第16日(2000年1月13日)

豊橋-辰野-岡谷-塩尻-名古屋

 5時に目を覚まし、さっさとベッドからはい出る。比較的暖かく、あまり厚着をしなくても大丈夫のようだ。これがのちのちの失敗の原因になっているのではあるが。

 ホテルを出て、すぐに駅へ向かう。豊橋駅の改札では、

「うわー、すごいですねー」

と、経路ひとつひとつに対して驚きの反応が返ってくる。もはや慣れっこになってしまった光景になってはいるが、もともとの経路表示自体がすごいうえに、下車印が大量に捺されて、なかなかの面構えになっていることも後押ししている。

 豊橋からは、飯田線に乗って伊那谷へと分け入っていく。これまではひたすら東海道線を突っ走ってきたのだが、一気に趣の異なる路線に入るわけで、考えただけでも楽しい。

 飯田線は、昨日乗った身延線と同様、戦前は電化私鉄であったが、もともと単一の路線だったわけではなく、豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気軌道という4つの会社からなっていた。それが、戦時中の交通統制下、ご多分に漏れず国に買収され、ひとまとめにされて「飯田線」となった次第である。そんな経緯があるだけに、とにかく駅の数が多く、195.8kmの間に、なんと92もの駅がある。区間によっては、人跡稀なる断崖に沿って走るところもあることを思えば、平地での駅間距離がいかに短いかがうかがえる。ちょっとした集落があるたびにこまめに駅を設けるのは、もともと私鉄だった路線に多いが、それにしても駅が多い。すべての駅を書いている鉄道路線図を見ると、飯田線の駅は数珠繋ぎになっている。

 直通列車は下りの1本しかないが、全線を乗り通すような人は、せいぜい私やその同類ぐらいのものであって、そういった趣味を持ち合わせていなければ需要があるはずもなかろう。豊橋から諏訪方面に行くのであれば、名古屋から中央本線を経由する方がずっと時間が短くて済む。

 今日は、そんな飯田線に、いちばんの時間をかけ、中央本線で名古屋へ移動する。豊橋から名古屋までまっとうにいくのであれば、新快速で50分弱だが、今日のスケジュールでは、えんえん9時間半近くかかる計算になる。

 豊橋5時53分発の飯田線列車は、豊橋駅のはずれの切り欠け式ホームに停まっていた。白にオレンジ帯を巻くというJR東海標準カラーの車体で、2連ツーマン車輌。各ボックスに1人程度の入りである。ここで、ホテルにセーターを置き忘れたことに気づく。取りに戻ることは簡単だし、今日はスケジュールに余裕があるから、この次の便で行っても大きな問題はないのだけれど、名古屋に着いてから豊橋まで戻ればいいや、と開き直る。今日の出発点と終着点とがたまたま近接しているから助かったようなものだが、これから旅を続けていけば疲れも溜まっていくだろうし、気をつけなくてはいけない。

 まだ外が真っ暗な中、ちまちまと小駅に停まって行くが、すべて無人である。このあたりの飯田線は東海道本線と完全に並行しているので、違和感を抱くことがけっこう多い。人家の屋根は途切れることもないし、大幹線の裏街道を進んでいるような気になる。

 13分走った豊川で、ほぼ全員が下車する。ご存じ、豊川稲荷を抱える街であり、駅も以前は重厚で雰囲気のあるいい建物だったのだが、今となっては跡形もない。この豊川から先は単線となる。

 東上から高校生が乗りこみ、車内は一気に賑やかになる。話し声はともかく、朝からピーピーという電子音には疲れる。全国を回る中で、車内の音で一番うざったいのが携帯電話の呼び出し音だということを、否が応でも知ることとなった。

 窓の外も、徐々に景色を把握できるようになっていくが、車窓は茶畑などの畑と人家ばかりである。鳥居あたりからそろそろ夜が白み始める。

 本長篠は、構内踏切のある島式ホーム。ここで高校生が一斉に下車し、車内は静かになる。ここで交換した列車もこちらと同じ車輌だが、各ボックスに3人程度は座っており、上りゆえに3連となっている。織田と武田との合戦で有名な地である。

