第29日(2000年1月27日)

新飯塚-田川後藤寺-城野-都城

 のっそりと起きて、寝ぼけまなこをこすりながらテレビのニュースを見ていると「九州北部大雪のおそれ」という。続いて映し出された天気図は、半端でない勢力の気圧の谷が通過するさまを示していた。等圧線は典型的を通り越し、みごとなまでに南北に平行な波を描いている。北九州地方も日本海に面しているわけだし、これならば雪も当然かもしれない。

 宿を出ると、道行く人はみんなガタガタと震えており、両腕を抱え込むようにしている。地面にはすでに雪が積もり始めている。予想最高気温が4度と、首都圏でもかなり厳しい部類に入る低温なのだから無理もない。

 くだんの切符を新飯塚の改札口で見せる。昨日下車したときとは違う駅員だったが、うわー、といってしばし絶句してから、

「このきっぷ、後学のためにコピーさせてもらえませんか」

「初めてですよ」

と、興味津々といった感じである。北九州地区の駅員には、よく言えば木訥な人、わるく言えば愛想が悪い人が多いというイメージがあるのだが、この駅はかなり様子が異なるようだ。

 今日最初の列車は新飯塚7時27分発の後藤寺線、田川後藤寺行きで、キハ40ほか2連である。今回の旅では一番列車に乗るパターンが多かったのだが、今日は小倉から南宮崎まで突っ走る特急にあわせたスケジュールのため、この列車で十分なのだ。後藤寺線は地方交通線とはいえ北九州近郊路線であり、そこそこの本数はあるから、もっと早い列車に乗って途中下車するという選択肢もあるのだが、いかんせん寒い。途中下車をするのがおっくうかどうかという以前に、そもそも布団からなかなか出る気にならず、のんびりしていたのである。各ボックスに2~3人の乗車だが、新飯塚発車時には立ち客はいなかった。2連であるが、朝のラッシュ時だからであろう、ツーマン運転であった。線路脇や屋根などには、早くもごくうっすらと雪が映えている。

 民家と水田とが広がる中を、淡々と進んでいく。後藤寺線は、筑豊本線の新飯塚駅と日田彦山線の田川後藤寺駅とを結ぶ短い路線である。筑豊地域の軸となる路線は筑豊本線と日田彦山線で、今ではこの両線を結ぶJR線は後藤寺線ただひとつが、国鉄時代にはさらに数多くの路線が走っていた。後藤寺線の北側には伊田線、南側には上山田線が東西を結び、それらの途中駅からは糸田線や漆生線が別の駅へと短絡していた。さらに筑豊本線からは香月線や宮田線、日田彦山線からは添田線や田川線が分岐するなど、日本の産業革命を支えていた筑豊地区には、毛細血管のごとき鉄道網が整備されていたのである。

 エネルギー革命の進展とともに、全国規模で炭坑の閉鎖が相次いだが、採掘が早かった筑豊から炭田が消えるのはかなり速かった。それでも国鉄は“活かさず殺さず”といった感じで最小限の路線とダイヤを維持していたものの、石炭輸送が消滅するだけでなく沿線人口も減少し、国鉄末期には看過できる状態ではなくなっていた。そこそこの輸送需要がある区間でも、この地域を広くカバーしていた西鉄のバスに太刀打ちできなかったという面もある。

 最終的には、筑豊本線・日田彦山線の二大亜幹線と、飯塚と田川を結ぶ後藤寺線だけが存続し、これ以外の全線が廃止対象となった。比較的沿線人口の多い伊田・糸田・田川の3線が一括して第3セクター鉄道として生き残ったものの、それ以外はすべて姿を消したのである。

 そんな後藤寺線をゴトゴトと進む。上三緒は片面ホームのみに、ごくごく簡素な駅舎があるのみの寂しい駅だが、左手の遊休地の広さは半端ではなく、側線が5本くらいはあったと思われる。その昔は交換可能だったようで、長いこと使われていたホームが、国鉄型の駅名標とともに風雪に耐えていた。1964年までは、ここから筑前山野にいたる貨物支線が走っていたというが、その痕跡はうかがえない。

 築堤の上を、ゆっくりと左カーブして進み、次の下鴨生で博多行きと交換する。立派な島式ホームと、横長で四角形を組み合わせたような、古いながら堂々たる駅舎が威容を示している。ここからは、やはり嘉穂信号場を経て下山田へといたる漆生線が走っていたが、第2次特定地方交通線に指定されたのち、1986年に廃止されている。

