第24日(2000年1月22日)

諸寄-鳥取-東津山-姫路-上郡-岡山-津山

 もぞもぞと、布団の中で手足をこすりながら目を覚ます。暖房がないために布団の外は寒いのだが、何もせずにのんびりできることとは贅沢なことだなどとも思う。

 旅館のおかみさんに「雪は峠越えたみたいです。お気を付けて」と見送ってもらい、足を踏み出すと、行きが適度に凍っていてジャクジャクと音を立てる。この程度がよろしい。けっこう急な坂を上るので、完全に凍結してしまうと坂などとても登ることができず、かといって雪がすっかり溶けてしまうと水浸しになって困ったことになる。

 諸寄6時29分発の列車は、キハ47系の2連ワンマンで、朱色一色であった。先頭車には5人が乗っている。

 居組で「はまかぜ」と待ち合わせのため、10分停車する。この間を利用して外に出るが、やはり足下に敷き詰められている氷が冷たい。それなりの駅舎を持つ駅だが、集落より高いところに駅が設けられているのか、駅前には何も見あたらず、スロープ状の坂が下へと消えている。暗くて何も見えないうえ、そもそも人の気配を感じない。車内に戻ると、整理券発行機の具合がよろしくないようで、運転士が四苦八苦していた。

 このあたりでいちばん大きい駅である岩美から、高校生がまとまって乗ってくる。あわせて地元のおじさんおばさんも乗り込み、すべてのボックスが人で埋まる。手をこすり合わせている人が多い。やはり今朝は十分に寒いのだろう。毎日毎日北へ南へと動いているせいか、寒いのか温かいのか、肌の感覚がいよいよおかしくなってきた。

 水田が右に広がる。一面一線の大岩から、やはり高校生がまとまって乗車。ホームの反対側にはコンビニが見え、鳥取への通勤通学圏に入ったことを実感する。ここまでの区間では、無人駅の駅前にはコンビニなどまったくなかった。

 このあたりから、しだいに集落よりも高いところを、山肌に沿って進んでいく。2両の通勤通学列車は満員となり、窓ガラスがうっすらと曇ってくる。

 高架に入ると、ほどなくして鳥取に到着した。

 今日のコースでは、ここから因美線に乗り換えて東津山へ行く。ところが、この因美線の列車がどのホームに入っているのか、案内放送などがほとんどないため、さっぱり見当がつかない。列車の接続時間は4分である。通常であれば、接続のよさ抜群なり、でよいのだが、こうなると怖い。

 幸いなことに、鳥取駅は島式ホームが2つ並ぶだけの単純な構造なので、まず階段を下りて案内表示を確認し、もう一度ホームに駆け上がり、やっと列車に乗り込む。まだ空席があった。JRの車両ではなく、第3セクター智頭鉄道の3連で、私が乗った車両は「HOT3502」であった。セミクロスシートで、座席の座り心地はなかなかよい。車内の大半は高校生である。

 鳥取を7時29分に発車したディーゼルカーは、なかなかよい加速で進む。

 工場の裏手にある津ノ井は交換可能駅で、島式ホームを持っている。ホームは雪で覆われているが、足跡があさっての方角へと続いていた。白に覆われた集落が見えるが、個々の木がよいアクセントになっている。積雪量はさほど多くなく、雪かきが必要ということはなさそうだ。瓦屋根の具合から判断するに、豪雪をあまり考慮していないようである。

 若桜鉄道との分岐駅である、郡家(こおげ)で5分停車する。ここで鳥取行き普通列車と交換するとともに、若桜行き列車に接続する。ここで相当数の乗客が下車し、2~3ボックスに1人程度という状況になる。

 ホーム片面のみと思われる河原あたりから積雪が増え、家々の屋根にたまる雪がうずたかくなる。水田の境界も、あぜ道の盛り上がりによって判別できるのみだ。これは、まちがいなく「雪国」の風景である。

 銀世界に見とれていると、車掌が検札にまわってくる。「はい、ありがとうございます」で終わり。経由別紙最終行に「鳥取-因美線-」という記述があったのでわかりやすかったのかもしれないが、あっけない。まだ若い車掌で、挙措がぎこちない。一人乗務のようだ。

