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岡山電気軌道の臨時停留所に行ってきました

2017年は、国鉄が分割民営化された1987年から30年という節目の年に当たります。このためJR各社では、10月の「鉄道の日」前後に、さまざまなイベントや商品を繰り出しています。そのうちの1つに、JR西日本が販売した「JR西日本30周年記念乗り放題きっぷ」があります。10月の土日曜日1日にかぎり、JR西日本の全列車の自由席に乗り放題というもの。1日あたり3,000枚限定に加え、ネット上で1か月前の5時30分から予約開始というシステムのため、早朝に「おでかけネット」にログインしてスタンバイしておき、30分になるとすぐにトライする必要がありました。そんなこんなで、10月1日の分を確保できました。

JR西日本30周年乗り放題きっぷ画像

JR西日本30周年乗り放題きっぷ

実際の行動ですが、「博多→岡山…(岡山市内)…岡山→新大阪→金沢-(上越妙高)→大宮」という経路になりました。このうち「上越妙高→大宮」はもちろんJR西日本ではないため、別途きっぷを確保しました。

このうち岡山市内では、1年で2回のみ営業している「京橋臨時停留所」に行くのが第一の目的でした。この停留所は、毎月第1日曜日に開催される「備前岡山京橋朝市」へのアクセスとして、5月と10月に設置されるものです。この情報は岡山電気軌道両備ホールディングスのWebサイト等には告知がありませんが、備前岡山京橋朝市紹介ページに書かれています。乗り放題きっぷとちょうど重なったため、岡山で降りることにしたしだいです。

その臨時停留所は、所定の扉位置(前扉が降車口、後扉が乗車口)にラインを引くとともに、係員が乗降客をサポートします。さらに道路脇には「臨時 電車停留場」と書かれた掲示を出しています。複線なので、これが双方向にセットされます。係員氏にきいたところ、「朝市」が閉幕する10時ごろにこの臨時停留所も片付けられ、それ以降は通常どおりの運行になるとのこと。

京橋臨時停留所

京橋臨時停留所

朝市にはさまざまな屋台が出店しており、いろいろなものをつまみました。あえて朝食を取らずに向かったのは正解でした。朝市というと、野菜など農産物を直売しているというイメージを抱きがちですが、ここではさまざまな食べ物の即売も行われています。比較的涼しい朝だったせいか、停留所に近いラーメンの屋台には長蛇の列ができていました。なお、屋台めぐりの際には小銭を多く用意しておくことをお勧めします。

備前岡山京橋朝市

備前岡山京橋朝市

ひととおり屋台を回ったところで、そのまま岡山駅へ戻りましたが、岡山城や後楽園といった一級観光地が近いほか、旧日銀岡山支店本館(ルネスホール)、岡山県庁、林原美術館、宇野バス表町バスセンターど、素晴らしい近代建築がぎっしり立ち並ぶ一角です。私はたまたまこの夏に岡山を訪れていたため、今回は割愛しましたが、これらと合わせて楽しむのも一興でしょう。

BRT暫定復旧区間各駅について

東北エリアのJR東日本各駅について、地道に更新を行っておりますが、BRTにより暫定復旧されている区間の各駅につきまして、弊サイトにおける取扱いに関して簡単に説明させていただきます。

大船渡線の気仙沼-盛間、および気仙沼線の柳津-気仙沼間においては、東日本大震災による甚大な被害を受けて、BRTによる“暫定復旧”が行われています。このBRTはその名称のとおりバスによる運行となっていますが、JR東日本の規程によりますと、乗り降りできるバスの停留所についても「駅」と定義されています(「東日本旅客鉄道株式会社 一般乗合旅客自動車運送事業取扱規則 第2条第1号)。したがって、これらについても「鉄道会社の駅」とみることは可能です。しかし、弊サイトにおいては、これらは「鉄道会社が運営する<鉄道以外の>輸送手段における乗降場」という位置づけのため、駅としては見なしていません。したがって、大船渡線BRTの奇跡の一本松「駅」、気仙沼線のベイサイドアリーナ「駅」などは、弊サイトで取り扱う「駅」とはしません。一方で、鉄道として運行していた当時の駅については、それが正式に廃止されているものではないため、その手続が完了するまでの間は存置いたします。

