エピローグ ~旅の終わりは個室寝台車~

 

 実質31日間にわたって携えてきた「最長片道切符」は、肥前山口駅へ2度目の到着をなすことによって、その役割を終えた。あとは、帰宅するのみである。

 本来であれば、終着駅である肥前山口に敬意を表し、ここで下車するだけでなく、祝杯をあげるなりなんなりの儀式が必要なのではないか、とも思える。しかし、肥前山口には昨日わざわざ泊まっており、じっくり見たいようなものはもうなさそうだ。このため、早岐から乗ってきた電車に戻り、再び乗り込む。この列車は、肥前山口で8分も停車するのだ。

 ここまで乗ってきた列車は鳥栖行きで、10時54分に着く。鳥栖では、10時56分発の鹿児島本線上り快速列車に接続し、終点の小倉には12時38分に到着する。

 中型時刻表を手にしながら窓の外を見ても、今回の「大旅行」が終わったという実感がまるでない。淡々と流れる風景は連続しているものにしか見えないし、くだんの切符はすでに単なる紙切れになってしまったのだけれど、もはや乗り続けることが生活の一部になりきってしまったような感じがある。明日には神奈川県にある自宅に戻るのだといっても、帰宅という感覚そのものがなくなっている。

 しかし、上り列車をえんえんと乗り継いでいくのは、とりもなおさず、この旅が終わった結果にほかならない。それでも、新幹線を使えば今日中に帰宅できるのに、あえて在来線の列車を乗り継いでいこうとしたのには、2つの目的があった。

 鳥栖、小倉、下関と乗り継ぎ、山陽本線の列車に乗り込む。JR九州から離れたというだけで、自分が隔絶していた“日常”が、少し近付いたような気になる。在来線でちまちま戻るのは、傍目にはなんとももどかしいものに映るに違いない。しかし、一気に戻ってしまうのは、あまりにもせわしない。劇的な変化は楽しいが、今回のようにスケールの大きな旅にはそぐわないだろう。

 下関から7駅目の小野田で降りる。この小野田そのものには特に見るべきものはないけれど、ここから分岐する小野田線のそのまた支線、雀田から長門本山へいたる区間に乗りたい。正確には、この区間で使われている現役の旧型電車、クモハ42に乗るのが目的である。前述した「2つの目的」のうち片方がこれだ。

 鉄道ファンの主流をなすのは、車両好きだという。列車が走るカットを撮るためにカメラを担いで線路脇に陣取ったりする人もいる。私は基本的に乗っていれば楽しいというグータラ人間で、車両の形式に関する知識はほとんどないのだけれど、それでもこの列車ぐらいは知っていた。国内の鉄道全線を踏破しているのだから、この区間にも乗っているし、その際にクモハ42にも乗ってはいるが、最近はご無沙汰している。列車の運行が、朝と夕方以降に限定されているので、このあたりを昼間にうろついてもなかなか乗れないのだが、今回はちょうどよい時間帯なのだ。

 小野田から小野田線に乗り、雀田駅には15時52分に到着した。ホームはバチのように先端部分が広がっており、その一方が長門本山方面への支線のホームとなっている。その両ホームの間に、木造の駅舎がある。

 お目当ての老雄、クモハ42は、のんびりと午睡を楽しんでいた。東京や大阪で走っていた旧型国電の標準色、チョコレート色は今でも健在である。扉は固く閉ざされており、神聖なる空間には出入りできないといったように思われた。

 次の長門本山行きは、16時27分発である。あと30分以上も空いているのだが、この前の列車は9時3分発なのだから、30分待ちならどうということもない。もっとも、単なる住宅地に過ぎないこの雀田で、30分も待つのも退屈だ。

 しかし、私はここで一計を案じた。雀田から終点の長門本山までは、距離にして2.3キロしか離れていない。しかも、手元にある5万分の1地形図によると、線路に平行してまっすぐ道路があるという。

