第12日(1999年12月28日)

安積永盛-水戸-新松戸-南浦和-赤羽-池袋

 早暁6時25分に目を覚ます。場所は冬の盆地ということもあり、明け方はかなり冷え込みが激しいのだが、雪がまったくないというだけで受ける印象はかなり違う。なにせ、足下にいちいち気をつけることなく歩けるので、ずいぶん楽なのだ。

 ホテルを出るとともに体が心地よく引き締まる。今日で、「最長片道切符の旅」前半にひとつの区切りをつけることになっているので、精神的にも、やや襟を正す思いになる。今日は、ここ郡山から、水郡線に乗って水戸へ行き、常磐線で首都圏まで入る予定である。

 まだあまり人の多くもない郡山駅の自動券売機で、安積永盛までの乗車券を購入し、改札内に入る。東京への新幹線通勤客も多いかと思ったが、意外と姿は見ない。

 郡山駅の水郡線ホームは、やや脇に追いやられるように、隅のほうに切り欠き式ホームとして設置されていた。ちょうど、昨日の糸魚川駅大糸線ホームのような感じである。ローカル線ゆえの待遇ともいえるが。「水」戸と「郡」山とを結ぶ水郡線は、阿武隈高地の盆地を縫うようにつないでいるため、さほど急峻な箇所を走るわけではないにも関わらず、大雨が降ると不通になりやすい。また、沿線は農村がひたすら続くこともあって車窓の変化に乏しく、眠気を惹起しやすい路線でもある。列車に乗ってさえいればそれでいいという、かなりシアワセな人間であると自認する私であっても、この路線を一睡もせずに乗り通せる自信はない。退屈は退屈で良いのであって、決してつまらない、というわけではないのだが。

 車両は、二連のワンマンディーゼルカーで、車内は二列+一列シートであった。ボックスの形状を維持しつつ、通路を広くして通学需要に対応させるという、やや苦しい発想である。早朝、それも地方中核都市を発する列車ということもあって、各ボックスに1~2人程度の乗りに過ぎない。

 雲ひとつない快晴のもと、日差しを受けつつ列車は発車し、まずは東北線高架上を走る。右に、青や茶の古典的な貨車が並んでいるのを、そして左にもコンテナや石油等の各種貨車が休んでいるのを視界に捉える。

 新幹線の高架を過ぎた時点で左へ分かれ、安積永盛に停車。ここが東北本線との分岐点で、郡山-安積永盛は、実質的には東北本線と水郡線との重複区間といえる。少し淀んだ川を渡り、霜のおりる水田を見る。遠くまで広がる田園風景は、これから先も続くことであろう。

 磐城守山は一面一線無人。シンプルで色は鮮やかな、新しい待合室のデザインが楽しい。背景の色合いが単調であるだけに、やや浮いた雰囲気も感じられるのではあるが。

 切り通しを過ぎたところにある谷田川では、無人のホームに高校生が多くたむろしているし、続々と駅へ駆け込んでくるのだが、皆が皆、はさんで反対側のホームへと移動していく。郡山方面の学校に通うのだろう。むこうは三連だが立ち客もいっぱいおり、こちらとは雰囲気がずいぶん違う。

 屋根の大きな家が多い。橿原神宮前の駅舎を、ふと思い出す。

 一面一線の小塩江は、交番のような小待合室があるのみで、人の気配はほとんど感じないが、駐輪場に置かれている自転車の数から見て、割と利用客はいるようだ。

 ベンガラ色の古い駅舎をもつ無人駅、川東で、かつぎ屋のお婆さんが乗ってくる。当方以上の荷物を担いでいるのだが、あの身体でよく持てるものだ、とも思う。

 さらに下り、新しい平地が開ける。この繰り返し。泉郷は、その平地の真ん中に位置する駅である。

 ここで尿意を催したので、列車のトイレに入ると、トイレ内がタバコ臭い。車内は全面禁煙になっているせいか、トイレ内で一服、という不届き者がいるようだ。不快である以前に、危険だと思うのだが。

 ここ数駅、高校生がパラパラと乗ってくる。テキストやノートを広げている娘もいる。もう期末試験はとうに終わっているので、受験勉強だろうか。こういう列車に乗っていると、通学環境が良さそうに一見思えるが、指定された時間以外の移動は困難でもあるわけで、難しいところである。

