海と国道に挟まれて
- 北陸本線
- 《米原方面》 越中宮崎 親不知 《直江津方面》
- ※隣接駅名は区間廃止直前のものです。
本記事は、JR西日本当時に訪問した際の情報を基に記載しています。新しい情報については、 甲信越地方 > えちごトキめき鉄道 > 日本海ひすいライン > 市振駅 をご覧ください。
越後と越中の間の区間は、親不知の名で知られる断崖絶壁が連なる区間です。このため、往来をチェックする関所が置かれていたのが市振で、松尾芭蕉『奥の細道』には「越中の国一ぶりの関」と出てきます。市振駅は、北陸本線が新潟県にはいって最初の駅でもあります。
切妻のシンプルな屋根、玄関回りに軒庇をまわし、板張りの壁面に瓦葺きという、北陸地方ではオーソドックスな形状の木造駅舎が健在です。もっとも、現在では無人化されて窓口も閉鎖されています。移動式の簡易型自動券売機が置かれていますが、利用者の数も多いとは思えず、券売機があることさえ場違いな印象を受けました。
幹線である北陸本線では珍しく、ホームから構内踏切をわたって駅舎に向かうことになります。この種の駅で、地下道も跨線橋も設置されなかった理由は不明ですが、線路はほぼ直線で見通しがよくなっていることもあるのでしょうか。
駅舎のホーム側入口上には「名勝 親不知の険」と書かれた看板が掲示されていましたが、ここから親不知方面への移動はなかなかたいへんです。なお、親不知方面へ向かう路線バスは廃止されています。
ホームは島式1面2線で、このほかに側線が設けられており、作業用車が停まっていました。
海側には、防波堤と呼んでよいのかどうかわかりませんが、その種の設備があります。高波から駅と列車を守るためのものでしょう。このため海側の景色はさっぱりですが、この設備が一部切れており、そこから日本海を望むことはできます。
駅前は意外とゆったりしたスペースになっており、正面に商店が、脇に交番があります。駅へと通じている2車線道路も通行しやすいもので、自動車での往来が容易になっています。
市振の集落は駅から東側、1キロほどのところにあり、小学校もあります。
停車列車 [2015年3月現在]
普通列車のみが停車します。
駅名の由来
市振の名称は、この地の氏神として祀られている猿田彦命が、道祖神=道触神(チブリノカミ)といわれたことによるという説があります[1]。宮崎県延岡市にも市振という名の集落があり、こちらにも猿田彦を祀る神社があるという共通項があることから、説得力のある説と解します。
歴史
詳細は確認中。
- 1912年10月15日
- 北陸本線の泊-青海間が開業した際に、一般駅として開業。
- 1972年10月1日
- この日かぎりで貨物営業廃止。
- 1987年4月1日
- 国鉄の分割民営化に伴い、JR西日本の駅となります。
- 2015年3月14日
- 北陸新幹線の開業に伴い、えちごトキめき鉄道およびあいの風とやま鉄道の駅となります。