第23日(2000年1月21日)

新大阪-新神戸-西明石-尼崎-福知山-諸寄

 緑地公園から乗った北大阪急行の電車「ポールスター」は、車内放送がテープで行われていた。以前は、江坂以北の北大阪急行線では車掌が直接放送しており、すべてテープ放送だった大阪市営地下鉄とハッキリ分かれていたのだが、いつからテープ放送になったのだろうか。

 新大阪からは、新幹線に乗って西明石へ移動し、ここからとんぼ帰りして尼崎へ、そして福知山線で山陰方面へと動く予定である。要は新大阪から尼崎へと移動するのに、わざわざ西明石を経由するわけである。こんなルートを通ることは、最長片道切符を使わないかぎりまずないだろう。

 新大阪で新幹線ホームに移動すると、米原付近の積雪がひどく、下りの新幹線ダイヤはめちゃくちゃになっている。到着する「のぞみ」は、雪下ろしのために7分ほど新大阪に停まるというありさまであった。

 新大阪8時43分発の「こだま611号」は、各2列シートに1人ずつ程度の乗りである。発車すると、阪急電車とクロスして高層マンションの間を縫って走り、あとはトンネルに突入する。トンネルの隙間にある新神戸を抜け、西明石には9時8分到着。在来線電車のレベルが高い関西圏で、こんな短区間の新幹線利用をすることは通常はまずないのだが、やはり速いものは速い。もっとも、速くてもトンネルの中を突き抜けるだけで、つまらないことこのうえなくもある。取り柄といえば、在来線の新快速よりはるかに空いている程度だろうか。

 西明石で反対向きの在来線に乗り換え、9時20分発の新快速電車に乗る。JR西日本のアーバンネットワークを支える花形電車でもあり、車内は混んでいて、通路中ほどまでびっしりである。

 澄んだ青空を背景に、明石城の櫓が見える。眺めはいいが、当方は大荷物であるうえ混雑の度合いも大きく、身動きがまったく取れない。

 神戸で相当に客が入れ替わり、ここで着席できる。しかし乗り込む客が多いため、かえって混んでくる。この傾向は三ノ宮でも変わらない。阪神間で育った人間から見れば、上りの三ノ宮で阪急や阪神に乗り換える客が多いために電車が空く、というイメージがあったのだが、新快速の充実や運賃格差の縮小に伴って“大移動”は小さくなり、どこまで行っても混んでいるようになった。もちろん混んでいるとはいっても、首都圏のラッシュ時に比べれば大した混雑ではないのだが。

 傾動地塊である六甲山地の斜面に、ずらりと高層住宅群が並んでいる。ひとつひとつの家々がオブジェのように見える。六甲山地の斜面がいつまでも続き、その斜面の中ほどを平行に鉄道が走っているわけで、天井川である住吉川の下をくぐったりする。首都圏も、中央線の四ッ谷付近などで地形の変化を楽しむことができるが、神戸近辺の変化はその比ではない。

 夙川を過ぎると完全に平地となる。西ノ宮駅の北側は駅前広場が完成しており、旧貨物駅の跡地が広々と用地を占領していたような雰囲気はもうなく、私が住んでいたころとは大きく様変わりしていた。

 尼崎9時57分着。ここで福知山線に乗り換える。

 尼崎では、10時ちょうど発の川西池田行き快速が入ってきたので、これに乗り込む。福知山線の電車は遅れているようで、定刻なら9時58分発だったから、意外な乗車という形になった。新型ロングシート車である。

 沿線には工場ばかりが目に付く。伊丹を出て右に猪名川が沿うと、やっと左手に一戸建ての民家が見えるようになる。ほどなく終点、川西池田10時11分着。

 川西池田ではわずか2分の接続で、後続の各駅停車に乗り換える。車両の前面には雪がびっしりとくっついていた。下りでこれなのだから、この先はどうなることだろうか、と思う。

 曇ってきたうえ、雪がチラチラと舞い始める。113系セミクロスシート4連、各ボックスに2人程度の乗りである。なんともカラフルな畑が目に付く。いったい何を栽培しているのだろうか。

 右手に阪急が併走するようになり、右へカーブすると宝塚市街へと入っていく。左手に宝塚ファミリーランドが見える。阪急宝塚線をアンダークロスし、宝塚に到着する。こちらは予想どおり、阪急宝塚線からの乗り換え客とおぼしき乗客がかなり多く乗り込んでくる。雪がかなり強くなり、風景がじわじわと白くなっていく。右には側線があり、かなりの貨車がとまっていた。