 上市場駅の右手は、綿を敷き詰めたように露でしっとりとしている。このあたりから、すでに谷に入りつつあり、駅は集落より高いところに作られている。どうも飯田線では、駅が集落の真正面に位置するのではなく、少しずらして設置されているものが多いようだ。

 浦川で女子高生は降り、また別の女子高生が乗る。黄色い帽子にランドセルの小学生が駅から出ていく。当方は後部車両に乗っているのでわからなかったが、前側の車両に乗っていたのだろうか。

 早瀬は、斜面脇に貼り付くような駅であった。左側は茶畑だが、次の下川合駅から、天竜川が左窓に沿うようになる。

 中部天竜で3分停車し、ここで高校生の大半が下車する。すでに行き違い列車である豊橋行きの便は入線しており、ホームに高校生がいっぱいいる。ずいぶんな大量乗車と思ったものだが、ドアが開いても乗ってくる気配はない。こちらの列車から降りる級友を待っていただけらしい。ホームの向こう側には、JR東海の鉄道博物館である「佐久間レールパーク」が見える。まだ行ったことはないが、一度ここでゆっくりしてみたい、と思う。

 飯田線は、この中部天竜からの区間が佳境となる。急峻なV字谷に敷設された線路上を進み、本当にこんなところを車両が走れるのか、と思える光景が連続するのだ。なお、ここから半自動扉扱いとなる。

 次の佐久間から、工事関係者が乗り込む。新築の駅舎が目立つが、むしろ浮いた観がなきにしもあらずだ。いよいよ山の中へと分け入っていき、トンネルと杉林が車窓を覆うようになる。この佐久間から大嵐(おおぞれ)までの間は、佐久間ダムの完成によって沿線の集落が完全に水没し、それに伴ってこの飯田線も大幅な線路のつけかえが行われた区間である。線路移設は1955年で、すでに半世紀近くたっているから、新線らしさもさほど感じなくなっているが、山をぶち抜く長大トンネルや断崖絶壁が続く。崖っぷちを走る鉄道といえば、真っ先に思い浮かぶのが大糸線の南小谷-糸魚川だが、この飯田線中部天竜-天竜峡もなかなかのものだ。

 相月では、目の前の山林は霧をかぶり、人気のない谷が幽玄に映る。

 城西で行き違いを行う。駅舎や道路にくらべ、ホームは低いところに位置する。斜面にはりつくような小さい茶畑を見ると、ここに人の手が入っていることを感じる。天竜川の流れは急だが、断崖絶壁を削るというわけではなく、そこそこの河原はある。セーターの件でホテルへ携帯電話をかけるが、大嵐の手前で長大トンネルに入り、途切れる。

 大嵐で数人が下車する。目の前に大きな吊り橋がかかる。駅の前には車が数台あるが、集落はおろか家そのものがまったく見えない。降りていった人はどこへ行ったのだろうか。

 再びトンネルに入る。トンネルの間、垂直にも見えるような崖に杉がびっしりと伸びる。

 工事関係の人たちは小和田(こわだ)で一斉に下車し、後部車輌には他に1人となる。皇太子妃の姓と同じ漢字として名を挙げた駅であるが、その実態はごく静かな無人駅に過ぎない。蛇行する天竜川が、文字通り蛇のように見える。

 中井侍で数人が乗車する。崖下は天竜川だが、崖の途中にも茶畑が見える。この駅から長野県に入る。

 巨大な水力発電所が見える。なかなかの眺望だ。

 伊那小沢で交換する。幅60センチぐらいかと思われる、非常に細いホームに停車する。なんとも心許ない駅である。古い木造駅舎があるが、その脇に鉄筋コンクリートの駅舎を建築中であった。

 鶯巣の先には、古い橋梁が捨て置かれていた。谷はV字状だが、それでも茶畑が見える。

 平岡でいったん降り、駅前で軽く伸びをしたりする。ここで携帯電話にリトライするが、やはり圏外であった。車内に戻ると、各ボックスに1人程度の乗車率である。山は霧でかすみ、稜線も不明確だ。ダムが近いせいか、川の水は明らかに速さを落としている。

