プロローグ ~小人閑居して奇行を為す~

 

 小人閑居して不善を為す、ということばがある。

 いろんな意味に解釈できるけれど、時間ができたときにどういうことをするかによって、その人の重みをはかることができるという点については、まず同意できるものだと思う。

 私が“閑居”なる奇貨を得たときに取った選択肢は、不善なものではないと思うが、常道ではなかっただろう。

 それまで何やかやで体調を崩しており、まともに食事ができない日が続いていた時期さえあったのだけれど、なんとか人並みの生活を送れるようになっていた。もとより、半年程度は何もしないで寝るばかりとなることも覚悟していたのだが、まずはめでたいことだ、などと言っていた。

 快気祝いだとなると、それまでほとんど身動きが取れない状態だったこともあって、とにかく外に出たい、動き回りたい、そう思った。

 べつだん、自分の家にいることに不足があるわけではない。もとよりインドアな趣味もいくつかあるし、このころは、パソコン通信やインターネットを介してさまざまな人と出会ったり、交流を深めたりすることができた。掲示板でのやり取りなどをするのは楽しいし、Web上でのデータの公開のためにHTMLの仕様書を読んだりするのもまったく苦にはならなかった。

 それでも、やはり部屋にこもっていることに納得できなかったのだろう。とにかく、乗り物に乗って日本中を駆け回りたいという思いが強くなった。

 生来からの鉄道好きが高じて、私は1996年3月に、国内の鉄道全線を完乗してしまった。その後もいくつか新線が開業したし、それらに乗りに行くのも楽しかったけれど、それよりも、今まで乗ったあの線はどうだっただろうか、真夏のあの区間は冬に訪れるとどんなものだろうか、そういった興味のほうがわいてきた。

 達成感とともに、その先の目標を見失うことはよくあるという。国鉄全線完乗記『時刻表2万キロ』をものした宮脇俊三氏は、「乗るべき線がなくなってしまった」ことに対して呆然としていたという。幸いなのかどうなのかわからないが、私はそういった感覚からはほど遠いところにいることができた。むしろ、乗り直したい線区が増えただけのような観もあった。

 そういう人間の目の前に、一世一代の、大いなる時間というエサがつり下げられたわけだから、飛びつかないはずがない。時間がかかっても、とにかく日本を思う存分回りたい、そう考えた。

 思い立ったのは11月も後半に入ってからのことだったのだが、もろもろのスケジュールを考えると、年を越して1月いっぱいは十分に使えそうだ。しかし、このときは1999年から2000年へとまたぐため、さまざまなシステムが異常をきたす可能性があるという、いわゆる「2000年問題」が話題になっていた。電力やら何やらが、年明けと同時にストップしてはたまらないから、万が一の場合に備えて、年末年始の数日間は家にいたほうがよいだろう。そうすると、前半と後半の2回に分けられるような旅になりそうだ。

 ここまで考えると、行き着いた結論はひとつしかなかった。JRの最長片道切符を購入し、起点から終点まで乗り継いでいこう、というものだ。

 善は急げ、というけれど、こうなると実際のルート作成という問題が出てくる。窓口に行って「いちばん長い乗車券をください」といっても、相手はどう答えてよいのかさえわからないだろう。少なくとも、ルートを確定させるという作業は、自分でやらなければならない。

 JRの線路は、本州が真ん中にあって、そこから津軽海峡をはさんで北海道、瀬戸大橋をはさんで四国、関門海峡をはさんで九州へとつながっている。したがって、このいずれかが起終点となるルートを考えればいいわけだ。しかし、四国を起点または終点とすると、瀬戸大橋への出入り口となっている宇多津から四国内のルートは、計算するまでもなく宇多津-高松-佐古-佃-多度津-伊予長浜-北宇和島-若井になる。しかしこの距離では、北海道内および九州内の距離には遠く及ばない。多少の回り道が可能になったとしても、四国はお話にならないようだ。

 そうすると、北海道と九州が起終点となると決まった時点で、北海道内のルートはすぐに確定できた。新旭川-網走-東釧路-新得という区間を取り入れることを考えれば、簡単である。続いて九州だが、これも南九州から西九州へと回るルートを計算するのは、さほど難しくはなかった。

 ところが本州になると、ことはそう簡単ではない。青函トンネルから関門トンネル、または新関門トンネルまでの分岐は膨大なものになる。ひとつひとつ計算するのは楽しいけれど、時間がいくらあっても足りないし、そもそもその結果が正しいものという保証などどこにもない。そもそも、ノートと電卓だけで処理できると考えることじたい、無理があるのかもしれない。高校時代の数学の成績は極端に悪いわけではなかったけれど、文学部なんぞに進んで何年もたっており、この種の算出に関する知識があるわけでもない。

