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撮影に使用しているカメラ(6):FUJIFILM FinePix S5 Pro

いろいろあって、デジタル一眼レフカメラを本格的に使い始めるようになったものの、商品技術の進歩が著しく、陳腐化のスピードが非常に激しい時期だったため、かえって機種選定に迷うことになりました。レンズは妥協しないにしても、ボディについては、機能面で判断しても、すぐに不満が出てくるのは致し方ないところ。そうすると、何でも撮れる(はずの)プロフェッショナル用のフラッグシップ機にするか、消耗品と割り切って操作性で我慢できる範囲の安い物を使うか。さんざん迷った末に選んだのが、富士フイルム製の「FinePix S5 Pro」です。2007年1月発売。

FUJIFILM FinePix S5 Pro

FUJIFILM FinePix S5 Pro

富士フイルムといえば、写真用フィルムだけではなくカメラメーカーとしても老舗で、現在まで中判フィルムカメラの生産を継続しているなど、シェアが小さくともニーズがあるところにピンポイントで製品をつぎ込むというイメージがあります。

S5 ProのボディはNikon D200をベースにしており、マグネシウム合金をベースにしたフレーム、10万回のレリーズ耐久性を持つシャッターなどはまったく同じ。ニコンFマウントなので、ニッコールレンズが使えるほか、ストロボをはじめとするアクセサリー類もニコン製のものがそのまま利用できます。サードパーティー製の周辺機器でも、対応機種にニコンのカメラが並ぶなか、ポツンと「S5 Pro」と書かれていることもあります。ただし、バッテリーだけは独自仕様。センサーはAPS-Cサイズです。ニコンの赤いアクセントがないだけで、ずいぶんごつい印象になるものだな、と思います。

カタログスペック的な面での特徴は、富士フイルム独自開発の「スーパーCCDハニカムSR」を搭載し、当時としては非常に広いダイナミックレンジを実現したところ。当時はセンサーの主流がCMOSに移行しつつありましたが、CCDとしては最高峰の技術をつぎ込んでいます。

さらに、それ以上に特筆すべき点は、その発色です。もともと、スタジオでのポートレート撮影をメインターゲットとしており、日本人の肌の発色を自然かつ美しく再現できるというのが売りになっていました。当時のニコンでは色が赤っぽくなっており、これだけでも十分に差別化できていましたが、風景写真を撮る際の青色の抜けかたが、透明感がありつつハイライトもよく残してくれ、落ち着きと迫力を兼ね備えた色合いを出してくれます。この色の出し方はまったく独特のもので、これがあるゆえに富士のカメラを手放せない、という方も少なくないようです。リバーサルフィルムを愛用していた方であれば「プロビアの色をデジタルで再現」といえば、おわかりいただけるかと。

操作性はまずまずで、ホールディングが非常に安定しています。ファインダーがやや暗く、マニュアルフォーカスがやりにくいのが難。液晶モニターでの等倍拡大もできないため、ピンぼけチェックはPCなどにデータを移さないとできません。

FinePix S一桁シリーズは、ある意味で過渡期の製品だったのかもしれません。その後、富士フイルムはニコン互換製品の開発を打ち切り、独自マウントで自社レンズを組み合わせて販売する戦略に移行しました。カメラメーカーとしての富士フイルムのブランドが確立されたという判断でしょう。実際、S5 Proの色から、その後のXシリーズなどへ手を出す人も少なからずおられるようです。

もう10年近く前の製品ということもあり、メモリカード(CF)への読み込みの遅さ、電力消費の大きさという2点は、アウトドアで撮影するにはかなり厳しいものになってきました。せめて、RAWデータを圧縮してくれれば、と何度思ったことか。また、バッテリーの消耗もけっこう大きく、このため販売中止になった時点で大量に予備バッテリーを買い込むことになりました。しかし、これの代替となる製品が見当たらないことから、今後も手放すことはないと思います。「JPEG撮って出し」を現実のものとしてくれたカメラでもあります。

相棒?のニコンD200がすでに修理対象機種リストから外れている一方で、このS5 Proは、少なくとも2017年3月までは修理を受け付けるとのこと。修理期間間際になった時点で、オーバーホールを依頼する予定です。

撮影に使用しているカメラ(5):KYOCERA SAMURAI Z

これまで紹介してきたカメラを見ると、いろいろと機械ものをいじくること自体を楽しみとするような、そんな連中ばかりが並んでいます。しかし、シャッターボタンを押すだけで撮れるフルオート機を使っていなかったわけではなく、むしろメモ代わりには重宝していました。それが「KYOCERA SAMURAI Z」です。1989年7月発売。