 さらにトンネルが続く。為栗は、駅のすぐ下が川になっており、人家は駅の右手上の斜面上にあった。こういう構造では家に行くのも一苦労だろうな、と思う。駅を降りて天に向かうような感じさえする。

 ますます霧が濃くなる。保線用車輌が見えてくると、温田。立派な吊り橋が対岸へとかかる。無人駅であるが、そもそも人の気配がない。

 崖の上で突然列車が停まると思うと、田本。真下にすぐ川、まわりは崖のみであり、本当に何も見えない。茫漠とした濃霧が川を多い、崖には針葉樹がひしめく。視界はまさしく枯山水の世界だ。

 天竜川が右側へと移動すると、門島。水力発電所の脇にある小駅である。トンネルを出ると、再び川はダム湖状になる。

 この先も、人の気配がほとんど感じられない駅を過ぎ、トンネルを抜けて少し左右に開けたところで、拠点駅といえる天竜峡に到着する。いったん下車しホテルへ再度電話すると、ここでは繋がった。セーターはきちんと保管してくれているとの由なので、ひとまずほっとする。シックで落ちついた感じの駅舎に、貴重な平地をうまく使った感じの駅前広場が賑やかである。もっとも、ここまで人の気配などかけらもなかったところを進んできたということもあって、やはり感覚が多少ずれてきてはいるようではあるが。

 ここで各ボックスに2人程度の乗車となり、川路に到着。右手が土手という、珍しい状態の駅。このあたりから平野部にはいるようだ。

 時又で交換し、ここで若干乗車する。もはや完全に平坦地となる。谷間を走っていたときとは異なり、乗降も頻繁になるため、車掌は集札に忙しい。各駅とも小さいものだが、単に物理的に「駅の設置場所が苦しい」のではなく、用地節約のためにコンパクトにしてあるのがうかがえ、私鉄上がりを感じさせる。

 切石は、右急カーブ上の駅であり、列車待ちの人が傘を差していた。やはり雨が降っているようだ。ホームが大きく屈曲しているため、ワンマン運転を行っているわけでもないのに、ホームにはバックミラーがある。

 飯田には、10時8分に到着。10万を超える人口を抱える、伊那谷最大の都市である。

 時刻表上は、ここで10時40分発の岡谷行き電車に接続することになっているのだが、この飯田止まりの車両と、岡谷行き電車の車両とは同じである。昨日の身延線の列車と同じく、実質的には一つの列車というわけだ。例によって、巨大なリュックを席に置き、カメラバックのみ肩にかけて途中下車する。傘を差さずに歩くことができる程度の小雨が、顔に冷たい。

 未訪の飯田郵便局は、駅から徒歩5分のところにあった。最近の普通郵便局に多く見られるようになったインターネット端末が置かれており、定期巡回先の掲示板などをチェックしようとすると、なんとWindowsのダイアルアップネットワークが起動し、しかも接続がうまくいかない。おまけに、ブラウザが旧式の「Internet Explorer3」だったりと、どうにも時代遅れの印象がある。

 小雨がぱらつく中、駅へ戻る。車内は、各ボックスに1~2人程度の乗車であった。ここから先は駅間距離の短さを実感できる区間で、小さい駅ごとに少しずつ乗り降りする。乗客の大半は爺さん婆さんである。河岸段丘上の、集落より高いところを走る。上から見ると、町が霧の中へ滑り落ち、溶け込んでいくようにみえる。

 元善光寺は、1面1線だが有人駅であり、そこそこの下車客がある。この駅で、各ボックス1人程度の入りとなる。

 市田も有人駅である。屋根の上に飾りを載せた家がある。そういえば、周囲の民家の屋根はみな立派である。

 無人駅でのマメな集札は相変わらず。再び高めの段丘へと移る。右側には水田のほか工場も見られるようになる。段丘を上へ下へと移動するため、勾配がかなりある。

 有人の伊那大島で行き違いを行い、ここで爺さん婆さんの大半が下車する。乗客は少なくなり、車内は一気に閑散とする。

 S字形のカーブを描きつつ、さらに段丘を上る。左手にはリンゴ畑が多く、もはや天竜川はまったく見えない。その閑散としたところへ、車内販売が回ってくる。ワゴンを使うものではなく、おばさんがカゴに商品を入れて移動するので、売り子さんというよりは、スーパーの買い物客のようだ。