 ここから荒れ地の中を進み、片面ホームのみの筑前庄内に停車する。駅自体は整備されているが、全体を覆うことのないシンプルな待合室と植木があり、国鉄時代の名残をとどめている。これまでの2駅のように支線が分岐していたわけではないため、構内は比較的小さいのだが、筑豊の駅は全体として大ぶりだと感じる。

 ここから「乗車券を拝見させていただきます、お客様のご協力をお願いします」というアナウンスがかかる。列車は築堤上の坂をくいくいと上り、雑木林の中を分け入っていく。雪のために視界が悪く、なだらかな丘がスキー場のゲレンデのようだ。左下に水田がふっと見えるが、ずいぶんと高いところを走るものだ、と思う。

 検札に来た車掌氏は、特にこれといった反応は示さないものの、特に2枚目の経路別紙をたんねんに追っている。人に何も聞かずに、自分できっぷをたんねんにチェックした車掌は、これが初めてだ。几帳面な反応が、むしろ新鮮に感じられる。

 道路やら石灰岩の切り出し場やら、あちこちが雪に覆われて真っ白になってくる。セメント会社の工場のまっただ中にある船尾駅のホームは、完全に雪で覆われていた。ここで、従業員と思われる数人が下車していく。無人駅で、駅舎は素っ気ないコンクリート駅舎だ。1922年開業と、決して新しい駅ではないのだが、ホームがずいぶん短い。

 ここから下り坂となり、ディーゼルカーは軽快に飛ばしていく。しだいに人家が増えていくが、飯塚よりもひとまわり小さいように見える市街地はみごとに真っ白で、すっぽりと雪に覆われている。しかも、その雪が横殴りに流れてくるため、視界はますます悪くなる。そのせいか、車はほとんど走っていない。ごくまれに見かけても、抜き足差し足という感じでノロノロと進んでいる。

 空は荒れ気味だったが、終点の田川後藤寺には、定刻どおり7時50分に着いた。日田彦山線と後藤寺線、それに平成筑豊鉄道に転換された糸田線とが交わるジャンクションである。

 田川後藤寺からは日田彦山線に乗り換え、小倉方面へと向かう。7時56分発の小倉行き列車は、「準急型」というのか、本物の網棚に半自動扉というクラシックな車両から成る3両編成だった。手すりや背ずりなど、何もかもが数多くの旅客を運んできたことを無言で示している。いつまでもつかわからない老朽車両だが、まだまだ若い連中には負けませんぞ、と気を吐いているような気がする。

 なんとか席を確保すると、ほどなく発車する。ガタンという衝撃とともに走り出すが、思っていた方角と反対方向に進んでいく。あれれ、と思うが、列車を乗り間違えたわけではなく、単に方向を勘違いしていただけのようだ。今回にかぎらず、筑豊の列車に乗ると方向感覚が狂うことが多い。もともと路線が複雑怪奇に入り組んでいたため、路線図でも合流方向などの詳細を書かないことが多いためだろう。そういえば、宮脇俊三氏も『時刻表2万キロ』の中で、進行方向を間違えていた。

 雪は相変わらずのザンザ降りである。車内の大半は高校生で、一部が用務客という構成だ。小倉には9時1分に到着するので、小倉への通勤客が多いものだと思っていたが、意外である。日田彦山線の列車本数が少なく、気軽に使うには抵抗が大きいのだろうか。

 しばらく右に、まったく使われている気配がないレールが寄りそい、いつしか消える。炭住だろうか、屋根が傾きつぶれかかっている廃屋が並ぶ。

 次の田川伊田で、高校生の半分近くが下車する。多くのホームが並び、地下道を通って連絡するスタイルで、以前下車したときには、折尾駅をさらに軽快にしたような駅舎が出迎えてくれた。筑豊地区の中では随一の洗練された駅舎だったが、現在はどうなっているだろうか。

 遠賀川を渡るが、視界は相変わらず悪く、おそらく100メートル先も見えまい。車がまったく目に入らない。

 片面ホームのみの一本松で若干の高校生が降り、用務客が乗ってくる。特に小学生が数人乗り込み、車内がにぎやかになる。駅舎はコンクリートの単なる箱で、住宅がけっこう多いものの、貫禄も何もない。

