かつてはニシンで繁栄しました

留萌

るもい Rumoi
留萌駅
▲留萠駅(当時)駅舎《1993年9月15日撮影》

広い構内がむなしく広がる

留萠駅(当時)に停車中のキハ40系ディーゼルカー
【写真1】留萠駅(当時)に停車中のキハ40系ディーゼルカー。《1993年9月15日撮影》

相対式ホーム2面2線から成り、その2線の間に中線が通っています。両ホームの間は跨線橋で連絡しており、南側のホームに駅本屋が接しています。かつては日本海に沿って走る羽幌線が分岐していたほか、多数の貨物側線が港湾方面へ伸びていましたが、いずれも1980年代末の国鉄末期に姿を消しており、広い構内のみがむなしく広がっていました。

駅本屋は鉄筋2階建ての大きな建物で、留萌本線の各駅(深川を除く)で唯一の有人駅となっています。

留萌の町は、ニシン漁と炭鉱で栄えましたが、その後漁獲高が減少して炭鉱も閉山し、かなり地味な存在になっています。私が下車したときには、駅前には活気が感じられませんでした。

開業以来、鉄道公報および停車場一覧などでは「留萠」、官報・法令全書などでは「留萌」と表記され、時刻表などでは「留萠」と、まちまちな状態が続いていました。1997年4月1日に、都市名に合わせて正式に「留萌」と改称しています。

乗り場

確認中。

駅名の由来

確認中。

歴史

日本海側における鉄道の運行拠点として発展しました。なお、留萠鉄道関係の貨物側線については割愛しました。

1910年11月23日
国有鉄道(内閣鉄道院)留萠線の深川-留萠間が開業した際、「留萠」駅開業。
1921年11月5日
留萠線の留萠-増毛間が開業、中間駅となります。
1927年10月25日
留萠線(後の羽幌線の一部)の留萠-大椴(おおとど)間が開業。
1967年11月3日
駅舎改築[1]
1987年3月29日
この日かぎりで国鉄羽幌線(第2次特定地方交通線指定)が廃線となり、留萠本線単独駅となります。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR北海道およびJR貨物の駅となります。
1997年4月1日
JR北海道およびJR貨物の留萠駅の表記を「留萌」に変更。
2016年12月4日
この日かぎりで留萌-増毛間が廃止。
2018年9月6日
北海道胆振東部地震に伴い、留萌本線を含むJR北海道全線が運休。
2018年9月13日
留萌本線・深川-留萌間が復旧、運転再開。

周辺の見どころ

確認中。

  1. 「北国の走者 年表 1954(昭和29)年~2006(平成18)年」『北国の走者II』鉄道ピクトリアル2007年6月号別冊、電気車研究会、106ページ。

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