カーブした長めのホーム
三江線は引き続き江川の左岸、すなわち南側を東へと進んでいきますが、崖に沿って進んでいくような区間が続きます。その中で少し広めのスペースがあるなと思うと、そこが船佐駅になっています。
片面ホームのみの駅で、上屋などはありません。ホーム自体はかなり長いのですが、実際には江津方の端の部分しか使われていません。
三江線は引き続き江川の左岸、すなわち南側を東へと進んでいきますが、崖に沿って進んでいくような区間が続きます。その中で少し広めのスペースがあるなと思うと、そこが船佐駅になっています。
片面ホームのみの駅で、上屋などはありません。ホーム自体はかなり長いのですが、実際には江津方の端の部分しか使われていません。
レールとホームを挟んだ反対側にはまとまったスペースがあり、路盤こそないものの整備すれば線路を敷設できそうです。尾関山駅も同様ですが、将来的に島式ホーム化して列車交換が可能にする構造にする想定になっていたようです。これは、【写真3】の角度から見るとよくわかります。もっとも実際には、開業以来ずっと棒線駅のままのようですが。
ホームの端から駅前に下りるとまとまったスペースがあり、ここに民家が建っていますが、私が現地を訪れたときには人の気配がしませんでした。このほか、ホーム三次方の端から線路を挟んだ反対側にも民家があり、その脇には、戦争中に発電所を標的としたB-29の爆撃があり、中国山地山間部で唯一の被害を受けた旨の説明板があり、このようなところで、と考えさせられます。
なお、崖の上にも家屋がありますが、すでに廃屋となって久しいようで、崩壊が始まっていました。
駅前広場といってよいかどうかわかりませんが、その中央部には屋根付きの自転車駐輪場があります。正確にはそうという表示はなく、また自転車も1台も止まっていませんが、形状的にそうだろうと推測される施設、となりましょうか。
その駐輪場の脇にポールがあり、何だろうと思ってみると、バス停でした。ちなみに丸い板などはなく、本当にポールだけです。備北交通のバスが運行されており、ロータリーのようになっているのは、ここが回転場として利用されているためでしょう。便数は三江線以下、日曜祝日は全休でした。
列車から降りるとホーム以外の設備が何もないように見えますが、離れたところに待合室がポツンと置かれています。なお、裏手には便所がある旨の表示がありましたが、そちらは確認しませんでした。
待合室の外壁に時刻表と運賃表が置かれています。単に上屋と壁があるだけではなく、きちんと扉が閉まる建物になっているため、冬季でも列車を待つことができます。
駅名は、旧船佐村(1956年9月に合併して旧高宮町、さらに2004年3月に合併して安芸高田市の一部になります)の玄関口を意識して付されたものと思われます。なお「船佐」の名称は、当村のあった舟木(現在は「船木」の地名)、佐々部の両大字から取った合成地名で、船佐駅は船木地区の北端に位置します。
詳細は確認中。
確認中。