かつて大嶺炭田から産出された石炭を輸送する際、その拠点として多くの貨車が出入りした駅です。もともと美祢方面の鉄道も、山陽鉄道が開通させたのは厚狭-伊佐(現在の南大嶺)-大嶺というルートが最初に開通しており、あくまでも大嶺炭田が目的地でした。その後、美禰軽便鉄道によって伊佐から重安にいたる路線が開通、あらたに石灰石輸送が主目的のひとつに加わったわけです。国有化後も、当初は旧山陽鉄道区間が「大嶺線」、旧美禰軽便鉄道区間が「美禰軽便線」という名称で、伊佐はその中継駅でした。
時代はかわり、1970年代にはすべて炭鉱が閉山した大嶺は貨物輸送を終え、JR化後の1997年3月には大嶺支線は廃止となります。これに伴って南大嶺は単なる中間駅となりました。
2面2線に跨線橋、下りホーム側に駅本屋というのはほかの駅と同様ですが、南大嶺駅はもともと2面3線になっていました。大嶺支線の廃止に伴いこの駅で発着する列車がなくなったことから、島式ホームの両側のレールを残して駅本屋前のレールを撤去、そして駅本屋前に新しく2両対応の短いホームを設け、片面ホーム1面1線と島式ホーム1面1線という、変則的なホーム編成になったしだいです。跨線橋から見ると、駅本屋側の新設ホームの位置がよくわかります。
かつては、一部二階建てで石炭輸送盛んなりし時代を思わせる、風格のある木造駅舎が建っていましたが、現在では鉄骨平屋建の無人駅仕様駅舎になっています。もっとも、係員控え室などのスペースもあり、風雨をしのぐのがやっとのコンパクト駅舎にはなっていません。駅前にはかなり広いスペースが用意されておりここに車を停める人が多いのですが、列車の利用客が活用しているだけではなく、地元民による一種の“集会場”として利用されているようです。
駅前には乗車券の委託販売を行っている商店のほか、数個の民家がありますが、集落としてもさほど大きいものではありません。駅の西側には石灰石の搬出を行うホッパーが見えますが、現在も稼働しているのかどうかは未確認です。
乗り場
番線表示は確認できませんでした。
- (西側)美祢線下り 美祢、長門市方面
- (東側)美祢線上り 厚狭方面
駅名の由来
確認中。
歴史
山陽鉄道の駅として開業しました。山陽鉄道国有化後には美禰軽便鉄道が開業して分岐駅となりますが、美禰軽便鉄道も国有化され、国有鉄道の分岐駅として栄えてきました。
- 【1905年9月13日】 山陽鉄道により厚狭-大嶺(現在は廃止)間が開業した際、
伊佐 駅開業。 - 【1906年12月1日】 山陽鉄道の国有化に伴い、官設鉄道(逓信省鉄道作業局)の駅となります。
- 【1916年9月15日】 美禰軽便鉄道により伊佐-重安間が開業、接続駅となります。
- 【1920年6月1日】 美禰軽便鉄道の国有化に伴い、国有鉄道(鉄道省)大嶺線(厚狭-大嶺)および美禰軽便線(伊佐-重安)の分岐駅となります。
- 【1949年4月1日】 駅名を「南大嶺」に改称。
- 【1982年9月30日】 この日かぎりで貨物営業廃止。
- 【1987年4月1日】 国鉄の分割民営化に伴い、JR西日本の駅となります。
- 【1997年3月31日】 この日かぎりで南大嶺-大嶺間廃止、単純な中間駅となります。
- 【2010年7月15日】 豪雨により美祢線が全線で不通。
- 【2011年9月26日】 美祢線が全線復旧、営業再開。
周辺の見どころ
確認中。