駅前には民家がまとまって

尾白内

おしろない Oshironai
尾白内駅
▲尾白内駅駅舎《2016年1月9日撮影》

道道に平行して

尾白内駅に停車中の上り列車(奥は森方)
【写真1】尾白内駅に停車中の上り列車(奥は森方)。《2016年1月9日撮影》

掛澗の西側で国道278号線は線路の南側へ回り込み、変わって内浦湾沿いに走る道道が森の中心街まで平行するようになります。この先は、戦前に「渡島海岸鉄道」によって開通し、戦時中に国鉄線となった区間で、その区間にある最初の駅が尾白内駅です。もっとも、渡島海岸鉄道時代の尾白内駅とは、少し離れています。

かつては交換可能駅でした

尾白内駅から大沼方を望む
【写真2】尾白内駅から大沼方を望む。《2016年1月9日撮影》

片面ホームのみの棒線駅ですが、ここも国鉄時代には列車交換が可能でした[1]。駅前後でのレールの屈曲はなく、今となってはその痕跡を見出すのは困難です。

像の台座のみがぽつんと残る

尾白内駅ホームにあった「安全の像」
【写真3】尾白内駅ホームにあった「安全の像」。台座のみが残っています。《2016年1月9日撮影》

ホーム上には「安全の像」と書かれた門柱のような台座がありましたが、その上に載っていたと思われる像はなくなっていました。どんな像があったのでしょうか。

駅名標にはひらがなで「おしろない」と書かれており、「し」の字に横線2本を書きたくなりました。もちろん落書きなどやってはいけません。

駅舎は貨車転用

尾白内駅駅舎をホーム側から見る
【写真4】尾白内駅駅舎をホーム側から見る。《2016年1月9日撮影》

駅舎は貨車を転用したものですが、ここへの出入口はホーム側にのみ設けられています。出入口には引き戸が設けられているほか、小さな軒が付けられていました。色はライトグリーンをベースに白い帯を回したもので、【写真1】を見るとわかるとおり、JR北海道の普通列車と逆の色合いになっています。

いっぽう、ホームの出入口は駅舎の脇に設けられており、駅へ出入りするだけであれば特に必要はありません。

駅舎の中はがらんどう

尾白内駅駅舎内
【写真5】尾白内駅駅舎内。《2016年1月9日撮影》

貨車転用駅舎とはいえ、車掌車(ヨ)とは違って比較的大きいため、スペースはゆったり取られています。それでも、機能としては待合室のみで、ポツンと椅子が置かれているだけなので、いささか寂しい印象を与えます。

階段でホームから出る

尾白内駅正面
【写真6】尾白内駅正面。《2016年1月9日撮影》

ホームから出るには、駅舎脇の階段を降りていきます。一見したところ、周囲は低木や草が生い茂っており、あまり見通しはよくありません。

空きスペースは先代駅舎の痕跡か

尾白内駅駅前
【写真7】尾白内駅駅前。《2016年1月9日撮影》

正面から見ると、駅舎はホームと同じ高さにあり、鉄骨で下支えしていることがわかります。カラーリングや窓の配置なども凝っており、単なる廃品再利用にとどまらず、大事に使われている印象を受けます。

駅舎の前にはやや広いスペースがあり、ここに先代の駅舎があったものと思われますが、台座などは確認できませんでした。出入口周辺はちょっとした広場のようになっており、ここからまっすぐ北側へ通路が延びています。

駅周辺には民家も多く

線路の北側を通る道道から尾白内駅を望む
【写真8】線路の北側を通る道道から尾白内駅を望む。《2016年1月9日撮影》

砂原線は疎林に囲まれて走っている区間が長く、ここ尾白内駅の東側もそのような車窓が続きますが、前述の道道沿いには民家が並んでおり、郵便局やコンビニが立地するなど生活感も感じられる一帯で、降りてみるといささか意外な印象を持つかもしれません。

駅名の由来

確認中。

歴史

詳細は確認中。

1945年1月25日
渡島砂原-森間が開業した際、尾白内駅開業。
1960年6月9日
この日かぎりで貨物営業廃止。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR北海道の駅となります。

周辺の見どころ

確認中。

  1. 『国鉄全駅各駅停車 1 北海道690駅』小学館、1983年、54ページ。

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