 しかたがないので、私は種村直樹氏の『鉄道旅行術』に頼った。その名のとおり、鉄道旅行関係のハウツーを納めたマニュアル本で、鉄道での旅行に憧れていた中学生時代に読みふけったものである。今となっては、旅行や趣味のスタイルそのものが大きく変貌しているにもかかわらず、鉄道趣味のあるべき姿をやや固定的にとらえているきらいがあり、マニュアル本としてやや首をかしげざるを得ない個所もあるけれど、各種のデータを定期的に差し替えているため、実用的なところはかなり多い。購入した版には、長野新幹線(北陸新幹線)高崎-長野も含んだ、最長片道切符のルートが示されていた。最新のデータであり、これなら問題なかろう。

 私は、経路をあらためて書き直し、表計算ソフト「Excel」で運賃計算キロ数と運賃、有効日数を計算したうえ、学割証といっしょに、最寄りの「びゅうプラザ横浜支店・厚木営業所」に持ち込んだ。

 JRの乗車運賃は、乗車する経路に沿ってキロ数を計算し、それに基づいて計算するのが原則である。しかし、実際には複数の線区がほぼ平行して走る場合、どちらに乗っても短い区間で計算する特例があったり、どう見ても別の場所を走っているのに運賃計算上は同一線とみなすところがあったりと、例外規定がずいぶん多い。中でもややこしいのは、新幹線の扱いだ。

 特に、小倉-博多の経路については、JRの約款である「旅客営業規則」の解釈しだいで、こちらの希望する経路どおりに発券できるかどうか、やや微妙であった。もちろん、発券可能であるとするだけの根拠は十分にそろっているのだが、万が一もめた際の対応も考えていた。案の定というか何というか、持ち込んだ厚木のびゅうプラザでは「不可」とのこと。その判断の根拠を示すように求めると、JR東日本横浜支社の“通達”によっているという。しかし、前述の「鉄道旅行術」では、JR九州が公式に認めている。それでは取り扱いが変わったのかと尋ねると、一言。

「それはJR九州のほうが間違っているんですね」

 見解が変わったというなら、理解はできる。しかし、判断基準が不明確であるうえに、自分と異なる見解を示している当事者――それも別の独立した会社――を「間違っている」だけで切り捨てるのはいかがなものか。おまけに、旅客営業規則上の解釈理由に対する説明がいっさいなく、ただひたすら「できません」としか説明されないのでは、納得のいくはずもない。 憮然としたが、こういう手合いに関わっていても時間の無駄と判断し、JR東日本の本社所在地である新宿駅で聞いてみると、

「担当の部署に確認を取りますので、2時間ほどお待ちください」

という、しごくまっとうな反応ののち、結論として「OK」。厚木のびゅうプラザには連絡してくれたとのこと。

 謝辞を述べたうえで再び厚木に直行し、今度こそ望みどおりの経路の乗車券を手にする。

 このように、経路をめぐる解釈の問題は、いろいろあった。詳細は、それぞれ該当するところで説明していくつもりだが、小倉-博多問題などは、簡潔に説明するのはなかなか難しそうだ。

 やっとのことで入手した乗車券だが、起点は北海道の稚内だから、まずそこまでたどりつかなくてはならない。

 いちばん単純なのは、飛行機で稚内空港まで飛び、そこからスタートすることだが、なるべく航空機は使いたくない。乗りたくないというわけではないが、厳冬の稚内空港に、予測したとおりに飛んでくれるかどうか定かではない。そこで、「青春18きっぷ」を使い、夜行列車を乗り継いで稚内に出ることにした。

 新宿から新潟経由村上行きの「ムーンライトえちご」という夜行列車があるので、これで日本海側に出て、羽越本線と奥羽本線を乗り継ぎ、青森からは津軽海峡線で函館へ。ここから札幌行き「ミッドナイト」というこれまた夜行列車に乗り継ぎ、札幌から函館本線で旭川、そして宗谷本線で稚内、となる。すべて普通列車での強行軍だが、これから先の壮大な旅へのプロローグとすれば、ちょうどよいだろう。「最長片道切符の旅」を実行する過程では、車窓を楽しみたいから、なるべく夜行列車は使わないようにするつもりだし、2連泊程度でどうということもない。

 唯一残念なのは、旅の最初にあたる宗谷本線をえんえんと北上せざるをえず、このため2日にわたって同じ区間を往復してしまうことになる点だ。しかし、冬の宗谷本線にはまったく乗ったことがないし、往復したからといって飽きることもあるまい。

 途中で、羽後本荘から分岐する由利高原鉄道に寄り道したり、暖房が過度に強い「ミッドナイト」で寝るのに苦労したり、音威子府の駅そばに舌鼓を打ったりしながら、稚内に着いた。

 まず、駅のすぐ脇にある宿に旅装を解く。近くの寿司屋で軽く飲み、これからの無事を祈った。これからは、本当に乗ってばかりになる。疲労も溜まるだろうし、酒もかなり飲むだろう。当然お金もかかるので、食べ物はそこそこのものになってしまい、土地の食べ物を満喫するというわけにはいきそうもない。しかし、今日はまだ前夜祭だ、とばかり、酒量はほどほどだったが、イカを筆頭にかなりの量を食べる。宿に戻ると疲れがどっと出てきた。今宵はよく眠れそうである。

2004年6月14日

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