しっかりした駅舎をもつも今では無人

追分 【廃止】

おいわけ Oiwake
  • 内部線
  • 《近鉄四日市方面》   小古曽 《内部方面》
  • ※隣接駅名は路線廃止直前のものです。
追分駅
▲追分駅駅舎《2011年9月17日撮影》

本記事は、近鉄当時に訪問した際の情報を基に記載しています。新しい情報については、 あすなろう四日市鉄道 > 内部線 > 追分駅 をご覧ください。

 

追分駅外観
【写真1】追分駅外観。《2011年9月17日撮影》

内部・八王子線は近鉄で唯一残ったナローゲージの路線として簡素な設備で運行されていますが、それと歩調を合わせるように、起点の近鉄四日市を除いてコンパクトな駅舎が使われている駅が大多数です。しかし、ここ追分は例外的に、2階建てのしっかりした駅舎を構えています。そう大きいものではありませんが、日本随一の大私鉄である近鉄の標準的な駅舎といえるでしょう。

 

追分駅改札口
【写真2】追分駅改札口。《2011年9月17日撮影》

直線の線路に面して片面ホームがあるのみの棒線駅ですが、駅前のスペースがそこそこ広く取られています。すぐ脇が踏切のため自動車は出入りしにくいのですが、それでも自動車の送迎が可能なスタイルにはなっています。駅舎のみならず、駅前が整備されているという点でも、内部・八王子線では随一の駅といえます。

もっとも、無人化された現在では、自動券売機とインターホンが設備のすべてになっていることは、ほかの駅と大差ありません。

 

追分駅待合室は閉鎖中
【写真3】追分駅待合室は閉鎖中。《2011年9月17日撮影》

私がこの駅を訪れたときには、駅待合室内でのいたずらが多発しているとのことで、待合室が閉鎖されていました。ここまでの措置が取られることはなかなかないのですが、利用者のマナーはあまりよいとはいえないのでしょうか。残念です。

駅名の由来

駅のすぐ脇で東海道と伊勢街道が分岐しており(日永追分)、ここから取られた駅名と思われます。

歴史

詳細は確認中。

1922年1月10日
三重鉄道の日永-小古曽間が開業した際、追分駅開業。
1944年2月11日
三重鉄道が三重交通に合併、三重交通の駅となります。
1964年2月11日
三重鉄道の鉄道部門が三重電気鉄道として分社化、三重電気鉄道の駅となります。
1965年4月1日
三重電気鉄道が近鉄に合併、近鉄内部線の駅となります。

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