 1985年までは添田線を分岐していた香春(かわら)は、広大な構内を完全に持てあましている。一本松から乗ってきた小学生は、ここで降りていった。添田線の跡地がどうなっているかと左右を見るものの、だだっ広いことはわかるものの、雪がひどくて何も見えない。傘に長靴という小学生が歩いているが、とっても寒そうだ。

 上り坂を、老朽車両は意外にも軽快に駆け抜けていく。短いトンネルを抜けると、思っていたよりも立派な和風の木造駅舎をかまえる採銅所。もとは2面3線であったことがわかるホーム位置である。周囲はごく平凡な農村だが、すでに積雪は10センチを優に越えている。

 採銅所を出ると、列車はへんなところで停まってしまった。とうとうエンコしたか、と思ったが、どうやら踏切内で車が立ち往生してしまったようだ。結局2分くらい停車したうえ、車が列車に接触しないよう、ギリギリのところを最徐行ですり抜けていく。犯人は大型トラックであった。やはり思いがけない大雪のためにドライバーがとまどっているようで、坂で立ち往生している車もけっこう見かける。

 隣の席のおばさんによると、

「(採銅所は)やっぱいつも雪がいちばん多いね」

とのこと。

 ちょっとしたハプニングがあったとはいえ、この列車そのものはほぼ正常に走っているといえるのだが、朝のラッシュ時にこのありさまでは、これから先が思いやられる。小倉での待ち合わせは19分あるので、現在の遅れのままなら問題ないが、念のために車掌に運行状況を聞くと、4分遅れとのこと。それはいいのだが、

「(視界が悪く)信号が見えないので下りがかなり遅れているため、さらに遅れが延びる可能性があります」

という。この列車の採銅所までの区間や、その前の後藤寺線は、吹雪の中を走りながらもほぼ定刻どおりに運行していたのだが、それよりもさらにひどい区間があるということか。

 しかし、小倉から南宮崎までの特急指定席を確保した当方としては、冗談ではない。「にちりんシーガイア」への乗り継ぎは大丈夫でしょうね、と聞くと

「ちょっと厳しいかもしれないですね」

という返事である。それでも、こう伝えておけば、乗り継ぐ客がいることを伝えてくれるかもしれない。少なくとも、黙っているよりは安心だ。

 右に平行して線路が延びている。いったい何だろうか。この線路が続いたままで、石原町に到着する。2面3線で、かなり貫禄のあるしっかりした駅舎を持っている。ここで交換する。

 雪がやっと止むが、「ただいま7分遅れで運転しております」というアナウンスが入る。単線なので、加速して遅れを回復できるというものでもないのがつらいところだ。

 志井は、寂しいコンクリート駅舎があるのみの対向式ホーム。まだ雪が少し舞っている。頭上を高速道路が突っ走っている。

 モノレールの乗換駅である志井公園で、高校生や用務客がかなり降りていく。次の石田で平野に入ると、雪が完全にあがり、やっと太陽が出てくる。これまでの遅れを取り戻そうとするかのように、老列車は気合いを入れて驀進する。

 日豊本線との接続駅である城野に、8時50分に着いた。

 最長片道切符のルートは、田川後藤寺-(日田彦山線)-城野-(日豊本線)-都城となっている。したがって、このルートに忠実に従うのであれば、この城野で日豊本線の下り列車に乗り換えることになる。

 ところが、この城野と小倉の間は、城野を通過する列車に乗る場合にかぎり、この区間の運賃なしで往復できる。こういう飛び出し区間は、これまでの「最長片道」にも数多く、新旭川-旭川、宮内-長岡がこれにあたる。また、実際には往復しなかった区間(沼ノ端-苫小牧、好摩-盛岡、豊野-長野、松岸-銚子、倉賀野-高崎、東津山-津山、備中神代-新見)、飛び出し区間で別途運賃を支払い下車した区間(五稜郭-函館、安積永盛-郡山)も、実際には通過列車から、あるいは通過列車へと乗り継ぐ場合、飛び出し運賃は不要だ。

 今回も、乗り継ぐ日豊本線の下り特急列車は、この城野には停まらないので、日田彦山線からそのまま小倉へ進み、小倉で乗り換えることができる。今回のスケジュールでは、今まで乗ってきた列車でそのまま進めばよいことになっていた。