KYOCERA SAMURAI Z

▲KYOCERA SAMURAI Z

このカメラ、まずビジュアルが非常に独特です。大きな前玉はいいとして、なんと縦長。右手の親指と残りの4指で挟み込むようにホールドし、左手を軽く添えるような形で構えます。フィルムカメラを操作しているようにはとても思えず、実際に撮影時には「ビデオを撮っているんですね」と言われたことが何度もありました。なお、左利き用に、左側にボタンがあるタイプのものも販売されていました。

どうしてこのような形態になったかというと、一眼レフの機能とコンパクトカメラの機能性を両立させる「ブリッジカメラ」と呼ばれる一群が当時流行していたのですが、そのさきがけになったのが、京セラのSAMURAIシリーズだったのです。坂本龍一をイメージキャラクターにしたプロモーションも盛んに行われ、なかなかのヒット商品になりました。

スペックで見ると、異端児らしさ丸出しといえる要素が並びます。ハーフサイズ、レンズ固定式一眼レフ、3倍ズーム(25-75mmF4.0-5.6)、TTL位相差検出方式オートフォーカス(インナーフォーカス)、ストロボ内蔵(日中シンクロ可)、自動巻き上げ、プログラム式電子シャッター、露出補正可、といったところ。

「ハーフサイズ」とは、通常のフィルムカメラの半分のサイズのみを露光させるもので、これにより2倍のカットが撮れるものです。1980年代後半には「プリント0円」などというDPEショップが出ていたため、フィルム代や現像代が同じため、かなり安く多くのショットを収めることができました。もっとも、へたに36枚撮りフィルムなど入れてしまうと、72枚を撮らないと使い切らないので、長い旅行などではない普段使いには、いささかつらくなった面もあります。この当時は「オリンパスペン」もすべて生産終了、かろうじてサムライと「コニカレコーダー」が孤高を守っていました。

外観ではどう見てもそう思えないでしょうが、これでもれっきとした一眼レフカメラです。レンズの奥にミラーがあり、通常はこのミラーの上にあるペンタプリズムを通してファインダーへと光が走り、シャッターを押すとミラーが回転して光がフィルムに届く方式です。定義上は問題ないのですが、「一眼レフカメラです」といってこれを見せても「えー?」という反応が帰ってきます。

操作性は非常によく、シャッターボタンを押し込む向きもよく考えられているため、手ぶれを起こしにくくなっています。機械全体をつまむのではなく、抱え込むようにして操作するためでしょう。機能は限られているものの、そのぶんシャッターやズームのボタン類が大きくなっています。電池は、ボタン電池ではなくリチウム電池を使っていることもあり、そうそう切れる心配もありません。外装はプラスチックで、お世辞にも耐久性があるようには見えないので、取扱いには注意が必要です。

今の水準でみると、さすがにAFは遅く、またかなり迷いながらの動きです。これは時代相応というもので仕方がないのでしょう。レンズについては、意外にも収差が小さいものの、やはり写りの甘さは否定できません。色についても、特に暖色系がぼんやりしたトーンになりやすく、全体的にいささか眠たい感じになります。意外にも経年劣化は進んでおらず、内蔵用ボタン電池を交換するだけで、すんなりと使えるのはおもしろいところ。

携帯するにはいささか大きいものの、手に持っていると、写真を撮っていると確かに実感できる、そんなカメラです。こんな思い切った製品を出していた京セラも、デジタル化への対応で競争力がないと判断し、カメラ事業から撤退。寂しいものです。

余談ながら、「京セラ サムライ」でGoogle検索すると、住宅用太陽光発電システムが出てきます。京セラにすれば「サムライ」の名前は、ヒット商品となったブランドとして、今でも大事にすべきと思われているのでしょう。

撮影に使用しているカメラ(4):Nikon F3

現在でも利用しているフィルム一眼レフカメラはいくつかありますが、どちらかといえばモノクロ専用機に近い形で使っているNikon Fが中心で、それ以外は機械部分の稼働を保たせるために維持しているような感じになっています。それでも、たまに使うと、機械を触っているという妙なワクワク感を覚えるのだから、不思議なもの。そういうカメラのひとつが「Nikon F3」、1980年3月発売です。