したがって、BRTの運行区間については、実際に営業している「駅」と、弊サイトで掲載している駅との間で齟齬が生じております。ご承知おきください。

二次交通情報の追加について

前回の本欄で書いたとおり、駅周辺の二次交通拠点、具体的には駅近隣のバス停を表記し、それの系統を付記するようにいたしました。

ところが、実際にこの作業を進めてみると、相当に骨が折れます。もともと駅周辺にどのような事業者が路線バスを運行しているかを把握することから始める必要がありますが、複数事業者(自治体によるコミュニティバスを含む)が混在している場合、調べるのに一苦労します。また、路線図やバス停位置の詳細を公開していない事業者も多く、一駅の最寄りバス停の情報を整理するのにかなりの手間と時間がかかっています。

このことから、実際に当方が乗り降りした駅、および重要度が高いと思われる駅から優先的に記載していきたいと思います。

駅周辺情報および二次交通情報の充実化

これまで試行的に、各駅周辺の施設情報(ランドマークになるような行政機関、学校、病院、商業施設、工場等)の情報を掲載してきましたが、本日の更新からより具体的に記載するようにいたしました。

またあわせて、把握できる範囲の二次交通(基本的に一般路線バスおよび船舶)についても、なるべく具体的に書くように試みています。ただしこちらは、事業者による情報提供や整理がなかなか追いつかないこともあり、どこまで情報を増やしていけるか、いささか心許ない状態ではあります。今のところトライアル状態ではあります。

いずれにせよ、現地の情報を直接見聞きせずに調査した情報に依存している部分が大きいため、最新の状況とは大きく異なっていることもあるかと思います。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。

駅名変更反映など

しばらく諸事情によりネットから離れておりましたが、やっと余裕が戻ってまいりましたので、Twitterを含めて復帰いたします。

3月初頭のダイヤ改正に伴うもののほか、3月末から4月初頭にかけて、新駅の開業や駅名変更が多数ありました。現状、東武伊勢崎線の一部については作業を継続しておりますが、それ以外の各駅については一覧リストの更新を完了しました。

東急池上線池上駅の改築の報道などもあり、再訪が必要なところも多いのですが、体力、時間、資金のバランスを考えると、果たしてどうしたものやら。大型連休期間中は基本的に在宅する予定(日帰り程度の外出はあります)ですが、それが終われば可能なかぎりアクティブに動きたいと思ってはおります。

国鉄分割民営化・JR7社発足30年

全国主要紙でも取り上げられていますが、本日は1987年4月1日に国鉄が分割民営化され、JR7社が発足して30年になります。この間、鉄道を取り巻く環境が大きく変わったのはもちろん、国土における交通のあり方そのものに求められるものも大きく変貌しました。JR各社でも「鉄道というインフラを経営する企業」から「鉄道というインフラを保有しながら事業を行う企業」へとシフトできたかどうかによって運命が変わっています。各社の企業努力といった目に見えない(そして客観的な判断もしようがない)曖昧な評価軸で語ってよいはずもありませんが、各社間の企業体力差にとどまらず、存続可能性の差も大きくなっているという厳然たる事実に、何と言えばよいものやら。

30年前、幼稚な私の判断基準であれこれ書いたメモがいまだに手もとに残っており、赤面ものですが、30年という年月は、あらゆるものを引き裂き、それを固定化させるにも十分な年月だったような気もいたします。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

写真無断使用メディア等への対応

昨年7月26日の本欄で書いたデジタル一眼レフカメラ「FUJIFILM FinePix S5 Pro」のオーバーホールは一週間で完了、使い込んですり減っていたラバーを張り替えてもらったため、見た目は新品同様になりました。シャッター回数は5万回少々なので、ユニット交換はせずにそのまま。今後はサブ機として使用することになりますが、すでにバッテリーのメーカー在庫がない状態で、買い込んであるバッテリーの寿命がそのまま機械の寿命になりそうな予感です。

さて、少し前の話題になりますが、月刊誌『アサヒカメラ』(朝日新聞出版)2017年2月号が手もとにあります。「鉄道写真の深淵」という特集に引かれて購入したものですが、この号に「緊急企画・写真を無断使用する“泥棒”を追い込むための 損害賠償&削除要請マニュアル」という興味深い記事がございました。弊サイトも写真を主要コンテンツとしている以上、その著作権を侵害する行為を見ることも多く、残念なかぎりです。もともと大した写真であるわけでもなく、死蔵しているよりは情報を広く世に示すほうがよいとは思うのものの、自分の関知しないところで適当に使われているのは面白くありません。今後、これらの行為に対して、毅然とした対処をする必要があるのでしょうし、そのための作業などをいろいろ行っております。なお、写真にウォーターマークを入れるといったことは、今のところ考えておりません。

