第17日(2000年1月14日)

名古屋-亀山-新宮-紀伊田辺

 パンとモーニングコーヒーという簡単な朝食を終えてホテルを出る。粗食ではあるが、何も食べないよりはマシであろう。

 今日は、関西本線と紀勢本線とを乗り継いで、紀伊半島の外周を回ることになっている。

 まずは名古屋からの関西本線に乗ることになるが、並行して走る近鉄線にくらべ、かなりの部分で単線区間が残っているために頻繁に行き違い停車が増えるうえ、かなりの数の貨物列車が走っていてダイヤを組みにくいため、列車の本数や所要時間では、平行する近鉄名古屋線に大きく見劣りする。

 名古屋7時32分発の関西本線の列車は、313系電車ツーマン2連であり、各ボックス3人程度の入りであった。これで亀山まで乗ることになる。名古屋から亀山までは全線が電化されているが、紀勢本線が非電化であるため、ディーゼルカーが走ることもけっこう多い。

 右にカーブすると、国鉄時代に貨物駅として活躍していた旧笹島駅の跡地が見える。更地のままであり、再開発はまだまだのようだ。特急「南紀」車両や「みえ」車両、キハ58車両など、いくつもの車両が溜まっている。

 八田の手前では、右側で近鉄高架線の工事が行われており、かなり工事が進んでいるようだ。八田を発車すると、「途中行き違いのための停車がありますのであらかじめご了承ください」というアナウンスが流れる。駅を出た直後に行き違いのアナウンスとはなんだろうか、と思うと、駅ならぬ「春日信号場」にて行き違いのために停車する。単線区間の場合、列車行き違いを確保するために、こういった信号場などを設けることが多いのだ。信号場の周囲には高層マンションが多く、乗降客が見込めるという判断であろう、「春日(仮称)駅 新設工事」が行われていた。

 蟹江でも、行き違いのために3分停車する。停車中は車内保温のため、中央部ドアを除いてドアが閉じられる。こちら下り電車は大した入りではないが、やはり朝ラッシュ時にさしかかることもあって、上り電車に乗り込む人はけっこう多く、次々と跨線橋を駆け上がっていく。駅本屋は下り側に設けられていた。上りホームに進入してきた4連の快速は満員であった。

 栄和から先は水田が増え、和風の民家が多くなる。

 弥富では意外と乗客が多い。下車客もそこそこいるので、差し引きの乗客数は変わらないものの、この時間帯の下り列車ホームが人でいっぱいというのも、意外な光景であった。そういえば、ここまで大半の駅で列車行き違いがあったことになる。ラッシュ時とはいえ、ずいぶん器用なダイヤを組んでいるものである

 左手に見える近鉄線から、中途半端な高架橋が、空中へ突撃する滑走路のように見える。あの構造物は何をもくろんだものだったのだろうか。

 長島は極端に幅の狭いホームである。駅前は畑となっており、地平ホームである。日の光が眩しいが、風は冷たい。天気良好なれど、西に黒い雲がどよんと立ちこめている。

 長良、揖斐の両川を一気に渡り、左に急カーブ。両川とも水位はずいぶん高く、特に長良川はあと2メートルもたたないうちに橋脚が完全に水につかってしまいそうである。

 桑名の手前で、平行した線路を先行して走っていた近鉄電車に追いつく。この桑名でずいぶん多くの客が乗る。その多くは高校生であった。左には近鉄線の西桑名駅があり、ナローゲージの小型車が停まっていた。旅客の急減に伴って先行きがなにやら怪しい雰囲気になっている路線であるが、やはり人はさほど多くないようだ。この長島、桑名では、行き違いはなかった。