Nikon F3

Nikon F3 + Ai Zoom-Nikkor 35-70mm F3.5S

シャッター速度はクオーツ制御で、ニコンF一桁機で初の電子制御シャッター機として注目を浴びましたが、むしろ機械部分の堅牢さによる高い信頼感こそが、F3の最大の魅力でしょう。それでいて、ジョルジェット・ジウジアーロのデザインを採用し、黒ベースに赤いアクセントという、その後のニコンデザインの標準となった感もあります。当時としては非常に洗練された外観で、もともと無骨さが強かったキヤノンとの差がさらに大きくなったようにも思えます。その後、あっという間に「スタイリッシュなキヤノン、無骨なニコン」に逆転してしまったのですから、面白いものですが。

スピードライト装着用のホットシューが独自設計(これはF、F2も同様)、シャッターボタンの位置が微妙(グリップの浅さでカバー可能)、ファインダー内表示が針式でなく直感的にわかりにくい、などの課題はあるものの、このカメラならではの安心感というものが、確かにあります。乾電池も、SR44またはLR44と、簡単に入手できるため、どこでも使えます。極寒環境でないかぎり、かなり手荒に扱っても、どこでも大丈夫。そんな感じを受けます。

このF3は、20年以上の長期にわたって生産され、後継のF4が出ても平行して生産が続き、それどころかF5発売に伴ってF4が販売中止になっても、なお生産が継続されました。このため、生産時期によって機体の差がかなりあるようで、中古品を入手する場合には慎重に見極める必要があるとのこと。なお、2016年6月28日現在、ニコンの「修理部品保有製品一覧表」を見ると、まだF3はしっかり残っています。そろそろ、最後になるだろうオーバーホールを依頼しようかな、と考え中。

撮影に使用しているカメラ(3):OLYMPUS XA

過去2回、これまで私が使って(保有して)きたカメラについて書いてまいりました。いずれもニコン製の一眼レフカメラですが、別に一眼レフだけを使っていたわけではありません。もっと気軽に持ち歩ける、気軽にシャッターを押せる、そんなカメラを使うことも当然あります。そんなカメラのひとつが「OLYMUS XA」です。1979年5月発売です。

20160530_olympusxa

内蔵距離計連動型レンジファインダー式のカメラですが、当時はすでにオートフォーカスを搭載するコンパクトカメラも出ており、この方式はいささか古めかしさを感じさせます。しかし、このピント合わせが非常にやりやすく、瞬時にピント調節ができるさまは、まさに快感でした。気になる場合はあらかじめ絞り込んでおけば、そもそもピント合わせをする必要もなし。構造上接写は厳しいものの、スナップや遠景が中心であれば、オートフォーカスなんて電池を食う機構は不要、とさえ思います。

このほかのスペックとしては、露出は絞り優先AEで、シャッター速度はMAX 1/500、レンズは35mm F2.8、外付けクリップ式ストロボ、といったところ。単焦点でF2.8というのはいささか寂しい感じもありますが、やはりF2にするとこの大きさで納めるのは無理があったのかもしれません。

機械がプラスチック製ということもあり、非常に軽くなっています。しかし、カメラは携帯時には軽いほうがよい一方で、撮影時にはむしろある程度重さがあるほうが、ぶれにくくなるもの。このため、シャッターは非常に軽くなり、ちょっと押し込むとすぐに切れるようになっています。一眼レフと違ってミラー動作もないため、確かに手ブレはかなり軽減されます。しかし、押した瞬間の「撮ったぞ!」という感覚があまりないのが、少し寂しいところ。

撮ってみると、やはり開放側ではかなり甘くなるものの、少し絞れば今でも十分に実用的に使えます。もちろんこれは個体ごとのコンディションによって違ってきますし、当然ながらサポート切れの機種なので、満足に撮れなくても仕方ないのですが、意外と丈夫なんだな、という印象。なお、ストロボはチャージにおそろしく時間がかかり、故障していなくても実用的ではありません。完全に防湿庫のコヤシと化しています。

オリンパスのカメラといえば、前回の本欄で書いたとおり、軽い・小さい・静かが重要なコンセプト。持ち歩けなければそもそも写真など撮れない、という観点に基づくものです。実際に利用された期間や台数でいえば、ペンシリーズやOMシリーズのほうが上でしょう。しかし、撮影者にとってカメラとは何か、それを突き詰めた結果としての解が、このXAだったのでは。そう思います。オリンパスでは歴代主要機種を「カメラの歴史」というWebページで紹介していますが、XAの紹介文に、各機種中唯一「名機」という表現を使っているのは、メーカー側でも最高傑作だという自負があるように感じられます。

