短編成専用ホーム
小田栄から先の区間で、車窓には工場や倉庫などが目立つようになり、いよいよ臨海工業地帯の中にあることを示すようなものに変わっていき、ほどなく終着駅の浜川崎に到着します。
ホームは島式のものですが、現在は改札を入って正面左手の片面が使われているのみで、それも改札側の半分ほどは柵でふさがれており、短編成限定の零細駅になっています。従来はホーム右側が1番線でしたが、現在は「2」の番線表示のみが残っています。なお、ホームの端のほうにはツツジの植え込みがあり、駅名標を埋め尽くすような状態になっています。
貨物列車が主役
その一方で、貨物線の本数は多く、貨物駅に旅客列車が間借りしているのが実態といえます。貨物線は、東側で鶴見線とつながっています。
無人化されました
駅舎は、高架になっている貨物線の下にあります。
国鉄時代の早い段階で無人化されていた鶴見線浜川崎駅とは異なり、南武線の浜川崎駅には長らく駅員が配置されていましたが(後年、駅業務はJR貨物の係員が委託)、現在は完全に無人化されています。
駅前商店が一軒
駅前には、道路を挟んで反対側に居酒屋らしき風情もある駅前商店がありますが、私が乗り降りしたときにはいずれも閉まっていました。
駅の北側には一般の住宅も
これ以外には人家は見あたりませんでしたが、駅の北側には一般の住宅も多く建っています。
“浜”川崎という駅名ですが、海からはけっこうな距離があり、海面を望むことはできません。
鶴見線への乗り換えは道路を横断
鶴見線の浜川崎駅は南側にあり、いったん公道を横断する必要があります。このため、駅員がいた時代には、乗り換える際に切符を提示していました。現在は南武線、鶴見線とも無人化されているため、乗車券等を所持している旅客はそのまま乗り換えることになります。またSuicaなどICカードを利用する場合は、簡易改札機にタッチせずそのまま乗り換えます。
駅名の由来
川崎駅から見て浜側にある駅ということで命名されたものです。
歴史
南武鉄道の貨物支線として、尻手-浜川崎が開通した際に設置された駅です。南武鉄道時代は貨物のみの取り扱いでしたが、1944年4月1日の国有化に際して旅客営業を開始しました。なお、以下では南武線の駅に先行して設けられた東海道本線貨物支線を含み、鶴見線を除いています。
略年表(クリックまたはタップで開閉)
- 1918年(大正7年)5月1日
- 国有鉄道(内閣鉄道院)東海道本線貨物支線の川崎-浜川崎間が開業した際、浜川崎駅開業。
- 1930年(昭和5年)3月25日
- 南武鉄道により尻手-浜川崎間の貨物線が開業した際、浜川崎駅開業。
- 1930年(昭和5年)4月10日
- 尻手-新浜川崎間の旅客営業開始の際、新浜川崎駅が旅客営業開始。なお、浜川崎駅は貨物駅のまま。
- 1944年(昭和19年)4月1日
- 南武鉄道の国有化に伴い、新浜川崎駅を浜川崎駅に統合(駅の所属は東海道本線のまま)。
- 1964年(昭和39年)3月25日
- 東海道本線貨物支線の浜川崎-塩浜操車場間が開業。
- 1973年(昭和48年)9月30日
- この日かぎりで、東海道本線貨物支線の川崎-浜川崎間が廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日
- 国鉄の分割民営化に伴い、JR東日本およびJR貨物の駅となります。