のと鉄道

 特定地方交通線・国鉄能登線の営業を譲受するために設立された、沿線自治体などが出資する第3セクター企業です(本社:石川県鳳至郡能都町)。のちに、JR西日本から経営分離された七尾線の経営を引き受けています。これは、JR七尾線の津幡-和倉温泉を電化する見返りに、和倉温泉以北を経営分離することに地元が同意したためといわれています。

 能登線は通常の第1種鉄道事業ですが、七尾線は、七尾-和倉温泉-穴水が第2種鉄道事業として運営されています。またJR西日本は、(津幡-)七尾-和倉温泉の第1種鉄道事業、和倉温泉-穴水の第3種鉄道事業の免許を有しており、のと鉄道が経営する七尾線は、経営分離後もJR西日本が所有しています。のと鉄道は、七尾線区間の設備使用料をJR西日本に支払っていますが、この負担が大きく、七尾線引き受けを契機にのと鉄道の経営が悪化しています。

 輸送量が小さく運行経費がかかる七尾線の穴水-輪島20.4kmは、2001年3月31日かぎりで廃止されており、能登線も、2005年3月31日かぎりで廃止が決定しています。七尾-穴水のみが残ることになりますが、これには、北陸新幹線開業時にJRから分離される平行在来線を経営するためのノウハウ蓄積が、背景にあります。

(2004年12月28日)

【URL】 http://www.incl.ne.jp/ntr/

★1995年3月13日、輪島(現在は廃止)にて完乗。

七尾線

 七尾から和倉温泉を経て穴水にいたる、33.1kmの路線です。全線にわたって、のと鉄道が第2種鉄道事業免許に基づき運行を行っていますが、設備はJR西日本が保有しています。このうち、七尾-和倉温泉はJRが第1種鉄道事業免許を有しているため、特急列車はJR西日本が、ローカル列車はのと鉄道がそれぞれ運行しており、“二重戸籍”状態になっています。和倉温泉以北は、すべて普通列車のみで運行されています。

 和倉温泉を出ると、七尾湾をL字状に進んでいきます。能登中島付近は水田地帯となっており、穏やかな光景の中を進みます。

 七尾線の七尾以北は、国鉄によって建設されました。七尾-和倉(現・和倉温泉)が1925年12月15日に開業し、1928年10月31日には能登中島、1932年8月27日には穴水と延び、1935年7月30日には輪島まで全通しました。 JR七尾線の和倉温泉以南が電化される際に、七尾以北がのと鉄道によって運営されることになり、1991年9月1日にのと鉄道七尾線として開業しました。このうち、輸送量が特に小さい穴水-輪島が2001年に廃止されています。現在、輪島駅跡には、駅を模したモニュメントが置かれているとのことです。

(2004年12月28日)

駅一覧

◇七尾◇和倉温泉◇田鶴浜★笠師保◇能登中島◇西岸◇能登鹿島◇穴水

×輪島

(注)★は未乗降駅、◇は掲載準備中の駅です。

乗車履歴

能登線

 穴水と蛸島を結ぶ、61.0kmから成る路線で、全線単線非電化。長らく、金沢からの直通急行や線内急行が運行されており、特に転換直後は、展望列車「のと恋路号」を使った急行運転を行うなど、イベント列車の運行が盛んに行われましたが、合理化による減便にあわせて廃止され、現在は普通列車が約8往復しているのみです。

 はじめは七尾湾、ついで日本海に沿うようにして走っていきますが、車窓の真下には道路が平行していることが多く、海にぴったり張り付くように進む区間はほとんどありません。比較的新しく敷設された路線でもあり、切り通しや高架橋などが多くなっています。

 1959年6月15日に穴水-鵜川が開業したのを皮切りに、1960年4月17日に宇出津、1963年10月1日に松波と延長され、1964年9月21日に蛸島まで全通しました。1986年5月27日に第3次特定地方交通線に選定され、1988年3月25日にのと鉄道に転換されました。道路の整備や沿線人口の減少傾向もあって、廃線バス化が決定しています。

(2004年12月28日)

 2005年3月31日かぎりで、全線が廃止されました。

(2005年6月12日)

駅一覧

×蛸島

乗車履歴

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