ペンシリーズやOMシリーズのネーミングが、デジタル時代に再起用されていますが、XAの名前はまだ目にしていません。ぜひとも、デジタル時代のXAというものを見てみたいと思います。

撮影に使用しているカメラ(2):Nikon FE

長い間カメラやらレンズやらを取り扱っていると、いつの間にかカメラが型落ちのカメラが増えていたりすることがございます。もちろん、どこからかかっぱらってきたとかいう物騒な由来によるものではなく、拾得物の持ち主が不明だったり、親戚が物故した際の形見分けだったりという経緯によるものです。そのひとつが「Nikon FE」です。1978年4月発売、キャッチコピーは「シンプル・ニコン」。

Nikon FE

▲Nikon FE ボディ

は1970年代には、オリンパスOMシリーズが切り開いた、軽い・小さい・静かというカメラが一大ムーブメントとなっていました。それまでの一眼レフが重厚長大志向だったことへの反動もあるでしょうが、持ち歩けなければそもそも写真など撮れない、という視点は当時は斬新なものだったようです。さすがに当時をリアルタイムで知っているわけではありませんが。

やや出遅れた感のあったニコンは、まずメカニカルカメラ「Nikon FM」を1977年5月に発売します。これの反応が良好だったためでしょう、電子制御式シャッターを備えたFEを1年遅れでリリース。中央部重点測光方式で絞り優先AEと、カタログスペック的には当時の水準でも地味そのものでしたが、明るくて合焦させやすいファインダー、制御しやすい追針式露出計表示もあって人気を博します。

手に取ってみると、確かに小さくて軽く、それでいてすんなりと手に収まります。こんなに軽くて大丈夫かと思えますが、いざ撮ってみると意外にぶれないもの。フィルム装填時の裏蓋開閉などの際にも、機械的な造りが非常にしっかりしており、プロのサブ機としても使用されたというのもうなずけます。ただし、独立した電源スイッチがなく、巻き上げレバーを起こしてシャッターロックを解除するのは、どうにも慣れません。いや、使い込めば慣れるのかもしれませんが。

ただ、手元の実機は、機械部分については特に問題はなさそうなのですが、シャッター制御が壊れているため、満足に撮影できません。緊急時用のメカニカルシャッターがあり、これを使って撮影することは可能ではありますが、シャッター速度1/90固定では、出番がほとんどないのはいたしかたないでしょう。すでに部品も払底しており、メーカーでの修理対応も終了しています。ニコンカメラの修理を専門に行っている業者に修理を依頼すればよみがえるかもしれませんが、費用がどれぐらいになるのかわからず、かといってそれほど使い込んだものでもないため愛着も薄く、結局防湿庫の肥やしと化しています。このままではかわいそうなのではありますが。

撮影に使用しているカメラ(1):Nikon F

体調がある程度回復してきたこともあり、3月に入ってから盛んに外出するようになりました。そのため、写真の編集などがまったく追いつかず、未整理のデータがどんどんうず高く積まれているという状態に陥っています。訪れた駅の印象が希薄になる前に、少しでも記事を形にしていこうと考え、気力を絞って何とか更新を再開いたしました。

さて、この3月に、新しいデジタルカメラを購入しました。それを契機に、これまで私が使ってきたカメラを紹介してまいりたいと思います。

一番長くつきあっており、現役で使用しているのが「Nikon F」です。1959年4月に発売されたフィルム式一眼レフカメラで、見た目のとおり、非常にシンプルな造形をしています。実際、デジタル一眼レフカメラに慣れた今、手に持ってみると、非常に軽いのに驚きます。過酷な現場で使われてきたこともあり、真偽定かならぬ“伝説”も多いのですが、一介の小市民にはひとまずそんな話は関係ありません。

Nikon F

▲Nikon F + 改造Ai Nikkor 50mm F1.4

もともと私の親が使っていたものを、より新しい機種を使うようになったからという理由で、引き取って使い始めたものです。最初に触れたのは9歳のころでしたから、30ン年ものつきあいに成ります。その間、ボートから沼に落としてドンブラコさせたり(無事でした)、崖から崩れた弾みにアスファルトに叩き付けられたり(底部に大きなへこみがありますが撮影に支障なし)と、散々な目に遭わせておりますが、未だにフィルムカメラはこれになっています。