 ここで30分待ってクモハ42で往復するよりは、長門本山まで歩いてしまったほうがよいのではないか。この区間はほとんど降りたことがないので、景色を楽しむのもよいだろう。それに、クモハ42に乗れば、終点の長門本山駅を、わずか6分で折り返してしまうけれど、先回りすれば、ゆっくりじっくり観察できるに違いない。

 そんなことを考え、雀田駅からのんびりと歩き出した。もっとも、民家や病院などがあるものの、特にこれといったものではなかったが。

 先回りした長門本山駅は、ずいぶんと寂しい駅であった。もとは複数の線路が分岐していたものと思われるが、現在は1本のホームがあるのみで引き込み線さえまったくない。駅舎と呼べるものもなく、簡素なホームがあるだけだ。駅周辺には小商店や住宅がパラパラとあるものの、人の気配がない。

 駅の突き当たりには、大きな堤防がある。この先は海になっているのだが、寒風が右から左へと流れるのみで、波は不機嫌そうに沈黙している。この海の下には海底炭田が広がっていたというが、そんな気配はどこにも感じられない。そもそも炭田そのものが、日本国内では釧路と池島でかろうじて残っているに過ぎず、それらも風前の灯だ。

 どうして列車が運行されているのか、よくわからなくなるような長門本山駅の、枯れた草に囲まれたホームの向こうから、雀田で休んでいたクモハ42の姿が見えた。その姿がしだいに大きくなり、ゴットンゴットンと固い音が大きくなってくる。

 ホーム前でぐらりと向きを変えたクモハ42からは、地元の女子高生が1人降りていったが、あとは鉄道ファンばかりだった。

 ひととおりの写真を撮ってから、乗り込む。ワンマン化改造されているものの、ニス塗りされた車内には、木の背ずりや、ほんものの網棚などが、そのまま使われている。訪問客が書き残しているノートが用意されているなど、大事にされているのがよくわかる。タイムスリップしたような感覚に陥る。

 窓の外に見える景色は、ほとんど印象に残るものではないけれど、この電車に揺られる5分間は、間違いなく至福のひとときであった。

 雀田、居能と乗り継ぎ、宇部駅に着く。ここから、寝台特急「富士」の個室寝台車に乗る。

 寝台特急の凋落は近年とみにはげしく、繁忙期のピークでないかぎり、いつ乗ってもガラガラという印象がある。時間がかかりすぎる、寝台の料金がホテルなどに比べて高すぎる、設備が陳腐化・老朽化しているなどの原因があるが、憧憬をもって語られたブルートレインの面影を残している便はほんとうに少ない。夜行バスなどとは異なり定時性というメリットは大きいが、有効な時間帯に発着できる便もさほど多くない。要は、ビジネスや旅行にあたって、現実的な選択肢にはなっていないのだ。

 そんな中でも、通常の寝台と同じ料金で利用できる個室寝台車がある。個室だから、扉には鍵も付いており、プライバシー上も問題ない。何よりも、部屋を早いうちから暗くして、酒でも飲みながら、窓の外をのんびりと眺められるのが、とてもうれしい。

 宇部から乗り込んだ「富士」は、開放式寝台こそガラガラだったが、個室はそれなりに埋まっているようだ。

 真っ暗にして、持ち込んだ酒を、ちびりちびり飲む。がたたん、がたたんという振動が、尻から背から身体を揺さぶる。この揺れは、寝台列車という、今回の旅では無縁だった最後の豪華列車が、コングラッチュレーションと語りかけてきたように思えた。

 線路のつなぎ目を通るたびに伝わってくる揺れと、胃の中に入ったアルコールとの相乗作用で、ぼうっとしながら、ただひたすら身体を委ねることの快感を味わう。そして、これまでのことを、いろいろ思い返しながら、とりとめもないことを、あれこれ考えた。

 今がいつまでも続くことはない。

 ただ、ここにある今を味わおう。

 自分が自分でいられる瞬間にまさる宝物など、存在するはずないのだから。

2004年8月14日

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