 野木駅の駅舎は、JA支店と同じ建物になっている。本当の「間借り」で、待合室というより、ただの玄関を拝借しているだけ、という方が適切かもしれない。

 駅前駐車場、ホーム屋根など、有人駅としての機能を備える磐城石川で、交換待ちのために4分停車。主要駅ということを反映してか、ここで客の三分の二以上が下車する。かわりに少し乗ってはくるが、もともとさほど混んではいなかった車内がガラガラになる。下り列車からはかなりの高校生が降りてくる。コート姿が多い。むこうは3連で、席はほぼ埋まっているようだ。

 里白石は、磐城守山のような斬新なデザインの待合室。駅前は閑散としている。

 人家がかなり密集してくると、磐城浅川。高校生や地元の人が多く乗ってくる。町の規模はそれなりにあり、駅務室も使われている気配があるが、無人駅扱い。簡易委託なのか、あるいは駅舎を他の目的に利用しているのか。

 坂をどんどん下り、切り通しを過ぎ、さらに一回り大きな集落にはいると、有人駅の磐城棚倉に到着する。ホームは島式で屋根付き、跨線橋を備えており駅本屋と繋がっているという、なかなか本格的な設備を整えた駅である。やはり乗客の相当数が入れ替わる。川東で乗ってきた、かつぎ屋の婆さんがここで降りるが、ヨロヨロ歩いてホームの柱にぶつかったりと、危なっかしい。ホームには「のりかえ 白棚線」という案内があるが、戦前に鉄道線として白河と棚倉とを結んでいた「白棚線」の衣鉢を継ぐ形となっているJRバスの路線名である。駅すぐ左脇の川には、ちょっとした公園が新しく整備されていた。

 中豊は、道路脇のごく狭い小駅だが、降りる人も結構いる。停車してから、2両目の座席を立ち、ゆっくりと1両目先頭の運賃箱へと足を運ぶ人もいて、発車までには割と時間がかかる。軒先に材木を転がしている家が多い。

 磐城塙で、私以外、後部車両に乗っていた全乗客が下車し、乗客は2両合わせて一桁となる。銀傘を数枚合わせたような屋根を持つユニークな新しい駅舎で、他の施設と共用しているものと思われるが、公民館か何かに使われているのであろうか。

 東館で、登山姿をした、60歳前後と思われる夫婦が乗車。最初は地元の人かどうか判別できなかったが、景色がどうのこうのといっているところを見ると、おそらく違うのであろう。ここから谷が少し狭まり、斜面に沿って走る。相変わらずの下り勾配が続き、蛇行する久慈川に沿って走る。時折見える岩肌が生々しい。

 風格のある矢祭山駅は、以前と雰囲気はまったく変わっていなかった。ここも、赤茶系の色を帯びた屋根をもっている。駅前はさびれており、「みやげ」の看板を出す建物の中には、自販機が置かれているのみだったりする。発車後、車掌が車内を歩くが、いつ乗りこんだのかは不明である。

 この先、福島県から茨城県へと入るが、通常の県境越えとは異なり、分水嶺を越えているわけではなく、いつの間にか隣の県に移ったに過ぎない。水戸近郊をのぞけば、どこもかしこも似たような雰囲気を見せる水郡線ならでは、という感じもする。

 線路の形状から「昔は交換可能だった」ことがはっきりとわかる下野宮には、新しい木造の駅舎があった。駅務室らしいものもあり、簡易委託駅かもしれない。

 この先、二つの川が合流、岩肌の間を縫うように、しかしゆっくりと流れる。蛇行も割と激しく、河岸段丘ができている。深い切り通しがあり、林の中を抜ける。

 常陸大子、9時2分着。温泉などを抱える奥久慈渓谷の中心地である。

 常陸大子の改札を出ると、「はー、7万…円、すごいね」など、方言でいろいろ言われるが、さっぱりわからない。感情表現は地元言葉で、ということなのだろうが、北関東の言葉は、私にはまったく聞き取れないのである。

