札沼線の運転拠点として最大規模の駅

石狩当別

いしかりとうべつ Ishikaritobetsu
石狩当別駅駅舎
▲石狩当別駅駅舎《1996年3月7日撮影》

ここを境に車窓や駅前が大きく変わります

石狩当別駅停車中のキハ53
【写真1】石狩当別駅停車中のキハ53。《1996年3月7日撮影》

2面3線から成る地上駅で、駅舎は橋上に設けられており、自由通路が併設されています。新設の橋上駅舎には無機質なものが多いのですが、ここの駅舎は改札口がカウンター状になっており開放的で、出入りがしやすく明るい雰囲気になっています。上掲の写真は南口から撮影したものですが、北口ではこれときれいに対称な形状になっています。

学園都市線(札沼線)の中核駅で、この駅を起終点とする列車が多く設定されています。この石狩当別までが、札幌都市圏に入っているといえるでしょう。ここから先の区間はローカル線となり、次の北海道医療大学を越えると、駅前に必ずといっていいほど離農地や廃屋などが見られるようになります。

かつては跨線橋を介して行き来していました

橋上駅舎化される前の石狩当別駅ホーム
【写真2】橋上駅舎化される前の石狩当別駅ホーム。《1993年9月14日撮影》

橋上駅舎化される前は、駅本屋が面した片面ホームと島式ホームの間を跨線橋が連絡するという、旧国鉄によく見られるパターンの駅になっていました。近い将来の駅改造を見ていたためか、ホームがかさ上げされていなかったのが印象に残っています。

地平時代の駅舎は質実剛健

石狩当別駅旧駅舎
【写真3】石狩当別駅旧駅舎。《1993年9月14日撮影》

もとは「質実剛健」というフレーズが似合いそうな無骨な駅舎でしたが、現在はスマートな駅舎に変貌しています。一介の旅行者として寂しさが残るのもまた確かですが。

乗り場

確認中。

駅名の由来

地名の由来は、アイヌ語の「トウペツ」(沼から来る川)によるといわれています[1]

歴史

札沼南線(当初、桑園-石狩当別)の終着駅として開業し、1935年10月3日に石狩当別-浦臼の開業によって全通しました。戦時中、石狩当別-石狩沼田が不要不急路線としてレール撤去の憂き目に遭いましたが、1946年12月10日に石狩当別-浦臼が復活、残る区間も1956年までに全線で運行が再開されました。貨物営業は、1979年1月31日かぎりで廃止されています。

1934年11月20日
国有鉄道(鉄道省)札沼南線・桑園-石狩当別間が開業した際、石狩当別駅開業。
1935年10月3日
札沼線・石狩当別-浦臼間が開業し札沼線全通、中間駅となります。
1944年7月20日
この日かぎりで石狩当別-石狩沼田間が不要不急区間として休止。
1946年12月10日
石狩当別-浦臼間の営業再開。
1979年1月31日
この日かぎりで貨物営業廃止。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR北海道の駅となります。
1994年11月3日
橋上駅舎供用開始[2]

周辺の見どころ

伊達記念館/伊達邸別館【未訪】

駅から南東へ、徒歩7分。コメント準備中。

  1. 町のプロフィール」当別町(2016年1月4日確認)。
  2. 「北国の走者 年表 1954(昭和29)年~2006(平成18)年」『北国の走者II』(鉄道ピクトリアル2007年6月号別冊)電気車研究会、111ページ。

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