども備えられている。

 軽井沢からは、ずっとトンネルである。相当に坂を下っているはずなのだが、勾配がサッパリわからない。

 右手前に街が見えてくる。関東平野に戻ってきたことを示すのであろう。いや、最長片道切符の視点でいえば、やっと「関東に入った」というのが適切だ。

 14時22分、高崎に到着。長野新幹線に乗ったのは初めてではないが、やはり長野をつい50分前に出たばかりということもあって、ここが高崎といわれてもピンとこないものはある。

 高崎からは、上越新幹線に乗り換える。今日のルートでは、両毛線を通って東北本線へと出るのだが、高崎-越後湯沢間は、在来線と新幹線とが別線扱いとなっているため、高崎-(新幹線)-越後湯沢-(在来線)-新前橋というルートをたどることができる。この区間の上越新幹線など、トンネルの中を走るだけで面白くも何ともないのだが、「最長片道」の指定するルートである以上、やむを得ない。それに、帰りの上越線は、昼間に乗ったことがいまだにない。これがいい機会である。

 いったん改札外へ出て、駅構内併設書店に立ち寄り、すぐに戻る。入出時とも、特段の反応はない。

 14時31分高崎発の上越新幹線は、二階建て新幹線「MAX」だというのに、1、2階とも全席に着席しており、通路にまで人がいるというありさまである。乗車時間はわずかで、車窓も楽しみようがない区間なので、デッキで立つことにする。これだけの人が乗り込むのであるから、あらためて冬の上越新幹線に対する需要の高さを感じる。MAXということもあってデッキが広めに取ってあったのは、幸いと言うべきであろうか。

 しばし住宅街の中を走り、長野新幹線を分ける。目の前は自販機の群なのだが、横長なので、モルグか何かのように見える。その前に「べったり座り」が4~5人たむろしている。どうも、ほくほく線連絡のために混雑しているらしい。

 しばらくすると、トンネルにはいる。もうあとは暗闇の中をただひたすら邁進するのみだ。

 越後湯沢到着、14時57分。かなりの乗客がここで下車する。山のすぐ脇に作られたホームの上には、大きな屋根が覆っており、ずいぶんと暗い。ここで降りるのは二度目だが、最初の時も「暗い」という印象があった。今回も変わっていない。

 越後湯沢でも、例によっていったん改札外に出て、在来線改札へと改めて足を運ぶ。

「へー、7万4千円! 団体じゃなくて!」

という反応。確かに、実際の経路もさることながら、運賃のみでこれだけのものになるというのは、常識で予測可能な範囲を超えているであろう。

 高架のホームで待っていたのは、新潟で使われていたのと同様の塗色の115系3両編成であった。15時6分、越後湯沢を定刻に発車する。各ボックス2人程度の乗りである。

 左側の山は真っ白に連なり、粉を振っているような表情を見せる。さすがに積雪は多く、田のあぜ道はすっぽり隠れている。だいたい6~70cm程度の積雪であろうか。

 白一色の中、「前橋けいりん」の看板が見える。このあたりで競輪となると、前橋まで行くことになるのか、と思う。

 岩原スキー場前は、元・臨時乗降場とは思えない結構の待合室がある。駅前がすぐにスキー場というわけではなさそうだが、ここから数人のスキーヤーが乗り込んできた。左へとカーブし、ぐいぐいと登る。絶壁の渓谷かと思いきや、意外と盆地が広い。

 一方、越後中里は、まさに駅前がスキー場となっている。ここで降りるスキーヤーも多い。スキー場にブルートレインの寝台車が存置されている。待合室か何かに使われているようだ。さらに雪の量が多くなる。

 トンネルを出ると、山の峰々が同じような高さに並んで見える。無人駅の土樽の待合室には、2メートル近いつららが下がっていた。

 しばらくウトウトとし、気がつくと、トンネルから谷間へと放り出されるような湯檜曽に到着していた。角度の大きい屋根を持つ鉄筋コンクリートの駅舎が、やや威圧的な感じである。

