第21日(2000年1月18日)

鯖江-敦賀-東舞鶴-綾部-太秦

 駅前のホテルを出て、鯖江発6時38分発の近江今津行き列車に乗り込む。旧特急用車両の車内設備を大きく更新した418系電車なので、固定式4人がけシートの上に覆いが広く張り出しており、車内は暗い。半自動扉であるが、普通列車には分不相応な狭いドアなので、乗降に時間がかかる。

 大きめのバッグやリュックを持った若者が多く乗っている。近江今津からは、湖西線の電車が頻繁に走っているし、大阪へ向かうには便利ということもあって、特急を回避したい人が集中しているのだろう。

 右手に福井電気鉄道の駅が見えてくると、武生に到着。女子高校生がわらわらと乗ってくる。

 北陸自動車道と並行して走る。今庄でそこそこの乗車があった。

 ここから、全長13kmを誇る北陸トンネルに入る。とにかく、長い、と感じる。なにせ、一本のトンネルの中で、2回も対向列車とすれ違ったのである。もちろん青函トンネルなどのほうがずっと長いのだが、あちらは長すぎて、走っている間が退屈でしかたがない。トンネルというのは、その中を走っている際に、適度な閉塞感と緊張感を維持させる程度の時間で通り過ぎるのが望ましい。青函クラスになると、この感覚が麻痺してしまうのだ。

 トンネルを出ると、すぐに敦賀に到着した。交通の要衝にして漁業の基地でもある。

 敦賀からは、小浜線に乗り換える。小浜線は若狭湾に沿って走る路線で、一回通して乗ったことはあるが、小浜にかぎらず途中駅で降りたことはまだない。その小浜は、応仁の乱で難を逃れた都の貴族が作った街といわれ、寺社が多く魚がうまい。今まで素通りばかりだったというのが不思議なくらいである。こういう街には敬意を表しておかなくてはならない。まずは、小浜まで行くことにする。

 7時38分発の列車は、キハ58系2連であったが、車体は全車青色に塗り込められている。なんだか水の塊がモコモコと迫っているような感じがする。ご多分にもれず、ここもワンマン扱いであった。各ボックスに1~3人程度の乗車率で、やはり高校生が中心だが、ビジネスマンもけっこう乗っている。道路事情がよくないのだろうか。もっとも、現在はこの小浜線沿いにも高速道路が建設されているそうなので、そうすると事態はまた変わってくるのだろうが。

 木ノ芽川を渡り、右に貨物専用線を分ける。左手にはずらりと倉庫が連なっている。

 人家が続く中、やや広い場所へ進み、笹藪を突き抜けると、片面一線のみの寂しい無人駅、西敦賀に到着。ここから高校生が多数乗り込んでくるが、ほとんどが女子高校生ばかりである。まさか女子ばかりいっぱい住んでいるわけでもあるまいし、ここに女子校の寮でもあるのだろうか。集落より高いところに位置している。女子高生が大量に乗り込むというパターンは次の粟野でも同様であった。

 いつしか人家が目に入らなくなり、左右は水田ばかりになる。ススキの波を抜けると、やや暗めの青色をした海が目に入る。そういえば、北陸本線の富山以西では、海はほとんど目に入らなかった。日本海を間近に望んだのは、直江津-糸魚川以来ということに気が付く。

 川を渡ると、美浜に到着する。若干の下車客があるが、乗車のほうがやや多い。小浜以東ではいちばん大きい集落だと思われるのだが、列車交換もせずすぐに発車する。

 次の木山で、件の女子高生が大挙してわらわらと降りていく。ワンマンなので降車扱いは先頭のドアのみで行っているのだが、彼女らは2両目からぞろぞろと移動する。このためなかなか発車できない。この一団がいっせいに消えて車内はずいぶんと静かになり、2両目は各ボックスに1人程度の乗りになる。

 三方は、交換設備が撤去され無人化されていた。いや、駅舎には人がいたので、簡易委託かもしれない。

 目の前に、滋賀県と福井県との県境を構成する山々が連なる。これらの山を避けるように、列車は築堤上を右へとカーブし、坂を登っていく。古い蔵を大事に使っている農家がずいぶん目立つ。