 西宮名塩では薄日こそ差しているものの、すでに雪が激しい。武田尾ではもう積雪があり、木々はうっすらと白いおしろいをまぶしている。このあたりはトンネルが多いが、トンネルとトンネルの間に見える雑木林が、冬の表情を見せている。川、工場、畑が混在し、そそりたつ岩の崖がそれらの限界を示している。

 長いトンネルを抜けて平地に出、うっすらと白い水田が左右に広がると、やっと陽が出て雪がやむ。高層住宅が目立つようになると、対向式橋上駅の三田。ここでかなりの乗客が下車し、ドア脇を除けば立ち客がいなくなる。

 バスターミナルやショッピングセンターが見えてくると、新三田に到着する。ここでもけっこう降りる。新三田に最初に訪問した1986年12月には、こんな周囲に何もないところに新駅を作ってどうするんだろう、と思ったものだが、今となっては家がなかなか途切れない。変われば変わるものである。

 三田の市街地から外れた広野で、雪が再び激しくなる。空は落ち込むような墨色になる。西日本に来て、ここまで「冬」を実感したのは初めてだ。

 並行する国道176号線の車をどんどんと追い抜く。車窓には田園が広がり、人家はしばし車窓から消える。田の面から、標高が少しずつ上がっているのがわかる。古い家がしばしば見られ、蔵と母屋との間隔を詰めている建物があるが、何というのだろうか。

 相野でかなりの下車があり、開いた扉から雪と冷気が入り込み、身を縮こまらせる。車窓全体に白いヴェールがかけられたようになる。駅の近くに池があったが、水面は3分の1程度が氷結していた。

 この線の中核駅といえる篠山口は、いつの間にか2面3線の新しい橋上駅舎へと変貌していた。綾部駅と似ているが、Jスルー対応自動改札機が導入されている。左手には側線が広がり、駐車場に車がいっぱい停まっている。そこそこの時間停車するので、この時間を利用して立ち食いそばでも食べたいと思ったが、そんなものはなかった。ここから単線となり、また多くの駅が無人となるなど、ローカル線の雰囲気がますます濃くなる。

 篠山口を発車すると、雪はさらに激しさを増し、視界は相当に悪い。積雪は10~20センチといったところか。舞鶴道が併走し、ついで篠山川が沿う。

 島式ホームの丹波大山に停車している間に、車掌が検札を行う、

「うわー、すごいですねぇ…どこからどちらまで?」

「ふー、初めてですわ」

「ごくろうさまです」

といった反応。検札が終わった時点で発車するかと思いきや、上り特急が雪のために遅れているということで、こちらもそれに応じてかなりの時間停車するという。今日のスケジュールはもともとアバウトなものなので、そっか、ぐらいにしか思わない。この時間を利用して、駅の外に出る。小さな集落の中にある、静かな無人駅であった。

 篠山川の広い河原は、白一色の世界の中に茶色を見せるアクセントとなっている。水田も、あぜ道が何とか見える程度の積雪となっている。削られた岩が川の中に転がる。

 谷が開け、農家が見えてくると下滝に着く。ホームがかなり長い。駅からすぐの所に郵便局がある。電車はかなりの高速で飛ばすが視界は悪く、左の山々は稜線がかろうじてわかるといったありさまである。

 加古川線との分岐駅である谷川には、対向式ホームの先に、切り欠け式ホームが設置されている。こちらが発車するのと同時に、上り大阪行き快速電車が入れ違いに発車していった。切り欠け式ホームには、青緑色の車体にオレンジ色の帯を巻いた、加古川線の西脇市行き単行ディーゼルカーが停まっていた。

 しっかりした蔵を持つ農家が実に多い。丹波の農家には、地味の富んだ土に支えられた豊かさを感じる。そんな農家が増えてくると、柏原に到着。ログハウス調の有人駅で、周辺の雰囲気からは浮いた観さえある立派な建物である。

 下り勾配となり、薄日が差す。少しずつ平地が広がり、それに伴って製材所などが目立つようになる。黒井には「春日局生誕の地」の看板が建っていた。一応有名な場所らしいのだが、時代劇にあまり興味のない人間にとっては、さしたる感慨もない。旧貨物ホームに古い倉庫が隣接していた。ここから再び雪が降り始めるが、列車はおかまいなしといった風に進む。

 市島を発車してから車掌が乗務し、再度検札。切符に福知山車掌区の印を捺す。

「どない回られるんですか……福知山から、鳥取、因美線、…はあ、ごくろうさまです」

 田畑は完全に雪に埋もれ、その区切りを形状から判断することもできない。レールもほぼ雪に埋もれているのだが、2本の溝があるためにそことわかるのみである。

 アパートなどがちらほら見え始めると、日差しが急に強くなり、雲がずいぶんと晴れてくる。雪が枝からぼろぼろとこぼれる。何をどう考えたか、もう春なのかなぁ、などと思ったりする。

