細いホームに待合室が張り出す
立山街道の道路脇に、ひっそりと存在している民家のような建物が、千垣駅の駅舎です。道路に向かった切妻に駅名の表示があり、その横側から駅に出入りする構造になっています。庇にも瓦が葺かれているため、段違いの屋根になっているように見えます。
ホームは片面のみで、駅舎のある部分は極端に狭くなっています。列車が到着するまで待合室で待機し、列車が来てからホームに出るのが一般的なのでしょうか。
立山街道の道路脇に、ひっそりと存在している民家のような建物が、千垣駅の駅舎です。道路に向かった切妻に駅名の表示があり、その横側から駅に出入りする構造になっています。庇にも瓦が葺かれているため、段違いの屋根になっているように見えます。
ホームは片面のみで、駅舎のある部分は極端に狭くなっています。列車が到着するまで待合室で待機し、列車が来てからホームに出るのが一般的なのでしょうか。
例によって無人化されて久しいですが、窓口部分はガラス板の前にベニヤ板が置かれているのみで、完全に板張りとなってのっぺらぼうになっているわけではなく、いつでも復活できそうです。そういう機会があるかどうかはわかりませんが。
待合室の内部はきれいに清掃されており、好感が持てます。
道路がホームより高いところにあり、駅舎の高さは後者に合わせているため、道路から駅に入るには階段を降りることになります。雨天時など排水がなかなか大変だったのではと思います。
駅周辺にはまとまった集落は見あたりませんでした。立山線は千垣の先で常願寺川をわたりますが、ここでは前後にある急曲線のため徐行運転を行います。千垣、有峰口の両駅からも近いので、鉄道写真撮影には好適な場所です。
快速急行および急行が停車します。なお、快速急行および急行は横江以東では各駅に停車します。
確認中。
南富山から順次路線を延長してきた富山県営鉄道が、1923年4月に横江(後の上横江→廃止、現在の横江駅とは異なる)からこの千垣までの区間を開通させました。その後しばらくは終着駅でしたが、1937年10月1日に粟巣野(現在は廃止、本宮と立山の間に位置)まで開通することで中間駅となりました。
確認中。