 大鳥羽は片面ホームだが、これまでとは違って進行方向の右側にホームがあった。これまでは、すべて左側、すなわち山側にホームがあったので、あれれ、と思う。ホーム幅も広く、駅舎は立派な鉄筋コンクリート2階建てであった。何らかの施設と共用と思われるが、こういう駅舎がずいぶん増えたものである。

 若狭有田は、集落に近接している。木造の家に白壁の蔵が並び、日本の農村の典型的な風景だと感じる。湿度の高いしっとりとした空気と木造の家、そしてその周囲に広がる田園を日本の原風景と感じるのは、いったいどうしてなのだろうか。

 上中を発車すると、右手に妙な形状の土盛りを見る。古墳といった雰囲気でもないし、いったいあれは何だろうか。

 人家がやや建て込むようになり鉄筋の建造物が増えてくると、東小浜に到着する。小浜市の郊外なのだが駅の規模は意外と小さく、片面ホームの下側に小ぶりの駅舎があるだけであった。

 小浜8時46分着。

 小浜駅を下車し、まずは定期観光バスの乗り場へ向かう。小浜の市内には多くの旧跡が散在しているため、これらを効率よく回るには定期観光バスが便利なのだが、なんと冬季運休中であった。事前に調べておかなかったためにまったく気づかなかったのは不覚だ。

 そうはいっても、小浜の街を徒歩で回っていれば丸一日あっても間に合わないと思われるため、レンタサイクルを借りる。レンタカーという選択肢は、はなから頭に浮かばなかった。ペダルをこぎ出すが、空がどんよりと曇っているのが気にかかる。大した降りにならなければいいけれど、と思う。

 まず、駅の西側にある八百比丘尼入寂蹟へと向かう。不老不死の比丘尼が八百にして入定したとされる場所だが、比丘尼とつながるような侘びしさを感じることもなく、小さな洞窟があるだけで特におもしろいものではない。むしろ隣接する小学校にある円筒形の校舎のほうがずっとおもしろかった。大阪駅前にある丸ビルを思い出させる。

 このほか、いくつかの社を駆け足でめぐりながら、小浜の街を走る。

 小浜城祉から自転車を進め、安政の大獄で獄死した幕末の志士、梅田雲浜の墓に着いたところで、雨が降り注いできた。徒歩なら傘をさせば済むことだが、なにせ自転車での移動中である。身動きが取れず、民家の軒先でしばらく雨宿りすることになった。それまでは「時間のかぎり回ってやろう」と思っていたのだが、こう雨がひどいと、気軽に移動するのが怖くなってくる。おまけに、ゴロゴロと雷が鳴り響いている。雷はともかく、雨は困る。

 やっと雨脚が収まったので、フィッシャーマンズワーフへと向かう。寺めぐりを続けるのは非常に心細いものがあるけれど、せめて海を見て魚を食おうという魂胆である。ここからは蘇洞門巡りの船が出ているのだ。花崗岩が削られてできた海食洞であり、ぜひとも一度見たいと思っていたのである。これをいいポジションで見るには船で行くしかない。ところが、強風のために観光船は蘇洞門へは行かず、小浜湾内を一周するだけという。これではつまらないので却下。何をやろうか、と無気力状態に陥りながらレストランへ向かい、ここで食事を取るが、これがまたいただけない。刺身がさほど新鮮さを感じさせないのはまだいいとして、鰺の冷めた開きなどを小浜で食べたくはなかった。同時に注文した冷や酒の口当たりがよかったのがせめてもの救いだったが、窓の外で激しくたたき付ける雨も相まって、ますます動く気がなくなってきた。

 天候が回復すれば、国宝建造物のある明通寺に行こうと思っていたのだが、この状態では、今日の小浜は機嫌がよろしくないようだ。素直に撤退するほうがよさそうである。

 小浜駅に戻り、今日の宿を予約する。このままの予定でいけば、京都あたりで泊まるのがよさそうだ。

 小浜13時47分発の列車は、2連ワンマンであった。半分程度のボックスに人が座っているという状態である。トンネルを抜けると、右手に海が広がる。蘇洞門行きの船に乗れなかったという思いもあるが、波の高さがかなりのもののように感じられる。