 国英あたりで、積雪は4~50センチメートルに達する。なぜか大きな杉が2本、ホームに生えていた。

 しだいに急な上り勾配にさしかかるが、新しいディーゼルカーはパワフルで、このぐらいは楽々という感じでエンジン音を高らかにならし、高速で走る。左右に山が迫る。その迫る入り口に、ちょいと小集落が現れる。木々の枝もぐにょんと垂れ下がっている。山の斜面はすでに白一色だ。

 トンネルをくぐると小さな盆地に入り、智頭駅に8時16分に到着した。

 因美線は、因幡国と美作国を結ぶ路線であり、具体的には津山と鳥取との間を走る。しかし、智頭以北と智頭以南とでは、別の路線と呼んでも差し支えない。智頭以北は、智頭急行線と接続して高規格化され、大阪や岡山と結ぶ特急列車が頻繁に運転されている。いっぽう智頭以南は、特急はおろか急行も運転されておらず、しかも県境区間を走るものだからローカル輸送も微々たるもので、まことに心細い。智頭急行開業前は、岡山-津山-鳥取というルートに多数の急行列車が運転されており亜幹線としての役割を担っていたが、現在は岡山と鳥取を結ぶ特急は、岡山-上郡-智頭-鳥取というルートを通っている。岡山と津山の間の流動はそれなりにあるが、津山から北の区間は、鉄道としていつまで持つか心もとない状況だ。もっともこれは、中国山地の日本海側を走る木次線や三江線とも共通する現象なのだが。

 智頭からは、8時26分発のキハ40ワンマン単行列車に乗り込む。発車の時点で乗客はわずか5人と、寂しい。「祝 智頭線開業5周年」という看板が目にはいる。

 駅を出るとすぐに急坂にさしかかるが、もともと非力なキハ40には辛そうで、かなりの鈍足で進む。奥羽本線の秋田、山形県境のような車窓が続く。アイドリング音こそ高いものの、なかなか進まない。窓ガラスがガタガタ鳴りっぱなしで、かなり無理をしているような感じがする。

 土師は、民家が何軒か集まったというところにある片面のみの駅。青いホーロー板に白字の駅名標が残っている。

 杉林の中へぐりぐりと分け入り、トンネルを抜けると、周囲は杉ばかりになる。車窓には木造の民家がちらほら見えるが、どれも屋根が非常に大きい。雪という魔術の前に、家々が沈黙しているような印象を受ける。

 分水嶺を越えて下りになると、ディーゼルカーは息を吹き返したように元気に走り出す。並行道路の壁に、雪が自然の造形――白黒の波模様――を描いている。樹氷の迫力に、季節を再確認する。

 列車は、カーブの下り坂を最徐行で通過していく。眼下は細い川に道路であり、ちょっと怖い。「25 雨:15」という標識あり。それだけ勾配が急なのだ。

 美作河井に到着する。駅前にはマイクロバスがあり、地元の人が8人ほど乗ってくる。この駅はタブレット交換が行われていた当時、駅長がホームに直立不動で列車を出迎え、徐行して走り抜ける急行「砂丘」とタブレットをやり取りするという光景が比較的最近まで見られることで有名だった。以前に因美線に乗ったときには、わざわざ「砂丘」と行き違いのために十分に停車する普通列車を選んだものである。しかし現在は自動閉塞化され、因美線でもタブレット交換は過去帳入りしてしまった。どうなったかと窓の外を見るが、交換設備はおろか、ホーム上のタブレット受けなどの設備もきれいさっぱり撤去されている。乗降客がもともと少ない駅なので無人化されている。このままでは、貫禄のある木造駅舎も先が危ういかもしれない。

 やはりタブレット授受を行っていた美作加茂では、交換設備は残されていたが、ワンマン扱いだった。駅務室には人がいるが、JRの駅員かどうかは確認できない。ここで一気に乗客が増え、各ボックスに3~4人という乗車率になる。おばさんが多く、方言が活発に飛び交う。

