第27日(2000年1月25日)

尾関山-三次-広島-小郡-津和野

 今日の朝は遅い。昨日もゆっくりだったが、今日は尾関山から三次まで乗る列車の都合上、のんびりしなくてはいけないのだ。これが最長片道切符の旅でなければ、三次駅まで歩いてしまっただろうが、今回はそういうわけにはいかない。

 ユースホステルのペアレント氏とあれこれ話す。ドイツを旅行されたときの体験談などを話され、当方は自分が専攻している地域の風俗などについて、とりとめもないことを語る。

 いよいよ外に出る。三次は霧が多い町として知られるが、時間帯のせいだろうか、ここ数日ずっとつきまとってきたあの白いものは、まったく目に入らない。

 なんとも寂しい尾関山駅から、9時53分発の三江線列車に乗る。例によってキハ120のワンマン単行で、まだ若い運転士の脇に、ベテラン運転士が控えている。買い物客だろうか、けっこう乗っている。

 三次の市街地をぐるりと左に囲むように進み、三次には3分で到着する。隅のほうの切り欠け式ホームが三江線の居場所であり、これ1つとっても、三江線の存在感がどの程度のものかが見当つく。

 三次でいったん下車する。三次鉄道部の拠点なので多くの駅員がいるが、マメに掃除したり、お客の問い合わせにきびきび対応したりと、非常に感じがよい。敬語の用法も徹底しており、万事ていねいに仕事をしているのがうかがえる。売店で地方新聞を探すが、あるのは中国新聞だけで、この地域限定のローカル新聞らしきものは見あたらなかった。ここまで、毎日の情報は各地の新聞に頼っていたため、ちょっと当てが外れる。

 くだんの切符を見せて入場しようとすると、

「すごいですねー、下車印捺されますか」

さらに、経路をひとつひとつ確認して、

「ほとんど回られてるんじゃないですか…。いえ、私も根が好きなもので」

まあ確かに、もとから興味がなければ、この経由別紙に記載されている名称から、路線地図を思い浮かべることなどできやしまい。教習などで全国の路線などを覚える機会はあるだろうが、それを実際に覚えていられる人は、そうそういないのではないか。もちろん私は鉄道会社に勤めた経験はないので、実際には定期研修などがある可能性もあるし、確かなことは言えないのだが。最後に

「お気をつけて行ってらっしゃいませ」

と見送られる。

 三次から乗るのは、10時36分発の急行「みよし1号」である。昼行急行列車は実に貴重な存在になってしまっているが、芸備線ではまだまだ急行が活躍している。特急を走らせるほどの距離ではないためだろう。しかしそんな急行も、先頭の禁煙車には5人しか乗っていない。座席はバケットシート化されているものの、往年の急行列車の雰囲気をよく残している。

 自由席急行回数券 4枚つづり 7,000円(月-金のみ有効)を発売中です、というアナウンスが流れる。

 右に江川が寄り添い、列車の進行方向と反対方向に流れていく。この列車の行き先は広島市で、三次市は広島県だから、江川は2つの県をまたがって流れていることになる。さらに付け加えれば、広島と三次の間に分水嶺があることになる。つまり、三次は地形的には日本海側にあるといえるわけで、何とも妙な気分になる。周囲には水田が広がる。

 島式ホームの志和地を通過したところで、雲の切れ間から太陽がのぞく。淡々とした中国山地の割れ目を、ディーゼル急行は気持ちよさそうに進んでいく。

 急行どころか特急でもたくさん停車する列車は枚挙にいとまがないが、この「つやま1号」は実に堂々としており、中間の停車駅は甲立ただ1つである。その甲立は、駅前広場とホームとが跨線橋で結ばれているのみで、駅舎が見あたらないのだが、どこか離れたところにあるのだろうか。意外にもそれなりの客が乗り込み、先頭車だけで9人となり、やっと様になった。交換設備もあり、現役で稼働しているようだ。駅前には動輪のモニュメントが置かれている。真新しい分譲住宅や工場が目につき、広島へ向かうビジネスマン風の客が多い。

 割と急な下り坂を進み、向原を通過する。鉄筋コンクリート3階建ての立派な建物とホームとが直結しているが、どう見ても「駅舎」には見えない。駅舎として、公共の建物を使わせてもらっている、という感じだ。