 水上到着は、15時45分。ここで大半の列車が乗り換えとなる。

 水上での接続時間は10分ほどである。ホーム乗り換えなので、さほど焦る必要はないはずなのだが、すでに接続列車はホームに入っており、しかもすでに割と客が乗り込んでいる。しかも、こちらと同じ3両編成なので、必然的に座席の取り合いが発生する。到着した列車のドアが開くや、いきなり乗り換え客がダッシュ。こちらも負けじと走り、何とか進行方向右側の窓脇の席を確保できた。115系、ヘッドレストなどを改装した改造車であった。立ち客まで出ているが、3両編成ではあまりにも短いのではないか。席を確保してから、この駅では健在であったホームの水飲みで喉を潤す。

 水上発車は15時56分。発車間際、下り線をコンテナが通過していった。

 上越線沿線最大規模の温泉街を見ながら、トンネルを通過すると、右手に河岸段丘がくっきり見える。明確な段差があるが、土地利用は必ずしも明確ではなさそうだ。

 川に沿って一気に下っていく。かなり大きい石がゴロゴロしている。次第に、線路は低所へ低所へと進む。

 すでに太陽は西の空へと沈みつつあり、次第に景色が赤みを帯びていく。

 後閑で、地元客が少し降りるが、所詮は焼け石に水で、まだまだ混んでいる。2面3線という典型的な構造の有人駅。左手に見える赤い山々は、もはや雪のかけらもない。ここで「新特急谷川」とすれ違う。

 だんだん家が増えてくると、沼田。地下道があるタイプの駅で、乗降ともにそこそこあり。川を渡ると、切り通し、そしてトンネル。このトンネルを出ると、ひたすら下り、川より二段階ほど高いところまで下り、またもトンネルである。

 東京電力の水力発電所がすぐ脇にある岩本を過ぎる。蛇行する川が刻む崖は一見の価値があるが、線路はトンネルでショートカットする。

 赤い夕陽に木々が影絵を描くようになると、津久田。さして広くはないホームにはススキが揺れていた。このあたりにくると、みな疲れて寝入ってしまっているが、ただ一人、元気なお子様が走り回っている。親は眠りこけている。注意しようかとも思うが、こちらは窓側の席で、多少声をかけたところでかえって迷惑なだけである。

 川がうねうねと蛇行し、その結果太い河原を作るようになると、次第にビニールハウスが目立ってくる。街へと向かって右へカーブを切っていくと、渋川。レールが左へ右へと曲がるため、谷川岳の白い山が、いっとき右後方に見える。ここで、そこそこまとまった下車客がいるが、わが最後部車は相変わらずの混雑。

 新前橋着、16時47分着。この列車は高崎まで行くが、最長片道切符の旅行者は、ここで両毛線に乗り換える。

 新前橋で、いったん途中下車し、コンビニエンスストアで食糧を確保しておく。また、雪でスケジュールが乱れる可能性を考えて予約してこなかった宿の予約を、ここで入れる。

 17時6分発の電車は、105系3扉のロングシート車4両編成という、何の変哲もない電車であった。座席は完全に埋まっており、空席などあろうはずもなく、しばらく立つことになる。

 川を渡る。橋がライトアップされている。もはやすでに外を見ても、灯火なしでは何も見えないのと同じだ。

 県庁所在地の前橋で乗客の半分近くが入れ替わり、混雑の度合いは大差ないどころか、かえって混んでくる。ちょうど夕方の通勤時間帯に入っているためであろう。

 銘仙織物で有名な伊勢崎でかなりの客が下車し、立ち客はドア脇のごく数人のみとなる。全体が見渡せるというのは、圧迫感がなくてよろしい。降車客の多くはおそらく東武線への乗り換え客であろうし、また前橋への通勤客が伊勢崎市内に多く住んでいるという面もあるのだろう。