 列車は加茂川に沿って進む。山にかぶる雪も徐々に薄くなってくる。南へと流れる川面からは、凍てつくような厳しさはもはや感じられない。雲に覆われている空の曖昧なさまが、この風景自体を漠としたものに変じているように見える。

 駅ごとに乗客があり、智頭発車時のガラガラぶりが嘘のようだ。県境付近での旅客流動は極端に落ち込む、という典型的な構図は、この因美南線にもそのまま当てはまるようである。

 線路脇の木の雪が、窓ガラスをパチパチとたたく。製材所が見えてくると、美作滝尾。ここには木造のクラシックな駅舎が残っていた。やはりかなりの乗客があるが、すでに全席が埋まって立ち客まで出る。この程度の乗客に対して単行というのは問題があると思うが、これは日常的なのか、あるいは一時的なのか。ちょっとした買い物や用足しに津山に出る、といった感じの人が多い。

 下り坂を進むが線路状態がよろしくなく、ガタガタという振動が伝わってくる。また車内外の気温差が大きいようで、窓ガラスがしだいに曇ってくる。窓ガラスをティッシュペーパーでこすりこすりしていると、しだいに山林が後衛に回り、田畑が前面に押し出てくる。

 津山盆地に入ると、高層のアパートや整然と区画された水田が現れる。山越えをしてきた当時の因美線の姿はもうどこにもない。

 東津山9時35分着。有人駅だが集札は行わない。ここで姫新線に乗り換える。

 姫新線は、姫路と新見とを結ぶ路線で、途中に津山市をはさんでいる。姫路は山陽新幹線や山陽本線が通る大駅で、その近くでは都市近郊路線の性質を帯びるが、これ以外では完全なローカル線である。津山に行くには津山線が、新見に行くには伯備線が便利で、それぞれ岡山から列車が頻繁に走っており、姫新線には都市間輸送は期待されていないのだ。国鉄時代には大阪発の急行列車が走り、その後もしばらくはそのダイヤを継承して快速列車が設定されていたものの、これもいつしか消え、短距離の区間列車がとぼとぼと走るのみとなっている。もともと地味な中国山地を、横断ではなく縦断するのだから、なおのこと地味な路線になっている。それでも津山以東は比較的人口密度が高い地域なので、空気輸送状態が姫路近郊まで続くということはないだろう。

 姫新線の接続はよく、ほどなく東津山9時46分発の、キハ120単行ワンマンカーがやってくる。セミクロス車で、中学生くらいの女の子数人と男子高校生、それにおばさんという乗客が16人である。因美線を左に分ける。

 下り坂を一気に進む。ここにも「25 雨:15」の表示。坂が終わると左手に中国縦貫道が見え、小集落の中に入っていく。

 西勝間田では、ホーム斜面に植木がまるい玉のように整えれていた。片面ホームのみの無人駅だが、地元の人が手入れしているのだろうか。大荷物のばあさんが乗ってくる。

 それほど急ではない下り勾配が続き、比較的パワーのあるキハ120は軽快に進んでいく。積雪はほとんどなく、道路脇などに多少雪が残るという程度になる。

 勝間田で乗客の大多数が下車し、乗客はわずか6人に落ち込む。駅務室には電気がついていた。駅前にはちょっとしたスーパーマーケットがある。いよいよ身軽になったディーゼルカーは、一直線に近い線路をかなりのスピードで飛ばす。

 林野で、これまでの乗客が全員降り、入れ替わりに20人ほどが乗ってくる。林野は美作町の中心に位置し、駅前には高層マンションや分譲住宅が建っている。ホームには立派な屋根があり、行灯式の駅名標がつり下がっている。ここもワンマン扱いとなっているが、どうやら有人無人関係なく、起終点以外はすべてワンマン扱いにしているようだ。中間の有人駅でも、早朝深夜の時間帯には無人となる場合が多いということもあるのだろう。

