多数の系統が分岐する要衝

鶴見

つるみ
Tsurumi
鶴見駅
鶴見駅駅舎。2004年11月5日

京浜東北線は地平ホーム

鶴見駅京浜東北線ホーム
写真1鶴見駅京浜東北線ホーム。2006年5月6日

鶴見駅は、京浜東北線と鶴見線が停車するのみですが、脇を通過している東海道線だけでなく、品鶴線(品川-新鶴見信号場-鶴見)、東海道貨物線(鶴見-八丁畷)、東海道貨物線(鶴見-横浜羽沢-東戸塚)、高島貨物線(鶴見-東高島-桜木町)、南武貨物線(尻手-新鶴見信号場-鶴見)、武蔵野貨物線(鶴見-新鶴見信号場-梶ヶ谷貨物ターミナル-府中本町)の分岐駅となっています。旅客営業上では、東海道本線の駅に、鶴見線、横須賀線、湘南新宿ライン、JR・相鉄直通線がそれぞれ分岐することになりますが、横須賀線、湘南新宿ラインおよびJR・相鉄直通線の線路にはいずれもホームが設けられておらず、従って「全列車通過」という扱いになっています。

京浜東北線のホームは、島式1面2線が地平に設けられています。

鶴見線には専用の中央改札口を通ります

鶴見駅鶴見線中間改札
写真2鶴見駅鶴見線中間改札。2004年11月5日

鶴見線は、起点の鶴見駅を除いて全駅が無人化されています(時折抜き打ち的に改札を行うケースはあります)。このためか、鶴見線ホームとコンコースの間には連絡改札が設けられています。短距離乗車券などを使っていわゆる“大回り乗車”を行う場合は、有人改札でその旨を告げれば、問題なく通ることが可能です。

鶴見線には買収私鉄らしさ

鶴見駅鶴見線ホーム
写真3鶴見駅鶴見線ホーム。櫛形ホームとアーチ型の鉄骨屋根が私鉄時代を偲ばせます。2006年5月6日

鶴見線ホームは、もとが買収私鉄という経歴にもよるのでしょうが、西側の高架上に頭端式の独立したターミナルが置かれています。アーチ型の鉄骨屋根が見もの。前述の中間改札を入るとすぐにコの字型のホームがあり、段差はないため、乗り継ぎの便は良好です。なお、鶴見線の両ホームのうち扇町方には、ホーム相互を結ぶ連絡階段があります。

東口は京急と向き合う

鶴見駅東口側改札口
写真4鶴見駅東口側改札口。2010年10月23日

駅の東側に駅ビルが建っており、これに接するようにコンコースが2階に広がっているため、橋上駅舎と呼んでよさそうです。改札口は東口出口を入ってすぐの所に1カ所と、西口の合計2カ所があります。

駅東口の駅ビルは1965年に完成した「つるみカミン」で、独特のストライプが印象的な外観でした。長らく民衆駅として営業していましたが、老朽化により解体され、現在ではJR東日本系列の「CIAL鶴見」が建っています。

東口は広場を挟んで京急鶴見駅と向かい合っています。

停車列車 [2010年9月現在]

東海道線や横須賀線は通過し、京浜東北線のみが停車します。鶴見線は省略。

乗り場

確認中。

駅名の由来

確認中。

歴史

東海道線の駅としては、非常に早く開業した部類に属します。その後、鶴見臨港鉄道が1930年10月28日に鶴見(仮停車場)まで開通し、1934年12月23日は現在の鶴見駅に乗り入れを行いました。同鉄道は1943年7月1日に買収され、現在の鶴見線となっています。

略年表(クリックまたはタップで開閉)
1872年(明治5年)9月13日(新暦10月15日)
開業。
1898年(明治31年)4月1日
貨物営業開始。
1929年(昭和4年)8月21日
品鶴線(東海道本線支線)の目黒川信号場(現在は廃止、大崎に統合)-新鶴見操車場-鶴見間が開通、貨物運輸開始。
1930年(昭和5年)10月28日
鶴見臨港鉄道の鶴見(仮停車場)-弁天橋間が開通、鶴見仮停車場開業、旅客営業を行います。
1931年(昭和6年)6月14日
鶴見臨港鉄道の鶴見(仮停車場)を移設。
1934年(昭和9年)12月23日
鶴見臨港鉄道の鶴見(仮停車場)を廃止、国有鉄道鶴見駅に統合(扱い上は新設移設)。
1943年(昭和18年)7月1日
鶴見臨港鉄道国有化、同線鶴見駅は国有鉄道(鉄道省)の駅に統合。
1963年(昭和38年)11月9日
駅付近で鶴見事故発生(死者161人、負傷者120人)。
1974年(昭和49年)9月30日
この日限りで貨物営業廃止。
1980年(昭和55年)10月1日
品鶴線で旅客列車(横須賀線電車)の運転を開始(ただし鶴見には停車せず)。
1987年(昭和62年)4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR東日本の駅になります。
2019年(令和元年)11月30日
相鉄直通線の運転を開始(ただし鶴見には停車せず)。

駅周辺

確認中。

近隣の見どころ

總持寺

駅西口から南西へ徒歩5分。曹洞宗の大本山で、1911年に能登から移転されました(現在も祖院が石川県鳳至郡門前町にある)。大祖堂(本堂)は日本一の大きさを誇っていますが、修行僧の掃除はたいへんだと思われます。墓地には、芦田均や前田青邨など、著名人が多く葬られています。

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