 松尾寺でばらばらと下車し、車内は閑散とする。西国観音27番札所に由来するが、むしろ舞鶴炭田を構成していた炭鉱があった場所というイメージが強い。ここから杉林と笹藪の中を突き抜け、下り坂をごろごろと転がっていく。しだいに人家が増し、東舞鶴には14時32分に着いた。

 東舞鶴では接続時間が30分ほどあるので、ここで途中下車する。「東舞鶴」と「西舞鶴」という2つの駅が並んでいるので、どちらが市の中心なのかがわかりにくいが、日露戦争以来の軍港であり行政の中心となっているのが東舞鶴、細川幽斎以来の城下町である古い町が西舞鶴ということのようだ。

 改札口でくだんの切符を見せると、

「どちらで作られました? ほう、稚内ですか」

 窓口の駅員がいれかわりたちかわりのぞき込み、「コピー取らせてもらえる?」と好奇心らんらんたるさま。「これ作るの何日ぐらいかかりました?」「運賃計算、パソコンで?」「お客様の計算と合いました?」などなど、話がつきないようす。これまでにも「最長片道」の経験者がこの駅を通ったこともあると思うのだが、ここでは途中下車しなかったのだろうか。

 東舞鶴駅は、おそらくは舞鶴線の電化とあわせてであろう、2面島式の高架駅へと大きく変貌していた。以前は大きくせり出した軒を太い柱が支える駅舎が大きく口を開けていたのだが、ずいぶんと味気なくなったものである。駅前は広大なタクシー乗り場となっている。空は曇っていて暗いが、ひとまず雨の心配はなさそうだ。“こちらでは大丈夫”といわれている感じで、複雑な気分になる。

 東舞鶴郵便局に行くと、ここにもインターネット接続端末が設置されていた。行きつけの掲示板のようすなどをチェックするが、マウスカーソル位置表示が不順で、タッチパネル操作がうまくできずに疲れる。

 ここからは舞鶴線の電車に乗って、綾部へと向かう。考えてみると、電化されてから舞鶴線に乗るのは初めてであった。

 15時6分発の列車は、113系2連ワンマンのリニューアル車であり、扉はボタン開閉式となっていた。

 西舞鶴も、以前は平地上の駅だったのだが、2面3線の橋上駅に大きく様変わりしていた。ここで、ビジネスマンを中心に多くの乗客がある。この駅から宮津方面へと分岐する北近畿タンゴ鉄道の車両が見える。ここでしばらく停車する。

 ここから先の中間駅は、すべてワンマン扱いとなっている。舞鶴線は、山陰本線と舞鶴二駅とを結ぶのが第一の役割となっており、それ以外の駅は“おまけ”扱いされているようだ。

 梅迫には「足利尊氏誕生の地 安国寺 南へ1km」という案内がホームに立っていた。並行道路の車をどんどん追い抜いていく。ローカル線の列車とは思えないが、これが電車の力というものか。

 綾部15時46分着。あっという間に着いてしまったような気がする。

 綾部駅も、白をベースとした橋上駅舎になっていた。ただし、ホームから改札へ通じる階段が狭く、私のように大きい荷物を抱えて上り下りするのにはかなり難儀する。まして、今は夕方のラッシュ時にさしかかっているため、人の列がいったん引いてから、のそのそと歩き出す。

 改札口に例の切符を出すと、

「うわー、もう捺すところないですね」

という反応がかえってきた。

 綾部では、駅すぐ近くにある郵便局に行くだけで、すぐに駅へと戻った。

 綾部16時19分発の山陰本線上り電車は、113系通常車2連ツーマンであった。短い編成なので大混雑かと思っていたが、意外にも各ボックスに2人程度の乗車であり、その多くは高校生であった。気のせいか、やや太めの女子高生が多い。ボックスシートの進行方向逆側に座る。向かいでは女子高生が本を広げていた。