 交換可能な美作江見は、黒基調の木造駅舎を持つ有人駅である。駅の脇にはマンションが建つ。吉野川流域の物資の集散地で、このあたりにくると経済的には阪神志向となる。荒れ地と田畑の入り交じる中、ひたすら下り勾配が続く。民家が長く途切れることはないが、かといって大きな町が現れるでもない。

 淡々とした風景を眺めていると、いつしか睡魔に襲われ、しばしとろとろとする。気がつくと、上月に到着している。真新しい立派な駅舎が建っており、駅前広場はきれいに整備されている。発車直後に女子中学生が3人バタバタとホームに駆け込み、列車は急制動をかける。発車が少し遅れるが、もともとダイヤの余裕は十分だ。ローカル線ならではの光景といえるだろう。

 左から高架線が寄り添ってくると、ほどなく終点の作用(さよ)に到着する。

 佐用駅は、智頭線が開業してきれいに整備されたといえば聞こえはいいが、実際にはコンクリート打ち放しで非常に冷たく感じられる。無機質な構造物なので清潔感はあるが、ところどころに雪が残っているようなところでは、寂しさを増幅させるほうに働くと思うのだが。

 佐用11時発の列車は、キハ40単行のワンマンカーである。この列車は姫路行きなので、もっと長い列車がくるのだろうと思っていただけに、意外な気がする。佐用を発車した時点で全ボックスに人が座り、2~3人ずつが席に収まっている。佐用あたりでこれでは、姫路に着くころには超満員になってしまうのではないか。それにしても、おじさんおばさんから若い女の子まで実に幅広く、客層の特徴がさっぱりつかめない。

 播磨徳久では、打ち捨てられた対向ホームがすっかり草むしており、わびしい。良質の米を生産している地域だけあって、周囲には立派な民家が多い。乗客もかなりあり、車内はにぎやかになる。

 三日月で交換する。下り列車は2連だが、あちらはガラガラである。学校、農家、小工場というまことにありふれた風景が続く。路面の状態が相当悪いのか、窓がガタガタと非常にうるさいうえ、列車自体がきしむ。

 片面ホームのみの千本は、民家の軒先のような場所にあるが、この時点ですでに立ち客が出る。

 車庫のある播磨新宮の左手には工場が控え、列車はさらに混み合ってくる。さすがにここは終日有人駅とみえ、ワンマン扱いは行われない。ここからは姫路の通勤圏に入り、水田の中にアパートが建っていたりする。座っている乗客の多くはうとうとモードに入っている。

 東觜崎には「揖保の糸」の工場が隣接しており、ほかにも「播州素麺 株式会社横尾商店」と壁に書かれた製麺工場がある。奈良の三輪、長崎の天草と並び、兵庫の揖保はそうめんの三大産地である。

 対向式ホームを持つ本竜野は、跨線橋で駅本屋へとアクセスする。乗降ともかなりの数があり、列車の中の空気が入れ替わるような気になる。「童謡の里 赤とんぼの駅」という標柱がホームにある。筆者とは何のゆかりもないが、龍野は脇坂家の城下町として栄え、うすくち醤油の産地として知られる。また、詩人・三木露風生誕の地としても知られている。木造白塗りの和風そのものといった感じの駅舎がちらりと見える。

 駅ごとに乗客の数が増え、通勤ラッシュ並みの混雑になる。姫路に12時9分に着いたときには、座っている身ながらほっとした。まだクロスシートだったからよかったが、ロングシートなら相当な圧迫感を受けただろう。ホームに降りると、風が強く冷たい。

 ここまできてしまうと、あとは楽だ。今日はここから岡山経由で津山に行き、ここで泊まることになっているが、列車はほぼ1時間ごとに出ており、小駅で立ち往生を食らう可能性はほとんどない。このため、この姫路あたりでちょっと休んでもよいのだが、とりあえず行けるところまで行きたい、と思うようになっている。昨日もそうだが、特に急ぐ必要もないのにとにかく列車に乗ってしまうというのは、もはや列車がないと落ち着かないという“禁断症状”が現れているということなのか。