 七久保から再び下り始める。霧に囲まれた交換可能駅、伊那本郷は乗降ともゼロだった。

 飯島で6分ほど停車するが、ホームに降りるのみで下車はせず。友人の交換可能駅。ここで「カロリーメイト」を口にくわえ、もって昼食の代わりとする。車販のおばさんはここで降りた。

 右へカーブしつつ、急斜面を下る。低くなると、畑にかわって水田が出てくる。伊那福岡は、工場の表にある駅。

 駒ヶ根は、2面3線を備える。ホームにも屋根があり立派なものである。駅構内の堂々たるさまは、買収私鉄というよりは国鉄の雰囲気を色濃く出している。買収後に大規模な整備がなされたのであろう。

 しばらくうとうととして、気がつくと伊那市。このあたりでは、アップダウンはほとんどなくなる。どうやらドア開閉は運転士の仕事らしく、車掌室はもぬけの殻でもドアはきちんと動く。

 有人駅の伊那松島で数人が下車。なぜか駅本屋と反対側(豊橋方面)のホーム屋根のほうが、ずっと長く立派だった。機関庫と思われる建物や車庫が右手に見え、チョコレート色の旧型電車も停まっていた。

 なんとも単純な駅名の沢を過ぎ、中央道の下をくぐり、畑の中を淡々と走っていく。

 川を渡り、左へ右へとカーブを重ねるうちにほどなく、辰野に到着する。飯田線はここまでである。後半が穏やかきわまる路線だったものの、やはり変化にとんだ楽しいひとときだった。

 辰野は、中央本線との分岐駅であり、構内は広い。ここからJR東日本の管内に入る関係上だろう、車掌が交替する。塩尻行きのシャトル電車「ミニエコー」が停まっていた。

 辰野からは中央本線にはいるが、ここは少しく歴史的にややこしいところである。もともと中央本線のルートは、岡谷-辰野-塩尻というルートで敷設されたが、岡谷と塩尻を結ぶのにわざわざ遠回りをしたということで、地元出身の有力者の名を取って「大八回り」などと言われた経緯がある。時代が下り、1980年になって、この区間を一気に結ぶ塩嶺ルートが開通し、特急は辰野を通らなくなったが、それまでの長い期間、この辰野は飯田線を分岐するジャンクションだったのである。

 ここからは、やはり「本線」ということで、線路の規格が違うのか、相当の速さで飛ばす。左手の山は、ガスをかぶったようにぼうっとしている。各駅のホームにも大きな植木があり、本屋とは別の待合室や屋根も設置されているなど、堂々たるものだ。運転系統上では、今では飯田線の末端区間のように扱われているとはいえ、やはり毛並みの良さという面で見れば比較にならないようだ。

 岡谷には12時59分、切り欠け式ホームに到着。時計などの精密機械工業の街として有名である。

 岡谷でも例によっていったん降りるが、改札では「例の切符」に対しては無反応であった。

 「みどりの窓口」で、塩尻からの特急券を買うが、前のビジネスマン氏が8分近くかかり、やきもきする。

 岡谷から乗った松本行きの普通列車は、スカイブルー帯を纏う長野色ではなく、クリームと紺とのツートンカラー、いわゆる「スカ色」の電車であった。各ボックスに1人程度と、ずいぶん空いている。

 右にカーブして辰野ルートと分かれると、すぐに長大な塩嶺トンネルに入る。トンネルを出てすぐに停車する。みどり湖は切り通しの中の駅、上の階段で外へ出る構造で、無機質の対向式ホームがのっぺりと並んでいた。集落は少し離れたところにある。

 左から旧線が合流すると、広大な構内が見えてくるが、それらをむだに持て余しているということは決してなく、かなりの部分に現役の線路が引かれて活用されている。ここが「鉄道の町」であることを実感する。