 地方の駅としてはなかなかに立派な、そして古いながらもモダンな駅舎を抱えた常陸大子の駅前には、タクシーがいっぱい停まっており、また列車に接続するバスが何台か走っていく。駅にはコンビニエンスストアが併設されるなど、これまでの水郡線各駅に比べ、ひと回り大きい規模を誇っている。次の列車までの待ち時間は40分あるので、この時間を活用して郵便局へ足を運ぶ。

 常陸大子9時42分発の列車は、先ほどと同様の2連ワンマンのディーゼルカーであった。各ボックスに2人程度の乗りである。

 角の取れた石がゴロゴロしている久慈川に沿って進む。袋田は、木造の古い駅舎があたたかげ。もちろん無人かと思いきや、隣接して山小屋風の新しい駅舎があった。やや狭い谷の中、川と線路とが仲良く並ぶ。ここで、トンネルに突入。

 上小川で、7人が乗車する。ここもまたログハウス調の大きな駅舎であるが、一見して「借り物」とわかるスタイルでもある。こんな駅舎でも、年月を経れば、常陸大子のようにそれなりの貫禄を見せられるのだろうか、と思う。

 西金もログハウス調。右側には砂利の山と、それを積む貨車(ホキ)が待機中であった。

 交換可能駅、下小川には、典型的な横長の平屋駅舎で、「斬新」な駅舎が目立つ水郡線の中で、なんだかホッとする。ここで数人が乗り込む。すでに日は高く、はめ殺しの窓ガラスから差し込む陽光を全身に受け、こたつで丸くなるネコ状態である。

 山方宿で若干降りるが、それを上回る乗車あり。行き違いのため3分停車。ここも木材を多用した駅舎である。相手は、堂々4連の編成で、1ボックスに1~2人程度が乗っている。さほど大きい町にも見えなかったが、この駅で席の多くが埋まる。

 玉川村から右手に集落。少し高いところを進む。左右が一斉に開ける。

 どんどん人家が増え、道路の下をくぐり、右にカーブすると常陸大宮。やはり風格のある駅舎をもつ有人駅。若干降りるが、それよりはるかに多い人数が乗る。有人駅なので、後部車両への乗車も割とあったようで、結果的に乗客は分散した模様。交換可能だが、交換せず。発車後は、再び水田と雑木林という風景に戻るが、このあたりは、もう水戸の通勤圏に入っているのであろう。

 何やら曰くありげな駅名をもつ静は、深緑の鉄枠の上に赤い屋根を載せただけの、「玄関」のみの駅。見た目はさっぱりしているが、雨はしのげても風はしのげまい。

 瓜連での乗車もかなりのもので、立ち客がどんどん増える。駅舎には人がいたが、職員か委託は不明。発車後、左手に茶畑が見える。気候が温暖なことを示しており、もうこんなところまで来たか、と思う。昨日は大糸線、一昨日は飯山線の列車に揺られて雪まみれになっていたのが嘘のようだ。

 常陸太田方面への支線が分岐する上菅谷には、さすがに乗り換え客がかなりおり、ここからは立ち客も出てくる。左に材木工場、駅前駐車場や大規模な駐輪場などがあり、いよいよ都市圏の空気を感じる。駅にはハボタンが色とりどりに植えられていた。「水郡線花いっぱい運動」というフレーズも見える。

 広い那珂川を渡り、深い切り通しを走ると、水戸の市街地へ入っていく。家々に上からにらまれているような感じがする。終点の水戸には、10時57分に到着した。

 水戸からは、常磐線に乗り換える。岩沼からいわきまでの常磐線にはすでに乗っているが、いわきから、新潟、長岡、糸魚川、松本、長野、越後湯沢を経由して、やっと水戸に戻ってきたことになる。

 今度の列車は、なんと415系3扉の11両編成である。2両程度が当然、という路線を多く乗り継いできた目には、ボックスシートの車両が11両も連なっている様は、まさに壮観である。時間があるので駅の立ち食いそばを食べるが、どうも今ひとつ。

 各ボックスに1人ずつといった乗車率で、11時28分に発車する。左手に、JR貨物水戸機関区が見え、機関車が大量に待機していた。右手には、ディーゼルカーやコンテナが休んでいる。

