集落の中に溶け込んでいるような駅

早月加積

はやつきかづみ Hayatsukikazumi
早月加積駅
▲早月加積駅駅舎《2005年3月17日撮影》

あいの風とやま鉄道線の線路がよく見えるホーム

早月加積駅ホーム
【写真1】相対式ホーム2面2線から成りますが、1線スルー化されており、列車交換しない場合はJR北陸本線側のホームを使っています。《2005年3月17日撮影》

2面2線の相対式ホームが設けられた交換可能駅で、両ホームは構内踏切で連絡しています。ポイントは1線スルー化されており、多くの列車はあいの風とやま鉄道側のホーム(【写真1】左側)に発着し、一部が駅舎側のホーム(同右側)に発着します。両ホームともに、コンパクトな待合室が置かれています。

2つのホームは構内踏切で連絡

早月加積駅駅舎をホーム側から望む
【写真2】早月加積駅駅舎をホーム側から望む。《2005年3月17日撮影》

駅舎側のホームからは階段を降りて、そのまま駅舎と一体化した通路で改札口に向かいます。いっぽう反対側のホームからは構内踏切を横断し、駅舎の横側面から改札口へ直行します。

駅舎玄関の出入口は木の引き戸

早月加積駅駅舎内部
【写真3】駅舎内に入ると、時間が止まったような錯覚に陥ります。《2005年3月17日撮影》

駅舎の内部に入ると、時代が止まったような感覚になります。出札窓口やベンチなどは当然木製ですが、何よりも驚きなのは、ホームへの出口が木の引き戸になっていること。駅への出入りではなく、ホームへの出入りに「カラカラ…」と音を立てて軽い木の扉を開けるという経験をしたのは、この駅がはじめてです。床は土が固く踏みしめられており、民家の土間を連想させます。

現在では、当然のように無人化され、無粋な整理券発行機がドンと置かれ、かつての出札窓口は板で塞がれていますが、すべてが木で構成されている改札口の上には、電照式の番線表示案内が残っていました。実際には、電車が到着しても連動して表示されることがなく、現在ではまったく使われていないようです。手書きの張り紙などが多く使われている点も、暖かさを感じさせます。

木造駅舎は集落の中にひっそりと

早月加積駅駅名表示
【写真4】早月加積駅駅名表示。《2005年3月17日撮影》

早月川が形成した扇状地の扇端近くの小集落の中に、地味に存在している小駅です。JR東滑川から南西へまっすぐ進むと、ほどなくこの駅に到着するのですが、駅舎はなかなかわかりにくくなっています。それというのも、駅舎が周囲の木造住宅の中に完全に埋没しているためです。玄関にアルミサッシが入っているものの、黒ずんだ板張りの木造駅舎は、戦後の地方における平均的な民家を思い起こさせます。駅名表記もすっかりはげ落ちており、両端の「早」と「驛」がなんとか読めるものの、あとは表記の用をなしていません。ホーム上のワンマン運転用バックミラーがなければ、遠目には駅があること自体、認識しにくいでしょう。

駅は小集落の中にありますが、すぐ脇を併走するJR北陸本線を挟んで北側には富山県が造成した「追分新成団地」があります。

停車列車 [2014年5月現在]

確認中。

乗り場

駅本屋側から順に、2番線、1番線となっています。基本的に1番線のみを使い、列車交換時のみ2番線が使われます。

駅名の由来

開設当初、早月加積村の玄関口だったことから付けられたものです(早月加積村は(旧)滑川町ほかと1953年11月10日に合併して(新)滑川町の一部となっています)。なお、「早月」のもととなっている早月川は「延槻(はいつき)川」が転じたもので、大伴家持が「立山の雪し来らしも延槻の河の渡り瀬鐙浸かすも」と詠んでいるとおり、古くからの名称です。

歴史

この区間は戦前に開通していますが、早月加積駅が開業したのは戦後になってのことです。開業の経緯については確認中。

1950年3月23日
開業。

周辺の見どころ

確認中。

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