地平に島式ホーム
池袋駅から山手線と分かれて北へ進むルートは赤羽線の線路です。1985年9月に埼京線が開業して以来、旅客向けの案内名称は「埼京線」に統一されていますが、埼京線は京浜東北線などと同じく運転経路名称に過ぎず、現在でも池袋-赤羽間の正式な線路名称は「赤羽線」です。
島式ホーム1面2線から成る地平駅です。出口は赤羽方面にあり、地下道で東西にそれぞれ連絡しています。
板橋駅駅舎は橋上駅舎化され、改札口は1カ所に統合されています。本稿は橋上駅舎化前の写真および訪問記になっています。(2020年4月29日)
池袋駅から山手線と分かれて北へ進むルートは赤羽線の線路です。1985年9月に埼京線が開業して以来、旅客向けの案内名称は「埼京線」に統一されていますが、埼京線は京浜東北線などと同じく運転経路名称に過ぎず、現在でも池袋-赤羽間の正式な線路名称は「赤羽線」です。
島式ホーム1面2線から成る地平駅です。出口は赤羽方面にあり、地下道で東西にそれぞれ連絡しています。
メイン出口は西口で、「みどりの窓口」もこちらにあります。鉄筋コンクリート造り平屋建てで、横に長いひさしが特徴。駅前には大きな広場があり、多くの店が建ち並んでいます。
いっぽう東口はこぢんまりとしており、駅前には噴水が整備されています。東西を連絡する自由通路はなく、駅北側の踏切で連絡します。
西口駅舎は板橋区、東口駅舎は北区、ホームの半分以上は豊島区に入っているという、自治体の境界線上に位置している駅です。
全列車が停車します。
西側から順に、1番線、2番線となります。
板橋は、中山道の宿が置かれた地です。石神井川に板の橋が架けられたことに由来するという説が有力ですが、イタ(段丘)の端部であるという見方もできそうです。
板橋駅のある位置は、板橋宿を構成する三宿(平尾宿、中宿、上宿)のうち最も江戸側にある平尾宿の入り口付近であり、いわば板橋の外れにありました。
1885年3月、日本鉄道が赤羽から品川までの区間を開通させた際に、中間駅として開業しました。
確認中。
東口の正面、徒歩1分。新撰組局長であった近藤勇が、この地で斬首されたのち、ここに葬られました(その後、三鷹に改葬されたともいわれるが不詳)。石碑を囲むように木が立っており、小公園になっています。見学自由。
【Map】OpenStreetMap / Google Map / Mapion