小櫃駅は島式1面1線の無人駅です。かつては列車交換可能だった痕跡があり、相対ホームの跡地には枕木がうずたかく積もれているほか、駅の木更津側では線路が大きく曲がっています。
駅舎は待合室機能のみの簡素なものですが、和風にアレンジされた茶室を連想させるデザインで、大きく前にせり出した屋根が印象的です。
駅の周辺はそこそこの規模の集落になっていて商店もあり、駅の西側には小櫃行政センターがあります。また、駅の南側には小学校や中学校もあります。このほか駅の南西側には、C12型蒸気機関車が屋根下で静態保存されていますが、駅舎とは反対側にあるので、南側から大きく迂回する必要があります。
壬申の乱に破れた大友皇子が上総へ逃れてきたという伝説があり、これによると、大友皇子はこの地に宮を置いたものの、天武天皇(大海人皇子)の追っ手から逃れられず自害したと言われています。小櫃という地名は、大友皇子のなきがらを納めた棺(=御櫃)に由来するといわれます。「蘇我」「鎌足」などの曰くありげな地名との関係も推測でき、一般的にはこの由来が定着しているようです。
このほか、落人武者がこの地に根付き、その象徴である小櫃(刀剣類を収納)が地名となったという説もあります。鎌倉に武家政権が成立したことからもわかるとおり、房総半島は中世において地政学的に重要な位置にあったことを考慮すると、こちらのほうが説得力がありそうにも思えます。
千葉県営鉄道によって木更津-久留里間が開通した際に設置された駅です。
駅から南へ、徒歩15分。「駅名の由来」欄にて触れた大友皇子伝説の中心で、皇子が住んだ小川宮があったと伝えられます。神社そのものは小規模で静謐な空間となっています。なお、隣接している白山神社古墳は鬱蒼とした木々に囲まれています。大友皇子の墓といわれたこともありますが、帆立貝型に近い初期前方後円墳で、7世紀の壬申の乱とは時期が明らかに異なります。