 発車後、すぐに舞鶴線を分け、右へカーブ。軒の連なる民家の間を突き抜ける。家と家とが密着しているような感じだ。ほどなく由良川に沿う。右手には竹林と畑が並び、それに向かう川には大きな吊り橋がかかっている。

 川のなす谷がしだいに開け、なだらかな丘陵になる。山家は島式ホームだったが、1線スルー化されたのか、なぜか進行方向右側に進入する。何の用材だかわからないが、角材が線路脇に積まれていた。

 ゆるやかな棚田に、大きく高い屋根を持つ和風の民家が並ぶ。このあたりの光景は、なかなかなごめるので個人的には大好きだ。

 駅名がしゃれている安栖里(あせり)は、地下道を通って対向ホームに行く方式だが、駅舎さえない寂しい無人駅であった。わずかに風よけ程度の待合いスペースがあるのみである。ここでも交換。

 窓の外には美杉が並び、風を受けた竹が揺れる。由良川が和知駅に巻き付くように蛇行しており、その川と駅との間に集落が挟まれている。このあたりから山間部に入り、トンネルと鉄橋とが続く。古い路線なので、さほど長大トンネルばかりが並ぶわけではないので、列車がニョロニョロと穴くぐりをしているような感覚になる。そんな列車を、沈みゆく夕陽が弱々しく包み込む。

 山全体を余すところなく木が覆っている。管理が行き届いているのだろう。

 分水嶺を超えた先にある胡麻は2面3線の施設を持つ駅だが、本屋の反対側はほとんど使われていないようだ。立派な鉄筋コンクリートの駅舎を持っているが、カーテンが降ろされており、無人化されている。

 日吉は、体育館のような屋根を持つ駅舎に高校生がたむろしていた。ここで下りとの交換のため6分停車。ここもワンマン扱い。もっとも、高校生は乗りこんでこないから、下りに乗るようだ。下り列車と同時に発車する。気がつくと、なだらかで幅の広い川が右手に流れる。しかし、切り立った崖の角度は急で、河原も存在せず、岩がごろごろしている。

 トンネルを抜けると船岡である。神戸の阪急春日野道駅をふと思い起こさせる、狭い島式ホームであった。左手に工場がいくつか見える。

 2つの川が合流するところを過ぎると、駅の手前で停車。側線があるところで分岐すると、園部。ここで前に4両を増結する。ここで、向かいのボックスにずっと座っていた女子高生がやっと降りた。綾部の時点ではすでに乗っていたことを考えれば、園部まで帰るというのは相当な長距離通学である。乗客は入れ替わるものの、乗ってくる客がかなりいるので、ボックス当たり2人程度の乗車という実態に変化はない。園部では、増解結がこまめに行われているようだ。これまではワンマン運転だったが、ここから車掌が乗務する。

 すでに夜に入り、建物の輪郭がなんとかわかる程度になる。Jスルー対応簡易改札機が見られるようになり、関西の都市部に戻りつつあることを実感する。

 亀岡からは、すべてのドアが自動ドアとなる。やはり人の入れ替わりが大きい。改札口にずらりと並ぶ自動改札が、いよいよ町に入ったことを思わせる。

 今日は、太秦駅から徒歩圏内にあるユースホステルに投宿するので、太秦で降りる。太秦には女性駅員がいた。捺しながら

「ここでよろしいですか?」

と尋ねてきた。

 太秦の駅を出ると、雨の気配などかけらもない。人を食ったような天気であるが、結局、「最長片道」を携えし者はそれに従え、ということなのだろうか。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
157th鯖江638→敦賀715642M
158th敦賀738→小浜846926D
159th小浜1347→東舞鶴1432936D
160th東舞鶴1506→綾部1546344M
161st綾部1619→太秦1804148M→284M
乗降駅一覧
(鯖江、)敦賀、小浜[NEW]、東舞鶴、綾部、太秦
[NEW]を付しているのは、この日にはじめて乗り降りした駅です。
訪問郵便局一覧
小浜住吉郵便局、小浜玉前郵便局、小浜郵便局、小浜駅前郵便局、東舞鶴郵便局、綾部郵便局

2003年4月10日
2007年2月22日、修正

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