オートフォーカスなんてなくても、ファインダーが明るければ問題なし。露出計がなくても、ネガならどうにでもなる。そう割り切れば、何も考えず、思ったときにシャッターを押すという、基本的な操作のみで完結する安心感があります。いや、露出計を備えたFTnファインダーもあるのですが、メーターが故障しており、これに対する部品が払底しているため、FTnファインダーはもう使っていません。シャッター速度と絞りが表示されるというメリットはありますが、頭でっかちになってやや不安定になるため、シンプルなアイレベルファインダーのみを使っています。このほか、シャッターボタンが後にずれている(実際、これ以降のニコンの一眼レフではシャッターボタンが前側に移動しています)、ミラーの振動が大きい、X接点が1/60、最高速度が1/1000など、言い出したらキリがありませんが、少なくとも私が使うかぎり、特に不満を感じたことはありません。

唯一の難点は、フィルムを交換する際に、裏蓋を完全に取り外す必要があること。慣れれば、裏蓋を小脇に挟んでフィルムを装填できるようにはなるものの、カメラバッグを肩に下げたまま操作するのはいささかつらい。当時のフィルムマガジンの仕様に沿ったものではありますが、ここだけはやはり難があります。もっとも、裏蓋(および底部)が壊れても、その他の部分が問題なければ、ジャンク品で簡単にニコイチ化できるというメリット(?)もありますが。

フィルム撮影自体、年に2本程度にまで減っています。それでも、現在もフィルム撮影する際には、主役として活躍しています。世代によるセンサー性能差が大きく、したがって陳腐化が速いデジタルとは、製品寿命の前提がまったく違うことを差し引いても、不思議なものです。これから先も、末永くつきあっていきたいと思います。

札幌市電ループ化について雑感

前回このブログを更新してから少し間が開きましたが、これはまたまた体調を崩していたためです。もうなんだかあちこちガタガタになっており、ちょっと悲観的なことを考えることもないではないですが、ひとまず両親が存命である以上、がんばっていかないとと思っております。

さて、北海道では、まず札幌市電のループ化という明るいニュースがありました。私が訪れたときには、新線区間および交差点には警備員が配置されて交通整理にあたっていましたが、先日ついに道路脇に駐車して検挙される事例が発生したとのこと。ドライバーが慣れていなかったといえばそれまでですが、少なくとも私が歩道から確認したかぎりでは、路面のレールが見えないような部分はなかったと思います。自動車を停車させる際には、一般的に路面の状況をまず確認するのが、ルール以前の反射的な行動でしょう。したがって、路面を見ても、ドライバーはそこに敷設されているレールを認識せず、漫然と駐車させたということになるのでしょう。

あまり大げさにとらえるべきことではないようにも思いますが、逆にこれを契機に、サイドレザベーションというものがどのようなもので、その利点と欠点を冷静に見つめ、改善点を出していくことが建設的な姿勢だと考えます。この種の施策については、ややもすれば全否定ありきで進行する、あるいは拒絶することになりますが、当該機関を利用しない人をうまく巻き込んでいくことが、市民権を得ていくためには肝要でしょう。

新幹線開業前の北海道から戻って

1月9日から12日にかけてまるまる4日を使い、函館から函館本線を少しずつ北上しながら札幌へ向かうというルートで旅行をしてまいりました。北海道新幹線新函館北斗開業直前、比較的落ち着いているであろう状態を、それも冬に見たかったというのが第一の契機です。

「さっぽろ雪まつり」以外の季節は比較的余裕があると踏んでいましたが、函館本線の普通列車には意外と観光客の利用が多かったのに驚きました。さすがに小樽以東以外での立ち客こそ少なかったものの、すべてのボックスが埋まる程度の乗りになっている便ばかりだった印象です。特に、外国人観光客が小人数のグループで乗るケースがあり、英語で「このスキー場に行くにはどうすればいいか」と聞かれたりしました。スキーをしにいったわけではないので目的地がさっぱりわからず、答えられませんでしたが。

乗った列車がほぼすべて定刻どおりの運行、バスもそれほど大きく予定時刻から外れないで運転されていたのは、帰宅後のいろいろなニュースを見ると、単なる偶然だったのか、あるいはあまり多いとも思えない幸運を先取りしてしまったのかと、つまらないことを思ったりします。