 福知山には12時16分着いた。えんえんと丹波を走り抜いてくると、都会に戻ってきたような錯覚に陥る。

 福知山では、ダイヤどおりであれば12時14分に発車するはずの列車が、まだホームに止まっていた。大雪による車両点検ということで、結局12時27分発となる。またまた本来ならば乗れなかった列車に接続できたわけである。しかし、駅長から助役、保線係まで総出でチェックしている。113系3連と、福知山線の電車とほぼ同じ編成である。

 北近畿というより、まさに雪国の風景が続く。再び激しくなった雪が窓の外を流れ、山も何も見えない。北の暴れ川、円山川が静かに流れているが、そのおとなしさはむしろ不気味に見える。

 ダイヤの乱れじたいも半端ではないようで、上川口でしばらく停車してから「特急列車待ち合わせのため6分停車します」といったアナウンスが流れたりする。駅の外に出ようかとも思ったが、雪があまりにも激しいので断念する。雪が途切れたのは福知山のあたりだけのようで、すべてが雪の中にとけ込んでいるような気がする。

 下夜久野は国鉄時代の雰囲気をよく残しており、幅広のホームを持っており、人が通れる程度に雪かきされている。もっとも、敷地は広いが、有人かどうかは不明だ。右下に見える集落や田畑がかすんでいる。杉が雪の重みに耐えかね、でろん、と枝を垂らす。

 播但線が合流する和田山でさらに雪が激しくなる。ここでかなり乗り込んでくる。積雪は4~50センチくらいか。養父(やぶ)で特急「きのさき」を待ち合わせる。行き違いとなった特急列車の顔は真っ白である。

 八鹿で、おばさんが大儀そうに半自動ドアを開ける。この列車のドアは片方の扉を動かすともう片方も動いてしまうので、重たくなっているのである。ボタン式なら楽に開閉できるのだが。

 額に、ピチャン、と水が当たる。窓を見ると、雪の融けた水が隙間から漏れているようだ。古い車両ではよくある話ではあるが、文字通り冷水を浴びせられるのはよろしくない。空いているので、通路側へと身体を移動する。

 行李や鞄の生産で有名な豊岡でかなりの乗車があり、各ボックスに2~3人となる。豊岡の駅舎は従来のものと同じ。「タンゴエクスプローラー」と「タンゴディスカバリー」が停まっている。ここでも上りと交換待ち、「北近畿」到着直後に発車。道路の下を潜り、北近畿タンゴ鉄道宮津線が右へと分かれる。機械工場が多い。

 豊岡盆地は「財布忘れても傘忘れるな」といわれるくらい雨の多い地域で、地質的にも砂礫層を形成していて標高が低いため、水害が多々発生している。右側に流れる円山川が暴れ川と呼ばれるゆえんであるが、今のところは大丈夫であることを祈るのみである。

 玄武洞は対向式ホームの無人駅。円山川の水量はかなり多いようだ。玄武岩の柱状節理が形成した洞穴である玄武洞には一度行ったことがあるが、洞窟としては思ったほどではないにせよ、石の形が強く印象に残っている。列車で行く場合は玄武洞駅から渡し船に乗って円山川を渡る必要があるのだが、この雪では船は出ていないだろう。

 城崎13時52分着。説明不要の大温泉街である。電化区間はここまでで、この先はディーゼルカーに乗り換える。

 いったん下車するが、出札には下車印はなかった。改札氏に 「みどりの窓口で捺してもらってください」 と言われるが、接続時間が短く、窓口自体も混んでいるのでパスした。スタンプ用紙と見間違えそうなしろものをさらに見にくくするためだけに、きっぷを買う行列をさらにのばすだけの度胸は、私にはない。駅前は雪が少し融け、シャーベット状になっている。足下がおぼつかない人がけっこう多いが、観光客だろうか。駅前に、古いバスの待合室があったが、ここに人がびっしりと集まっていた。そんなに寒いかな、とも思うが。

 ここから、小浜線以来のディーゼルカーに乗り込む。キハ47のワンマン2連であった。2両目右側に陣取る。半分くらいのボックスに人が納まっている。

 有人駅の竹野で、グリーンカラーの普通列車と交換する。こちらの到着後、むこうはすぐに発車する。高校生が数名降りる。駅にくくられているのぼりから察するに、かなり風が強そうだ。ふと、1986年の餘部鉄橋からの列車転落事故を思い出した。列車が吹き飛ばされることがないよう祈るのみである。

