三国-三国港の一区間は、もともと国鉄三国線として運行されていた区間なので、これまでの区間とは少し異なる設備や風景が広がります。
三国港駅は、片面ホームに駅舎があり、その脇に側線が広がる形になっています。もともと荷物の取り扱い場としてスタートしたこともあり、かつてはここから海産物などが出荷されたのですが、現在ではホーム前の1線以外は単なる留置線となっています。
三国-三国港の一区間は、もともと国鉄三国線として運行されていた区間なので、これまでの区間とは少し異なる設備や風景が広がります。
三国港駅は、片面ホームに駅舎があり、その脇に側線が広がる形になっています。もともと荷物の取り扱い場としてスタートしたこともあり、かつてはここから海産物などが出荷されたのですが、現在ではホーム前の1線以外は単なる留置線となっています。
終着駅とはいえ、ホーム1面に側線がある程度の規模にしては、かなり大柄な木造駅舎が待っています。これも、もともと国鉄が作った駅舎をそのまま継承しているゆえでしょう。無人化されて久しいものの、出札窓口などには往年の雰囲気がよく残っています。
駅前には小型のバスが回転できる程度の小規模なスペースがあります。このスペースとホームの間には柵が設けられていますが、無人駅となった現在では、この柵は無用の長物なのでは。
明治初期までは一大商業港であった三国港をそばに控え、町人文化が栄えた当時の雰囲気は、今でもかすかに残っています。集落は駅よりも高いところにあるので、電車に乗るには坂を下りることになり、少しわかりにくくなっています。
三国港駅の福井方には、小さなアーチ橋があります。煉瓦造りのねじりまんぽが建造当初のままで使われている貴重なもので、国の登録有形文化財となっています。
確認中。
金津(現・芦原温泉)と三国を結んでいた国有鉄道(内閣鉄道院)三国線が、1913年1月に三国港荷扱場を設けたのが前身です。この荷扱場は三国駅構内という扱いでしたが、翌1914年7月に正規の停車場となり、三国線は金津-三国港となりました。戦争末期の1944年10月になると、三国線は芦原-三国港の営業を休止しますが、京福電気鉄道がこのうち三国-三国港を借り上げて乗り入れるようになりました。
確認中。