 田畑をするすると越えて、志和口を通過する。もうこのあたりは広島市内なのだが、とても百万都市の市内とは思えない、のんびりした風景が広がっている。このあたり、大きな軒に広い縁側、という民家がけっこう目立つ。

 甲立からまるまる30分停まらないためであろう、ここで検札がくる。

「はぁ…きびしいの(と聞こえたが定かではない:筆者注)を持っとんですねー、ありがとうございました」

 丘の急な傾斜のところに、棚田が作られている。厳しい坂にも、それに逆らうかのように家が建っている。メンテナンスもたいへんだろうが、現在も人が生活しているようだ。こういう生活を守っている人がいるからこそ、美しい景観が残っていくのだと思うと、列車に乗ってふんぞりかえっている自分はいったい何をしているのだろうか、などという気になる。

 中深川あたりになると、離れたところに高層住宅が見えてくる。典型的ともいえる農村風景から、だんだん広島という大都市近郊の雰囲気が出てくる。

 下深川から先は、太田川の土手に沿って走る。高速道路の下をくぐり、安芸矢口付近ではアパートが並ぶようになる。

 終点の広島には、11時45分に到着した。

 広島からは、小郡まで山陽本線をえんえんと進んでいけばよい。人口密度も高い区間なので、列車はいくらでも走っている。何回ぐらい寄り道できるかな、という視点で時刻表を繰ることになる。広島でゆっくりしてからテキパキ乗り継いでいくというのも一案だが、ひとまず、11時58分発の列車に乗り込む。

 横川、西広島と進み、廿日市に停まったところで、何となくここで降りてみた。別に理由などない。時間的に降りられたから、というだけのことである。

 改札口で例の切符を示すと、第一声、

「うわー…すごいですね…」

 このリアクションじたいは珍しくも何ともなくなったが、有効開始日、有効期間、運賃、経路などの券面記載事項を丹念に見て、いろいろ質問してくる。

「初めて見ました…。きっぷか何かわからないですね。お疲れさまです」

 こういうやり取りが生まれるのも、小規模駅だからだろうか。駅前をぶらぶら歩き、広島電鉄の駅を眺めてから再び戻り、次の12時35分発の列車に乗り込む。わりと空いている。

 宮内串戸、阿品と、歴史の浅い、それゆえにお手軽に設けられた橋上駅舎が多い。乗客は各駅ごとに降りていくので、列車はだんだん空いていく。

 大野浦からは高校生がいっぱい乗り込んでくる。まだ午後1時にもなっていないというのに、中間試験だろうか。ここから海に沿うが、そののんびりした表情からは、これが海だとは思えない。海の向こう、化学工場から煙が上がっているが、海をぐるっと回るような格好になっているのだろう。

 大竹駅の左側には、大きな貨物のスペースがある。心なしか、やや鼻を突くようなにおいが感じられる。

 岩国に、13時2分に到着。ここでもとりあえず降りるが、特にこれといったこともなく、すぐに駅に戻る。米軍基地と錦帯橋の街だが、駅前はごく典型的な中規模都市のそれであり、銀行やら何やらのビルがたくさん並んでいた。

 岩国13時23分発の列車は、4両編成であった。各ボックスに1人程度と、この時間帯にしてはけっこう乗っているほうだと思う。

 左手に海、そして砂浜。青い波が揺らめき、底には岩が見える。満潮なのだろうか。島はいろいろな形をしているが、列車が角度を変えるごとに、その姿を変えるのが楽しい。やや曇ってはいるが、昨日の宍道湖とは異なり、島は十分に見える。

 左手に、屋代島へとかかる大きな大島大橋が見えてくる。その下を、やや大きめの漁船が悠然と進んでいく。狭いところを船がさかんに行き交う光景は、瀬戸内海ならではのものだ。

 大畠は、海に面した駅で、以前、ここから国鉄の連絡船が出ていたというのも納得できる。「大島町総合センター」には、「活魚・みかんと史跡のふるさと」という垂れ幕がある。海沿いに人家が連なり、雲が東へと延びていく。