 左にカーブすると、かなり荒れている日本海が見える。この前の小浜の比ではなく、白く泡立つ波の花が砕けている。黒い海との対象が凄絶だ。

 無人の信号場で、上り特急「はまかぜ」と行き違いを行う。7連だったが悲しくなるほど空いており、全体で50人も乗っていたかどうか。

 南側の雲は暗く低いが、北側の雲は明るく高い。佐津で、意外にも若い3人の女性グループが下車する。しかし、観光客がワンマン列車に乗った場合によくあることだが、下車方法がわからず、クローズされている後部車のドアを一所懸命に開けようとする。

 再び日が差すと、香住に到着する。このあたりから、うまいカニが獲れる漁港が入り江ごとに出現してくる。乗客はそこそこあるが、まだ空きボックスがかなりある。やはり風は強い。

 右手の日本海は、やはり盛大に荒れている。叩きつけられる浪の泡をぼうっと眺めていると、ぬぞっと引き込まれそうになる。香住で乗ってきた、ランドセルを背負った小学生たちがうるさい。小学校通学なのか、保護者はいない。

 鎧からは、窓の下に海蝕崖が見える。待ち合わせのため、駅の外にいったん出て駅舎を撮影する。

 トンネルを出ると、くだんの餘部鉄橋である。よく「空中に放り出されたよう」という表現があるが、足場がないのになぜかポカンと宙に浮いている感じがするのである。最初の瞬間は楽しいが、次の瞬間になると落ち着かなくなる。しかし、窓を開けて下をのぞいたりすると、逆にホッとしたりする。車掌が乗務していたら「お客さん、やめてください!」となりかねないところだけれど。

 集落が集まってくると、それまで小降りになっていた雪が再び激しく降りだす。浜坂15時6分着、ここで下車する。

 浜坂では郵便局に立ち寄ってから、次の接続列車に乗り込む。15時35分、定刻に発車する。岩見と鳥取以外、後ろの車両のドアは開かない旨のアナウンスがあった。有人駅がそれしかない、ということだ。

 諸寄15時38分着。今日の宿はここに取ってある。なんでこんな日が高いうちに、と思うだろうが、悪天候なので列車が遅れる可能性を念頭に置いていたにもかかわらず、実際にはダイヤの乱れによって予定よりも早い列車に接続できることがあり、想定していない時間帯に着いてしまったわけである。キャンセルして鳥取あたりまで行ってもいいのだが、早く寝ておいたほうが体力的にも楽だろうし、今日はのんびりしようと考える。飲んだくれの昨日といい、ごろ寝デー決定の今日といい、ずいぶんと怠惰になったものである。

 駅前から急坂を下り、線路の下を潜って諸寄の集落に行く。ここでも郵便局に行ってから、ほぼ真向かいにある民宿兼営のユースホステルに移動する。さすがにこんな早くに着くとは向こうも思っていなかったようだが、空が荒れている以上仕方があるまい。

 しかし、空が荒れれば海も荒れるのは致しかたのないところなのか、夕食が本当にありあわせのものしか出なかったのには参った。場所が場所だけに、新鮮な海の幸を食べたいと思ったのだが、平凡な揚げ物ばかり並べられてもありがたみもなにもない。以前は刺身が出たはずだったのだが、と思う。

 暖房は有料で、基本はコタツのみ。このコタツにコンセントを1つ使うと、残りは1つである。このためTVもつけず、時刻表や地形図やらを広げ、今後の予定をあれこれ考えた。静かな一室で、時刻表をぺらぺらめくり、地図記号を追っていると、それだけで時のたつのを忘れてしまう。列車に始終揺られているのは幸せだけれど、畳の上でこんな作業に没頭するのも本当にいいものである。動かないことにより得られるゆとりのようなものを感じた、長い午後であった。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
167th新大阪843→西明石9082611A(新幹線・こだま611号)
168th西明石920→尼崎9573300M(新快速)
169th尼崎1000→川西池田10111517M(快速)
170th川西池田1013→福知山12162727M(快速)
171st福知山1227→城崎1352431M
172nd城崎1408→浜坂1506181D
173rd浜坂1535→諸寄1538539D
乗降駅一覧
(新大阪、)西明石、篠山口、丹波大山[NEW]、城崎、浜坂、諸寄
[NEW]を付しているのは、この日にはじめて乗り降りした駅です。
訪問郵便局一覧
浜坂郵便局、諸寄郵便局

2003年4月14日
2007年2月23日、修正

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