かつての賑わいも今は昔

南大嶺

みなみおおみね
Minamiomine
南大嶺駅
▲南大嶺駅駅舎《2011年10月2日撮影》
南大嶺駅構内
【写真1】南大嶺駅構内。《2011年10月2日撮影》

かつて大嶺炭田から産出された石炭を輸送する際、その拠点として多くの貨車が出入りした駅です。もともと美祢方面の鉄道も、山陽鉄道が開通させたのは厚狭-伊佐(現在の南大嶺)-大嶺というルートが最初に開通しており、あくまでも大嶺炭田が目的地でした。その後、美禰軽便鉄道によって伊佐から重安にいたる路線が開通、あらたに石灰石輸送が主目的のひとつに加わったわけです。国有化後も、当初は旧山陽鉄道区間が「大嶺線」、旧美禰軽便鉄道区間が「美禰軽便線」という名称で、伊佐はその中継駅でした。

時代はかわり、1970年代にはすべて炭鉱が閉山した大嶺は貨物輸送を終え、JR化後の1997年3月には大嶺支線は廃止となります。これに伴って南大嶺は単なる中間駅となりました。

南大嶺駅ホームより長門市方を望む
【写真2】南大嶺駅ホームより長門市方を望む。《2011年10月2日撮影》

2面2線に跨線橋、下りホーム側に駅本屋というのはほかの駅と同様ですが、南大嶺駅はもともと2面3線になっていました。大嶺支線の廃止に伴いこの駅で発着する列車がなくなったことから、島式ホームの両側のレールを残して駅本屋前のレールを撤去、そして駅本屋前に新しく2両対応の短いホームを設け、片面ホーム1面1線と島式ホーム1面1線という、変則的なホーム編成になったしだいです。跨線橋から見ると、駅本屋側の新設ホームの位置がよくわかります。

南大嶺駅旧駅舎
【写真3】南大嶺駅旧駅舎。《1994年8月25日撮影》

かつては、一部二階建てで石炭輸送盛んなりし時代を思わせる、風格のある木造駅舎が建っていましたが、現在では鉄骨平屋建の無人駅仕様駅舎になっています。もっとも、係員控え室などのスペースもあり、風雨をしのぐのがやっとのコンパクト駅舎にはなっていません。駅前にはかなり広いスペースが用意されておりここに車を停める人が多いのですが、列車の利用客が活用しているだけではなく、地元民による一種の“集会場”として利用されているようです。

駅前には乗車券の委託販売を行っている商店のほか、数個の民家がありますが、集落としてもさほど大きいものではありません。駅の西側には石灰石の搬出を行うホッパーが見えますが、現在も稼働しているのかどうかは未確認です。

乗り場

番線表示は確認できませんでした。

駅名の由来

確認中。

歴史

山陽鉄道の駅として開業しました。山陽鉄道国有化後には美禰軽便鉄道が開業して分岐駅となりますが、美禰軽便鉄道も国有化され、国有鉄道の分岐駅として栄えてきました。

周辺の見どころ

確認中。

【美祢線】 厚狭湯ノ峠厚保四郎ヶ原南大嶺美祢重安於福渋木長門湯本板持長門市

2003年10月20日
2011年10月11日、写真を追加のうえ加筆修正

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