少し間が空いてしまいました

前回の更新から、少し間が空いてしまいました。諸事多忙だったことに加えて、精神的にもいろいろ疲労が溜まってきたこともあり、サイトの更新だけでなく、Twitterなどネットで(へ)の書き込み自体を控えておりました。そろそろ日常ベースに戻れそうということもあり、ひとまず更新を再開いたしました。

そうはいっても、諸般の事情につき家を長いこと空けるのは当面難しいようなので、これまでのデータを整理したりしながら過ごすことになりそうではあります。

撮影に使用しているカメラ(6):FUJIFILM FinePix S5 Pro

いろいろあって、デジタル一眼レフカメラを本格的に使い始めるようになったものの、商品技術の進歩が著しく、陳腐化のスピードが非常に激しい時期だったため、かえって機種選定に迷うことになりました。レンズは妥協しないにしても、ボディについては、機能面で判断しても、すぐに不満が出てくるのは致し方ないところ。そうすると、何でも撮れる(はずの)プロフェッショナル用のフラッグシップ機にするか、消耗品と割り切って操作性で我慢できる範囲の安い物を使うか。さんざん迷った末に選んだのが、富士フイルム製の「FinePix S5 Pro」です。2007年1月発売。

FUJIFILM FinePix S5 Pro

FUJIFILM FinePix S5 Pro

富士フイルムといえば、写真用フィルムだけではなくカメラメーカーとしても老舗で、現在まで中判フィルムカメラの生産を継続しているなど、シェアが小さくともニーズがあるところにピンポイントで製品をつぎ込むというイメージがあります。

S5 ProのボディはNikon D200をベースにしており、マグネシウム合金をベースにしたフレーム、10万回のレリーズ耐久性を持つシャッターなどはまったく同じ。ニコンFマウントなので、ニッコールレンズが使えるほか、ストロボをはじめとするアクセサリー類もニコン製のものがそのまま利用できます。サードパーティー製の周辺機器でも、対応機種にニコンのカメラが並ぶなか、ポツンと「S5 Pro」と書かれていることもあります。ただし、バッテリーだけは独自仕様。センサーはAPS-Cサイズです。ニコンの赤いアクセントがないだけで、ずいぶんごつい印象になるものだな、と思います。

カタログスペック的な面での特徴は、富士フイルム独自開発の「スーパーCCDハニカムSR」を搭載し、当時としては非常に広いダイナミックレンジを実現したところ。当時はセンサーの主流がCMOSに移行しつつありましたが、CCDとしては最高峰の技術をつぎ込んでいます。

さらに、それ以上に特筆すべき点は、その発色です。もともと、スタジオでのポートレート撮影をメインターゲットとしており、日本人の肌の発色を自然かつ美しく再現できるというのが売りになっていました。当時のニコンでは色が赤っぽくなっており、これだけでも十分に差別化できていましたが、風景写真を撮る際の青色の抜けかたが、透明感がありつつハイライトもよく残してくれ、落ち着きと迫力を兼ね備えた色合いを出してくれます。この色の出し方はまったく独特のもので、これがあるゆえに富士のカメラを手放せない、という方も少なくないようです。リバーサルフィルムを愛用していた方であれば「プロビアの色をデジタルで再現」といえば、おわかりいただけるかと。

操作性はまずまずで、ホールディングが非常に安定しています。ファインダーがやや暗く、マニュアルフォーカスがやりにくいのが難。液晶モニターでの等倍拡大もできないため、ピンぼけチェックはPCなどにデータを移さないとできません。

FinePix S一桁シリーズは、ある意味で過渡期の製品だったのかもしれません。その後、富士フイルムはニコン互換製品の開発を打ち切り、独自マウントで自社レンズを組み合わせて販売する戦略に移行しました。カメラメーカーとしての富士フイルムのブランドが確立されたという判断でしょう。実際、S5 Proの色から、その後のXシリーズなどへ手を出す人も少なからずおられるようです。

もう10年近く前の製品ということもあり、メモリカード(CF)への読み込みの遅さ、電力消費の大きさという2点は、アウトドアで撮影するにはかなり厳しいものになってきました。せめて、RAWデータを圧縮してくれれば、と何度思ったことか。また、バッテリーの消耗もけっこう大きく、このため販売中止になった時点で大量に予備バッテリーを買い込むことになりました。しかし、これの代替となる製品が見当たらないことから、今後も手放すことはないと思います。「JPEG撮って出し」を現実のものとしてくれたカメラでもあります。