 東芝の工場があり、また近鉄線を左へと超えていく。朝日は味気ない無人駅で、高校生がヘルメットを被って自転車をこぐ姿が目につく。

 再び近鉄線をオーバークロスし、左から三岐鉄道の線路が寄り添ってくると、富田。セメント貨車が多く停まっている。ここでも高校生がかなり乗り込む。ドアが開くと、ディーゼル機関車の高いアイドリング音が耳に響く。この富田から分岐している三岐鉄道線は貨物列車のみで、旅客列車の乗り換えは近鉄富田駅で行うのだが、駅の雰囲気も貨物中心といった気配が濃厚である。

 富田浜からは工業地帯に入り、左に煙突が伸びる工場、複雑な配管をはりめぐらせるコンビナートが壮観である。その向こうに見える海そのものが、なんだか人工物の延長に過ぎないものに見えてくる。事実としては、海があってこそコンビナートが成立したことは言うまでもないのだが、目に映る光景の「人工性」が問答無用で伝わり、自然物の中にまで浸透してしまったような印象を受けた。石油積み出し施設を備えた、非常に立派な引き込み線を持つ工場もある。

 三重県最大の都市である四日市に入る。四日市駅の左側には、やはり貨車がずらりと並んでいた。フォークリフトがコンテナを上げ下ろししている。一般客の乗客は多いが、高校生は意外と降りない。乗りこんでくる客がかなりいるので、車内はむしろ混み合ってくる。

 左へと側線が延び、消えていく。おそらく工場の中に入っていくのだろう。レールの光り具合を見る限り現役のようだ。再び近鉄が左へ分かれていく。

 南四日市でも、南北に広大な側線が広がっており、石油車やコンテナが留置されていた。ここで高校生の3分の1程度が下車する。

 川を渡ると、左側の高架上へとレールが分かれる。伊勢鉄道線だ。関西本線の名古屋方面と紀勢本線とを結ぶ短絡線として建設され、国鉄末期に廃止対象路線として第3セクター化されたためにJR線にはなっていないが、特急「南紀」や快速「みえ」などの列車は、現在もすべてこの伊勢鉄道線を走る。しかし、わが「最長片道」には、この区間は用のないものだ。

 河原田で、高校生の大半が下車する。横長のちょっと重たそうな駅舎。河原田を出ると、これまでの工業地帯から一転し、田園風景が広がる。

 加佐登は、工場の裏手の駅であった。古典的な木造駅舎のある2面3線駅であり、どことなく懐かしさを覚える。

 亀山8時5分着。関西本線はこの先でJR西日本エリアに入るが、最長片道切符のルートからは外れる。亀山からは、紀勢本線に乗り換えることになる。

 亀山9時5分発鳥羽行は、ワンマン列車であった。関西本線柘植方面からの列車が先着したせいか、車内はすでに満員近い状況になっている。名古屋方面からの接続は伊勢鉄道経由が主流とされており、亀山回りは二の次になっているのだろう。例によってというか、帽子をかぶった中高年が多く、とてもじゃないが改札外に出てどうこうすることなどできやしない。もとより通路側しか空席もなく、窓側のブラインドを下ろされたりする始末。席をあちらこちらへと移動し、何とか一つところに席を占めるが、そのうち空席自体がまったくなくなる。雲がどんどん流れ、空の青さが目にしみる。発車時点で、立客は10人以上という状況。

 名古屋行きの関西本線上り電車と同時に発車する。右へカーブし、すぐに鈴鹿川を渡る。材木加工場や住居、そして畑地が並ぶ。ところどころに茶畑も見える。

 ほどなく、樹木に囲まれる。下り坂を走り、トンネルをくぐる。「本線」格ゆえであろう、走り心地はよい。しかし、車窓の人家はすぐに消えてしまう。車内の乗客は、地元の人半分、中高年の観光客半分といったところか。

 しばし進むと、左手に住宅が並んで平野が開け、上りにはいる。

 下庄で交換する。下車客などなく、いっぽう乗り込む客はけっこう多いため、相当な混雑になる。

 切り通しを抜け、竹林を走ると、再び畑と水田が窓の外に見える。一身田で、地元の爺様婆様が降りるが、車内の混雑にはほとんど関係しない。なかなか落ち着きのある渋い駅舎だが、亀山と津の間は名古屋に背を向けたような場所であり、だからこそ生き残ってきたのかも知れない。

