2面2線から成る駅で、かつては岩国駅を名乗っていました。現在はメインルートから外れ、駅も無人化されていますが、堂々とした駅舎は往年の栄華をしのばせる立派なものです。現在では分不相応としかいえない長大ホームも、戦前に優等列車が停車していた毛並みの良さを表しています。
駅舎は、重厚さと軽快さの巧みなバランスをはかった、木造の洋風建築です。玄関の軒にかかるアーチは、岩国の象徴ともいうべき錦帯橋をかたどったものといわれます。屋根はかなり高いのですが実際は平屋で、抜けるような天井まで届く窓が印象的です。
木製の改札が目を引きますが、これは駅舎の恒久保存が決定した1970年代に復元されたもの。現在、建物は岩国市に譲渡されており、駅事務室は「ふれあい交流館西岩国」として活用されています。出札口の徳山側には臨時改札口があり、かつて錦帯橋へ向かう観光客でにぎわった時期があったことがうかがえます。ホームに出ると、鋸歯状の屋根が出迎えています。
駅周辺は、かつての市街地らしく古い商店などが多く見られますが、現在では中心街からはずれていることもあって、活気に乏しい印象を受けます。駅のすぐ近くに、岩国刑務所があります。駅の南側には錦川が流れていますが、駅からは確認できません。
岩国の旧市街地は、駅から少し西によったあたりで、錦帯橋方面へ向かう路線バスが駅前を通っています。
歴史
山陽本線の岩国駅が岩国の市街地から大きく離れていたことを受けて、1929年4月に岩徳線の麻里布(1929年2月3日に岩国から改称)-岩国(現・西岩国)が開業しました。1934年12月1日には岩国-高水が開通し、欽明路経由のルートが全通、これに伴い岩徳東西線は山陽本線に編入されています。
その後、勾配のゆるやかな柳井ルートが再度メインルートとなり、1942年4月1日には、麻里布が再び岩国と称し、それまでの岩国は西岩国と改称しています。1944年10月11日には、岩国-櫛ヶ浜が岩徳線となり、ローカル線と位置づけられるようになりました。
- 1929年4月5日
- 開業。
- 2018年7月6日
- 平成30年7月豪雨による水害のため、岩徳線全区間が運休。
- 2018年8月20日
- 岩徳線・岩国-周防高森間が復旧、運転再開。
周辺の見どころ
岩国市教育資料館【未訪】
駅から西へ、徒歩12分。岩国旧市街地の中にある、旧岩国学校の校舎として1870年に完成した建物で、木造2階建てをベースに、その中央から煙突状の鐘楼がのびています。館内には、古い教材や各種の郷土資料を展示しています。また、地元出身の発明家である、藤岡市助の業績を紹介するコーナーもあります。月休、無料。
錦帯橋
駅から北西へ、徒歩20分。川西を参照のこと(未記述)。
岩国城【未訪】
駅から北西へ、徒歩30分。川西を参照のこと。
その他
- 駅舎は、国の登録有形文化財(2006年8月3日登録、24日告示)。