相棒?のニコンD200がすでに修理対象機種リストから外れている一方で、このS5 Proは、少なくとも2017年3月までは修理を受け付けるとのこと。修理期間間際になった時点で、オーバーホールを依頼する予定です。

撮影に使用しているカメラ(5):KYOCERA SAMURAI Z

これまで紹介してきたカメラを見ると、いろいろと機械ものをいじくること自体を楽しみとするような、そんな連中ばかりが並んでいます。しかし、シャッターボタンを押すだけで撮れるフルオート機を使っていなかったわけではなく、むしろメモ代わりには重宝していました。それが「KYOCERA SAMURAI Z」です。1989年7月発売。

KYOCERA SAMURAI Z

▲KYOCERA SAMURAI Z

このカメラ、まずビジュアルが非常に独特です。大きな前玉はいいとして、なんと縦長。右手の親指と残りの4指で挟み込むようにホールドし、左手を軽く添えるような形で構えます。フィルムカメラを操作しているようにはとても思えず、実際に撮影時には「ビデオを撮っているんですね」と言われたことが何度もありました。なお、左利き用に、左側にボタンがあるタイプのものも販売されていました。

どうしてこのような形態になったかというと、一眼レフの機能とコンパクトカメラの機能性を両立させる「ブリッジカメラ」と呼ばれる一群が当時流行していたのですが、そのさきがけになったのが、京セラのSAMURAIシリーズだったのです。坂本龍一をイメージキャラクターにしたプロモーションも盛んに行われ、なかなかのヒット商品になりました。

スペックで見ると、異端児らしさ丸出しといえる要素が並びます。ハーフサイズ、レンズ固定式一眼レフ、3倍ズーム(25-75mmF4.0-5.6)、TTL位相差検出方式オートフォーカス(インナーフォーカス)、ストロボ内蔵(日中シンクロ可)、自動巻き上げ、プログラム式電子シャッター、露出補正可、といったところ。

「ハーフサイズ」とは、通常のフィルムカメラの半分のサイズのみを露光させるもので、これにより2倍のカットが撮れるものです。1980年代後半には「プリント0円」などというDPEショップが出ていたため、フィルム代や現像代が同じため、かなり安く多くのショットを収めることができました。もっとも、へたに36枚撮りフィルムなど入れてしまうと、72枚を撮らないと使い切らないので、長い旅行などではない普段使いには、いささかつらくなった面もあります。この当時は「オリンパスペン」もすべて生産終了、かろうじてサムライと「コニカレコーダー」が孤高を守っていました。

外観ではどう見てもそう思えないでしょうが、これでもれっきとした一眼レフカメラです。レンズの奥にミラーがあり、通常はこのミラーの上にあるペンタプリズムを通してファインダーへと光が走り、シャッターを押すとミラーが回転して光がフィルムに届く方式です。定義上は問題ないのですが、「一眼レフカメラです」といってこれを見せても「えー?」という反応が帰ってきます。

操作性は非常によく、シャッターボタンを押し込む向きもよく考えられているため、手ぶれを起こしにくくなっています。機械全体をつまむのではなく、抱え込むようにして操作するためでしょう。機能は限られているものの、そのぶんシャッターやズームのボタン類が大きくなっています。電池は、ボタン電池ではなくリチウム電池を使っていることもあり、そうそう切れる心配もありません。外装はプラスチックで、お世辞にも耐久性があるようには見えないので、取扱いには注意が必要です。

今の水準でみると、さすがにAFは遅く、またかなり迷いながらの動きです。これは時代相応というもので仕方がないのでしょう。レンズについては、意外にも収差が小さいものの、やはり写りの甘さは否定できません。色についても、特に暖色系がぼんやりしたトーンになりやすく、全体的にいささか眠たい感じになります。意外にも経年劣化は進んでおらず、内蔵用ボタン電池を交換するだけで、すんなりと使えるのはおもしろいところ。

携帯するにはいささか大きいものの、手に持っていると、写真を撮っていると確かに実感できる、そんなカメラです。こんな思い切った製品を出していた京セラも、デジタル化への対応で競争力がないと判断し、カメラ事業から撤退。寂しいものです。

余談ながら、「京セラ サムライ」でGoogle検索すると、住宅用太陽光発電システムが出てきます。京セラにすれば「サムライ」の名前は、ヒット商品となったブランドとして、今でも大事にすべきと思われているのでしょう。