よくいえば味わいのある、悪くいえば鉄道利用者に見放されたような駅もまわってきました。ここ10日ほど体調が悪かったものの、これも回復してまいりましたので、少しずつ更新してまいります。

切符と旅程

ページの更新を地道に進めている一方で、阪堺電気軌道上町線の住吉-住吉公園間がこの1月30日かぎりで廃止になることをすっかり忘れておりました。このため取り急ぎ、住吉公園駅について手持ちの写真を増やす形で更新いたしました。掲載した写真は、朝以外の時間帯にも電車が頻繁に出入りしていた当時のもので、したがって廃止直前のものではありませんが、それなりに記録としての価値はあるかと思います。

さて、昨日の本欄にて、青函間における「青春18きっぷ」の取扱いについて書きましたが、これまでの私の旅程を調べてみると、鉄道に乗車するにあたっては、そのときに手にした切符によってかなり左右されたものだということを、あらためて感じます。

切符、すなわち乗車券類は、鉄道事業者と利用者の間で交わされた旅客運送契約の証憑であり、利用者が当該運送を請求する債権を証明する有価証券です。まあ、そんな堅苦しいことばを使うまでもなく、「ここからここまでこのように乗っていいですよ」と証明するための書類です。したがって本来は、乗車しようとする利用者の意思が先に存在し、その意思表示を証するものとして切符があるわけです。

しかし実際には、いざ切符を買ったのちに、「さて、この経路(区間)なら、この日程でどう行けるかな」という発想になり、それを基に旅程を組み立てることがずいぶん多いのです。これは自由周遊区間のあるフリーきっぷ類はもちろん、本来であれば単に一方通行に進むだけの片道乗車券でも、どこで休むか、どこで泊まるか、どこで寄り道するか、といったことを、切符を手にしてから(あるいは、購入する切符を決めてから)いろいろ思い悩むことが多いのです。

だから何だ、といわれればそれまでですが、こういう発想になるのは「途中下車が可能」で「複数日にわたっての使用が可能」であるという、鉄道乗車券の特性かもしれません。これが空路であれば、トランジットを別にすれば起点と終点を結ぶだけですし、海路も同様です。陸路の交通機関でも、路線バスになると鉄道と同様の乗車券を発行する会社も少なくともかつてはありましたが、現在ではほとんど耳にしません。

切符が旅程を支配する、なんて考えになるのは「最長片道切符の旅」を実践した結果かもしれませんが、切符が先に立っての旅程というのは、鉄道旅行の醍醐味ではないか、最近はそんな風に思うようになってきました。

青函間の「青春18きっぷ」の取扱いについて

遅くなりましたが、このブログでは本年最初の更新となります。関東ではそろそろ松が明けるようなタイミングで書くのも妙な話ではありますが、本年もよろしくお願いいたします。

いよいよ、北海道新幹線開業が近づいてまいりました。北陸新幹線については、少なくとも既開業区間や沿線では、開業後も基本的に明るいニュースが多いように見えます。さて北海道新幹線はどうなるか。暫定開業色が強いだけに、楽観的になれる材料に乏しい印象はありますが、まずはスムーズにことが運ぶことを祈ります。

さて、新幹線開業を前に、企画乗車券類の取扱いに関する情報が、JRグループ名で発表されました(各社プレスリリースをご覧ください)。特に注目されていたのが「青春18きっぷ」ですが、大前提として次期以降も継続して販売されるようで、まずはめでたいことです。そして、青函間の取扱いですが、オプション券を購入することで、片道利用が可能となるということになりました。なかなか面白い仕組みで、これはこれで利用価値があると思います。むやみに利用制限を課してライトな利用者を遠ざけるのではなく、ややハードルが高めの条件でもクリアしようという人にウェルカムという姿勢は、最近のJR各社の営業施策とはかなり違っているだけに、正直なところ、驚きました。

もっとも、このオプション券が利用できるのは奥津軽いまべつ駅以北のみで、津軽線津軽二股駅での乗り継ぎが大前提になるようです。津軽二股駅を発着する列車は5往復と限られていることから、これに接続する新幹線列車に「青春18」利用者が乗り込むことになるのでしょう。

ちなみに私は、「青春18」で青函間を利用しようとするのは行程を縛ることにつながるので、少なくとも積極的に選択することはまずないと思います。その一方で青函間のフェリーは、ターミナルが駅からかなり離れていることもあって、特に冬季にはとても利用する気になれません。結局、特急券さえあれば新幹線に乗れる乗車券類を使うことになりそうです。