千曲河畔の城下町

松代
まつしろ
Matsushiro

概要

 松代は、信州真田家十万石の城下町として栄えた町で、今なお多くの武家屋敷や古寺などが残っています。NHK大河ドラマ「風林火山」の舞台ということもあって、観光客が多く訪れています。

 松代駅を拠点に、半日かけてゆっくり回りたい町です。

 

ポイント

海津城跡(松代城跡)

海津城跡入口

 江戸時代を通してこの地を治めた真田松代藩の城跡を整備した公園です。「海津城」は武田氏の拠点、「松代城」は真田藩の居城として表記されるのが一般的です。

 海津城は、武田信玄と上杉謙信が繰り広げた川中島の合戦で、千曲川側における武田の拠点として築かれた城です。関ヶ原の戦いの後に森氏が、さらに大阪の陣の後に真田氏がこの地に封じられました。明治時代に廃城となったのちはすべての建物が破却されました。現在、城郭の一部は国の史跡に指定されています。

海津城跡石垣 海津城跡土塁

 築城から真田氏入城にかけての史料、および現地発掘調査の結果などに基づき、石垣や門などの一部が復原されています。城跡内は自由に散策できるよう開放されており、石垣の一部に登ることができ千曲川方面が望めます。

(2007年10月7日)

池田満寿夫美術館【未訪】

池田満寿夫美術館

 画家・作家など多彩な活躍を見せた芸術家、池田満寿夫の作品を収蔵・展示している美術館です。

(2007年10月7日)

真田宝物館

真田宝物館

 松代藩の当主であった真田家から松代町(当時)に譲渡された大名道具のコレクションを展示しています。

 真田家の歴史を説明する各種資料が最初に展示され、これに続いて武具を中心とした各種コレクションを並べるという順になっています。真田家の歴史と同時に松代の歴史を説明しようとする意図はわかりますが、この両者が混同されている観があったのがやや残念。また、江戸時代は政治の中心地であった松代が、近代に入るとその座から外れたことについての説明がなかったのも気にかかりますが、これは当館が長野市営であることのせいかと思うのはうがった見方でしょうか。

 展示物のバリエーションが幅広いので、荷物を1階ロビーにあるコインロッカーに収めて(後にコインが戻るタイプ)ゆっくりまわることをお勧めします。

(2007年10月7日)

旧真田邸

旧真田邸

 松代藩主であった真田家の邸宅で、松代城と一体として国の史跡に指定されています。

 現在は全面解体修理中で、これは2009年度まで続きます。私が訪問した2007年9月には、庭園の一部および改修が終了した土蔵のみが公開されていましたが、入口の冠木門がなかなか印象的であるものの、これ以外には大名屋敷の雰囲気を感じられるものではありませんでした。外壁を眺めるにとどめるのが精一杯でしょう。なお、土蔵は市民ギャラリーとして利用されていました。

(2007年10月7日)

旧文武学校

旧文武学校

 藩士やその子弟に学問と武芸を奨励するため、幕末に真田家が設置した藩校です。開校したのが1855年という時節柄、西洋軍学や砲術などの教育がカリキュラムに取り入れられているほか、孔子廟がみられないといった特徴があります。廃藩置県後は松代小学校の校舎となり、戦後に国の史跡として指定を受けました。

 比較的新しい時期につくられた近世教育機関であり、当時の建物がそのまま残っており部屋などの位置関係を体感できます。展示資料などは特にありませんが、敷地内にある建物一式が展示資料といえ、興味深い空間になっています。

(2007年10月7日)

長国寺【未訪】

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旧横田家住宅

旧横田家住宅玄関

 松代藩真田家に仕えた中級武家屋敷で、長屋門、一部二階建ての母屋、隠居屋、土蔵および庭園、菜園から成り、国の重要文化財の指定を受けています。

横田家住宅(1) 横田家住宅(2)

 建物の建造年代は比較的新しいものの、江戸時代後期の武士の生活がうかがえるよう、建物の内部にあがることができるのがうれしいところ。菜園がずいぶん広く取られているのもおもしろいと感じました。

(2007年10月7日)

象山記念館

象山記念館

 幕末に活躍した松代藩士、佐久間象山に関する資料などを展示している施設です。

 1階で象山の経歴や遺品などを展示紹介しています。兵学や科学など多方面にわたってマルチタレントを発揮した象山の足跡がうかがえるいっぽう、当時の松代藩が幕藩体制下でどのような位置にあったかの説明にやや乏しく、このためイメージがつかみにくいと感じました。

 いっぽう2階は松代通信資料館となっており、今では使われていない古い電気通信機器や電話機などが展示されています。もっとも通信機器の発展はここ20年ほどの間に加速していることもあって、展示内容が非常に陳腐化しているのが残念でしたが、象山を顕彰する記念館内の一室という性質を考慮するとやむを得ないところでしょう。

(2007年10月7日)

松代象山地下壕(松代大本営象山地区)

象山地下壕内

 第二次世界大戦末期、本土決戦に備えて天皇御座所や政府機関、大本営などを松代に移転するという計画が建てられ、その移転先としてつくられたのが松代大本営の地下壕です。象山、舞鶴山、皆神山の3地区がありますが、ここでは象山地区のそれについて紹介します。

 総延長約6kmのうち、500mほどの部分が長野市の管理下で公開されています。入壕の際には簡単な手続きを行ったのち、ヘルメットの着用が必須です(無料で貸し出しあり)。壕内には照明が設置されていますが、足元がおぼつかないところもあるので、ヘッドライトを持参するのがお勧めです。地下壕のために内部の気温はほぼ一定で、夏は非常に涼しく冬は暖かくなっています。

象山地下壕入口

 大戦末期には大量の朝鮮人労働者が作業を行ったといいますが、食糧事情が厳しい当時としては破格の待遇だったとも、あるいは過酷な労働を強いられたともいわれます。それにしても、資源も労働力も完全に底をついていた大戦末期にこのようなものを作ることのばかばかしさを見るにつけ、戦争というものは引き際を誤ると愚行に愚行を重ねることになるものだという思いが強くなりました。地下壕入口の周辺には複数の民間資料室があり、展示が行われているようです(いずれも未確認)。

 このほか、南東側にある舞鶴山地区にも天皇御座所や宮内省として予定されていた建物および地下壕があり、現在は気象庁精密地震観測室が置かれています。こちらも一部が公開されていますが、現在は工事中のため公開が中止されています。

(2007年10月7日)

 

アクセス

 JR長野駅から路線バス、または長野電鉄屋代線でのアクセスがメインとなります。松代駅で自転車を借りて市内をまわるのも効率的です。

 長野駅からは、善光寺口からおおむね30分間隔、所要30分弱で川中島バスの路線バスが運行されています。真田公園など松代中心部付近の散策には松代八十二銀行前バス停が便利ですが、海津城跡へは松代駅バス停が至近です。長野から須坂経由で松代へ電車で行くことも可能ですが、所要時間、運賃、本数とも比較になりません。

 いっぽう須坂や屋代からの場合は、長野電鉄屋代線の利用がよいでしょう。

 

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