 座っている場所から見ることのできる対面の窓に映るのは、闇と、流れる灯のみで、それらは形を成していない。目に見えるものには興を感じないので、駒形を過ぎたあたりからMDを聴く。手元には、新前橋のコンビニで仕入れた弁当があるが、さすがにロングシートで弁当を食べる気にはなれない。

 岩宿でまとまった乗車があり、ロングシートに半分程度の乗車になる。それでも、伊勢崎で一気に空いたため、さほどの混雑でもない。

 桐生では乗降ともほぼ同数。結局車内は閑散としているが、シートの暖房が強すぎて、尻が熱い。地元のおっさん同士の会話は全然聞き取れない。新潟や長野に比べて東京にずっと近いというのが、信じがたいことのような気がしてくる。

 足利では、若干の下車客に比し、乗車の方が多いが、それでも空いている。みな、疲れているのであろう、大半の人は寝ている。両毛線は単線で、列車交換も当然行われているのだが、交換待ちの時間は皆無に等しい。なかなか巧妙なダイヤである。

 ラーメンで有名となった佐野では、降車は割とあるものの、乗車がそれを上回り、ロングシートがほぼ埋まる。なかなかに味のある駅舎を持つ駅であり、高架化工事後の行く末が気にかかるが、少なくともこの時点では健在であった。

 大平下は交換可能のようだが、本屋側以外のホームには照明がなく、跨線橋もふさがれていた。撤去はされていない様子。隣席に座っている少年が、NECのモバイルギアをパチパチと叩いている。うるさくはないので鬱陶しさはないが、どことなく野暮ったい客層が多い雰囲気の中で、浮いているのは確かである。

 やたらと明るい施設が見えたと思ったら、自動車教習所である。ほどなく栃木。ここでは、高校生が大挙して乗り、立ち客が出る。車内もずいぶんと賑やかになる。駅前にはプレハブの建物が多く、高架化工事が近いことをうかがわせる。まだ駅舎はそのまま使われている模様。

 高校生と通勤客とを乗せ、小山着18時34分。高架下の両毛線ホームに入る。

 小山での接続はわずか6分である。この駅は妙にホームとホームとが離れていて、駅の規模の割にはずいぶんと乗り換えに時間が掛かるので、駆け足で移動する。途中下車をしている暇はさすがにないが、時間にはそれなりに余裕をもって待機できた。

 18時40分小山発の電車は、湘南色113系の、ごくオーソドックスな車両。1ボックスに1~2人程度の乗りだったが、駅ごとにどんどん降りていく。しばらくするとガラガラになった。

 久々のボックスシートということもあって、ここでコンビニ弁当を食べる。食べ終わると、もう宇都宮で、19時8分着。

 宇都宮で、例の弁当ガラを捨てようとすると、ゴミ箱が使用禁止となっている。これはどうしたことか、と、ゴミ箱を求めて右往左往することになる。と、数日前、成田周辺で、駅のゴミ箱に時限発火装置が置かれていたという事件があったことを思い出す。おそらく、この事件を受けた犯罪警戒の結果なのだろうが、新潟や長野ではこういったことは見なかったので、戸惑う。まさか車内に放置しておくわけにもいかないし、このまま宿泊先の郡山まで持っていくというのもぞっとしない。改札係員氏に相談し、その了承を得たうえで、封鎖されているゴミ箱の脇に置いておくことにする。

 ここから乗る電車は、先ほどと同じ、湘南色113系の7連で、各ボックスに2~3人程度の入りである。宇都宮19時16分発と、通勤帰りとしてはさほど遅い時間帯ではないのだが、意外にも空いているものである。

 次の岡本でかなり降りる。車扱コンテナの上り貨物列車が通過していく。氏家での下車も多い。

 矢板は二面三線の駅。さすがにここでの降車は非常に多い。宇都宮からちょうど30分、このあたりまでは問題なしの通勤圏であろう。駅前のクリスマスツリーには、いまだにイルミネーションが飾られているが、さすがに違和感を抱く。

