切り通しの中に2面3線
日立製作所およびその関連企業の拠点である日立市の玄関駅です。
旅客ホームは切り通しの中に2面3線が設けられており、下りホームが島式となっています。
日立駅は橋上駅舎化されています。本稿は、橋上駅舎化前の写真および訪問記になっています。(2020年6月27日)
日立製作所およびその関連企業の拠点である日立市の玄関駅です。
旅客ホームは切り通しの中に2面3線が設けられており、下りホームが島式となっています。
駅舎はメインの北口(上記写真)と海岸口の2つがあり、いずれも地平と同じ高さに設けられています。
また貨物営業も行われており、西側には多くの側線が広がっています。
駅前広場が駅西側に整備されており、フラットに出入りできます。
全列車が停車します。なお、特急列車の隣接停車駅は、便によって異なります。以下では代表的なものを記しました。
確認中。
確認中。
日本鉄道開通時に「助川」の駅名で開業。1906年11月1日に国有化されたのち、日立市が誕生するのにあわせ、1939年10月20日に現駅名に改称された。日立市は日立製作所およびその関連企業の町として発展してきたが、それの玄関口として今にいたる。
確認中。
駅北口正面を進み国道6号線を右折、市役所の先を左折し徒歩20分。日立鉱山が、従業員の福利厚生のために建設した娯楽施設で、木造2階建、1917年8月に竣工。東京・歌舞伎座の構造を模して造られたといわれ、唐破風の屋根や格天井などが目を引く。各種の芝居や演劇が上演される舞台としてにぎわいを見せた。1967年10月1日に日本鉱業から日立市へ寄贈され、現在は日立武道館として利用されている。1999年7月、国の登録有形文化財。
駅北口正面を進み国道6号線を左折、日製病院の手前を右折し徒歩20分。太平洋を航海する異国船から沿岸を防御する目的で、1836年に築かれた。当時の水戸藩主・徳川斉昭の尊王攘夷論に基づくもので、家老・山野辺家の屋敷を移築するという名目で建造され、助川館と呼ばれたが、1864年に同藩の内乱で消失。周辺は公園として整備されている。