 高校生がのんびりと下車していく。時間にまだ余裕があるのか、はたまた悪天候でまとまった人数がいっせいに遅れる以上、急ぐ必要がないからかはわからない。

 ところが、ここから先の日豊本線のダイヤ自体も大きく乱れている。本来なら8時52分に城野を発車するはずの下り列車が、8時53分の時点で、ただいま小倉を発車しました、というアナウンスが流れるありさまである。わが老列車も、ここでしばらく待機を余儀なくされる。

 駅の案内放送が何度も繰り返される。40分以上遅れる列車もあるとのことで、もうなるようにしかならない、と腹をくくる。

 ホーム上を車掌が通りかかったので、小倉に着く見通しを聞いたところ、

「4番線(日豊本線上り)のほうが先に出ますよ」

という。おいおい、そんなアナウンスはなかったぞ、と思いながら、いそいそと駆け出す。

 定刻ならば、城野8時48分発であるはずの門司港行き3連の普通列車に息せききってなんとか乗り込もうとするが、首都圏の朝ラッシュ時なみの大混雑で、新聞も読めないほどだ。大荷物をぐりぐりと押し込むようにして、何とか車内にもぐりこむ。城野駅は北九州市内にあり、駅周辺の人口も多く大都市圏といえるのだが、これほどの混雑には乗客も慣れていないようで、ドア付近での姿勢に難儀している。小田急線の満員電車に慣れている当方にはこの程度ならどうということもないのだが、かなり苦しそうにしている人も多い。

 外の景色も見られないほどに詰め込んだ列車は、鹿児島本線が合流する西小倉でかなりの客を降ろし、若干の余裕ができた。携帯電話で話をしている高校生の会話内容から察するに、北九州市の学校では休校が相次いでいるようだ。

 小倉には9時22分に到着した。日田彦山線の列車がダイヤどおりに運行されていれば、9時1分には着いていたはずなのだが。

 小倉からは、特急「にちりんシーガイア5号」宮崎空港行きに乗る。定刻ならば9時20分発なので間に合わないはずだが、こちらも遅れており、9時27分に小倉を発車した。それでも、これまで乗ってきた日豊本線の上り普通列車に比べると、ずいぶん遅れは小さい。もともと駅の規模が大きいうえに、遅れた列車から降りた乗客で小倉駅はごったがえしており、乗り継ぐのが背一杯であった。

 「にちりんシーガイア」は、鹿児島本線の特急「つばめ」と同じ車両が用いられており、ほかの「にちりん」よりも車両のグレードが一回り高い。また、ビュフェも営業している。こういう、乗っているだけで楽しい列車があると、スケジュールがそこに寄り添っていくものである。今日の軸も、この列車になった。

 乗り込んでみると、座席はかなり埋まっている。2日前に進行方向左側の窓側、すなわち海がよく見える座席が取れたのは、運がよかったのかもしれない。乗れさえすれば、さらに大雪になり2時間遅れても苦しゅうない、という気になるのだから、われながら勝手なものだと思う。実際、今日は宿の予約をまだ入れていないし、都城あたりまではどうなっても大きな問題はなかろう。

 車内のデザインは、SFにでも出てきそうな、弾丸列車とでも呼ぶのが適切そうなものである。シートの色は、海側から順に、青、オレンジ、緑、赤となっており、それぞれ星の粒がちりばめられている。テーブルを外して出てくる案内図には、ツバメが踊っている。そして照明の上からカバーを掛けているため安定感があり、頭上の荷棚には蓋がつけられており、外観はゆるやかなカーブで統一されている。さらに、普通車としては異例の、カーペットが敷かれている。20世紀JRの最高峰の車両だろう、と思う。

 ダイヤの乱れのせいだろう、妙にゆっくりと進んでいくが、先に予定も目的もあるわけではないので、あまり速く走ってもらいたくもない。いつしか、小倉駅で買った缶ビールが空いてしまう。徐行、停車、発進、減速、徐行を何度も繰り返す。わが特急列車は、時速12~15キロ程度で、のんびりと進んでいく。並行道路を、自転車が悠然と追い抜いていく。

 行橋のあたりで、かなり古い民家と高層建造物とが混在している。このあたりでも、数センチ程度の積雪が見られる。ここで検札があるが、乗車券はチラリと見たのみである。

 このあたりは化学工場が多く建っているが、その合間に見られる砂浜は雪で真っ白だ。

 9時51分発のはずの牛島には、10時13分に到着した。海側に、工場や倉庫が建ち並んでいる。トンガリ屋根が見えるが、駅舎そのものは横長鉄筋の正統派のものだった。ここから先しばらくは人家が続き、郊外型の新しい、悪くいえば区別が印象にしみこまないような駅が多い。やっと特急列車にふさわしいスピードとなる。