 津9時22分着。さきほど河原田で分岐していた、伊勢鉄道線が合流する、県庁所在地駅である。

 紀勢本線の列車は、伊勢方面へと進むにはそれなりの本数があるのだが、熊野市や新宮の方面に向かおうとすると、本数がかなり減る。特に、普通列車でゆっくり行こうとすると、便数はかなり限られることになる。このため、スケジュール調整が必要となるが、この津であまった時間を有効に活用しようと考え、いったん下車し、次の列車に乗り移る。

 改札を通るときには、例によって例のごとくというべきか、いろいろと質問にあう。

「ほー…稚内から肥前山口まで…どんな経路で来とんの?」

「今ここです」

「名古屋、関西本線、亀山…あー、この列車でね。何か捺しとく? 下車印とか」

「できれば」

「ああやっぱり。…どこに捺します?」

「こちらへ」

経由別紙を示す。

 お気をつけて、という駅員に見送られ、津の駅から国道へ出る。津自体は以前にも下車したことがあるが、単に乗り換え時間の合間に改札の外に出たようなもので、駅前の風景もあまり覚えていなかったのだが、やはり特筆することもない地方の中核都市の玄関口、といったところであった。

 津駅からいったん国道に出て、郵便局へ行く。合わせて、既訪だった津駅前で風景印も捺してもらう。結局、郵便局を回るだけの津下車となった。

 津からは、キハ75の3連からなる快速「みえ」に乗る。この快速「みえ」は、名古屋から津・伊勢方面への旅客の大半が平行する近鉄を利用する状況に対し、JR東海が新型気動車を投入して設定した列車である。加減速がなかなかよく、また新快速並みのスマートな車体も相まって、なかなか健闘しているようだ。この便もご多分に漏れず、全席が埋まっている。立ち客も1両に20人程度おり、当方もドア脇に立つことになる。

 津を発車すると、右手に近鉄が併走する。川を渡ると、津の中心街へと入っていく。逆に言えば、津の駅は中心街から外れたところに位置している。

 加減速がよいということは、逆にいえばスピードの切り替えが激しいともいえるわけで、そのたびに前後につんのめりそうになる。また、駅ごとのポイントでの揺れもかなり大きいようだ。もちろん、立っているからこそ感じるのだろうが。

 近鉄の線路が離れていくと、左右は水田になる。車掌は検札をしているが、最前部から回ってきているものとみえ、最後部にいる私のところまでは回りきらないうちに駅に着いてしまう。高茶屋で交換する。駅前に郵便局があるのが目についた。

 雲出川を渡る。右手に古い橋脚の台座の痕跡がぬっと残っているのが見える。ぱらぱらと人家があるが、車窓の多くを占めるのは水田であり、ときおり茶畑がちらほらとまざる。

 松阪着10時26分。ここで再び時間調整のために降りる。やはり観光地ということなのだろう、他にも降りる客はそこそこいる。ここでの改札口での反応は、丹念に券面を見て「すごいですねぇ」というものであった。

 いったん線路の下をくぐり、駅近くの郵便局に立ち寄ると、信販系カードの勧誘がしつこい。クレジットカードはすでに持っているので、これ以上数を増やしても仕方がないし、第一、一目見ただけで旅行者だとわかりそうなものだと思うのだが。大きな登山用リュックを抱える者は「旅行」しているわけではない、と見られているのだろうか。

 ホームに戻るときは、わざわざ海側の近鉄改札から入ってみた。松阪駅は、JRと近鉄とがそれぞれ改札を共有しており、どちらに乗り降りするときにもどちらの改札口も使える仕組みだ。こういう構造は利用者にとってありがたいのだが、最近は会社ごとに別々の改札を設けることが多くなっている。これからもこういう形式は残して欲しいと思う。