 姫路12時34分発は、新型の新快速同様の列車である。高規格の山陽本線を轟然と走る。これまで淡々とした風景の中を淡々と走る列車に乗ってきたこともあり、まるで別世界の列車のようだ。転換クロスシートの乗り心地もよく、こんな車両で通勤できれば本当によいだろうな、と思う。

 相生で、高校生など乗客の大半が下車し、赤穂線へと乗り換えていく。相生と岡山との間は、山沿いの山陽本線と海沿いの赤穂線とが走っている。

 山陽本線は複線である一方、赤穂線は単線なので列車の行き違いが多く、所要時間にはかなりの差がある。しかしほぼ並行して走っているうえにこの区間の列車本数はさほど多くないため、どちらを経由する乗車券を持っていても自由に選択して乗ることができるようになっている。

 運賃計算の基準となるキロ数は、山陽本線の相生-岡山は67.9キロ、赤穂線は70.4キロとなっており、赤穂線のほうが遠回りに見える。しかし、山陽本線は幹線だが、赤穂線は地方交通線として割増運賃適用路線に指定され、運賃計算キロ数が1割増しとなっている。この補正を除けば、赤穂線の営業キロは64.7キロとなり、赤穂線のほうが短くなる。

 こうなると、最長片道切符の旅をする者としては困ることになる。実際のキロ数を、0.1キロ単位で厳密に計算することは技術的に難しいので、距離計算は時刻表などで掲載されているキロ数をベースに行うことになる。しかし時刻表掲載の営業キロ数は、原則として実際に測定した距離をもとにしているものの、例えば新幹線の営業キロ数が在来線とまったく同じ営業キロ数になっているなど、実際のキロ数とはかけ離れた数値になっている。こうなると、営業キロ数を絶対基準にするのは抵抗がでてくる。そうすると、運賃計算を行うキロ数をベースに計算したほうが首尾一貫するようにも思えてくる。

 結局私はなかなか踏ん切りがつかないまま、営業キロ数ベースの「最長片道」ルートを選択してきっぷを購入したのだが、どうにもすっきりしない。営業キロで最長なら、この相生から山陽新幹線に乗って岡山まで行っても同じことになるのだが、長大な帆坂トンネルなどでショートカットする山陽新幹線と“同じ”というのはひっかかる。むしろ、運賃計算キロ数ベースで遠回りになる相生線の顔を立てるべきかもしれない、などとも思う。

 いろいろな考えが頭の中をぐるぐる回るが、なかなか結論が出ない――要するにぐずぐずしているうちに、列車のドアが閉まった。赤穂線を左に分け、私の乗った電車は複線の山陽本線をぐいぐいと進んでいく。

 電車の終着駅、上郡には13時6分に着いた。大きな駅前広場があるが、駅周辺の商店街はひっそりとしている。

 上郡では30分の待ち合わせで、後続の列車がやってきた。みかん色のオーソドックスな113系電車である。各ボックスに2人ずつ程度の乗車率である。

 姫新線よりは地形の変化があるものの、それでも平凡な光景ばかりが目に残る。この区間は、急ぐ場合は山陽新幹線、急がない場合は赤穂線を使い、山陽本線にはほとんど乗っていないことを改めて思い出した。民家と水田とが交互に現れるばかりなのだ。ただ、どの家の屋根も立派で、しっかりした瓦を載せている。

 長大な船坂トンネルを越えると、今では分不相応な構内を持つ三石に到着する。上郡同様に地下道を通って駅舎へと至る駅で、近くに大きい工場もあるが、集落の規模がだいぶ違う。蒸気機関車の時代には運転の拠点だったのだろうが、今となってはなぜこのような駅の施設が立派なのか、と思う。

 和気では、1991年まで同和鉱業片上鉄道線が接続していた。山陽本線ホームの南側には同線のホームが長らくそのまま放置されていたが、すでに整地されて大部分が道路となり、なおも再開発が進行中で跡形もない。さらに、同線は川を大きく鉄橋で越えていたのだが、この鉄橋はオレンジ色に塗り直されており、何らかの形で転用されたようだ。

