箱根登山鉄道

 小田原から箱根にかけて、鉄道(ケーブルカー・ロープウェイ含む)や不動産業、温泉供給業などを行っている、小田急グループの企業です(本社:神奈川県小田原市)。路線バスは、箱根登山バスに分社化しています。小田原馬車鉄道として創設され、1896年10月31日小田原電気鉄道と社名を変更したのち、日本電力小田原営業所を経て、1928年8月16日に箱根登山鉄道として独立しています。かつては路面電車(小田原市内線)を運営していましたが、1956年5月31日を最後に全線が廃止されています。

 「箱根ゴールデンコース」といわれる、箱根周遊ルートを構成する交通網が整備されています。具体的には、小田原から強羅まで鉄道、早雲山までケーブルカー、桃源台までロープウェイ、ここから箱根観光船に乗り元箱根へ、そして路線バスで箱根湯本、となります。輸送手段が実に多彩で本数が多く、乗り物好きにはたまらない地域となっています。季節による風景の変化も大きいため、四季折々の景観が期待できます。

(2004年12月30日)

【URL】 http://www.hakone-tozan.co.jp/

★1996年3月14日、鋼索線-早雲山にて完乗。2010年10月11日、鉄道線-風祭にて全駅乗降。

鉄道線

 小田原から箱根湯本を経て、強羅にいたる15.0kmの路線で、全線単線です。小田原―箱根湯本は、1,067mmと1,435mmの三線軌条区間で、電圧は1,500Vです。これは、線内列車は1,435mmの標準軌ですが、小田急から箱根湯本まで乗り入れる直通列車は1,067mmとなっているためです。箱根湯本―強羅は1,435mm、電圧は600Vです。小田原―箱根湯本の小田急ロマンスカーは途中駅を通過しますが、ほかはすべて普通列車です。小涌谷踏切は、毎年1月2日と3日に開かれる東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)では、選手が通過する際に電車が待機することで有名(京急羽田線と同様)。

 小田原から、車庫のある入生田を通り、箱根湯本までが平坦区間です。元箱根など、各方面に向かうバスが、駅前のバスターミナルから発着しています。この先は谷が迫るようになり、粘着式鉄道では最も急な80パーミル勾配や、3個所のスイッチバックで高度を稼ぎながら進みます。初夏には、車窓を彩るあじさいがきれい。温泉地やリゾート拠点を結びながら、一段開けた強羅に到着します。

 小田原馬車鉄道によって、国府津―小田原―湯本(現・箱根湯本)が1888年10月1日に開業しています。これが小田原市内線の前身で、1900には小田原―箱根湯本が電化され、国府津―小田原が廃止されています。箱根湯本から先の区間は、1919年6月1日に強羅までの全線が電化開業しています。小田原―箱根湯本は小田原市内線を介して連絡していましたが、1935年9月30日かぎりで市内線の箱根板橋―箱根湯本が廃止され、翌10月1日に鉄道線が小田原まで延長しています。小田急の箱根湯本乗り入れは、1950年から始まっています。

(2004年12月30日)

駅一覧

◇小田原箱根板橋◇風祭◇入生田△箱根湯本◇塔ノ沢◇大平台宮ノ下小涌谷◇彫刻の森強羅

(注)△は写真未掲載駅、◇は掲載準備中の駅です。

乗車履歴

鋼索線

 強羅から早雲山までの786mを、高低差214m、所用9分で結んでいます。再急勾配は20%。中間駅沿いに宿泊施設や企業の山荘、観光施設が多く、中間駅の利用者が多いのも特徴です。スイス製の大型車両が導入されています。

 勾配が比較的緩やかで、低い築堤上を走り、(少なくとも)上強羅までは舗装道路が平行しており、沿線を徒歩で移動することも可能です。展望はあまり開けていません。

 1921年12月1日に営業を開始しています。

(2004年12月30日)

駅一覧

[強羅]-◇公園下◇公園上◇中強羅◇上強羅△早雲山

(注)◇は掲載準備中の駅、△は写真未掲載駅です。

乗車履歴

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