 石油タンクが見えてくると、柳井に到着する。左にはずっと工場と倉庫が並んでおり、駅舎も4階建ての事務棟をかまえるなど、ずいぶんと立派なものだ。

 ここからは田園地帯に入り、かなりのスピードになる。いっぽう、急に空が暗くなり、一面を黒い雲が覆う。なかなかに物騒な空ではある。

 トンネルや切り通しが多くなり、無人駅にもいくつか停車していく。ホームに作られた庭木が荒れていたりして、わびしい。

 下松は、この付近では非常に珍しい橋上駅舎であった。女子高校生やおばさんなどがかなり降りてしまい、車内はずいぶんと静かになる。

 右から岩徳線が寄り添い、さらに新幹線の高架が近づいてくる。そして、左にも右にも工場という、なんとも殺風景な景色が広がると、この地域の拠点である徳山に停車する。ここで6分停車するが、跨線橋の昇降がめんどうなので、車内で待機する。やはり新幹線停車駅の貫禄か、かなりの下車があり、空きボックスがたくさん生まれる。ちなみに6分停車は、岩徳線列車の遅れによる待ち合わせとのこと。岩徳線は、岩国と櫛ヶ浜とを結ぶ路線で、かつてはこちらが山陽本線だったのだが、欽明路越えという急勾配を抱えていたため蒸機には酷な路線だったため、戦時中に勾配の緩やかな柳井ルートが山陽本線となり、欽明路ルートはローカル線と化したのである。この岩徳線に乗ってもよかったのだが、今回は「最長」にこだわる以上、山陽本線を回らなければならない。

 ふと思い立って、新南陽で下車する。委託駅だった。

 新南陽という地名も妙なものではあるが、南陽町が1970年11月1日に市に昇格する際、山形県にあった南陽市との重複を避けるために「新」を付したことによる。重複市名を避けるためには、国名を付する(「会津」若松、「大和」郡山など多数)、漠然とした方角を付する(「北」広島、「東」大和)などがあるが、「新」を使った市はこれだけである。駅も、もとは周防富田と称していたが、1980年10月1日に新南陽に改称している。

 そんな新南陽の駅前にはあまり活気は感じられず、駅そのものも貨物の取り扱いのほうがはるかに活発のようであった。立ち寄った郵便局がかなり混んでおり、思った以上に時間がかかったため、帰りはぜいぜいいいながら跨線橋を駆け上るはめになった。

 新南陽15時4分発の列車は、各ボックスに1~3人ずつである。漁港と工場とがかわるがわる見えていき、そのいずれもが消えると、穏やかな農村風景が展開する。

 戸田は3面4線だが、海側のホームはまったく使われていないようで、駅も無人。人気がないうえに、すでに日が西へと傾いており、わびしい。

 再び海に面し、岩が波に削られている。砂浜も見える。西に傾いてきた太陽の光がよいアクセントとなり、青く静かな海をなだらかに照らしている。

 入り江の間にちょっとした集落があると、富海に到着。無人駅ながらも、白壁に塗られた木造のシックな駅舎であった。

 再び海が一望できるが、漁船の一艘も見あたらない。岩がごろごろしているところがある。

 大規模商業施設などが並ぶ高架の防府で乗客の大多数が入れ替わると、再び穏やかな田園地帯となる。防府市の存在が、この静かな区間では、まるで異端のように思えてくる。日はすっかり隠れ、雲がどんどん厚くなり、外が暗くなる。

 小郡には、15時41分に着いた。

 小郡からは、山口線に乗り換える。ここでは下車せず、素直に次の列車に乗り込む。この列車は2扉車だが、ボックスは2×2の4つしかなく、あとはすべてロングシートである。通勤・通学仕様車ということか。ワンマン化改造の3両編成である。

 車内は例によって、高校生が多い。新幹線と山口市とのシャトル列車としての役割もあると思うのだが、用務客はほとんど見あたらない。「センターの点が…」といった会話が聞かれる。

 窓ガラスに、雨が筋を作る。とうとう降り出したか、と思う。農地というよりは荒れ地が多く、線路沿いにはずっと雑草が茂っている。工場や流通基地が目立つが、高速道路のインターチェンジが近いために立地しているのだろう。少なくとも、この山口線とはあまり縁がなさそうだ。

 仁保津では、狭いホームに高校生が鈴なりになっていた。列車が停まりドアが開くと、その周辺にびっしりと固まる。岩にとりついたイワガキを連想してしまう。

 左手に工場、右手に水田という風景が続く。大歳、矢原と寂しい無人駅が続き、駅ごとに高校生が降りていく。

 湯田温泉は、温泉地の玄関口という位置づけなのだろうが、実際には片面ホームのみの小駅であった。ここで、かなりの高校生が降りる。しだいに両側の山が迫り、雲がさらに黒くなってくる。