 左に広大なススキの原が一面に広がると、熊山に着く。何とも物騒な駅名だ。現地の中高生がかなり乗ってくる。ベージュの上着を羽織った女子高生たちが元気である。

 万富には、キリンビールの工場がある。車窓からはまったく動いている気配が見えないのだが、単に土曜日だからだろうか、はたまたリストラ対象の工場なのだろうか。

 しだいに人家が密集するようになり、岡山には14時27分に到着した。

 岡山からは、15時17分発の快速に乗る。ディーゼルカーが入ってくると、ホームに設置されたスピーカーから「もーもたろさん、ももたろさん」が流れてきた。キハ47などの2両編成で、そのうち後部の車両に席を確保する。指定席があるが、これはごく普通のボックスシートの中に埋もれ、壁面に「指定席」と大書してあるだけである。

 ほぼ全座席が埋まる。旅行者、ビジネスマン、高校生など、客層はさまざまだ。

 しばし併走していた山陽本線、ついで新幹線が右へと分かれていく。人家が続き、すぐに法界院に到着する。ここで男子高校生などが早くもざわざわと降りていく。すぐ近くに岡山大学があり、住宅も多い。

 列車はかなり込んでおり、立つ人もいるため、わざわざ料金を払って指定席に座る人が3人いる。あらかじめ指定券をもって乗った人は皆無のようで、車掌に指摘されてしぶしぶ席を立つ人もいる。

 この津山線は、智頭急行開通と同時に高速化工事が施されている。そのせいか、今日これまで乗ってきたディーゼルカーのなかでは図抜けた速さを誇る。小駅を軽快に通過していく。

 狭い土地でも畑作が続く。黒塗りの塀がときおり見える。そういえば、銀白色の屋根をしばしば見かけるが、何か意味があるのだろうか。

 対向式ホームを持つ金川駅で、高校生が下車していく。近くに郵便局あり。バックミラーがあることから、この路線でもワンマン運転が行われているようだ。木造の味わいある駅舎が残っている。

 福渡で、津山線に1本だけ残った急行「つやま」と交換のため3分間停車。クロスシートだが、やはり有料の優等列車ということもあってか空いており、2列シートまるまる空いているところもある。今や貴重になった急行グリーン車にいたっては、乗客はたったの1人だけだ。

 ここから先は、例によって意識がもうろうとなる。この有耶無耶な状態にする魔力は、中国山地の大いなる魅力だと私は信じてやまないのだが、単に自分の手抜きぶりを中国山地に押しつけているだけかもしれない。

 津山には、16時24分に着いた。市の中心地とは川をはさんで反対側に位置しているが、やはり中核駅としての貫禄が感じられる。まだ時間が早いので、この先に進むこともできるけれど、ここから姫新線に乗り換えて新見に着くころにはすでに真っ暗だ。今日は早めに休んでおこう。

 到着してから宿を探すが、安いところがなかなかない。ガイドブックに載っている激安の宿は廃業してしまっており、これ以外ではそれなりの値段のところばかりになる。この先の出費をある程度計算すると、ここはとにかく安くしたい。

 駅の電話帳などを首っ引きで調べ、何とか怪しげな宿を確保できた。顔の見えないフロント、やたらと広い風呂場など、どう考えても1人利用を想定していない旅館だが、1泊3,000円台前半なら文句は言えない。さすがにこんな宿に長居したくはないので、さっさと外出して一杯ひっかける。その後どうやって戻ったものか、記憶が定かではないので、かなり飲んだのだろう。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
174th諸寄628→鳥取725521D
175th鳥取729→智頭816631D
176th智頭826→東津山935675D
177th東津山946→佐用10382826D
178th佐用1100→姫路1209860D
179th姫路1234→上郡1306745T
180th上郡1336→岡山14271419M
181st岡山1517→津山16243638D(快速・ことぶき8号)
乗降駅一覧
(諸寄、)居組[NEW]、東津山[NEW]、佐用[NEW]、姫路、上郡[NEW]、岡山、津山
[NEW]を付しているのは、この日にはじめて乗り降りした駅です。

2003年10月19日
2007年2月23日、修正

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