 梅の時期だけ駅として開業する臨時乗降場、偕楽園を通過する。左手にはウメの木、右手には小山の上に神社がある。ずいぶん暖かくなったと自分では思っているものの、もちろんウメの時季にはまだまだ早い。

 ひたすら宅地の中を進み、赤塚。新しい橋上駅舎が建設中のようで、駅前の再開発もあわせて行われている。発車メロディはJR東日本の標準版であった。

 古典的な駅舎を持つ内原の直前で、下りの「フレッシュひたち」とすれ違う。松本から、長野、高崎、郡山とまわってきたが、いよいよ東京に近づいていることを実感する。駅近くには、古い蔵を備えた家がある。

 小山へ向かう水戸線を分岐する友部駅はずいぶん広く、貨車も留置されている。この規模の駅にも自動改札が入っているのには驚いた。周辺は住宅がびっしり並んでいるが、ほどなくして、畑、民家、雑木林が交替しながら登場するようになる。

 常陸国分寺跡のある石岡には、右手に鹿島鉄道のディーゼル機関車や新旧気動車が休んでいる。ここでの乗客は割合多いが、乗り換え客の比率がそう多いようには思えない。

 土浦で、かなり乗客が入れ替わり、相当な下車客も出るが、乗るほうも多い。このあたりは、すでに首都圏と呼ぶこともできよう。

 ひたち野うしくでずいぶん長時間止まる。吹き込む風が冷たい。1985年に臨時乗降場「万博中央」駅が設けられた位置に作られた駅だが、つくば科学万博開催時に訪れた際のバスターミナルは、構造をそのままにして駅前広場を形成していた。超満員の中距離電車でこの地まで揺られ、そこから連接バスで科学万博の会場へ向かったことを思い出し、あれからすでに15年も経ったのか、と思う。

 牛久での乗車もかなり多い。ここからしばらく住宅が途切れ、田畑の方が多くなる。駅間距離が長いせいか、駅を核として住宅地が点在しているように見える。

 関東鉄道竜ヶ崎線が分かれる佐貫では、やや乗車が多いが下車もそれなりにある。駅左側の客車使用カフェ「PLATTO」は現在も営業中であった。

 小見川を渡ると、左に工場、右手に住宅が並ぶようになり、やがて藤代に到着する。世間で「厚底靴」と呼ばれるような、おいらん靴を足に結わえた娘が増えてくる。駅から離れると、人家が途切れ、また工場が左右に並ぶ。ついで田畑、再び住宅が増える。これの繰り返しである。

 取手にくると、もう文句なしに東京近郊である。高架駅からどっと乗ってくる客によって、席は完全に埋まる。ここからは関東鉄道常総線も分岐しており、駅前は高層建築ばかりである。

 利根川を渡る。河川敷は駐車場になっている。

 営団地下鉄千代田線の車両とすれ違う。私が住んでいるのは小田急小田原線沿線で、毎日のように見ている車両だけに、いよいよ自宅が近いことを実感する。北海道から東北あたりをのたくっていたころから思うと、戻ってきてしまったんだな、と、当たり前のことをあらためて思う。もちろん、旅の終わりに向かっているのではなく、まだ中間点ともいうべき段階なのであるが。

 柏着12時59分。頭上に大きい駅舎が覆い被さる、大都市圏ではごく平凡な、しかし大きい駅である。私が乗ってきた中距離列車は、このあたりでは「快速」とほぼ同じ扱いとなり、小駅は通過してしまうので、ここで各停に乗り換える。

 後続の各駅停車・13時12分発の列車は、代々木上原行き営団車両であった。あまりにも乗り慣れた電車、もう家がすぐそこにあるかのように感じる。

 新松戸13時19分着。平地上のホームであった。

 新松戸ではいったん下車し、決して広くはない歩道に無秩序な並びを見せている自転車の間を縫いつつ、郵便局へ行く。風景印はなかった。駅前の雑然とした風景は、常磐線らしいエネルギッシュな雰囲気を感じさせるようにも見える。

 ここから、武蔵野線に乗り換えることになる。武蔵野線ホームは高架上にあり、常磐線ホームをオーバークロスしている。橙色の103系がやってくる。随分ここで降りる人が多い。