 終点の山口には、16時18分に着いた。

 山口16時27分発の列車は、キハ58とキハ28の2連である。塗装は前の列車と同様、上半分が黄色い“山口カラー”だが、シートがバケットシート化されているなど、さきほどの列車よりはずっと居住性がよい。車内の3分の2くらいは高校生であり、当然座席にはかなりの隙間がある。

 走り出したかと思うと、すぐに次の上山口に止まる。住宅の中に囲まれたような駅だ。大学受験を控えてであろう、参考書にあれこれ書き込んでいる男子高校生もいる。窓の外、ちらほらと傘が歩くのがみえる。

 島式ホームを持つ宮野でしばし停車する。ここでそこそこの下車がある。ホームには「学園案内 山口県立大学」とあった。男子はシルバーのブレザーにネクタイ、女子は黄土色のブレザーだが、制服のスカート丈がずいぶん短い気がする。靴下どころか、膝上までくっきり見えてしまう。結局、ここでの交換はなく、なぜ停車していたのか不可解。周囲には新しい分譲住宅がちらほら見える。

 上り坂になり、一気に人家が減る。急行型ディーゼルカーなのだが、この勾配はかなりきついようで、エンジン音が高くなるものの、いっこうにスピードが出ない。そのうちに農地が消えて、竹藪や雑木林が車窓のメインとなる。

 なんとか上り坂に一段落つくと、島式ホームの仁保に到着する。駅舎などなく、島式ホームから跨線橋で直接外へ出るタイプの駅であった。電照板にのみ屋根が着いているのが、なんともいえず滑稽である。

 藪の中をぐりぐりと走り続ける。進めど進めど藪。はじめは竹だったが、しだいに杉林が増えていった。

 長い田代トンネルを抜けると、それだけでほっとする。右手斜面にビニルシートがあり、崩落を物語っている。すると、今度は急な下り坂。平衡感覚がおかしくなりそうだ。

 篠目で行き違いを行う。島式ホームを持つ無人駅で、腕木式信号機があったが、実際に使われているのはもちろん自動信号機である。給水塔が残っていた。

 地福で7分停車。このあいだに、たまったゴミを捨てるために、いったん外に出て空気を吸う。交換相手はモスグリーンのキハ47×2。やはり車内の大半は高校生。やはり地福駅はよけいなものを外に出さない、いい駅だと思う。湿度の高い空間が数多くの木に囲まれており、何ともいえない安らいだ雰囲気を醸し出している。

 ここからは水田が続く。上り勾配だが、ディーゼルカーがあえぎあえぎ坂をのぼっていたころに比べると、ずいぶんとゆるやかだ。

 徳佐駅は2面3線で、ホームには屋根が設けられているなど、ただものではない貫禄がある。ここで高校生の大部分が降りてしまい、車内はずいぶんと静かになる。以前は構内踏切だったのだろうが、現在は跨線橋を通って駅舎へと出入りする。駅舎には灯がついており、有人駅かもしれない。

 トンネルを越えて徐々に下り坂になると、津和野である。ご存じのとおり、小京都ブームのパイオニアとなった街であり、町中では鯉が水路の中を泳ぎ、また森鴎外や西周ゆかりの地でもある。

 今日の宿は、駅至近の旅館。会計は翌日でけっこうです、といわれたが、これははじめての経験。そして何よりも、部屋に入るとすでに布団が敷かれていることに感激した。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
196th尾関山953→三次956443D
197th三次1036→広島1145813D(急行・みよし1号)
198th広島1158→廿日市12152449M
199th廿日市1235→岩国13021345M
200th岩国1323→新南陽14401553M
201st新南陽1504→小郡1541653M
202nd小郡1555→山口1618647D
203rd山口1627→津和野1753547D
乗降駅一覧
(尾関山、)三次、広島、廿日市[NEW]、岩国、新南陽[NEW]、山口、地福、津和野
[NEW]を付しているのは、この日にはじめて乗り降りした駅です。
訪問郵便局一覧
廿日市住吉郵便局(貯金のみ)、岩国郵便局、新南陽政所郵便局(貯金のみ)

2003年11月25日

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