五角形の屋根が楽しい駅舎
越中三郷
えっちゅうさんごう Etchusango
富山電気鉄道の名称が残る
常願寺川をわたると、工場地帯と水田が混在した地域に入り、越中三郷に到着します。列車交換が可能な無人駅です。
駅本屋は、東新庄と同様に北側の寺田方面行きホームの上市方にあります。駅舎は木造平屋建ての標準的な大きさですが、正面屋根に設けられた将棋の駒のような五角形がいいアクセントとなっており、その中に右書きの駅名表示があります。その駅名表記には「鐵電山富 驛郷三」とあり、富山電気鉄道がこの駅を設置してからそのまま変わっていないことがうかがえます。
駅舎の正面は金属建材で補強されています。左右対称に張り出しを設けており、側面には板張りが残っています。
駅の中は有人駅時代のままに
出札窓口や待合室などは有人駅だったころからほとんど変わっていないようで、窓口にも板張りはされておらず、すぐにでも営業を再開できそうです。出札窓口の前に突き出た小テーブルの支えが凝っているのが目を引きます。富山地鉄の無人駅全駅に置かれている乗車整理券発行機が、ここにも設置されています。
構内踏切は構内通行路とも化しています
誰もいない改札を通ると正面が構内踏切で、電鉄富山へ向かう人は踏切をわたって向かい側のホームへ行きます。なお、踏切をわたってそのまま先へ進み、駅の反対側へ通り抜けることもできます。
南口は簡素な出入口のみ
構内踏切を突き抜けた先は、越中三郷駅のいわば“南口”となっています。ここには「乗車整理券をお持ちの上ご乗車下さい。乗車整理券発行機は駅待合室内にございます。富山地鉄」と書かれており、こちらからの出入りが公認されていることがわかります。こちらは、ホームのごく一部にトタン屋根が設置されており、そのまま裏手の道路につながっているのみです。
駅本屋と下りホームは上屋が連絡
相対式ホーム2面2線から成り、前述のとおり駅舎前にある構内踏切で連絡しています。
ホームはごくシンプルなもの
駅前には、廃業した事務所ないし店舗がそのまま空き店舗や更地と化して久しいものも多く、非常に寂しい雰囲気が漂っていました。駅から1,300mほど北には富山企業団地があり多数の工場が集中していますが、この駅から工場へ通勤する利用者はほとんどいないでしょう。
歴史
富山電気鉄道が富山田地方(現在の電鉄富山と稲荷町の間に存在、のち廃止)-上市および寺田-五百石を開通させた際に設置された駅です。
- 1931年8月15日
- 開業。