 野崎は、なんと無人であった。時刻表には「みどりの窓口」設置の表示があることから、夜間だけ無人になるのだろう。

 左に新幹線の高架橋が見えてくると、西那須野。残っている人の半分以上はここで下車。前に座っていた人もここで降りる。

 那須塩原でもそこそこは下車し、車内はすっかり閑散とした状態で、終点の黒磯に到着。

 すでに夜の帳はすっかり降り、真っ暗な状態である。黒磯駅も市街地とは離れたところにあるため、駅前はずいぶんと寂しい。直流と交流とのジャンクションとなっているため、駅員は多く人の気配はあるのだが、駅から離れると暗闇しかないようにさえ感じられる。

 ここから乗り継ぐ列車は、20時39分発の郡山行き電車で、451系急行型電車の6両編成であった。こんな時間帯の6両編成というのも不思議なものであるが、通勤客を満載したのちの帰りなのだろうか。跨線橋をわたり、あまり人気もない下りホームに停まっている電車に乗り込むが、車内は2~3デッキに一人という有様である。

 発車後、左手に機関車がたくさん止まっているのが見えるが、駅を離れると、あとは闇が後ろへと流れていくに過ぎない。実際、灌木ばかりで何もない風景なのだろうが、人家の灯すらないため、途方もないところを走っているような気になってくる。それでなくても夜遅くなり、どことなく人恋しくなってもいる。早く目的地について欲しい、などと、柄にもなく思う。

 車内放送で、携帯自粛要請があるが、その理由に「補聴器やペースメーカー」というのは、がらがらの車内ではあまりにも滑稽であろう。「寝てる人もいるでしょうし」ぐらいの柔軟な放送の方が良いと思うのだが。

 車内は客そのものが少ないので静かだが、車内で何やら食っている若者の一団がおり、その一角だけが賑やかだ。うるさいという気にならないのは、やはり寂しさが先に立っているからかもしれない。

 眠るでもなく、何をするでもなく、がら空きの車内で、足を向かい側のシートに投げ出してボーっとしてると、この喧噪とは無縁の空間にいることが、今度は次第に心地よさへと転じていく。人の気配など微塵も感じさせない小駅にひとつひとつ止まりながら、それまで感じていた寂しさといった感情が、不思議と溶けるように流れていった。

 しかし、比較的賑やかな須賀川を過ぎると、そろそろ、この「心地よさ」とも分かれねばならない。

 安積永盛に着く。水郡線との分岐駅で、「最長片道切符」のルートを忠実にたどれば、ここから水郡線に乗り換えなくてはいけないが、こんな駅で降りてもどうしようもないので、次の郡山までまっすぐ進む。

 大都会にさえ思える街並みが見えてくると、郡山到着21時44分。一昨日にも来た駅だが、ずいぶんと印象が変わるものである。昨日泊まった高田とは異なり、駅前にひとかけらの雪もないのが嬉しい。

 駅からほど近いビジネスホテルに身を横たえると、どっと疲れが出てきて、すぐに眠ってしまった。明日はいったん家に戻る予定であり、いわば旅程前半の最終日でもある。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
62nd高田705→直江津7131329M
63th直江津723→糸魚川8025534M
64th糸魚川818→南小谷923426D
65th南小谷934→松本1133338M
66th松本1204→長野12571011M(特急・しなの11号)
67th長野1332→高崎1422518E(新幹線・あさま518号)
68st高崎1431→越後湯沢1457321C
(新幹線・MAXあさひ321号)
69th越後湯沢1506→水上15451738M
70th水上1556→新前橋1647744M
71st新前橋1706→小山1834469M
72ne小山1840→宇都宮1908639M
73rd宇都宮1916→黒磯2009635M
74th黒磯2039→郡山21442153M
乗降駅一覧
(高田、)糸魚川、平岩[NEW]、南小谷、松本、長野、高崎、越後湯沢、新前橋、黒磯<、郡山>
[NEW]を付しているのは、この日にはじめて乗り降りした駅です。
訪問郵便局一覧
松本駅前郵便局

2000年7月3日
2007年2月19日、修正

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