くりはら田園鉄道

くりはら田園鉄道線を運行していた第3セクター鉄道会社です(本社:宮城県栗原市、旧若柳町)。廃止が予定されていた民鉄の路線を継承したものですが、一般の第3セクター鉄道とは異なり新会社を設立したわけではなく、既存企業の株式を沿線自治体が譲受して経営にあたるという形式を取りました。1993年12月15日に第3セクター化される以前は、細倉鉱山からの鉱石輸送が中心で、親会社は三菱マテリアルでした。

移管後の経営は非常に苦しく、自治体からの補助金支給により維持している状態が続きました。運賃半額などの実験が行われたものの業績が好転する見込みはなく、2007年3月31日かぎりで全線が廃止されました。

前身は栗原軌道で、戦時中の1942年1月8日に栗原鉄道と改称(軌道から地方鉄道に変更されたのは同年8月20日)、1955年11月29日には栗原電鉄と改称しました(電化は1950年9月)。1964年6月1日に宮城中央交通に合併されたものの、バス部門を分離して1969年2月25日に再び栗原電鉄の名称に戻っています。第3セクター化後、1995年4月1日に再び非電化となったことを受け、くりはら田園鉄道と改称しましたが、この名称はそれまで略称として用いられていた「くりでん」を活かすためだったとされています。

(2007年4月1日)

★1993年9月13日、細倉マインパーク前にて完乗。

JR東北本線の石越駅から、若柳、沢辺、栗駒を経て細倉マインパーク前へいたる、25.7kmの鉄道路線。かつては電化されていましたが、廃止直前には非電化となっており、全線が単線でした。若柳、沢辺、栗駒の3駅で列車交換が可能となっており、この3駅を除く全駅が無人化されていました。最後までタブレット閉塞と腕木式信号機が現役で使われていました。

仙台平野の北部から栗駒高原の丘陵地帯へ分け入っていく路線で、沿線は水田が広がっており、路線名のとおり田園地帯を走り抜けていました。地図を見るかぎりではJR東北本線と栗駒地方を結んでいるように見えるものの、宮城県では大都市である仙台への一極集中が激しく、輸送実態とは乖離する線形では需要の掘り起こしにも限界があり、私が2回乗車したときにはいずれも閑散としており、事実上の貸し切り状態になった区間もありました。

細倉鉱山で採掘された亜鉛などの鉱石を中心とした貨物運輸を行う目的で敷設された路線で、栗原軌道によって石越-沢部(後、沢辺)が1921年12月20日に開通、1922年12月17日には岩ヶ崎(後、栗駒)まで開通しました。戦時中の1942年12月11日には細倉鉱山までの全線が開通しています。当初は軌間762mm、非電化の軽便鉄道でしたが、1950年9月21日に全線電化(直流750V)、1955年9月27日には全線1,067mmに改軌しています。この路線を支えてきた貨物輸送は1987年3月28日かぎりで廃止され、貨物営業のみを行っていた細倉-細倉鉱山は休止となっています(正式な廃止は1988年11月1日)。細倉鉱山の跡地につくられたテーマパーク「細倉マインパーク」へのアクセス拠点として細倉駅を移転する形で1990年6月16日に細倉マインパーク前駅が開業、これに伴い営業キロが0.2km伸びたものの観光利用は少ないままでした。電気設備の老朽化に伴い、1995年4月1日には電化を廃止して全列車を気動車化、ワンマン運転の開始や交換可能3駅以外の無人化などを行ったものの収支好転にはいたらず、2007年3月31日かぎりで全線が廃止されました。

(2007年4月1日)

駅一覧

乗車履歴

  • 石越-細倉マインパーク前 1993年9月13日

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