 さすがに空腹感を覚え、ホームの立ち食いそばを食べる。ここ塩尻の立ち食いそばはまずまずだ。

 ここから乗る特急「しなの14号」は、塩尻で禁煙指定席を取っておいた。大半が自由席を取る私が敢えて指定席を確保したのは、幹線列車ゆえに混む可能性が高いこと、途中で下車する可能性が低いことを読んだためであった。いざ乗り込んでみると、2列シートに1~2人程度。ビジネスマンが多い。自由席車の混み具合は知らないが、思ったほどは混んでいないのかな、とも思う。

 トンネルを何度もくぐる。杉のほかに松も多い。切り通しを走る区間がずいぶん多い。

 窓に雨粒が当たるようになる。霧はほとんどない。

 検札がまわってくる。車掌氏、切符を一見して驚く。「日本一周ですか」「昔、日本大学の学生さんでね、指宿から稚内まで行くんで、サインしてくださいといわれて、私もサインしたことがありましたよ」「この切符、一生の記念ですね」と、実にいろいろ多彩な言葉を掛けてくる。切符に対するリアクションは係員によって実にさまざまだったが、ここまでいろんな感想を述べた人は初めてだ。まだ話したりなさそうな感じであったが、肝心の検札が済んでいないため、しばらくして職務に戻る。

 ひたすら坂を下る。次第に霧が出てきて、山の頂が白く曇り、ここがあたかも火山地帯であるかのような錯覚に陥る。木曽福島では、蒸機が静態保存されていた。木曾谷の中心集落であるが、発車時の乗客はほとんどなし。山頂付近に雲が溜まる。上り「しなの」とすれ違う。

 沿う木曽川に揉まれる大きな石塊に段々畑という光景は、ビジュアルとしては非常に良いのだが、生活するには大変だろうと思う。

 先ほどの車掌が再度巡回する。「あー、私らもう機械発券に慣れてますからねぇ、こんな計算できないでしょうね」「その学生さんの時は普通列車でしたけどね、そのときは18きっぷなんてなかったですから。証拠になるからって、手帳に列車の時刻とサインね」「体力がある方でないとできんでしょうな」といった具合に、話がなかなか尽きない。ほとんど地元客ばかりの普通列車やローカルバスなどでは、このように話がはずむことは多いが、幹線特急の、それも指定席車でこういう話になることは、鉄道旅行の経験が豊富な私でも、過去に経験はない。用務客が中心である指定席車の中では、みごとに浮いた存在になっていたと思う。

 南木曾(なぎそ)では、「ひのきの里」の看板の通り、材木が大量に積まれている。見ると、「妻籠宿下車駅」の看板もある。

 中津川が近づいてきたあたりから、とろとろと居眠りをはじめ、目を覚ましてはまたうつらうつら、を繰り返す。ここから先は、割とちまちま行き来していた区間でもあり、窓の外も比較的単調になってきたこともあって、気も緩んでくる。気がつくと、すでに高架上を走っており、都市部に完全に入ってしまっている。快適な特急列車などに乗っていると、窓の外の雰囲気が中まで伝わりにくいのかも知れない。

 名古屋15時37分着。すでに伊那谷も木曾谷も過去の空間となり、長大なホームがずらりと並ぶ巨大駅には、感傷を許すだけのゆとりはない。

 いったん今日の宿に行って荷物を置いてから、豊橋までセーターを取りに行き、簡単な夕食を取って、今日は早く寝ることにする。今日は「豊橋発・名古屋着」であり、かつ時間に余裕をもたせたスケジュールだったから問題はなかったが、明日は「名古屋発・田辺付近着」の予定である。紀伊半島の西側と名古屋とでは、忘れ物などしたらとうてい戻ることなどできないし、万一の場合は、数日間預かってもらうか、あるいは自宅に郵送してもらうしかなかろう。そんなみっともないことは避けたい。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
120th豊橋553→岡谷1259501M→243M
121st岡谷1319→塩尻1329437M
122nd塩尻1346→名古屋15371014M(特急・しなの14号)
乗降駅一覧
(豊橋、)平岡、天竜峡[NEW]、飯田、岡谷、塩尻、名古屋
[NEW]を付しているのは、この日にはじめて乗り降りした駅です。
訪問郵便局一覧
飯田郵便局

2002年4月30日
2007年2月21日、修正

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