砂原線が分岐して最初に停車
大沼を出ると、函館本線は駒ヶ岳経由の路線が左へ、渡島砂原経由の路線が右へと進み、後者は観光拠点となっている大沼公園をあえて無視するかのように北東へと向きを変え、疎林の中を走って行きます。特急はすべて駒ヶ岳経由になっているためローカル線の趣が濃い区間ですが、長大貨物列車が多く通るため、重量のあるレールとPC枕木が使われています。
その先にある最初の駅が、池田園駅です。
大沼を出ると、函館本線は駒ヶ岳経由の路線が左へ、渡島砂原経由の路線が右へと進み、後者は観光拠点となっている大沼公園をあえて無視するかのように北東へと向きを変え、疎林の中を走って行きます。特急はすべて駒ヶ岳経由になっているためローカル線の趣が濃い区間ですが、長大貨物列車が多く通るため、重量のあるレールとPC枕木が使われています。
その先にある最初の駅が、池田園駅です。
片面ホームに1線のみの棒線駅です。国鉄時代にはこのホームは島式で、北側に線路が敷設されていましたが、現在では撤去されています。また、交換可能だった当時は、ホームは跨線橋よりも東側まで延びていたようです[1]。
線路が敷設されていた部分は草に覆われていますが、ホームを見るとかつて島式だったことが明確にわかります。今となっては存在意義がよくわからない、屋根付きの跨線橋がそびえています。なお、ホーム上には上屋はありません。
正式な出入口は、ホームから跨線橋を渡った南側のみですが、使われなくなった外側線跡に古い枕木が積まれており、階段になっています。非公式ながら、ここから駅の北側へ出入りすることができます。
階段の先は、道路というよりは自然に形成された通路とでもいったほうがよいアプローチが延びており、防風壁の脇を通って、北側にある道路へと出ることができます。もっとも、この道路も未装が不十分なのではありますが。
駅の北側には民家が数戸並んでいるほか、ユースホステルやレストランが建っています。また、大沼の南側を通っている道道がすぐ近くに走るため、自動車の行き来もけっこうあります。こちら側に出入口があるほうが、少なくとも観光客には便利そうにみえます。
しかし、北側への連絡はあくまでも非公式のものと思われ、駅舎は南側にあります。ここへは跨線橋を上り下りする必要がありますが、運転本数が決して多くはないこの区間で跨線橋を設けているのはなぜでしょうか。構内踏切で十分のように思いますが。なお、駅舎のホーム側には、軒が延びています。
駅舎は無人化後に設置されたものと思われ、緩傾斜の屋根に横長のつくり、縦長の扉のみが目立つものになっています。扉はアルミサッシのもので、軽量ではあるものの蝶番が固まっているのか、開閉には少し力が必要でした。
待合室スペースは、周囲の無人駅のそれに比べると比較的広めで、ポリカーボネートの椅子が置かれています。壁面には前述のユースホステルへの案内掲示があり、「跨線橋を渡らずにこちらへ」と書かれていましたが、駅舎内にいる場合はすでに跨線橋を渡ってしまっているということだと思うのですが。
駅前には小広場があるほか、その前にまっすぐ道路が延びており、民家がぽつぽつ建っています。廃屋ばかりが並んでいるというわけではなく、実際に生活している人もいますが、集落と呼べる規模を維持しているかはかなり疑問です。
なお、軍川の集落の中心部は、南へ20分ほど離れた場所にありますが、わざわざ歩いてこの駅へ行き来する人はあまりいないものと思われます。
1897年に北海道庁を退職した池田醇(あつし)が開拓に尽力したことを記念する地名を駅名にした
とのことです[2]。
詳細は確認中。
確認中。