 Y2K(2000年問題)対策「年をまたがって走る列車の対応」に関する車内放送があったが、本当に何もなければ良いが、と思う。鉄建公団建設線特有のクールな構造物は、この路線が新設線であることを感じさせるが、その点を除けば、車窓風景は普通の郊外線である。ただし、駅前にはずいぶんとマンションが多い上、駅と駅との間には空き地が割と多い。

 新三郷発車後、左側一体は開発途上、広大な空き地が広がる。用途も元の形態も、一見したところは不明である。

 南浦和着14時6分。ここで、京浜東北線へと乗り換える。

 南浦和でいったん下車し、駅の南西側にある郵便局へ向かう。年末ということもあってか、郵便局は凄まじい混雑であった。

 退屈でアクビの出そうな京浜東北線電車に乗り込む。発車後、上下間に車両基地があり、京浜東北線電車が何台か止まっている。ロングシートに5~6人くらいの乗り。外には、ビルやマンションがただひたすら流れていく。

 荒川を渡り、赤羽14時46分着。いつも工事しているような印象の駅で、降りるたびに構造が変わっているような気がするが、気のせいだろうか。

 今日は、池袋まで行く予定であるが、まだ郵便局訪問のタイムリミットである16時までには、少し間があるので、折々下車しながらいくことにする。まず、赤羽で降り、郵便局二つに行く。赤羽駅東側には降りたことがあるが、西側には降りたことがないので、未訪局があるわけである。

 駅からほど近い赤羽駅前局も、かなりの混み具合だが、団地の奥にある赤羽台局はガラガラであった。ニュータウンの中に設置された局に共通の、ややうら寂れた雰囲気を醸し出していた。

 赤羽からは、「赤羽線」で池袋に行く。「赤羽線」は、1985年に埼京線が開業したとき、それに飲み込まれる形で、実質的な名称が消滅しているが、線路名称では現在もなお、池袋-赤羽が「赤羽線」という独立した線区として扱われている。なお、赤羽-大宮の埼京線は、正式名称では東北本線の一部ということになっている。もっとも、こんな「名称」を使ったところで、混乱を招くだけなのであるが。

 埼京線「快速」(赤羽以南は各停)に乗る。これまた乗り慣れた205系で、立ち客もパラパラでる。まだ4時前だったので、十条で途中下車し、上十条局へ。

 再び埼京線に乗り込み、池袋16時着。ここで途中下車し、新宿までの乗車券を購入する。「最長片道」の経路は、赤羽-池袋-田端-秋葉原、となっているので、今回の「最長片道」は、池袋までとなる。

 新宿から小田急に乗り、17時35分に帰宅。久しぶりの我が家に帰ると、自分のベッドにごろんと横になれることが、非常に嬉しく感じる。やはり、「家」というものが精神的な安定の根拠になっているということを感じる。

 これからしばらく、関東近郊をまわることになるので、数回は日帰りで動き、西日本へと本格的に移動するのは年明けにする予定である。2000年問題がどのような形になるかが不明瞭である以上、あまり長丁場となる旅も考え物なので、年末年始には家に戻る、というのは折り込み済みであった。

 どんな新年になるか。その鍵を握っているのは、ほかならぬ最長片道切符そのものである。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
75th郡山711→常陸大子902322D
76th常陸大子942→水戸1057832D
77th水戸1128→柏12591380M
78th柏1312→新松戸1319(常磐線各駅停車)
79th新松戸1340→南浦和14061326E
80th南浦和1435→赤羽1446(京浜東北線電車)
81st赤羽1531→十条15331444F(快速)
82nd十条1555→池袋16001516F(快速)
乗降駅一覧
<郡山、>常陸大子、水戸、新松戸[NEW]、南浦和、赤羽、十条[NEW]、池袋
[NEW]を付しているのは、この日にはじめて乗り降りした駅です。
訪問郵便局一覧
大子郵便局、新松戸駅前郵便局(貯金のみ)、浦和南本町郵便局(貯金のみ)、赤羽駅前郵便局(貯金のみ)、赤羽台郵便局(貯金のみ)、上十条郵便局(貯金のみ)

2000年7月9日
2007年2月19日、修正

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