東西で人の流れが変わります
東京駅を発車した上野東京ライン(東海道線)および横須賀線の列車が、最初に停車する駅です。一方、昼間時間帯に山手線との重複区間で運転されている京浜東北線の快速電車は通過します。
メインのホームは高架上に設けられており、3面6線となっています。山手線と京浜東北線は方向別運転、東海道線は線路別運転となっており、駅の南側に自由通路が設けられています。このほか、横須賀線は地下に1面2線が用意されていますが、総武・横須賀地下駅に共通する特徴として、じめじめと湿気が高く、雰囲気が暗くなっています。
出口は南北の東西に分かれていますが、人の出入りが活発なのは「ゆりかもめ」との乗り換えが行われる汐留口(東口)で、1979年10月に完成した駅舎が高架線に接しています。地下には「しんちか」と呼ばれる地下街が広がり、地下鉄汐留駅まで連なるプロムナードを形成しています。かつては、サラリーマンが忙しく行き来するだけのくすんだ街という印象が強い一帯でしたが、汐留地区の再開発に伴い、風景が大きく変わりつつあります。
日比谷口には蒸気機関車
一方、北西側の烏森口は、コンコースへの出入り口がアーチ状になっており、高架下に入っている衣料品店などのテナントと駅が一体になっています。駅前には大きな公園が整備されており、正面の噴水には静態保存されている蒸気機関車は新橋駅前の象徴となっています。
駅周辺の雑居ビルには飲み屋やチケットショップ、消費者金融などが目立つ一方で、大衆的な飲食店も多く立ち並びます。内幸町方面がエリートビジネスマンのエリアとすれば、新橋駅日比谷口は大衆サラリーマンのゾーンという印象です。
停車列車 [2014年2月現在]
東海道本線
特急「踊り子」「スーパービュー踊り子」は、通過する便もあります。
- 特急「踊り子」他・快速・普通 東京 ← 新橋 → 品川
横須賀線
京浜東北線・山手線
京浜東北線は、昼間時間帯にかぎり、山手線との並行区間である田端-田町間で快速運転を行います(西日暮里、鶯谷、御徒町、神田、有楽町、新橋を通過)。
歴史
「鉄道唱歌」の冒頭に「汽笛一声新橋を」のフレーズが出てくるなど、日本で最初に駅が設置された地として名高い新橋ですが、現在の新橋駅は、旅客専用駅である「烏森」を前身としています。当時、旧・新橋駅(1872年10月15日開業)が東京のターミナルとなっていましたが、中央停車場(現・東京駅)の開業とともにその役割を譲り、「汐留」と改称して貨物専用駅となりました。これにあわせて、隣接する烏森駅が新橋を称するようになっています(1914年12月20日)。汐留駅は、1986年10月30日かぎりで廃止され、駅舎が建っていた跡地周辺は、国の史跡に指定されています。
略年表(クリックまたはタップで開閉)
- 1872年(明治5年)9月13日(新暦10月15日)
- (旧)新橋(後の汐留、現在は廃止)-品川間が開通、新橋-横浜(現、桜木町)間で本格的な鉄道営業開始。
- 1873年(明治6年)9月15日
- (旧)新橋駅にて、貨物および「客車ニテ運送スルタメ受取ル所ノ貨物」(=荷物)の扱いを開始。
- 1909年(明治42年)12月16日
- 烏森(からすもり)-品川間開通。
- 1910年(明治43年)6月25日
- 有楽町-烏森間開通、烏森駅は中間駅となります。
- 1914年(大正3年)12月20日
- 東京駅開業に伴い、(旧)新橋を汐留(しおどめ)と改称のうえ貨物営業のみの扱いとし、烏森を(新)新橋と改称。
- 1976年(昭和51年)9月30日
- 地下ホーム開業、総武快速線が乗り入れ[1]。
- 1986年(昭和61年)10月31日
- この日かぎりで汐留駅廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日
- 国鉄の分割民営化に伴い、JR東日本の駅となります。