 若い駅員に切符を見せると、あたかも毒気に当てられたかのごとく、一瞬固まる。気を取り直して経路をざっと見てから、「ここでよろしいですか」「大丈夫ですね」と逐一確認した。おそらく、長距離切符といえどもパターンが決まったものしか見ていないのだろうし、これはこれで当然の反応といえよう。

 松阪からは、10時54分発の特急「南紀」に乗る。ここからの区間は普通列車の本数がかなり限られてしまい、日中の明るい時間帯に乗れる距離がどうしても短くなってしまうため、しばらく特急の世話になる。本数がさほど多くないのでそこそこ混んでいるものと思っていたが、車内は意外と空いており、2列シートに1~2人という状態であった。例によって禁煙自由席車に乗り込み、左側窓側の座席を確保する。

 基本的には田園風景が連なるが、竹藪が多く目につくようになる。

 櫛田川を渡ると多紀で、新宮方面へ向かう紀勢本線と鳥羽方面へ向かう参宮線が分岐する。幹線の分岐点でなければ特急停車が不可解という規模の駅であり、駅の周辺の光景も鄙びたものを感じる。一度この駅では降りたことがあるが、人の姿があまり見えないという程度の印象しか残っていない。ここで、伊勢市方面から来る快速「みえ」と行き違いをする。

 ここから先は、次第にカーブが増え、わが特急列車は右に左にと体を揺する。相可を過ぎたところには大規模な郊外型ショッピングセンターがあるが、当然のように鉄道はお呼びではなく、自家用車での利用が大前提だ。もちろん、大荷物を抱えて列車で帰りたいという人などいないだろうし、駅直結型の施設ででもないかぎり、鉄道側もこういった店舗を集客のきっかけにするのは難しいだろうが。

 佐奈で列車交換のため、3分ほど停車する。ここで車販からビールを買う。交換する相手も「南紀」であった。発車後に検札が回ってくる。すでに一回目の検札は済んでいるようで、途中から乗車した客のみをチェックしていた。席ごとに乗車区間もチェックしているのだろう。当方の席は車掌室のすぐ前である。

 検札が終わると、茶畑と山林とが交互に出てくる。ギザギザに並ぶ山々だが、緑に覆われていて穏やかに見える。このあたりが、岩肌が露出している山との違いであろう。集落が見えると、必ずその周りに茶畑が広がっているのが、この地域の温暖さを示している。もっとも、日本で一番降水量の多い地域でもあり、崖崩れなどの多発地域でもあるのだが。

 トンネルや切り通しが多くなる。平行して道路が通っているが、通行量はさほど多くない。

 林業の町、三瀬谷では、左側に大きな製材工場がある。ここから下り坂をぐいぐいとくだる。かなりの絶壁を形成している川を渡る。列車は、右へ左へとカーブを描く。

 伊勢柏崎を通過してから上りに転じる。窓越しに太陽を強く受ける。

 日本一の降水量で有名な尾鷲で数人が下車する。切り通しをカーブすると、海が見える。太陽が照りつける民家の軒先には、柑橘類がつり下がっている。海の水が岩にあたり、砕けて白くはじける。

 長いトンネルを抜け、漁港と松林とが並ぶ。山の木々がみずみずしさを伝える。集落の脇には砂利が、そして港には石が大量に積まれている。

 ここで観光客向け車内放送が流れ、車窓の新鹿海岸の案内が行われる。「みなさま左側をご覧ください」といった調子だ。このあたりはリアス式海岸が形成されており、なかなか見応えがある車窓が展開する。左側に席を取ったのも、ここの風景が見たかったからである。なにせ雲一つないいい天気だし、照りつける太陽のまぶしさが、海に新しい色を付加しているようだ。緑のかった青い海は、今の季節が何なのかをまったく感じさせないのである。所詮はよそ者の視点なのだろうが。