 高架駅の中津では、普通列車と接続しているのだろう、自由席の乗車口にけっこうな列ができている。駅のすぐ右手には、閉店が決定したサティが建っている。

 宇佐神宮のある宇佐駅は、二日市のように柱が赤く塗られている。ただ、もともとコンクリート造りの無骨なところに塗色しているので、どうにもミスマッチな雰囲気が拭えない。

 このあたりから海を離れ、国東半島の西側を回る。国東半島には磨崖仏など多くの仏教遺跡があり、もう一度ゆっくり訪れたいところだが、鉄道とはとんと縁のない地域でもあり、なかなか行く機会がない。

 海が見えなくなるので、ここでビュフェに行き、ホットケーキセットを食べる。座席より目線が高いところから外を見られるので、なかなか斬新だ。座りっぱなしでいるより、ときどきは立ち歩きたいし、さらにこのセットではコーヒーのおかわりが自由というのがうれしい。少し薄めだが、それでもドリップコーヒーなので、香りがきちんとあるのがよい。ビュフェには、各テーブルごとに人が1人ずついる程度だ。どのあたりが採算ラインなのかはわからないけれど、BGMや採光など、実にセンスのよさを感じるので、ぜひとも続けてほしいサービスと、3杯目のコーヒーを飲みながら思う。

 長いトンネルを抜ける。積雪は10センチ程度はあるだろうか。山全体が白い粉をかぶったようになり、その前を雪煙がヴェールのように覆っている。

 和風の木造駅舎を擁する杵築あたりで、ようやく雪雲が薄くなってくる。ミカンをかたどったモニュメント風の灰皿といすがあった。

 席に戻ると、待っていたかのように、窓の外に海が戻る。別府観光港に停泊している大型フェリーが見えると、別府の市街地に入り、高架の上から別府の町並みを眺める。

 別府での下車は、思ったほど多くはない。気がつくと、地面こそ濡れてはいるものの、市街地には雪はまったく見えない。ここではむしろ乗ってくる人のほうが多い。薄日が差してくる。

 別府-大分の海は凪いでいる。雪の気配はまったくなく、並行道路を車が平気な顔で走っている。もちろん、わが特急は、それを楽々と追い抜いていく。砂浜があるが、ショベルカーが活発に動き、砂の山が作られていた。埋め立て作業の最中なのだろう。

 さすがに大分では下車もそこそこあるが、私の乗っている号車からは、全体の2割程度が動いただけだった。一方、自由席車からの下車客はかなりいるようで、ぞろぞろと人がホームにひしめいている。ホームでは女性の駅員がお辞儀をしていた。駅弁「峠の釜めし」を販売していた、往年の信越本線・横川駅を思い出す。大分駅そのものは広大な敷地を持ち、地平ホームに直結した改札口があるという古典的なスタイルが変わらずに維持されているようだが、高架化や橋上駅化がこの規模の駅のならいであるだけに、いったいいつまでもつことやら。

 右側に車両基地が見え、これが次の牧駅までずっと続く。けっこう幅のある川を渡り、高層住宅が多い中を進むと、左手に化学工場が煙を立てている。車内では、携帯電話で通話をしているビジネスマンが多い。「シーガイア」と冠しているとはいえ、実質的にはビジネス列車なのだろう。

 吉崎で運転停車する。駅前には「OMNIBAS」と大書した真っ赤なバスが待機している。カラーリングからするとJR九州のバスだろうか。上りは赤いドアの普通列車2連。やはりここでも、国鉄急行型列車は少なくなっているのだと実感する。

 長いトンネルを出ると、本当に少しではあるが、屋根の上や日当たりの悪い場所に雪が残っている。やはり、地形にも左右されるようだ。よくみると、雪がまたちらついてきた。

 下ノ江駅は古典的な木造駅舎を構えており、周囲の家々も鄙びている。どこか時が止まったかのような雰囲気だ。

 大分で最大の磨崖仏があることで名高い臼杵で、そこそこの下車がある。ここで上りの「にちりんシーガイア」と行き違い、同時に発車する。駅周辺では再開発工事が行われていた。右手は崖、その手前に民家、屋根に雪という、とても九州とは思えない光景が見える。

