複々線はここまで
島式2面4線から成る地上ホームを備えています。外側2線が本線、内側2線が副線となっています。
大船から、旅客線と貨物線が別々になる複々線が続いてきましたが、これは当駅までで、この先は両線が合流します。これまで北側を走ってきた下り貨物線は、東京方で旅客線をオーバークロスし、南側を経て熱海方で旅客線に合流します。なお、ホームから見て東京方にも旅客線から貨物線への渡り線があり、通勤時間帯のライナー列車はここを通ります。
かつては小田急小田原線との連絡線がありましたが、現在は撤去されています。なお、伊豆箱根鉄道大雄山線との渡り線は生きており、大雄山線車両を駿豆線との間でやり取りするなどの用途に使われています。
橋上駅舎化によって改札口は1カ所に
非常に大きな東西自由通路(アークロード)に面して橋上駅舎が設けられています。改札口は1カ所のみで、地平駅舎時代から名物だった巨大な小田原ちょうちんがぶら下がっています。
メイン改札のほか、新幹線連絡改札口が設けられていますが(改札口は新幹線側にあります)、小田急(箱根登山含む)や伊豆箱根鉄道との連絡改札口はなく、いったん改札口を出て自由通路を介して乗り換えることになります。
天井が高く開放的
橋上駅舎と一体化した自由通路は、屋根が高くゆったりした曲線を描いており、高いこともあって開放感があります。かなり幅も広いのですが、それでも日本有数の観光地である箱根の玄関口ということもあって、週末などになると人がみっしり集まるようになります。
自由通路内の店舗は小田急改札周辺に多く、JR側にはコンビニ程度になっています。
橋上駅舎化によって改札口は1カ所に
駅南口には、駅ビル「小田原ラスカ」が入っており、その正面には大きなロータリーが整備されています。
小田原の駅前は繁華街になっており、再開発によって道路などはきれいになったものの、旧態依然の土産物屋がずいぶんと目立ち、地元の需要を喚起するような商店に乏しく、あまり活気を感じられませんでした。
旧駅舎はモダンなつくりでした
かつての駅舎は、トンガリ屋根と丸い小窓を備えたしゃれたものでしたが、駅舎橋上化と駅前再開発に伴って姿を消しています。当時は、小田急の改札も地下通路内にあったほか、南北の通行が困難だったこともあり、北口の整備が遅れていました。
歴史
詳細は確認中。
略年表(クリックまたはタップで開閉)
- 1920年(大正9年)10月21日
- 熱海線の国府津-小田原間が開通、開業。
- 1964年(昭和39年)10月1日
- 東海道新幹線東京-新大阪間が開通し、小田原駅が設置されます。
- 1970年(昭和45年)5月19日
- この日限りで貨物営業廃止。
- 1987年(昭和62年)3月31日
- 貨物営業再開。
- 1987年(昭和62年)4月1日
- 国鉄の分割民営化に伴い、在来線はJR東日本およびJR貨物の駅に、新幹線はJR東海の駅になります。
- 2003年(平成15年)3月30日
- 橋上駅舎供用開始。