 熊野市駅到着の手前では、鬼ヶ城についての解説案内放送もあった。

 熊野市着12時42分。ここで普通列車に接続するので、乗り換えることにする。

 熊野市からは普通列車に乗り換える。キハ11の2連で、12時49分発。前側はステンレスボディ、後側はアイボリーカラーという組み合わせである。双方ともワンマン対応車だが、車掌乗務のツーマン運行であった。各ボックスに1~3人程度の乗りである。以前、紀勢本線の新宮以東では、キハ58などの旧国鉄時代の雰囲気を残した急行用気動車が活躍していたのだが、最近はこういった新しい車両ばかりになりつつある。

 車内では、おばちゃんたちが元気に談笑している。賑やかではあるが、やかましさを感じさせないのが不思議だ。トーンは関西弁と称して良い語り口。このあたりはトンネルなどはなく、場所によっては水田も広がる。熊野灘に面したなだらかな地形が続き、先ほど特急列車から眺めていた切り立った断崖が嘘のようである。

 神志山で交換し、数人が下車した。スレート葺きの屋根を持つシンプルな無人駅で、同時に発車する。むこうもキハ11の2連。次の紀伊市木から、ミカン畑が目立つようになる。

 阿田和で全乗客の半分近くが下車する。青緑色の海が左手に見える。ひっかいたような白い雲がコントラストをなす。平行道路は結構込んでいるようで、パワフルなキハ11は易々と車を追い越していく。もともと車内は閑古鳥なので、パワーを持て余しているに過ぎないのだろうが。

 紀伊井田駅のすぐ裏手はミカン畑であった。数人乗るがガラガラであることには変わりない。一応駅舎はあるが、簡素な駅である。周辺の民家を見渡すと、どこを見ても柑橘類の樹木が生えている。海から山にかけての緩やかな傾斜の上にあるが、トンネルはまったくない。

 鵜殿には貨物列車やコンテナが集結している。なんと車掌車まであった。置かれているレールは鈍く光っており、まだ現役で動いているようだ。熊野川の河口の街である。

 正面左手に火力発電所か製紙工場と思われる煙突が並んでいる。ここでカーブを右に切り、山に挑むような体勢になる。トンネルを抜けると今度は左へとカーブし、上り勾配を進む。

 熊野川は緑色の水を淡々と流す。左向こうにある豪壮な和風建築はなんだろうか。

 切り通しをわたると、新宮到着、13時19分。新宮から先はJR西日本の管轄となり、電化されている。実質的な分岐駅といえる。

 新宮で待っていた電車は、なんと105系のロングシート車4連であった。紀伊半島にまできてこんな列車に乗ってもあまり楽しくないのだが、こればかりは致し方ない。新宮以西も、やはり最近までは旧国鉄時代からの急行型電車が活躍していたのだが、車両が一斉に置き換えられたのである。その点では新宮以東と同様だが、こちらは長距離利用が考慮されていない都市型車両で、それもかなり古いものが使われているという点が大きく異なる。1両に15人程度の乗りである。

 左手に長い海岸。奇岩と松が続く。トンネルをくぐるたびに新たな風景が展開する。田辺の天神崎のように浮き出た岩を波が洗い、少し動くと砂浜に移る。瞬間瞬間の風景よりも、その変化を見ているのがおもしろい。

 次の三輪崎で下車客がかなりあり、「南紀」と交換する。空いている車内で、新宮駅で確保しておいた「さんま寿司」を食べる。酢がかなり強いものの、まずまず旨い。

 無人駅の宇久井でも交換のため、3分停車。ここでゴミを捨てるために駅の外に出る。あまりにも素っ気ない駅舎である。マリンブルーとスレートブルーとを組み合わせた配色の特急「くろしお」が駆け抜けていった。