 このあたりはリアス式海岸で、トンネルで入り江をショートカットする区間が多い。どんよりと曇っている空が、ぽつりぽつりと点在する島の上から、無言でにらみをきかせているように見える。

 ふと気が付くと、車端部上側のLED表示にテロップが流れている。見ると、

「車内では電源を切るか、マナーモードして下さいますようお願いします」

とある。しかし口頭での流し文句じゃあるまいし、「マナーモードする」とはなにごとか。JR九州が率先して日本語をねじ曲げてはいかんだろう、と悲しくなる。

 津久見はどうにも素っ気ない駅である。駅舎は小さいコンクリート造りだが、駅本屋が橋上にあるのかどうかは不明だ。

 ここから雲がだんだん厚くなり、外は真っ暗、雪が再び窓を叩く。うっすらとした雪化粧が窓の外に貼り付く。まさか津久見にまで積雪があるとは思わなかった。真昼というのに、午後5時ごろかと思うような暗さで、雪は激しさを増すばかり。海が見えても、そこに浮かぶ島の輪郭がなんとかわかる程度だ。横なぐりの雪が、線路沿いの家々を、時間をかけて白く染め上げようとしているように見える。野球場が、スケートリンクのようだ。

 佐伯で、上りの赤い「にちりん」と交換する。相変わらず雪が舞っている。自由席車に、意外にもここから乗り込んでくる人がけっこういる。ここを出てしばらく走ると、雲が徐々に薄くなり、薄日が差して雪もやんでしまう。

 直川には、古典的な木造駅舎が残る。周囲の民家や田畑には雪はまったく見えない。そもそも地面も濡れていないようだ。しかし、空は再び日が雲に隠れていく。以前のように視界が極端に悪いということはなく、単に日が隠れているという程度だが、いつ降り出すかわからないことには変わりない。

 大分と宮崎の県境をなす宗太郎越え付近で、車販嬢が大きなナイロン袋を持って「ゴミありませんでしょうか」と言いながら車内を回る。比較的乗車時間が長いゆえであろう。

 峠を越えて、化学工場の企業城下町として知られる延岡に着くと、広い構内にコンテナ車が多く停まっている。そこそこの下車がある。この時点で、列車の遅れはわずか8分にまで短縮されている。再び日が出て、国道がずっと並行するようになる。

 日向市に入ると、雲がすっかり切れ、文字どおり青空が広がるようになる。日向市駅には「歓迎 大阪近鉄バッファローズ」「祝 日向地区鉄道高架新規事業着工」の垂れ幕が掲げられていた。

 典型的な海岸平野である宮崎平野の上を、我が「にちりんシーガイア」はひたすら飛ばす。リニアモーターカーの実験線が見える。

 暖地ゆえの野菜栽培地が広がる。ビニルハウスも多い。さすがに、一年でいちばん気温が低いこの時期ゆえ、何もない畑も見られるものの、目下栽培中のものがずいぶん多い。これが途切れると、雑木林の中を分けるように進んでいく。落葉樹でも、葉を全部落としきっていないものがけっこう多く、やはり南国だな、と思う。

 視界が開けて海が見えると、河口にヨシがびっしり生えている。

 高鍋では、やはり広大な敷地が残っているが、海側は無惨なもので、古レールや古枕木が積まれている。向かい側にはデッキ付きの普通列車が止まっており、こちらの到着と同時に発車していった。木造の、ちょっと重たい感じの駅舎は健在である。

 県庁が近い宮崎で大半の乗客が下車し、終点の南宮崎には14時22分に到着した。遅れはわずか1分である。ブルートレインなど数多くの車両が休む構内に身を横たえた「にちりんシーガイア」は、雪に振り回されたもののなんとかこの役目を果たし、ほっとしているように見えた。

 「最長片道」のルートでは、ここから都城まで日豊本線を直進し、都城から吉都線で吉松へ、そして肥薩線で隼人へというルートになっている。

 南宮崎からは、14時39分発の普通列車に乗れば都城に15時33分に到着し、16時17分発の吉都線に乗り継げる。この16時17分発の列車は、吉松から肥薩線に入り隼人行きとなるので、そのまま乗っていけば「最長片道」のルートを忠実にたどることができる。

