美を究めた駅舎建築の最高傑作

大社 【廃止】

たいしゃ Taisha
  • 大社線
  • 《出雲市方面》 荒茅
  • ※駅名は路線廃止直前のものです。
大社駅
▲大社駅駅舎《1988年7月29日撮影》

出雲大社から離れた場所に立地

出雲大社への参拝客を意識した、非常に風格のある駅舎が使われていました。左右対称の神社風建造物で、木造平屋建て。堂々とした玄関、破風のついた屋根、黒い柱と白い漆喰のコントラストは、実にみごと。設計は長らく鉄道省建築課の曽根甚蔵によるものと言われてきましたが、発見された棟札の表記から、神戸鉄道管理局の丹羽三雄による設計であることが判明しました。一説によると、築地本願寺などを手がけた伊東忠太が設計に関わったともいわれています。

コンコースには高い天井からシャンデリアが下がり、数多くの出札窓口や改札口などが丁寧につくられています。縦長の出札窓口の上には、窓が設けられて採光が工夫されるなど、実に細かいところまで目が配られています。皇室関係者の利用もあり、貴賓室も整備されていました。全体的に荘厳な雰囲気がありますが、不思議と威圧感は感じられず、落ち着いた雰囲気が漂っています。相対ホーム2面2線から成る配線でしたが、晩年はホーム前の1線が使われるのみとなっていました。

駅舎は出雲大社まで1.5キロほど離れており、実際にはここからさらにバス連絡が必要でした。これは、鳥居前までの用地買収が、門前町の猛反対によって困難だったためといわれています。このため、長距離の団体貸切列車はともかく、一般観光客を定期列車で誘導するには無理がありました。1980年代前半に電化されず、長距離列車の直通が困難になったことが、駅の運命を決した観があります。

国鉄によって特定地方交通線(廃止対象路線)として指定された路線のなかでは圧倒的に高い輸送密度がありましたが、JRのネットワークから切り離しての単独存続はどだい無理で、既存の一畑電気鉄道(当時)の経営状況も楽観できなかったことから、あえなく大社線は廃線となり、大社駅もそれと運命をともにしました。

現在、駅舎は国指定の重要文化財となっており、駅そのものが観光スポットの1つになっています。見学無料、無休。

駅名の由来

特記事項なし。

歴史

山陰本線出雲市以西の区間より早く、1912年6月に開業しています。1990年に廃止。

1912年6月1日
国有鉄道(内閣鉄道院)によって大社線出雲今市(現、出雲市)-大社間が開通し、終着駅「大社」として開業。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR西日本の駅となります。
1990年3月31日
この日かぎりでJR西日本大社線(第3次特定地方交通線指定)が廃線となり、大社駅廃止。

その他

  • 駅本屋は、国指定重要文化財(2004年7月6日指定)、島根県指定有形文化財
  • 経済産業省、出雲大社前駅を「近代化産業遺産群 続33」を構成する産業遺産として認定。[2009年2月6日発表]
  • 毎日新聞社、旧大社駅を「ヘリテージング100選」に選定。[2006年発表]

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