ここから北陸本線との並行区間に
西滑川
にしなめりかわ Nishinamerikawa
ホームは大きく弧を描きます
上市から北上してきた路線は、この西滑川で右へと大きくカーブを描き、ここからあいの風とやま鉄道線と平行するようになります。ただしあいの風とやま鉄道線側にはしばらく駅はなく、地鉄側が細かく駅を設けることで乗客を確保しようとしたことがうかがえます。
ホームにはごく小さな待合いスペースがありますが、屋根はここをのぞいてほとんどなく、冬季の大雪シーズンには駅舎が重要な存在になるのでしょう。ホームの反対側は草むしており、このスペースをはさんで架線柱が設置されていますが、かつては対向ホームか側線でもあったのでしょうか。
小さな駅舎に平日朝のみ人が
駅舎はプレファブの小さいもので、簡素な詰所と待合室のみから成ります。清涼飲料水の自動販売機が置かれているためなんとか恰好がついていますが、駅の周りは草ぼうぼうで、老朽化した駅舎が埋もれつつあるような印象です。駅舎はホームとは少し離れているほか、木造のこれまた老朽化したトイレが駅舎から離れて建っています。平日の朝のみ集改札を行っています。
駅周辺には荒れ地が目立ちました
西滑川駅とJR北陸本線をはさんだ反対側(北側)には、滑川警察署や滑川高校があり、駅勢人口も決して少なくはないのですが、西滑川駅の周辺そのものは田畑や荒れ地がメインで、工場などがぽつぽつ建っている状態です。駅の脇には変電所があります。
歴史
立山軽便鉄道が1913年6月25日に滑川-上市口(現・上市)-五百石(上市口-五百石は現在のルートより南東側。のち廃止)を開通させた際に設けられた、現在の富山地鉄における鉄道線ではもっとも古い駅のひとつです。開業当初から「西滑川」の駅名で、1921年2月20日には「水橋口」と改称しましたが、戦後の1958年10月2日に元の「西滑川」に戻っています。
- 1913年6月25日
- 開業。