この駅を挟んで運転系統が二分

朱鞠内 【廃止】

しゅまりない Shumarinai
  • 深名線
  • 《深川方面》 共栄   湖畔 《名寄方面》
  • ※隣接駅名は路線廃止直前のものです。
朱鞠内駅
▲朱鞠内駅駅舎《1993年9月15日撮影》

このページは、路線廃止前の情報をもとに記載しています。

列車は基本的にこの駅で折り返し

朱鞠内駅に到着したキハ53形500番台単行
【写真1】朱鞠内駅に到着したキハ53形500番台単行。《1993年9月16日撮影》

朱鞠内は、深名線の運転系統を分けるジャンクションとなっていた駅です。深名線の朱鞠内以南と以北とを直通する列車はほとんどなく、大半がこの駅を境として、南側と北側とで折り返し運転されていました。これは、豪雪などによる列車の遅延や運休が発生しても、影響が全線に波及することを防ぐためのものでした。もっとも、国鉄末期になると、直通はおろか接続さえ満足に行われなくなり、このため同一町内でありながら、北母子里から幌加内への鉄道での日帰り往復が不可能という状態でした。

かつては保線車両や要員も多く配置されており、駅が集落の中心となっていたといいます。

数少ない集落

朱鞠内駅構内踏切
【写真2】朱鞠内駅構内踏切。《1993年9月16日撮影》

幌加内以北の人口減少は著しく、居住者の激減によって乗降が事実上ゼロとなった駅もあり、深名線が走っているあいだに廃止された駅も1つや2つではないという有様でした。特にこの朱鞠内以北では、そもそも完全な無人地帯が長いこと続いていたのが実情です。人造湖である朱鞠内湖の建設を主目的として敷設された深名線は、その完成後には木材輸送で栄えたといいますが、トラック輸送が発達するともはや存在意義を完全に失っていました。

そんな深名線北部区間の中で、数少ないまとまった集落になっていたのが、ここ朱鞠内です。

タブレット閉塞と腕木式信号機が残っていました

朱鞠内駅駅本屋にあった信号てこ
【写真3】朱鞠内駅駅本屋にあった信号てこ。《1993年9月15日撮影》

深名線では、廃線の直前までCTC化などの自動化は行われず、タブレット閉塞と腕木式信号機が用いられていました。全線121.8kmを最終的にはわずか3閉塞で済ませ、幌加内と朱鞠内の2駅でのみ列車交換可能という体制になっていました。

駅舎は比較的新しいものでした

朱鞠内駅構内
【写真4】朱鞠内駅構内。《1993年9月16日撮影》

駅舎は、1964年5月16日の朱鞠内大火ののちに作られたもので、比較的新しいものでしたが、これも後に解体されたとのことです。

戦時中に作られた人造湖である朱鞠内湖は、タコ部屋労働者の悲劇で有名です。キャンプ場として観光客を集めていますが、最寄り駅は1つ名寄よりの湖畔でした。鉄骨に板を渡したホームと小さい待合室のみの簡素な無人駅で、妙に見通しのよい風景が印象に残っています。

駅名の由来

確認中。

歴史

詳細は確認中。

1932年10月25日
国有鉄道(鉄道省)幌加内線の添牛内-朱鞠内間が開業し、朱鞠内駅開業。
1941年10月10日
国有鉄道(運輸通信省)深名線の朱鞠内-初茶志内(後の天塩弥生)間が開業し(深名線全通)、中間駅となります。
1982年3月28日
この日かぎりで貨物営業廃止。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR北海道の駅となります。
1995年9月3日
この日かぎりで深名線が廃止され、朱鞠内駅も廃止。

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