 ところが隼人到着は、19時4分。いくら日の長い西日本とはいえ、まだ1月である。こんな時間では真っ暗だ。朝ならまだしも、夜の暗さというのはあまり楽しいものではない。

 そう考えると、無理にこの列車に乗るよりは、都城あたりで泊まり、ゆっくり進むほうがよいだろう。それなら、急いで乗り継ぐ必要もないだろうと考え、ここから宮崎までひと駅、歩くことにした。宮崎-南宮崎の営業キロは2.6キロだから、歩いてだいたい40分程度というところか。天気もすっかりよくなり、歩くにはもってこいである。

 途中で3か所ほど郵便局に立ち寄り、高架駅の宮崎に到着した。券売機で南宮崎までのきっぷを買う。

 しかし、なんとも特異な駅である。上下ホームが完全に分離しており、改札も上下がそれぞれ別に分かれている。こうすれば、改札時にどの列車に乗ってきたかがはっきりわかるので、管理はしやすいのだろう。もっとも、ホーム上は閑散としており、なんだか寂しかったが。

 宮崎からは、15時53分発の快速に乗る。「シーガイア」のロゴを着けた藍色塗装を纏った、リニューアル車ディーゼルカー2両編成である。車内はグリーン車で使われていた座席を転用しているため、座り心地がよい。通路にまで高校生が立っているが、荷物の多い観光客や買い物客がけっこう多い。もっとも、私が確保した座席は車端部ということもあり、通路は女子高生に占拠され、なおかつ、左側の座席には誰も座らない状態となる。ボックスシートではないのだが、高校生は自分たちが知らない人のいる隣にはなかなか座ろうとしないのが、全国共通のようだ。このあたりにくると、女子高校生の会話内容がまったく把握できない。くるところまできたのか、とも思う。

 座席はリクライニングシートだが、フリーストップ式ではない。それでも、フットレストがあるのは嬉しい。グリーン車用のシートそのままなので、アームレスト下から取り出すタイプの小テーブルも設けられているが、ほとんど使われていないのか、ガチガチに固くなっており、使い物にならなかった。

 どうにも代わり映えのない風景が続く。さほど深くはないものの、切り通しが延々と続くからなおさらだ。

 しだいに西日が強くなり、田野に到着する。ここで、上り列車と交換。左側は全部のカーテンを閉められてしまい、景色が見えなくなる。ここで検札があり、車掌氏はちょっと驚いた感じで見るが、ごく冷静に全体を見、ついで2枚目を見、何も言わずに返した。やっぱり反応が乏しいと物足りない。

 おばさんたちのパワフルなおしゃべりが車内に響く。元気だな、と思うが、車内でひっそりだんまりを数十日にわたって続けてきた当方が枯れているだけなのかもしれない。

 青井岳は、切り通しの中の島式ホーム。以前乗ったときは、長時間停車中に跨線橋を上って外へ出た駅があったが、ここだっただろうか、と思う。

 平野部に出ると、畑が一斉に広がる。高速道路を越えると、山之口に到着。ここでも下車はほとんどない。デッキに立ったままの女子高生は、宮崎からそのままである。相当な長時間通学だ。

 都城には、17時2分に到着。この列車はここから急行「えびの6号」熊本行きとなるが、やはり高校生はここで全員降りてしまった。ホームには乗ってくる客はまったくおらず、「えびの」はガラガラのまま発車していった。おそらく、人吉まではこの状態なのだろう。

 地下道を通って都城駅の改札口に行くと、

「はぁー、どこ捺す?」

という声が帰ってきた。

 駅前のホテルからは、窓から駅の写真を撮ることができた。テレビをつけると、行橋での積雪は15センチだったという。また、明日の最低気温は氷点下6度という予想。果たしてしっかり起きられるだろうか。宮脇俊三氏は、乗車券の有効期限最終日に寝坊してしまったそうだが、こういう轍だけは踏みたくないものだ。

乗車列車一覧
区間と発着時刻列車番号
217th新飯塚727→田川後藤寺7501539D
218th田川後藤寺756→城野850934D
219th城野910→小倉9222534M
220th小倉927→南宮崎14225005M(特急・にちりんシーガイア5号)
221st宮崎1554→都城17023851D(快速)
乗降駅一覧
(新飯塚、)南宮崎、<宮崎、>都城
訪問郵便局一覧
宮崎松山郵便局、宮崎県庁内郵便局、宮崎中央郵便局

2003年12月21日
2007年3月4日、修正

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