 海が見えると、光が乱反射して、キラキラと目にまぶしい。海に散らばる小石と波が織りなす造形の妙。

 社殿風駅舎を構える那智駅自体は特に変わっていないようだが、駅舎に隣接して工事が行われているようだ。

 紀伊勝浦14時11分着。那智勝浦温泉への玄関口である。

 実は、紀伊勝浦での下車は初めてである。勝浦温泉で宿泊したときは自家用車利用であったし、鉄道で移動する場合も新宮を拠点にすることのほうがずっと多く、紀伊勝浦は単なる通過駅のひとつに過ぎなかったためである。観光地の駅もいろいろで、単なるマスプロ駅舎にひととおりの設備が整っているだけというものもあれば、二度と忘れられないような楽しい仕掛けを施してあるところまである。さて紀伊勝浦やいかに、と期待したが、なんともパッとしない。2階部分に改札のある駅舎なのだが、「みどりの窓口」が出札口と統合されているくらいで、どうにも寂しい。正月明けのシーズンオフとはいえ人も少なく、どうにも活気に乏しい。何というのか、駅舎自体に、人を引きつけるコアのような魅力が欠けているように思えてならない。

 寂しい駅前を抜けて港の方へと足を運び、紀伊勝浦港郵便局へと向かう。古い局舎が良い雰囲気だ。

 続いて足を運んだ紀伊勝浦局では、「宝」が3つ用意されていた。設置されていたインターネット端末で、行きつけ掲示板などをチェックする。キーボードがないので書き込みは出来なかったのは残念であったが。

 紀伊勝浦発15時31分の電車は、またもやロングシート車2連であった。これから田辺までえんえん2時間以上をロングシートで過ごすのかと思うと、ちょっと気が重い。

 島式ホームの湯川は、目の前が砂浜になっており、飛び降りればすぐにも飛び込めるような感じである。

 太地駅ホーム屋根の壁面には、もともとこの地が捕鯨基地だったことをアピールするべく、大きな鯨の絵が描かれている。地元の人や高校生がいっせいに下車し、車内は1両に15人程度となる。1面1線の駅であり、海も見えない高架上にあり、時間帯もあってか駅全体が日陰に覆われて暗い。観光客が降りたくなるような雰囲気の駅ではなさそうだ。

 下里から、女子高生が乗り込んでくる。なぜか男子生徒はホーム上でだべっているだけで、誰も乗ってこない。男はあちらへ女はこちらへ、という具合にエリアが分かれているのだろうか。

 西日が車内に差し込む。山をかすめて走り、あるいは海を眺めて走るのだが、いかんせんロングシートでは車窓を拝むことはなかなか難しい。駅ごとに、高校生が乗ったり降りたりしていくが、新鹿海岸あたりの激しい変化を目の当たりにしてきたせいか、どうにも刺激が弱く感じる。

 紀伊田辺17時33分着。やっと着いたか、という印象である。ここまで海岸づたいに列車を乗り継いできたが、このように「着いた」ためにホッとしたのは、「最長片道」行程の後半に入ってはじめてである。夕方になって疲れが出たせいもあるのだろう。

 田辺では、行きつけのユースホステルに泊まる。住宅地の中にあり、オフシーズンには実質的に個室として宿泊できるのが嬉しい。洗濯も自由にできるので、ここでたまった洗濯物を処理することにする。まだ後半3泊目なので、そう多く抱え込んでいるわけではないが。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
123rd名古屋732→亀山8509311M
124th亀山905→津922925C
125th津1009→松阪10262921D(快速・みえ1号)
126th松阪1054→熊野市12426003D(特急・南紀3号)
127th熊野市1249→新宮1319329D
128th新宮1347→紀伊勝浦14112344M
129th紀伊勝浦1531→紀伊田辺17332346M
乗降駅一覧
(名古屋、)津、松阪、新宮、宇久井[NEW]、紀伊勝浦[NEW]、紀伊田辺
[NEW]を付しているのは、この日にはじめて乗り降りした駅です。
訪問郵便局一覧
津塔世橋郵便局、津駅前郵便局、松阪朝日郵便局、那智勝浦港郵便局、紀伊勝浦郵便局

2002年5月2日
2007年2月21日、修正

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